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六花出版 「精神障害者問題資料集成 戦後編第十巻患者会運動」 所収原稿 患者会運動の資料を史料として残すための羅針盤として

六花出版 「精神障害者問題資料集成 戦後編第十巻患者会運動」 所収原稿

患者会運動の資料を史料として残すための羅針盤として


 

Ⅰ. 資料の大海を渡る羅針盤

 歴史とは、無残なものである。無慈悲なものである。それは勝者によって書かれ、勝者にとって最大の利用価値として残されるからである。精神病患者会運動の『勝者』とは何者であろうか。患者会運動とはキチガイのセーカツそのものなのではないのか。この二つの奇妙でキョーレツな問いが「資料の大海を読み解く羅針盤」となる。全国「精神病」者集団的・全精連的な在り方と、地を這う患者会・キーサン患者会的な在り方との対比が、羅針盤である。セーカツとウンドーを対比しつつそのバランスが羅針盤となる。

 この資料集成そのものは、おそらくは、敗者のためにある。何故って、精神医療改革運動為るものは、厚生省と精神病院経営者と精神医の学会によって散々に敗北をさせられてきたからである。だからこそ後世のために残すことそのものに意義がある。だが、精神医療改革運動の中で当事者運動は、もっと言えば『精神病患者会』ほどないがしろにされてきたものはない。当事者運動の中で最も大きな顔をしてきたのは、全家連を中心とする家族会であり、活動家団体としての全国「病」者集団であり、精神医良心派改革派のプシ共闘なのであり、それこそ、運動体としてのナンタラ共闘会議ドウタラ連絡会議等々全国ナンタラ日本ドウタラ等々であった。もちろん、その意義は一定程度はあったのだと想う。特に政治的運動的には。そもそも、そう「当事者運動」と云うのなら、家族も精神医も看護士も当事者だ。だが、そうだからこそ、我々のようなキチガイキチガイによるキチガイのための「精神病患者会」為る在り様からの異議もまたアッタのである。

 


Ⅱ. 地を這う患者会列伝

 大体が、名前からして全く違う雰囲気を醸し出している。愛媛松山の「ごかい」(言わずと知れた「わしらの街じゃあ」「天上天下病者反撃」のキーサン患者会の親分である。キーサン患者会、地を這う患者会の希望の星であった)静岡藤枝の「藤枝友の会」(地元の精神病院内の患者自治会から発展して地域患者会として作業所に変化も拒否し、徹底して会員の会費だけでたまり場を維持し続けている類まれな患者会である)神戸の「ニューカトレア会」(阪神三人衆と言われたカチコミの親分達が言っていた、山本深雪氏が大阪人権センターだの大精連だのと目立ち始める前は、ここにパラシュートして来て元々から居るような顔して、クスリ飲んでるとこなんかいっこも見たことない、と)博多の「福岡わらびの会」(今現在に至っても手書きの会報を発行し続けている凄いトコロである)東京亀戸の「新松橋亭」(しんまつと親しみを込めて呼んでいた。東京の下町で、「天上天下病者反撃」を読んで感動して作ったのだとのことで、クボタクリニック脱藩組の支援者たちもナカナカの人物である)大阪高槻の「灯会」(言わずと知れた精神病患者会の老舗中の老舗、俳句を作り続けている)堺の「ガンバロー会」(全国各地にあった精神病院の患者自治会出身の会である。このころは、浅香山病院、岩倉病院、光愛病院等々の全開放を目指した病院には、もれなく患者自治会があったものである)住吉の「旅立ちグループ」松江の「つぼみ会」「麦の会」山形の「こまくさ会」信州の「プチノマド」「ひなたぼっこの家」広島の「モスク」(南座を惜しむすき者の会の頭文字をとったそうである)名古屋の「雑草会」清瀬の「一寸五分の会」(ここの会報は毎回面白いものだった)岡山の「すばる」鹿児島の「わかち会」土佐の「西風の会」北海道の「すみれ会」(回復者クラブと自称し始めた最初だと想う。道回連も名乗っていたかも。その後セルフヘルプグルーブだのマインドだのと、イロイロな名乗りがうまれたが、その後どうなったのだろうか。但しココは、セーカツの匂いはとてもしていたと想う)東京の「友の会」(患者会の元祖かもしれない)富山の「ルナの会」福井の「らばの会」いや「ろばの会」だったか記憶が定かではない。

 キリスト教系を前面に打ち出した「心の泉会」(各地の教会に集う月一くらいのたまり場をたくさん網羅していたので、考えてみれば、ココこそがある種実質的な全国的連合体だったかもしれない)全国「病」者集団の名古屋分会「ゼロの会」京都分会「ひまわりの会」全精連の県連としてあった「松ぼっくりの会」(ココは本当に患者会としてのセーカツの実質があった)全精連とは独立した立場の「兵精連」(全精連系の活動家が名乗る前に勝手に名乗ってしまおうと云うノリであった。実質はあったのかなかったのか)「大精連」(「病」者集団とも全精連とも独立した第三の制度政策提言路線政治大好き山本深雪氏の牙城と言っていいだろう)などもある。

 そして我が京都山科の「前進友の会」(1976年十全会病院を脱走した病者、命からがら退院した患者、アルバイトスタッフだった学生たちで結成した。初期のころは学生部隊の反十全会闘争と多彩なレクに特徴があった。88年からは、患者会が設立母体で運営主体である共同作業所も運営しつつ)である。こうやって、ココに想い付く限りの患者会の名前を並べ得ただけでも、書かせてもろうただけでも、ありがたいことなのである。地を這うように70年代から80年代にかけて、精神病患者同志のレクと食事会とたまり場から澎湃としての沸き起こり活動を続け、全国ドウタラとか少しもかかわりも持たず、90年代少しづつ減っていきそして大方は21世紀には、消えていた。

 


Ⅲ. 全国「病」者集団的なるものとの対決

 ところが不思議なことに全精連為る団体が93年に、厚生省の役人を発足大会に来賓として迎え、鳴り物入りで出来上がってくるのである。何が不思議かと言えば、各地の特色ある患者会は段々と活動を縮小していっているときに全国の連合体が出来ていったのである。ご丁寧なことには、県連と云うものもできていった。本当に実態があったのだろうか。現在の全精連の現状を考えてみれば、答えはおのずから明らかであろう。もう一つおまけには「病」者集団はこの動きに対して「歴史的な意義がある」として賛成しその宣伝ビデオに赤堀さんまで出演させてしまった。当時、不思議でかなわんかった。だって、全国「精神病」者集団と云う歴史ある全国組織があるのだから、結集したければソコに結集すれば良いことだったから、、、「地を這う」ように各地にあった患者会は、結局はその「病」者集団にも、新手の全精連にも積極的に合同していこうと云う動きには為っていかなかった。では何故にそうはならなかったのか。結論から言えば、このあたりから、「ごかい」「藤枝友の会」「前進友の会」と云う「キーサン患者会」「地を這う患者会」と自称していた我々と「病」者集団との対立が決定的になっていったのである。それは、当事者運動総体の歴史から見れば、ある種不幸なことだったかもしれない。もちろんその責めはえばっち自身もキーサン患者会も負わねばならぬが、また、大野萌子氏も「病」者集団も負わねばならぬだろう。

 ここで重要なのは、本質的には、大野萌子氏と対立していたのであって、山本真理氏と対立していたと云う事ではない事だ。山本氏は大野氏の『代貸』に過ぎなかったのだから、当然であろう。90年代を通して我々が対立していたのは大野萌子氏の路線であった。70年代80年代、偉大な先駆者であり指導者だった大野氏は、誰もが敬い「世話になった」と言うほどの存在であった。それは確かなことだと想う。当事者としての大野氏の存在がどれほどのものだったのか、全国精神「病」者集団がどれほどの存在であったのかは、筆者が書く必要もあるまい。この資料集成のそこかしこにちりばめられているはずである。だが、その「偉大なる」大野萌子氏も、赤堀さんを奪還して以後は決定的に路線を誤った、とそう想う。90年代以降、個人的にも運動体としても誰もが逆らい得ななかった大野氏に面と向かっておかしいと言い始め、問い続けたのが、キーサン患者会だったわけだ。

 はっきりとした対立軸は、ナンだったのだろう。全精連をどう規定するかは、大きかった。キーサン患者会は「アリャ御用団体だ」とそう公言していたところに、「病」者集団は「歴史的意義がある」と、言ってしまった。手帳制度の問題も大きかった。大阪での手帳のヒアリングを「ごかい」がカチコミを掛けて、完全に粉砕してしまったぐらいだった。我々は反対の立場だった。保安処分の『監察札』になってしまうぞ、と言っていた。一方「病」者集団は精神障害者にも手帳をとばかりその名も『赤い手帳』が欲しいと、ニュースに書くありさまだった。大野氏の路線だった。この辺から「制度政策提言路線」に急速にはまり込んでいく。その延長線上に山本真理氏や関口明彦氏らの活動家が、30万を超える入院中の患者を、圧倒的なナニも知らずに呻吟している病者を鉄格子とあの厚い鉄の扉の向こうに『置き去りにしたまま』国会の参考人になったり与党か野党か知らんが政党の検討委員やナンかの公的な機関の審議委員やあまつさえ精神医の学会の理事に為ったりしていった。

それどころか、自分に敵対する者の口を封じるのに刑訴や民訴や第三者機関やらの権力に売り渡すことまで平然として、他の患者を脅しながら自分から手を挙げて国会の参考人になりに行くという桐原尚之氏のような若手を作り出してしまった。大野萌子氏の「病」者集団型制度政策提言政治活動家論客路線の当然の帰結であろう。



 しかし、そもそもの対立軸は、根本的な精神病患者会の存在自体をどうとらえるかと云う点にあったと想う。「病」者集団の立場は、つまるところ、大野萌子氏は、常々こう言っていた。「医者が作ったものは、患者会とは認めない、だから「ごかい」や「藤枝友の会」は、患者会では、ないのだ」と。これは、筆者が、「病」者集団の事務局会議に参加していたときに、直接そう聞いた。コレを聞いたとき、チガウなぁぁぁぁぁーーと想った。実際に「藤枝友の会」や「ごかい」の食事会に参加させてもらっていて、ソウ感じた。デモ、なんとなく、少しは、少しは、当たっているようにも想えた。「ごかい」と笠陽一郎医師との関係や「藤枝友の会」と中江清員医師との関係のことを言っていたのだろうが、そうはっきりと斬って捨てられるような薄ぺらたいものではないんですよ。だが、その上で、笠医師も中江医師も、精神医たちは相当強く患者会の意思決定に影響を与えているのもまた事実であった、と、そう想う。それを全否定してしまうのもまた、事実とはチガウと想うのである。今にして想えば、相互にその微妙なトコロを理解し合えていれば、と、そう想う。患者会とはキーサンのセーカツと病状と支援者のノリの上に微妙に成り立っているものなんですよ。

 キーサン患者会、全国の地を這うような患者会とは、本当に、重たい病者中心のセーカツ共同体的な側面が強かった。だからこそ、レクと食事会であった。一緒によく飯を喰った。患者会には患者会独自の味があるのです。「藤枝友の会」の駿河親子は、うまかった。「ごかい」で食べたあのカレーの味は忘れられない。「福岡わらび」のあの博多水炊きは激ウマだ。「しんまつ」で食べた、あれはナンだったのか冷しゃぶだ、美味しかった。たしか「ごかい」でも食べた。みんなで、お皿を回して、あれは高知全家連大会にカチコム前日の夕食だったか帰ってきてからの夕食だったか。だから、「病」者集団の食事会に参加させてもらっていた時に、コレは患者会の食事会じゃないな、会議参加者の休憩時間だなとは想ったし、「病」者集団の名古屋分会「ゼロの会」の食事会は、確かに患者会の食事会にはチガいないものの、参加者全員が大野萌子氏に過剰なくらいのおべっかを使いながら食べているのがよく分かった。本当に過剰なまでの阿諛とお追従に満ち満ちていた。味なんか忘れてしまった。そうそれは、患者会の食事会ではなかったのだ、まさしく、大野萌子氏を囲む会だったのだし、大野萌子氏の食事会であった。
 だから、「病」者集団は、活動家集団から、一歩も出ずじまいだった、のだ。本当に重たい病者中心の患者会ナンて、出来るはずがない。本当に口の重い身体の重い病状の重いクスリの重い病者たちが集まってくるには、そう、やはり精神医は必要なことだったのだ。重たい病者たちは、活動家風の健病者風の患者を、最初のとっかかりには決して信用はしないのだ。だって、部屋長と配膳係と、そしてすぐに退院していくヤツ等なんだから、、ソコのトコロを分かってはいないと、キレい事風の活動家集団になるだけのコトだ。そしてそのキレい事が、大野萌子氏の独裁体制を担保していた。ジッサイのところ、本当に患者会を作り、維持し、活動し、セーカツし続けていくのは、ムズカシイことなのだ。その最初のとっかかりに、そしてその継続にも、精神医や医療従事者や、健常者や健病者達は、必要だったのだ。モンダイは、その後、患者会側と、精神医とが、どのような関係性を構築するか、なのだ。特に、主治医ー患者関係にある精神医が、患者会の設立メンバーである場合には、その関係性によって、患者会側の主体性と精神医側の医療内容が、問われることに為るの、だ。患者会を維持するにあたっても、実は、健常者も、精神医も、そして、健病者も、居る必要があるのだ。だって、維持するには、ケッコウな金も、パワーも、手仕事も、必要になってくる。精神病患者会とは、結構な手間ひまと気力体力が必要なのである。その時の役割分担を考えてみたら、よい。モンダイは、分裂病圏、うつ病そう病躁鬱病圏、精神医はじめ支援者達、AC気味不登校気味やノイローゼや神経症圏の屈折した青年健病者達、四者の関係性に在るのだ。役割分担の在り方と、発言力の調整と、人間関係にアルのだ。支援者としての、形式会員でよい我が医療の監視をしてくれ、口は出さぬが手は貸そう、口も出さぬしカネも出さぬがヤレルことはヤルと云う精神医、看護婦看護士、ワーカーが必要なのだ。だが、発言力に制限を設けねばならぬ、そして、ドウいうなかまたちの意向が、まず優先なのか、、、、なのだ。ソコの微妙なトコロを分かり合えなかった「病」者集団も伝えきれなかったキーサン患者会も相互に誤っていたのだ。今なら、両方の誤りが見える、気がするのだが、、、、えばっちの妄想か幻覚か、、、
 ハナシを戻そう、それでいて、大野萌子氏は、プシ医師達からの積極的カンパを当てにしていた。精神神経学会での募金箱を持っての金集めには、ビックリした。学会最終日の総会議場でのあの光景は、実に異様なモノだった。アレじゃあ確かに、総会の壇上占拠ナンて出来るはずはない。理事会や運営委員会に、当事者を入れろと云う方向に走るハズである。一方キーサン患者会の側は、90年代を通じて、学会レク「カチコミ」をぶちまかしていた。松山学会、長崎学会、大阪学会、長岡学会、仙台学会、高知全家連大会、静岡全家連大会、大阪手帳ヒアリング、我々にとってはレクだった。シンドいキビシい病状を掛けたレクだった。クルシカッタ。精神病患者の病状を伴った怒りの爆発をソノマンマ、レクとして壇上占拠して叫び続けるのである。「造反無理」であった。造反するものに理屈は無いのである。大野萌子氏は「論客になって論破せよ」とのことであった。それが出来得る精神病患者がどれだけ居ると云うのだ。「造反有理」と「造反無理」の対立であった。

 


Ⅳ. 岡田さんとの出会い、それは羅針盤の意味

 最後に岡田さんとの出会いと驚きを書いておこう。それが「羅針盤」の意味となろうから、、、あれは、15年の春、八王子ホットスペースの20周年記念の御祝い会の場で同じテーブルに座ったのが、キッカケだった。どちらが先に声を掛けたか記憶が定かではない。たった3年前のことなのに。戦後版の精神医療資料集成をしているとのことだった。その後、手紙のやり取りから、反十全会市民連合の資料などを送るようになった。その中で、これほどの資料を残そうとしている人が、なんと精神病患者会の会報を何一つ持っていないことが分かった。驚愕した。「ごかい」のあの大部の「3冊セット会報縮刷版」も、「藤枝友の会」が毎年23号にわたって作り続け、病地学会で一冊一冊手売りしていた「ひとりぐらしのうた」も、前進友の会の「兄弟だろ」も「友の会通信」も、各地のたくさんの「地を這う患者会」の会報を、実物を何一つ持っていないとのことだった。精神病当事者団体で、ちゃんと持っているのは「病」者集団関係のモノだけ、とこれは電話口で言われたのか、その時の驚きは本当に曰く言い難い。なんというコトだと、参ってしまった。だからこそ、即座にミカン箱一箱に、友の会の事務室で目につくものはあらあら送った。「興奮している」と云うお返事を頂いた。ぎりぎりで間に合ったのだと想った。助かったとそう想った。これで、少しは遺せそうだと想った。ただ、これだけ「地を這う患者会」があって、それぞれ特色ある会報を出し続け、「キーサン患者会」がバクチクをぶん鳴らし、叫びまくって学会の壇上占拠をし続けていたが、歴史史料として、残すことがどれだけ難しいことか、想い知った。この出会いがなければ、全国にこれほどの「地を這う患者会」が活動をし続けていたことが、忘れ去られていくだけであっかもしれない。この資料集成に、いかばかりかでも精神病患者会の会報が掲載されたことは、感謝のみである。我々「キーサン患者会」が『敗北』していったとは、実に、こういうことではなかろうか。「病」者集団の方は、桐原尚之氏はじめ、国会の参考人として、17年の国会は勝利だ勝利だと大宣伝中である。我々の方は、高齢化し、亡くなる者はみんなあちらに行き、精神病院へ死にに戻っていく、そして、最終的に患者会なるものは、ほぼ無くなっていくことだろう。バラバラになりつつである。そも、どのくらいの会が今の日本で残って活動しているのだろうか、とも想う。『敗者』とは実にこう云うことではなかろうか。

 この資料集成を読むにあたって、研究するにあたって、キーサン革命の鬼からの「羅針盤」が、以上である。これが羅針盤に当たらないと思われる方々は、出来得る限り、せめて作業所や精神病院やデイケアや診療所などといった直接に精神病患者と付き合うような場には来ないで頂きたい。コンなコトを言いつのっているのだから『敗北』するはずである。

 「キーサン」とは、「ヤクザ」が「ヤーサン」なら、わしら「キチガイ」は「キーサン」やと云う誇りを持った生命の底で居直り、セーカツの底で居直り、街に居座り精神病院で生き延びるための自尊自衛自主自立の自称である。

 

キーサン革命バンザイ!!!!!



献呈 この拙文を故桜庭章司さんに献呈したい

桜庭章司さんは、僕が知る限り、唯一の、たった一人の『精神医に直接的実際的オトシマエをつけた偉大な先輩病者』である。若い時分、短期間の間文通させていただき、拘置所からのご本人の依頼で、何回か裁判資料などを全文コピーさせて頂くと云うお手伝いをしたことがある。少しは、お力になれたのだろうか。桜庭さん、桜庭さんの『オトシマエ』には、及ばないかもしれませんが、えばっちの『オトシマエ』は、患者会を維持し続け、最も身近な精神医療と福祉に文句を言い続け、精神病患者会のことを世間様に遺し続けるのが、僕の『オトシマエ』ですよ。ゆっくり眠ってください。キーサン患者会は、叫び続けます。

 

六花出版 「精神障害者問題資料集成 戦後編第十巻患者会運動」 所収原稿

2017年11月14日

 

精神病患者会前進友の会やすらぎの里作業所

あくまでキーサン革命の鬼えばっち 江端一起

 

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えばっちのホームページ 乾坤一擲

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みなさん、やっほーーー、ありがとうございましたぁぁ面白かったねーー、想っていた以上に集まってくださって、、、愉しかったですねーー、

【みなさん、やっほーーー、ありがとうございましたぁぁ面白かったねーー、想っていた以上に集まってくださって、、、愉しかったですねーー、翌日はさすがに一日寝ていました、ヨレヨレです、、それにして


もナカナか良かったよねー、、司会することに為っちゃって、限られた中ではありましたが、何人かの方には発言もして頂けたし、、ヤッパリ「私たちの日々」ヨカッタよねーー拍手も上がって笑いも出ていました、、と監督さんのハナシも、そして、串カツ屋サンでの打ち上げも愉しかったです、


何時かなかま全体のドキュメンタリー撮ってもらえたらなぁぁぁーーナンて、夢が膨らみますよね、、、語り足りなかった分は、また、会いましょうね、、カンパもたくさんありがとうございました、、感謝です、


また、お会いしましょう、、じゃあまた、えばっちより】

 

 

 

「働く人の西梅田こころとからだのクリニック リワークプログラム放火殺人事件」 に想う  「埼玉訪問医師射殺事件」に想う   谷本氏とボクは『一緒』だそして『チガウ』 『一緒』であり『チガウ』とは 『一緒』で在り続けるとは  『チガウ』で在り続けるとは 他人を殺すことなく自分を殺すことなく 生き延びるために  患者会を、患者自治会を目指す コトしかナイんですよ

「働く人の西梅田こころとからだのクリニック リワークプログラム放火殺人事件」

に想う

「埼玉訪問医師射殺事件」に想う

谷本氏とボクは『一緒』だそして『チガウ』

『一緒』であり『チガウ』とは

『一緒』で在り続けるとは

『チガウ』で在り続けるとは

他人を殺すことなく自分を殺すことなく

生き延びるために

患者会を、患者自治会を目指す

コトしかナイんですよ

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 「カリタス小」の時も、「池田小」の時も、そして、とにかく、マスコミが騒ぐ事件のたびに、とにかく同じことをずっとずっと叫び続けてきました。殺した側、加害者側とボクは『一緒だ』と、でも『チガウ』のだと、、ずっと、『彼らと一緒なんや、でも、チガウんや』と叫び続けてきました。悩んでいます、、「このコトで書くのならえばっちしか書けないコトがアルんじゃないか」と励ましても頂きました、ありがたいことです。書き始めて、一か月近くに為ります、、誰も読まない原稿を書き続けているのかもしれません、、でも、書くしかない、、コウ書くしかないのだと想います。

 

 「働く人の西梅田こころとからだのクリニック リワークプログラム事件に想う谷本氏とオレは一緒だ、社会復帰、職場復帰の美名のもとにいったい何人の病者が殺されてきたのか、、ついについに、桜庭さんのように直截的に精神医療に落とし前をつけにいった患者が出たのだ、、、ソウ云うことなのだ」

 

 おそれています、、、今回ばかりは「ワカラナいことはワカラナいとしながらも、綺麗ごとでは片づけるなよ、、、ついについに患者側が、精神の診療所やクリニック側に精神医療側に精神医にスタッフに看護士に心理士に直截的に落とし前を付けに行ったのだから、、コレは無差別テロなんかではない、、ハッキリと「働く人の西梅田こころとからだのクリニックのリワークプログラム」の場を参加者を、そして良いことだと実施してきた精神医たちスタッフたちに、キチガイからの落とし前をたたきつけたのだ、、、散々叫び続けてきたではないですか、、ワシ等キーサン患者会『反社会復帰』『働かない権利』を叫び続けてきたではありませんか、、、だって、だって、リワークプログラムタラで、社会復帰プログラムタラで、SSTタラで、社会復帰路線タラで、復職することが社会復帰だタラで働けるようにならなければ退院させませんタラで、デェイケアプログラムで就労意欲と就労能力を高めようタラで、社会復帰路線タラで、ラップタラ、オープンダイアローグタラ、タラで、社会復帰タラで、一体どれだけの病者が殺され、虐待され続けてきたのか、、、ツイにヤッタのです。谷本氏はオトシマエを付けに行ったんですよ、、彼とボクは一緒だ、、、

 ボクだって落とし前を付けたいヒトやコトや場や精神医や看護士や家族会や、は、山のようにあるのです、てんこ盛りなのです。怨念と怒りと復讐のキーサン革命の鬼なんです。書くべきか書かざるべきか悩みに悩んだ末に書いたんだ、読め、読み腐れ、そして怯えやがれ脅えろ、腐った社会復帰論者ども、ワケのワカラン横文字コトバで、さも患者さんたちに良いことをヤッテいるんだと、、ミョーな自信に満ち溢れた医療従事者ども、横文字の余りに小綺麗な小洒落た名前を付けるもんで、ソコが精神の診療所やクリニックとは分からない、キチガイには分からなくなっている、、オモタい高齢の働けない病者を価値のないものであると切り捨て、特に生産活動に就労活動に寄与出来得ない者は価値のない者であると、そして芸術活動スポーツ活動デモヨイカラと、ソコに如何ばかりかでも寄与できるようにならないと価値がないのだと、宣伝し続け、横文字コトバのワケのワカラない、ドうたらこうたら、ナンタラカンタラと云うようなプログラムや手法バカリ輸入してきて開発し宣伝に努め、専門職能性と国家資格バカリ追い求め集め続けてきたアンポン譚ども、医療福祉サービスの供給者と受益者だけの契約関係と、専門職能性的関係と適正手続きバカリ追い求めてきた、、ソレで良いことをしてやっているんだと、キチガイを落とし込んできた、アホども虐殺者虐待者ども、脅えるがいい、、、オマイ等はほんまもんのニンゲン関係、キーサントモダチ、スタッフダチンコを追い求め続けてきた方向性に泥を塗り続け、無視し続け、価値がないものとして扱い、そして、そして、小綺麗な小医療サービス的な、小洒落た小福祉サービス的な、社会復帰就労路線バカリ宣伝してきただろうが、、ソレが、大方のオモタいキチガイには拷問にしか過ぎなくても、死人が出ても、徹底的にその方向バカリ宣伝しヤリ続けやがった。

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 50年も精神病院に入院させられ続けていたなかまが、この『コロナ感染症対策禍下』の中、死んでいった。面会も外出もできなくなって死んでいった、多くの、一度も退院したことのないなかまが、たくさん居るんだ。高齢で、クスリも重くもカラダも重く、、、長期入院を長期収容を『牧畜業者』のように自分たちでそう仕向けておいてナンのセキニンも取らず、今度は、小洒落た、さも良いようなコトバカリ宣伝してヤッテきやがった、本当の生のキチガイ一人ひとりの声をきくことなく、一人ひとりの人生をみつめることもなく、、ふざけやがって、フザケヤガッて、オレと谷本氏は一緒だ。岩崎氏とも小島氏とも、青葉氏とも、加藤氏とも宅間氏とも一緒だ。キーサン革命の鬼なのである。何時か落とし前を付けてヤル、『鬼』を甘く見てはいけない。一緒なんだぁぁぁーと叫びたい。「働く人のこころとからだのクリニックのリワークプログラム」ダト、、、「就労支援プログラム」ダト、、フザケるな、フザけるなよ、マスコミは、「ここのおかげでこの先生のおかげて復職できました」「素晴らしい先生のおかげで、このリワークプログラムのおかげで、社会復帰出来ました」と、大宣伝中だろう。それどころかしまい口には「働くことで傷ついた人が被害、やりきれない」ダト、寝とぼけたことを言いさらすな、、チガウチガーーーーウウウウウウウウちがううううううう、と叫びたい、ソコから漏れ落ちてしまった患者さんたちの方が多いだろうよ、、ソウだろう、ソレがゲンジツだろうよ、何故にソレが分からない、、「働くことに傷つけられた人が、心のクリニックとやらの社会復帰プログラムで癒されて職場復帰出来得たエリート障害者」のコトばかり言うな、宣伝すなバカ者、ソコからこぼれ落ちてしまったものはドウ為るのかと言っている、社会復帰プログラムでも傷つけられ、職場復帰を諦め生活保護を申請しに行っても、社会福祉事務所でも傷つけられた者は、ドウなるのかと、言っている。「働くことに傷つけられた人が、今度はココロのクリニックとやらのリワークプログラムで更に傷つけられて、しまい口には最後の頼みの綱として生活保護を申請しに行った先の社会福祉事務所でも傷つけられ」てしまった者はドウ為るのだ、ドウすればいいのだと叫びたい。だからだから、、ずーうっと叫び続けてきたでしないか、『反社会復帰』『働かない権利』『支え合って生きる』のだと。

 病気がシンドい者、社会復帰プログラムについていけない者、クスリがオモタイ者、働けない者、役に立たない者、価値がない者が、ついについに、復讐したのである。直截的ににオトシマエをつけに行ったのだ。オマイ等が、何らかのカタチで少しでも、生産活動、に寄与できるか、芸術活動かスポーツ活動に少しでも寄与出来得る障害者が価値あるものだと、価値あるものしか生きることができない世の中を激しく志向し続け、ソコに向けて少しでも治療し福祉するのが新しい横文字コトバのプログラムを実践するのが『良心的精神医療と福祉である』と言い続けたのだ。そのヒトモノコトに対して、長年続いたソンな虐待に対して、ついについに、患者が狙いすましたテロを敢行したのである。

 誰かとハナシが出来なければいけなかった、孤独と孤立こそ、避けるべきなのであった、コンな世の中に為ってシマッタ、世は『コロナ感染症対策禍下』『発達特性バヤリ』の世の中、誰かが彼と、或いは彼等とニンゲンとしてハナシができなければいけなかった、ソウなのだ孤立させず、孤独にさいなまれさせず、誰かとハナシが出来なければならなかったのだ、、と想う。一人ひとりの病者患者と、一人ひとりのニンゲンとして、ハナシが出来なければならなかった、何時からだろう、ソンなことも忘れさられて、プログラムばかりが先行され出したのは、サービスの供給と受給関係だけに仕向けられていったのは、【見えにくいアクジ犯】型の社会復帰路線バカリの方向に仕向けられていったのは、、、、、、

 脅えるがいい、怯えるがいい。怯えやがれ。いくら観察法病棟をつくろうが、ご立派な建物を拵えてたいそうな予算をつけようが、ご立派な良心的改革派的横文字言葉の舶来プログラムを導入しようが、キチガイの落とし前を止めることが出来ない。しれたことだ。ソレを唯一止めるのは、止められるのは、キーサントモダチスタッフダチンコ、患者会みんなの、なかまたちみんなの何気ない日々の食事会とレクなのである。支え合って生きる生き方なのである、、、患者会でハナシ出来るなかまがいるからなのである

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 イロイロ知らなくてもいいことを、結局は知ってしまうんですよ、そしたら、ボクが眼を三角にして「許せーーンコンなコトは許すべきではない、●●の首を捕りに行くんやーー、そして自栽や、ヒト様の首を捕りに行くんやから、捕ったらその場で自裁せにゃならん、、だから誰ぞ首桶持って付いてきてくれないとアカンのや」と喚いていると「ワシが首桶担いでいってもエエけど、●●の首とえばっちの命とでは比較にならんで」「それは、許せんトンデモない野郎や、ナンならワシが火でも放って逃げ口塞いだるさかいに、其の間に●●の首捕ってきたらいいけど、●●の首とえばっちでは、ヤッパリ勿体ないで」「焼くんやったら徹底的に焼け、中途半端にすな」「おいおい、これ以上えばっちを煽ったらアカンがな、、しかも放火の容疑で観察法審判受けさせられたなかまもおるんやさかいに、火のハナシはよそうや」「誰や、えばっちにコンなモン見せてしもうたんは」「そうは言うてもなあ、えばっちが見たがるんや」「勘弁してくださいよ、明日の食事会の出汁がナイんで買いに行かなきゃなんないんでよ、●●の首捕るハナシなんか後にしてくださいよ」「そうやそうや●●の首より、出汁の方がヨッポど大事やで」「そりゃぁソウだよなぁぁ」「明日の食事会ナンなん」「海鮮のスパゲティですよ」「ペスカトーレちゅうヤツやな」「ペスカトーレか●●の首か」「スパゲティに決まっとるわな」「●●の首とえばっちでは比較にならんで、今回は見逃してやれや」「ワシは止めるで、生きとし生けるものには全てに仏性があるんやから、殺すのはアカン、あいみょんを聞いたらいいのんや」「さすがヤ、だからヤッパリ、くちゃんが代表様なんやなぁぁぁーーく大師様ナモアミダブツナモアミダブツ、やっぱりえばっちもう辞めようや」と言ってくれるなかまが居るからなんですよ、、ソコが『チガウ』のです。

 くだらないことをワぁワぁ喋りながら、ワイワイゲラゲラ笑って与太話をして、美味しいものを鱈腹食べて、でも、ニクマンもわきながらも、、、、結局は、世の中から世間様から、役に立たないものだ、生産活動にも就労活動にも寄与できない価値のない者だ、弾除けの兵隊にも為れんと蔑まれ、叩き出され、追い詰められ、腐った『発達障害概念』バンザイの奴らが煽りたててくる、せめてせめて芸術活動や学術活動やスポーツ活動にでも寄与できないと無価値ですよと『パラリンピック』バンザイの奴らが、益々キチガイを追い立ててくるんです。だからソウやって追い立てられ追い詰められた者が、弱い者がシンドイ者が、寄り集まって、支え合って助け合ってシカ、生き延びれナインですよ。それを『精神病患者会』と言うのです。『生きがいの格差』『生きがいの盗人』に為らないように通所者側からもスタッフ側からも、両方から『支え合うセーカツ』を目指し得た時に『患者自治会』『利用者自治会』と言うのです。

 だから、『能力』や『競争』ではなくして『なかまたちとともに支え合って生きていく』なかで、自ら出来ることをなかまのために、支え合う其の支えの一枝を、お互いに出来得ることとして『キーサンの生きがい』の役割として、みんなでそれぞれが『病状を崩さないような範囲内で提供』して『役割分担』して『支え合って生きていく』のです。ごみ捨てや、便所掃除や、笑い話ネタや与太話投下や、飯づくりや、炊飯器のスイッチを押す役割、帳面付け、行政事務、車の運転、みんなの部屋に顔を出すと云う役割をやって、実際のジッサイのみんなの部屋のセーカツを維持していっているのです。でも、それは、絶対に絶対に『競争』や『能力的価値』になってしまってはいけない。だって、ソコから追い立てられてきた者たちなのだから、、、『弾除けの兵隊にすら為れんキチガイ』だからこそ、だから『反社会復帰』『働かない権利』ナンですよ。ソウやって『キーサンの生きがい』として『患者会を拵えて支え合って助け合って生きていく』そのセーカツの中から、『他人を殺ししまう』『自分を殺してしまう』決意を固めたキチガイを引き留められるのは、引き戻して来られるのは、、、、だから『チガウ』んです、『一緒』で『チガウ』んです。

 話をする相手が居るから、笑い合えるなかまが居るから、役割分担をして支え合って生きがいを分け合って生き延びていくのです。支え合って生きるとは、役割を生きがいを分け合って、みんなで助け合って生きていくのです。年末年始美味しいものをみんなで一緒にワイワイ言いながら食べることが出来ました。在り難い事でした。えばっちは、『谷本氏にはならないで済んだのです』谷本氏とも、岩崎氏とも小島氏とも、青葉氏とも、加藤氏とも宅間氏とも一緒なのです。でも岩崎氏にも小島氏にも、青葉氏にも、加藤にも宅間氏にも、為ってしまいそうなギリギリを止めてもらえているんですよ。ありがたいことです。一緒にご飯を食べてきたからなんですよ、、レクをやってきたからなんですよ、、友の会のホームページにみんなの写真とともに、御馳走の写真も出ております、在り難い事です。ありがたいことナンです。【彼と彼らと一緒でありチガウ】と云うことなのです、在り難い事なのです、運の良いコトなのです、あの信州の病院からジブンだけ生きて出られた。生きて出られてシマッタ。そして其の上、運よく誰も殺さずに自分も殺さずにココまで還暦まで来れたのです。なかまとともに支え合うセーカツで、生きがいもあり、役割もあり、愛する人にも、みんなの部屋で巡り合え供に30年以上ずっと暮らせています。コンなにみんなから好くしてもらって、、、ありがたいことなんです。申し訳ない気持ちでいっぱいです。コレでエエのだろうかと、時々シンパイに為ります。信州のあの病院からボクだけ助かってしまって、しかも、愉しく暮らさせてもらっている。ソウ感じてしまウンです、ソウ想ってしまってもうドウ仕様も無いのです。還暦まで生き延びた。たくさんのなかまが亡くなっていった、精神病院の中で、街の中で、、、申し訳なさすぎる。時々シンパイに為ってくる。申し訳ない、本当に申し訳ない、、、叫び続けなければならない、、だからこそだからこそ書き続けなければ、、、書いてしまうのか、、、書かなければいけないのか、、、もう一歩書かなければならないのか、、、

『一緒』なダケではなく、

『チガウ』のダケではなく

そう、それは、同時にアルだけではいけないのだ、、

『一緒で在り続け』なければいけないのです、そしてしかも

『チガウので在り続け』なければいけないの、です

さもないと、

たくさんの死んでいったなかま達を

殺されて行ったなかま達を

ずっと精神病院に入れられ続けてきたなかま達を

今も入り続けているなかま達を

出ようにも出られなくなったちゃったなかま達を

生きたかったのに生きられなかったなかま達を

加害者と為ったなかま達を

被害者に為ったなかま達を

自らの加害者性を

自らの世間様からの被害を

忘れてしまってはいけない

せめて、精神病患者会に居るワシ等だけでも、

覚えておかないと

世間様はあっさりと忘れ去り無かったモノにしてしまうから、、、

他人を殺すことなく

自分を殺すことなく

生き延びていくには

『一緒で在り続け』『チガウで在り続け』しないといけない

それがキーサンの生き様というものであり

それがキーサンの仁義というものであり

それがキーサン人生を生き抜くと云うコトなのですから、、、

生き延びてしまった者の、

なかまのおかげて生き延びられている者の

愉しく暮らさせて貰っている者の、

キーサンとしての最低限の生き様、仁義なのです

 

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「埼玉訪問医師射殺事件」に想うのです、「医師への暴力後絶たず」当たり前だ、当たり前のことなんですよ、、訪問医師、訪問看護、訪問ヘルパー、への暴力が後を絶たない、当たり前なんですよ。適正手続化しサービス契約関係化していけばいくほど、文章や法律や制
度やナンかに着いていけないチカラの弱い側からの反撃を招くんですよ。ドンドン混乱して分からないように制度が法律が出来上がってくるからですよ、、ドウしてそれが分からない。『ニンゲン関係』構築してからにしなさいよ、、ハナシをよくよく聞いてからにしなさいよ、、ずっとずっとハナシを聞き続けながらやりなさいよ、、、

 なかま達が、みんなで支えあって、ごみ捨てを、便所掃除を、飯づくりを、与太話を、車の運転を、シンパイごとのハナシを、相談をキーサントモダチとしてスタツフダチンコとして、、、みんなでヤッテいるのです、、ありがたいことなのです、キーサンの仁義なのです、、だからボクは、書かなければ、叫び続けなければいけないのです。ボクだけ、あの信州の病院から助かってしまった、だからこそ、なかま達に入院を説得しに行けるのです、だからこそ、説得に行くときには、身を捨てていくのです。包丁が出たって、枕の下に包丁が隠されていたって、、、手の中に真鍮のドアノブが隠されていたつてナニほどのことなのか、、自分が絶対に嫌な入院を、説得して精神病院に連れていくのです、、なかまとしてね、、その時に、包丁が出て、刺されたって、それでいいのです。そう覚悟をして行くしかナインですよ。もうソウでしか説得の仕様はナインですよ、、ところが不思議なことに、圧倒的に力関係が上の連中が特に精神医が『アリガタ屋的福祉サービスや医療サービス』を強制してくるときに、ドウして、あれほど患者側や利用者側からの暴力行為タラを恐れるのか、、おそらくは自らの『権力者性』の無自覚さと、『善いこと良いことをシテヤッテイルンだ感』が満載だからなのです。【見えにくいアクジ犯】そのものだ。

 だからアレほど『強い者』ほど、『弱い者』からのジッサイ的なナマの暴力と反撃を恐れるンデスヨ、ジブン達がドンなコトを『弱い者』にしてきたか、『良いことをヤッテやっているんだ』の中に、実はついついチョッとした嫌がらせも、そして嫌みも、勿論少しばかりの悪意も交えてきたからこそ、怖がるんですよ、ソンな精神医や心理士や看護婦や看護士、ケアマネがいませんか、、、居るでしょう、、、ホンと、【見えにくいアクジ犯】のクセして『見えやすいアクジ犯』を徹底的に批判しているふりして、一所懸命『患者さんのためにヤッテいます』ふりして、実際イロイロやっていて、凄いこともあるのだけれど、自分の気に入らない相手には、見えないようにしてチョッとした悪意や嫌がらせや苛めを虐めを、ホンの少し交えてくるんですよね、、、それが精神病院の中の殺しをヤッテいる看護士の本性と少しも変りないことをアッサリと忘れて、、世間様の評判の良いクリニックやナンかのエラい評判の良い改革派的な良心的な医療を提供している時に、周りには絶対に気を付かせないようにして、本人にだけ分かるようにチョッチョッとイヂワルと嫌がらせとイジメと悪意を交えて来るんですよ、、恐ろしい、、そして実は自らの『権力者性』をチラつかせるんですよ、、、周りには見えないようにしてね、、、ソンな医療従事者、居ませんかね、、、しかも特徴は実は『ニンゲン関係』築けていないんですよ、患者側と一対一のトイトイのニンゲン一人ひとりとしての五分といつつの関係性ナンて、実は全く無いんですよ、、、『築けているように見せかける』のが上手いだけなんですよ、、ソレを築けるのは『患者自治会』『利用者自治会』を目指し得た時だけなんですが、徹底してソウ云うコトは、嫌がるんですよ、デモ『市民運動的』或いは『改革派的学会』ナンかは大好きなんですよね、、とても、評判善く、チョッと見はとても素晴らしい取り組みをしているように見える、、でもかえってその取り組みのプログラムの中に入れないものには、徹頭徹尾冷たいんですよね。『イヤトい患者や家族』『先進的プログラムに入れない入ってこれない患者家族』には、チョッチョッと嫌がらせや嫌味を意地悪をそれとなくヤッテいるのが目につきませんかね、、またぞろえばっちのビョウキやヒガイモーソウやと言われるんでしょうがね、、デモ特にココで強調しておきますよ、、ソンな看護婦や看護士、精神医、心理士、PSWがいるってことがね、、でもね。ソンな【見えにくいアクジ犯】が『見えやすいアクジ犯』を攻撃しているもんで、、サテソコはドウするか、、でもね、本人にだけ分かるようにチョッチョッとイヂワルと嫌がらせとイジメと悪意がね、スタートのような気がするんですよ、、『見えやすいアクジ犯』の殺しにまでエスカレートしていくね、ソウ云う【見えにくいアクジ犯】の良心的改革派的横文字コトバの実践の中に、その輪の中に入り切れない患者さんへのチョッチョッとした嫌がらせや嫌味を意地悪をそれとなくヤッテいるのが、【制度的政策的経営的アクジ】の前の前提に為りそうな、ナンと云うか、エスカレートしていきやすい【見えにくいアクジ犯】のエスカレート先先のような気がするんだけれども、、、だから、エスカレートしていった先に『見えやすいアクジ犯』に為っちゃう、、、チガイますかね、、、、

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 もさんのところにヘルパーさんが来るようになった時のことは忘れられない、高齢で耳も遠く、知的障害も精神障害もあり、精神病院に30年以上入院させられていたもさんに、ヘルパーさんがちょっと来たぐらいで、一回一回、たくさんの書類にハンコを押していかなければならないんですよ。そのハンコ押し作業が一段落してから実際のヘルプや訪看が始まる、、もさん、もう混乱しているんですよ。むやみにハンコ押したらアカンと云うことが染みついているのです、、世代的にも、、、だからそう云うもさんに何回でもそのたびごとに納得のいくまで説明したらいいのだ、分かるように、、何度でも、しかも、横で聞いていても、神経を逆なでするようなコトバカリチョッとチョッと絶妙のタイミングで入れていく。横で聞いていてもバカにしてるのかなと想うほどです。ソンなことが何度も何度もあり、ついに、もさんは、女性のヘルパーさんに横びんたを張りました。もさんの病状がワルイカラダ、と云うことに為りました。ヘルパーさんにサビ管さんも一緒に付いて来るように為りました。三人ぐらいで来るようにもなりました。その説明もしたのかしなかったのか、、、ナンでアンなにハンコを急き立てるのか、もさんのペースで物事をやらないのか、耳も遠い、どうさも遅い、クスリも重い、精神病も知的障害もある、ナンデナンデもさんのペースを守ってくれなかったのかなぁぁぁ、、ついについに、もさんは女性ヘルパーさんの腹を殴りました。そして、精神病院に戻っていきました。この時のことを話し始めたらキリがないくらいですよ、友の会のみんな部屋で何度も何度も、事業所さんと話し合いを持ちました。凄いたくさんの専門職の人が来ました。その中、友の会やすらぎの里のみんなの部屋で全体打ち合わせをヤッタのですから、友の会の参加希望者は自由に参加して、みんなで意見を出し合いました、ソコまでやりましたが、もさんは、精神病院に持戻っていったのでした。ヘルパーさんの腹を殴ったもさんが加害者であったのでしょうかね、、、、

 れさんの時のこと、もね、、、あの世代の在日二世の女性が一人で生き延びてきたンですよ、、そりゃあ、話しぶりが少しぐらい「姉御肌」「鉄火肌」なトコありますよ、そりゃあーーだから、ちゃんと向き合ってハナシをすればわかってくるはずなんですよ、、でもそれをやらない、だから「ちょっと怖い精神病もアル厄介なばあさんだ」ってことに為って、ヘルパーさんが次々と替わる、その度ごとに大量の書類にハンコ、、だから信用をしなくなってくる、、訪問して来るケアマネさんを敵視するようになってきますよ、、モノを投げつけて追い返すように為りますよ、そりゃあーーワケのわかんない書類にハンコを押すことを急かす背広を着た詐欺師のように見えちゃうんだから、、れさんの立場から見れば、、れさんがワルイんですか、、、追い返されたモノを投げつけられたケアマネさんやヘルパーさんが被害者なんですか、、、

 『ニンゲン関係』じゃないですか、時間かけてハナシしましょうよ、、ナンで時間かけて『ニンゲン関係』構築しようとしないのか、、制度がそれを阻むのか、ますます阻むように制度が社会が法律が役人が、専門職が、『発達障害特性』が【コロナ感染症対策】がソウ為っていくのか、ソウさせていくのか、、、【納得のモンダイ】じゃないですか、、障害ある側が、入院させられる側が納得できるまでハナシましょうよ、いったん納得しはったように見えてね病者は翌日にはホンとは納得して無かったコトをヤッと話し始めるンデスヨ、だから、その時は、また最初っからハナシ始めましょうよ。『適正手続』『サービス提供受給関係契約』【ハンコ押し作業】は、後にしましょうよ。本人や家族や遺族が納得するまで、医療や福祉の必要性を分かり易く説明したらいい、納得できるまでドンなに無駄に見えても、『蘇生措置』を続けましょうよ。『御遺体』に為ってたってご遺族のトモダチの納得できるまで『蘇生措置』したらいいじゃないですか、もさんの何回目かの緊急搬送の時だ、チョコっと来た医者が「誤嚥性肺炎の場合、ご高齢の患者さんには積極的に治療を行わないのが欧米のスタンダードです」と言い放ちやがった、オレたちは、反論も出来なくてスゴスゴと帰ってきたんだ、、ホッといたらあのマンマ、もさんあの医者に殺されてたかもな、、

 

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「埼玉訪問医師射殺事件」に想うのです、「医師への暴力後絶たず」当たり前だ、当たり前のことなんですよ、当たり前だ。と。ワカラナいコトはワカラナいコトとしながらも、ワカラナいコトだらけですよ、しかもマスコミ報道をうのみに信じちゃいませんからね、、それでも、もはや『精神医療』と『精神福祉』と【警備会社】との【コラボ】にナンラかの法的根拠が設けられることに利用されていくんですよ、コレは、だから叫んでいるんです、もしかすると【警備会社】が自らが『精神医療』と『精神福祉』とに変化していくその法的根拠が出来ちゃうんですよ、、、ワカラナいコトはワカラナイとしながらも、、叫び始めなきゃなんないんですよ、、

 しかも、コンな世の中になってしまったんだ、、だから成り行きでね、もはや、亡くなったご両親の年金で暮らしてはるヒトも居ますよ、そりゃあーー、ジックリハナシを聞いてたり、チャンと暮らしやセーカツを含めて見ている、ハナシをチャンと出来る関係を構築していたら、ソンなコトは、薄々ワカッテきますよ、ハッキリ言って分かってこなきゃダメですよ、ホンのちょっとセーカツぶりを暮らしぶりを想像してみたらいい、、、だからハナシを聞いてもらえなかった者からの反撃ナンですよ。それがまぁなんとまぁ、見てみるがいい、マスコミの報道をこの圧倒的な社会的な、法的なチカラの差を。それでも、力の強い方を更に守るための法整備や制度が必要ダトは、恐れ入る。おそらくはおそらくは、「働く人の西梅田こころとからだのクリニック リワークプログラム事件」「埼玉訪問医師射殺事件」を利用してナニが造られようとするのか、、、またもやの法整備なのです。専門職、権力のアル専門職の安全を守るためのモロモロが出来るのです。法整備して医療や福祉に専門特化した【警備職】の導入ですか、、【警備職】でも医療や福祉に特化した専門性の履修過程でも作りますかね、、ソウいえばウ診療所に警備員が立つようになりましたね。「トキワ警備」のように強制移送に特化した警備会社もアルようですね。でもナンだかムカシより『医療』や『福祉』の衣をまといつつあると想いませんかね、、、更には『引き出し屋』実は悪辣極まりない施設への【押し込み屋】ナノですが、その手合いが、今度の事件をキッカケに訪看やヘルパーさんやケースワーカーはんらの【付添型警備】にも参入ですかね、、そして更に「サービスの提供者と受益者の契約関係と適正手続」が強化されていくんじゃないですか。

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 逆だぁぁぁーーヒトとヒトとのニンゲンとしての関係なんですよ。今の世の中『発達特性ばやり』と『コロナ感染症対策禍下』のなかなんですよ、、、だからこそ、ヒトとヒトの人としてのつながりと関係性なんですよ、、「スタツフダチンコ」「キーサントモダチ」の関係性の中でこそ、もしソンなことが出ても、みんなでハナシしていけるんですよ、、、患者会のなかま達の方から「お前そんなんではあかんぞ」「お前、女性のヘルパーさんを脅すとは何事ぞ」「あまつさえ暴力ふるたとは、絶対にアカン」「訪看さんをおどかすような真似は絶対にすな」「アソこの訪看さんは、なかなかイイとこなんや、ソコの看護婦さんを脅すとは、許せんぞ」と言い合えるんですよ、、、ココが患者会の良いトコロじゃありませんか、、、

 でもね、でも、ですよ、もう「働く人の西梅田こころとからだのクリニック リワークプログラム事件」と「埼玉訪問医師射殺事件」そして「京都アニメーション放火事件」とともに、ドウ煽り抜いて、強い側を、権力の在る側を警備していく仕組みと【警備専門職】の登場に、、していくか、もう判り切っちゃっているンじゃないですか、、モチロン観察法病棟の強化と、それに、『精神医療』と【司法制度】の相互相乗り入れ制度が新設でしょうか、、、オソロシイことです、、とにもかくにも、この『コロナ感染症対策禍下』で人々の『心性』は、真に恐ろしい方に傾いた。だって【安心安全】が第一優先なんでしょう。そのうえで「働く人の西梅田こころとからだのクリニック リワークプログラム事件」と「埼玉訪問医師射殺事件」そして「京都アニメーション放火事件」と、を利用しつくせば、法的担保のあり得る、精神病院、精神科診療所クリニック、訪問看護ステーション、ヘルパーステーション等々と【警備会社】との【コラボ】の実現が日常の風景となるでしょう。その【警備会社】は、精神の医療や福祉に特化していることをウリにしたり、或いは【引き出し屋】実は精神病院や悪辣施設等々の悪辣フリースクールのようなトコへの、あるいは貧困ビジネス系統の施設への『押し込み屋』なんですが、そういったところの【警備会社】の警備員に付き添われて、あなたの主治医やヘルパーさんや訪問看護婦さんたちが、来ると云う風景がフツーに為るカモシレナイ、御大層な「観察法病棟での司法と精神医療の相互乗り入れ」ナンて前に、もう町や村の学校や診療所での風景に、すべからく【警備会社】の警備員が立っているんですよ、、クリニックにも、作業所にも、ね、救護施設にも、デェイケアにも、ヘルパーステーションにも、、ね、、、そりゃそうだ、お偉いオえらい専門職の皆さんの【安心安全】が第一ですからね、、そのうち「ラップ」にも「オープンダイアローグ」にも、警備員の立ち合い姿が、フツーの風景と為るカモシレマセンね、、これぞ、最も自然な風景の中の『保安処分』がにじみ出た景観じゃないですか、ケースワーカーPSWもケアマネもサビ管も、【警備会社】の警備員立会いの下でなければシゴトしませんよ、、と、それが『専門職の専門職能性』と言い出しはじめ、しまい口には、この際【警備会社】が精神医も看護士も訪看もケアマネも直接派遣してくるようになるカモシレマセンね、そこまでいくでしょう。【安心安全】が第一ですからね、、それを今度の「コロナ感染症対策」と「働く人の西梅田こころとからだのクリニック リワークプログラム事件」と「埼玉訪問医師射殺事件」そして「京都アニメーション放火殺人事件」が、担保してくれているのです、恐ろしい、ただただ恐ろしいです。だから、えばっちは、【一緒で在り続け】『チガウであり続け』ナケリャアー、アカンと想います。

 ボク自身ホンとに訪問系のアレコレを全く信用できないもんで、、ソウ言うて来る専門職たちは、【見えにくいアクジ犯】の訪問系の医者や看護士やが、何時か、【警備員】と一緒に、ボクやアナタを騙して、いきなり白い布袋を被せて、意識失う注射打って、気が付いたら閉鎖病棟保護室の中、だってことは絶対にないんだと云う『安心感』がアル精神医療の現状ですか、、ホンとにソンなコトは無いと否定できるんですか、、、出来ないじゃないですか、、少なくとも、ヘルパーさんや訪看の看護婦さん達が『病状』の【密告】をしているかもしれない、、、ソレ否定できないじゃないですか、、そして入れられた先が保護室で看護士が患者を二人掛かりで首の骨を圧し折って殺しても無罪に為る、ソンな『見えやすいアクジ犯』の殺しの精神病院カモしれない。世の中は、世間様は、都合の悪いことは忘れますからね、、、「石郷岡病院」「神出病院」まだまだ、たくさんあるでしょうよ、、「うるま病院」のことだって忘れちゃだめですよ、「大和川病院」だって「宇都宮病院」だって、マタゾろ新しい虐待して事件になってやいませんかね、、「十全会」は外から見ると「新生十全会」ナンて名乗って「なごみの里病院」はオッカなそうなんですよ、、、だからね、、もしボクのトコロに訪問系のアレコレが来ようとするのなら全く、あなた達の安全は保障できませんよ、、【密告】してるかもしれん、何時か【白い布】を被せられるかもしれないから、、そして「なごみの里病院」に入れられるかもしれん、【警備会社】が、其の情報共有のセンターに為っているカモシレナイ、だから、ここイマのニホンの精神医療の現状が少しでも変わらない限り、もしくは、そう、友の会のみんなが「えばっち、、ココの訪問看護士さんは信用できるわ、大ジョウブ、ココのヘルパーさんは絶対大丈夫、ワタシが保証するわ、ワタシのトコにずっと来てくれてはるトコロナンやから、、」と云うなかまの声が在るときダケなんですよ。ボクは怖がりなモンで、、だから、患者会のなかま達とは、アリガタイモンなんですよ、、、そしてコウ云う方向性の努力はすべきじゃないんですかね、、「訪問看護ステーション」「ヘルパーステーション」スタッフ側と利用者側からの双方からの生きがいを通じた役割分担としてね、、こちら側からの【安心感】ってものがある【患者会】『利用者自治会』目指せないでしょうかね、、、しかも自分たちの提供する医療と福祉の「サービス」内容を【患者会】か『利用者自治会』が監視して監察して諌止してしてくれるんですよ、在り難い事だと想いませんか、、、

 ただ、今回、、『一緒』だと想いながらも、シンドクなるんですよ。自衛隊で実包射撃訓練したもんで、ヒトにむけて実弾を打つのはとても出来ない、射殺はアカンでと想ってしまうんです。しかも散弾銃や、散弾を使うての射殺はアカン、、鉄砲で距離を取って殺すのはアカン、、飛び道具はアカン、と想ってしまうのです、、ドウしても医者をヤルんやったら、返り血を浴びる距離と覚悟でもって、己が手を相手の血にまみれる覚悟の包丁か刀でヤラなアカンと想ってしまうのです。でも、それでも、彼とボクは『一緒』だと想うんです。

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だって、ボクだって、主治医をもうちょっとで殴り倒してコロシテしまうトコロだったんですから、、、それも友の会の夏レクの場だった、この09年の夏レクが一泊二日温泉夏レクの最後となってしまった、、あれは、、、あの時のことは、まだ詳しくは書けない、あの時、愛する人と供に一年にわたる鬱にはまってしまい、友の会にも行けなかった、あの年のコト。彼女が高血圧の治療のために通っていたな会診療所のな医師のたっての紹介で、愛する人は、ガリガリにやせてしまった状態で検査のために入院しにいった。あのに病院の【鳥獣豚類ナンでも人工透析内科医】の「検査した結果ナンの異常もナイんだからスグココを出て行ってくれ」「異常はナイんだから早くベット空けてくれ」とベットに横たわる彼女に言い放っていたのを、部屋の外から長い間聞いていた。あの部屋三人しか入院していなかったのに、酷い言いようだった。長い放言だった。腐った金儲け医師の言い分だった。ソコを離れれば良かったのに離れることも出来ず、まるでなじるかのような脅すかのような退院申し渡しを、病室の外から反論もせずに聞いてしまっていた。身じろぎもせずに。あの時、踊り込んでいって、其の【鳥獣豚類ナンでも人工透析内科医】を殴り倒してでも、その放言を止めれば良かったのだけれど、それも出来ず、言われっぱなしだった。ホンの後数週間ユックリさせておいてくれていたら、後が全くちがっていたかもしれない、とそう想う。詳しくは書けない。そして金曜なのに、土曜の明日退院と言い渡されてしまった。週末退院の場合手続きやクスリはドウしたらいいのか途方に暮れてシマった。ボクは、友の会の食事会に帰ってカレーを食べて、土曜なのに退院とは、と、もう少し置いておいてもらえれば好転してきそうなのに、と、みんなに訴えていた。みんな真摯に聞いてくれた。みんなも、ドウシていいかわからず、とにかく、明日の退院のサポートをしようかと、言ってくれた、ありがたかった。でも断った、愛する人がゼツタイにもう友の会やすらぎの里と関わり合いに為りたくないと、強硬に言っていたから、、だからボクは、カレーのお弁当を持って団地に帰ってきた。呆然として坐っていた椅子の横後ろに居た冷蔵庫が突然唸りだしたのである。それ以後ずっと聴覚過敏に憑りつかれてしまった。そう、アの時【鳥獣豚類ナンでも人工透析内科医】を殴り倒しておけば、この聴覚過敏からは逃れられていたかもしれないと想う。惜しいことだった。ただ、な会診療所のな医師の厚意を無駄にはできなかった。よくシンパイしてくれて、な医師の方から何度となく彼女にもボクにも電話してきてくれた。無理矢理に、に病院に押し込んでくれたのだから、ありがたかった、デモあの時、ジッと聞いているのではなく、アの【鳥獣豚類ナンでも人工透析内科医】を殴り倒しておけば、聴覚過敏も、その後一年近くにわたる鬱も、逃れられていたかもしれない、と本当にそう想う。二人とも、と、そう想う。でもヤッテいたら、観察法だったのか、、、

 それで、その後半年ほどは、とにかく二人で寝かやって「二人で北海道にでも戻って森の中で暮らそうか」と云うヨウなハナシをしながら、出来合いのお弁当を食べて、ゴミも出せず、弁当ガラを部屋の中の袋に次々と詰めこんで行く日々を団地の部屋の中で過ごしていた。ゴミ捨ても出来なくなっていた。聴覚過敏であれほど好きだった音楽を聞くのを辞めた。唯一の救いは、毎日送られてくる友の会の日々の日報報告メールだけだった。未だみんなとつながっていると想えた。その後この日報メールは、現在も友の会の休みがちななかまへのツナガリになった、ありがたいことだった。友の会からのお弁当配達とヘルプは、愛する人が拒否していた。この鬱状態の原因が長年にわたるスタッフ間のアツレキにアッタから、ソコがツラカッた、例のトランスジェンダーを名乗るアルバイトスタッフひさんとメインの中心スタッフみさんのトンでもない状況からの、あの頃からの軋轢がツモリに積もっていたから、、それでもボクだけ、夏レクに、必死で行った。耳栓をして、電車に乗って、行った。熱い日だった。夏レクには一度も欠席などしてこなかったから、、とにかく、ムリしてでも行った。それがヨクナカッタのだろうが、とにかく、到着して汗を拭きながら早速に昼食に在りついた、久しぶりの、温かい食事であった。主治医のく医師が前に座って、この間の状況を聞いてきたので、あらましを伝えた。「二人で北海道に戻って森にででも暮らしたいと言ってイルンダ」と。そこで主治医のく医師は「それは極端やな」と云いながらせせら笑った。ボクは御膳を引っ繰り返して、飛びかかって行った。なかまたちがギリギリで止めてくれた。もうちょっとで、く医師はボクにコロサレルとこだった。なかま達が、カラダを張ってギリギリで止めてくれた。その後その夜はホテルのロビーに警備員が立哨するようになった。オカシな雰囲気の中、最後に為った一泊レクの夜が過ぎて行った。申し訳なかった。未だに主治医のく医師は、何故、コウなったのか理解できないでいるのではないか、とそう想う。ナサケナいハナシである。ドウもヒトのキモチを察するのは苦手のようなのである。なかま達もそう言っている。えばっち、気が付かなかったの、、と、、そして、本人も相談するかのようにソウ周囲に漏らしていたのもあとで知った、、正直な医者であるとは想う、、正直な医者だ、、、それは凄いコトではアル、、

 だが、ともかく、アのに病院の【鳥獣豚類ナンでも人工透析内科医】と精神科主治医のく医師を殴り倒すか、コロシテオケバ、愛する人と二人ともアレホドの一年にわたる鬱も、ボクの今に至るまでの聴覚過敏も、随分と楽に為ったのではなかろうかと、想ってしまう。でも、そうなっていたらおそらくボクは観察法行きで、いやその前の精神鑑定の保護室で殺されていただろう。精神医と看護士に逆らいに逆らいまくるだろうから。彼女も死んでいたかもしれない。友の会もドウ為ったのか、、、運がヨカツタ、、助かった、、、特にあの時の若手アンチャンスタッフのケンカ慣れした動きがヨカッタのだと想う。ありがたかった、ただただ、ありがたかった。それでも、コウ想えてならないのである、あの時殴り倒しておくかコロシテオケバ、すれば、、殴り倒しておくかアノトキコロシテオケバ、と、、少なくとも聴覚過敏は楽になっていたのでは、、と、、ラクニナルタメニラクニナレルンジャナイカト、コロシニイコウトスルンデスカラ、コロシニイクンデスカラ、、ジブンヲコロシニヒトヲコロシニイクンデスカラ、、、、、

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だから『一緒』ナンですよ、本当に『一緒』なんです

そして『チガウ』んです、本当に『チガウ』んです

でももう、もう、えばっちは、コウ想うのです

実は今回は少しばかりは、すこしばかり

ナンと云うか【違和感】も確かにアルんです、だからこそ、

だからこそ、かえって、

【一緒で在り続け】なければいけない、と想うんです。

あくまでキーサン革命の鬼として

【一緒で在り続け】ねばならないのではないか、と

だからもちろん、もちろん

『チガウので在り続け』なければいけない、と

それが生き延びられた、助かってしまった、

有り難い運のヨカツタ、

支え合って生きさせてもらっている

キチガイの最大の倫理的義務的役割じゃなかろうかと

だから、なかまの中の役割分担で、なかまの入院を説得しに行くことに為ったら

自らのタマを張るのは当たり前の事なんです

助けてもらったんだから、、、、

コンなに愛してもらっただからだから

コンなに良くしてもらった、、ありがたいことだ、

だから、、だから、、だからこそ

【一緒で在り続け】

『チガウで在り続け』

自分を殺さず、他人を殺さず、

生き延びましょう

なかまとともに、

だから、患者会を、

患者自治会を目指していくシカナインです

 

2022年2月22日 京都伏見 前進友の会やすらぎの里作業所

キーサン革命の鬼えばっち 江端一起

入院歴五回 コテコテの躁鬱病患者




丁度、二か月後の5月10日火曜日、1330時より 病者のドキュメンタリーー映画 二本立て上映会 三度び挑戦いたします

三度目の正直となるか

病者のドキュメンタリーー映画

二本立て上映会

三度び挑戦いたします

◆2022年5月10日(火曜日)1330時より

たんぽぽ舎【スペースたんぽぽ】にて

「私たちの日々 特別ではなくなにげないもの」と

「かけがえの前進 あなたがたは精神病者とつきあったことがありますか!

二本立て上映会を三度び、挑戦いたします。

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昨年は会場NGにて、一昨年は最初の緊急事態宣言にて、、開催を断念せざるを得ませんでした。特に昨年は、秋にと想っておりました「自治会を目指してみませんかの交流広場」も断念いたし、丸一年以上にわたって顔を合わせて話が出来得る交流が途絶えてしまいました。

寂しいです。

残念です。

会って、話がしたいです。

この『コロナ禍下』だからこそ、集まってジッサイになかま達の映画を見て、ハナシをしたいものだと、想っております。最大限の『感染症対策』をとりながらも、、、リスクはゼロにはなり得ないながらも、、、キチガイにとっては、最大の危機は『孤立』と『無縁』と『孤独』そして『貧困』と『貧窮』のうちに在るのだから、、、そう、『孤立』と『無縁』と『孤独』そして『貧困』と『貧窮』が、ぼくたちの『キチガイ病』を悪化させ死に追いやるのです。だからだからこそ、『コロナ禍下』のこの在りようは、ナンなのか、『感染症のリスクはゼロには為り得ない』ながらも、最大限の感染症対策を取りながら、、、取りながら、、、、、キーサンは、キーサントモダチは、スタッフダチンコは、「患者自治会を目指そうとしながら」実際に『会って』『映画を見て』『話し合って』『交流を深めて』いこうと想います。

 

添付のチラシですが、悠遊舎えどがわえどがわの元木さんの力作です。素晴らしいです。会場の方も、なんと、もう予約は悠遊舎の皆さんがとってくださいました。今度の会場は、お金が若干かかるものの「会場NG」にはならない場所だそうです。ありがたいことです。

是非とも、上映会でお会いしましょう。映画を見て、お話しできたらと想います。何卒なにとぞ、宜しくよろしくお願い致します。

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二本立て独自の意味もおおいにアルと想うのです。

何と言っても

「ぜひ、ご覧ください!」と「嫌やったら観んでもいいんやいいんや!」

の二本立てのドキュメンタリー上映会なもんで

『かけがえの私たちの日々が前進』

『かけがえの日々が私たちの前進』

『私たちのかけがえの前進が日々』

『私たちの日々がかけがえの前進』

と云うワケなのです。ありがたいことです。

 

◆2022年5月10日(火曜日)

午後1字半より

 

※たんぽぽ舎【スペースたんぽぽ】

 千代田区三崎町3-1-1 高橋セーフビル1F

  最寄り駅は「国鉄水道橋駅」西口から徒歩5分

 

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悠遊舎えどがわのみなさんで、手作りで創り上げた「私たちの日々」は凄いです。自分たちで撮りあげちゃったんだから、、、大学で映像をやってたり自主映画作りをしてたり、カメラのシゴトをしてた人が、タマタマ病気に為っちゃって作業所に来てたけれど、病気も安定してきたんで、機材もアルんで、なかま達を積極的に撮り始めて映画にしちゃったんだから、、、なかま達との関係性も出来ているし、作業所スタッフたちも、これは素晴らしいって云うんで、全面的に協力してて、つまるところ、撮った側は映像技術もなかま達との関係性もアルって云うんだからこの映画は、本当に素晴らしい出来栄えで、、、本当に、コンな病者の日常を描いたドキュメンタリーを夢見ていました。素晴らしいです。しかも、YouTubeで月一回の放送を三十回も続けてきているうえでのことですから、撮られる病者の側も、カメラに撮られていることに、慣れてきているしで、今後も、二作目三作目と、継続して撮っていこう、ってなったら凄いコトだと想いませんか、、凄いことだ!!!!!

実のところ、この「私たちの日々」があまりにも素晴らしい出来栄えなので、「かけがえの前進」との二本立て上映会、を、と想ったわけなのです。宜しくよろしくお願いいたします。

2022年2月19日

精神病患者会前進友の会やすらぎの里作業所

 キーサン革命の鬼 えばっち  江端一起

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笠陽一郎医よ、嶋田和子よ、広瀬隆士よ、 再度聞くが、、 クスリがゼロになった2000人の患者さんのうち いったい何人が再入院にいたり 何人が、また、クスリを、、、、

笠陽一郎医よ、嶋田和子よ、広瀬隆士よ、

再度聞くが、、

クスリがゼロになった2000人の患者さんのうち

いったい何人が再入院にいたり

何人が、また、クスリを飲み始めたんでしょうか

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それともこう問い直しましょうか

クスリがゼロになり精神科と縁が切れ

いやいやかえって精神科の医師や看護婦やPSWや

それとも当事者スタッフという立場にデモなったりした

患者さんはいったい何人ほどになるのですか

就職就学に首尾ようになったみなさんは、

それは良かったのです

デモそういうみなさんは

何人ぐらいになるのでしょうか

ソレを目標にみんな競争しなきゃなんないんでしょうかね

家族会の社会復帰路線ソノマンマだ

みんながみんなクスリがゼロになるわけではない

それでもって

みんながみんなNPOのリジチョーや絵描きや音楽家や漫画家や

学者や教授や福祉職員にツマリ半端者センセイ五職に

なれるわけないじゃないですか

首尾ようにそうなった患者さんが基準になるんですか

フツーの病者にはロクデモナい社会復帰圧力になるダケですよ

そして余計、自分はダメなんだと、想いこまされるダケですよ

 

もう一度、聞きます、あとの、8000人の患者さんはどうなったのですか

どうなったのですか

どうなったのです

どう人生を生き抜こうとしているのですか

 

いいことばかりじゃないハズなんですよ

ゲンジツは

 

キーサン患者会のなかまのほとんどは

四苦八苦して生き抜いてきました

今も、です

たくさんのなかまが、死んでいきました

精神病院をガン箱で退院するしかなかった

なかまも、多かったし

これからも、多いでしょう。

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アジとテロは、えばっちは、やる方です

そして、えばっちも、たくさん、やってきました

えばっちは、アジとテロの連続の人生でした

 

でも、セカンドとゲンヤクは

実はアジにもテロにも

してはいけなかったんですよ

ウンドーには、してはいけなかったんですよ

ウンドー化しては、ならないものだったのです

ウンドー化しては、ならないものがウンドー化

してシマッタんですよ

笠医師はセカンドをやる時

それは、アジにもテロにもゲバにも

してはならなかったのです

だからえばっちとしては、

これから十年かけて発達障害と闘いながら

ウンドーからセーカツへ

引き戻したいわけなのです

 

 

ワタシは、イマ悔いています。

悔いているのです。

悔いながら、

相も変わらず

オンナジコトヲイッテイル

 

「オマエハホントウニタダシイノカ」

 

 前進友の会 キーサン革命の鬼えばっち 江端一起

2013/11/19より書き始めた、、、、遅かったカモシレナイ、、、

 

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嶋田和子セイチョウ発達 障害四罪本の罪  壱之罪 大勢の、たくさんの、患者を、ソレは、処方薬依存デショと、斬って捨てた。凄いものである。惨い仕打ちである。 入院している三十万人以上の病者を含め、大多数のクスリを飲むしかなかった、飲むより仕様がなかった、飲まざるを得なかった、そういう精神病者患者、を、ソレは処方薬依存にスギナイノダと、斬って捨てたのである。ご丁寧にも、特にベンゾ系を飲んでいる患者は、特に依存症患者だ、と特筆して、この手のクスリを飲み続けている患者は、常時、酒を飲んでいるようなものだ、と

嶋田和子セイチョウ発達

障害四罪本の罪

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壱之罪

大勢の、たくさんの、患者を、ソレは、処方薬依存デショと、斬って捨てた。凄いものである。惨い仕打ちである。

入院している三十万人以上の病者を含め、大多数のクスリを飲むしかなかった、飲むより仕様がなかった、飲まざるを得なかった、そういう精神病者患者、を、ソレは処方薬依存にスギナイノダと、斬って捨てたのである。ご丁寧にも、特にベンゾ系を飲んでいる患者は、特に依存症患者だ、と特筆して、この手のクスリを飲み続けている患者は、常時、酒を飲んでいるようなものだ、と、斬って捨ててシマッタ。たくさんの、病者が、現に飲んでいるし、飲まざるを得ないクスリである。しかも、断薬が、もっとも、ツライとも、言っている、なら、減薬も断薬も出来ない患者も出てくるだろうが、モチロン、ソレは当然ながら処方薬依存だからだ、と、斬って捨ててシマッタたのである。なら、たとえば、多くのベンゾ系を飲んで生活している患者は、常時酒を飲みながら、作業所に通い、デェイケアに参加し、ミシンや、電動のこや、車の運転や、包丁を使って料理をしていることになるのだが、、、、欠格条項を増やしたいのか、この著者は、、、、トスラ想うのである。

たかが、一行二行の書きぶりをあげつらっているわけではない。この考え方が、冷酷なまでのこの考えが、一冊目を含め、この著者の底流に流れ続けているから、モンダイにしているのである。そして、この底流に流れるものは、まさしく、内海の直系の弟子を意味しているのである。

しかも、依存症だと言いながら、この著者の依存症への眼差しは、余りに差別的侮蔑的であって、しかも、従来の、本当に酷い浅薄極まりのない、『依存症理解』の典型なのである。『依存症』をよく、分かっていないのであろう。分かってもイナい事を得々と、書いてシマッテいる。

精神病患者と言われ、精神病質者と、サイコパスと蔑まれ、処遇困難者だと閉じ込められ、ハツタツ障害だ、と、勝手に病名変更され、ついには、処方薬依存患者と、罵しり始めたのである。ノンラベルどころではない、我々を蔑み絶望の淵に追いやるために貼られるラベルが、また一つ、増えたのである。大きな罪である。

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弐之罪

再生の物語という美辞麗句を連ねて、社会復帰路線を徹底的に美化推進している。

再生の物語と称して、社会復帰を、社会適応を、就職を就学を、復職を復学を、ひたすら健常者社会に適応することを、障害者エリート路線を、健病者路線を、再生の物語として、押し付けてくる。コレでは、マチガイなく、死人が、出るだろう。

ごかいの「よもだに生きる」の対極の姿である。

前進友の会の「働かない権利」の対極の姿である。

営々と積み上げてきたキーサン患者会文化の根幹の一つ「反社会復帰」を、「再生の物語」と云う美辞麗句で、叩き潰そうとしている。ソウはなれなかった者に、再生の物語と言いつのるのなら、その『再生』にシクジッテしまった、社会復帰を果たせなかった多くの病者に、更なる追い打ちとしての絶望をもたらすであろう。優しげな美辞麗句に隠された冷酷なまでの、エリート健病者路線を見よ。幻術魔道嘘糞師嶋田和子のさらに大きな罪である。笠は、何時から社会復帰推進者にナッタのか。選挙中のイマの政権や、世の中に、コレほどまでにも、迎合しなければならないのだろうか。

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参之罪

以上の二つの罪をすべて、患者本人の頑張りに尽きると、

努力に尽きると、斬って捨てている。

一冊目二冊目を通して、通奏低音のように、響かせ続けている、この冷酷さは、特筆すべきものである。笠のように内海のように、言いきってシマッテいると、いって過言ではない。いや、余計に悪辣に、煽っている。それは、逆に言えば、患者本人のだらけかたに、患者本人の努力の足りなさに、患者本人の怠け癖に、患者本人のクルシサの原因として、ゲンヤクに取り組まないのはアンタの努力不足、デアルと、全てを、患者本人の頑張りと云うか、努力の足りなさ具合に、押し付けてしまった。モハヤ、減薬に取り組まない患者は、怠けものだからだ、と、言っているに等しい。

だから、イマこのようになってイルのも、自分自身のせいだ、と、徹底的に、本人の努力の無さに、押し付けてシマッテいる。これでは、大多数の精神病者達はタマラない。少数のエリート病者バンザイ路線である。冷酷なものである。益々、患者はやりきれない。精神医と精神病院にイビラレ続けた挙句、このようにして、ココでもまた、イビラレるのである。死者が出るであろう。コレはもはや、殺人である。幻術魔道嘘糞師嶋田和子の殺人的罪である。

 

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肆之罪

それだけでは足りずに、

それだけでは飽き足りなかったから、なのか、

ハッタツ断薬療法の達成尺度と

セカンド減薬療法の成功度合いや

社会復帰の進捗度合いと

著者の言うトコロの

患者本人の人格とを

患者本人の品性とを

患者本人の人間としての成長とを

かさね絵として、影絵芝居として見せてしまう

と云うことを

ヤッテシマッタのである。

このことがナニを意味するのかおそらくは、

この著者幻術魔道嘘糞師嶋田和子は分かってはイナいのではないか想う。

とうとう、患者本人の人間的成長だの人格の完成だの、人間性だの、品性だの、人生の振り返りだの、とを、ハッタツ断薬療法の達成尺度やセカンド減薬療法の成功度合や、社会復帰の進捗度合や、社会復帰右肩上昇角度とを、影絵芝居のように、重ね合わせてしまった。ヤッテはならない事をやってしまった。笠の責任も、大きい。

これだと、クスリも抜けず、社会復帰も出来なかった、多くの多くの、病者が、人間的成長のないヤツラだと、いうことになってしまう。

死んでいった患者たちを棺から引きずり出して、鞭を打っていると、言って過言ではない。彼らは、彼女たちは、人間的成長も無く、死んでいった、とでも、言うのか。答えてミロ。幻術魔道嘘糞師嶋田和子よ。著者は、このコトの持つ意味を十分に理解して、書いたのだろうか。

どちらにせよ、この著者は、この重ね絵を、全てのハッタツ断薬療法セカンド減薬療法に、影絵として落とし込んでシマッテいるので、少しでも、この療法に取り組もうとする、患者たちに、却って、真において、更なる、累々たる屍を生み出すだろう。幻術魔道嘘糞師嶋田和子の罪は、極大に達している。しかも、己の罪に、マッタクの無自覚さをさらけ出している。ソウゾウを絶する極悪非道、狡猾極まりのない、最低のやり口である。

精神病者にどれほどの苦痛と絶望をまき散らせば、気が済むのであろうか。

精神病者患者に、どれほど絶望の淵に追い立てれば、気が済む、

と云う、のであろうか。

処方薬依存症からの再生の物語と云う美辞麗句を使いながら、

鞭を振るって、多くの患者を死の淵に、追い立てていくであろう。

絶望に追い立てるその鞭を、愛の鞭、だとでも、言う、のであろう、か。

幻術魔道嘘糞師嶋田和子の罪は、はかり知れない域に到達している。

そして、その愛の鞭を、受けたが故に、成長できました、と云う、当事者が

笠と、幻術魔道嘘糞師嶋田和子と、内海の、ファンクラブに、なるのである。

そのファンクラブの会報にしか過ぎない、そういう、シロモノなのである。

これは、ライターなる者が、書いたものとしては、あまりに、無様である。

 

これが、腐れ冷酷幻術魔道嘘糞師嶋田和子の四罪である。

今や、笠、嶋田、内海の三人は、精神病患者の死を、

精神病患者会の絶滅を望んでいる極悪非道の三罪人と、

言える、と、想う。

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『嶋田和子』とは

ナンなのだ

幻術魔道嘘糞師でアル

幻術魔道嘘嘘糞師

嶋田和子の四罪

 

キーサンは己が生をかけて

笠、内海、幻術嘘嘘糞師嶋田和子の四悪四罪

と闘い続け

クスリゼロ社会復帰成功宣伝ハッタツ障害

当事者達と闘い続ける

 

「ルポ 精神医療につながれる子供たち」

「精神医療の現実 処方薬依存からの再生の物語」

を読む

 

より一部抜粋

 

2014/11/17 起稿  前進友の会 えばっちより

この文章の後半部分は

『生命の底で居直る』とはドウいう事だ

という別題の文章として

のちほど、公表されるものである

 

 

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笠陽一郎よ、笠よ、笠大先生よ やくざいせいやくざ、とは、どういう意味だ。 双極性Ⅱ型のやくざいせいやくざ、とは、どういう意味だ。 双極性Ⅱ型のやくざいせいやくざが患者会を乱立させている、とは、 どういう意味だ。 お前いい加減にせなあかんぞ。 こんなもん、当て擦りでは、もう済まんぞ、おい。 やくざいせいやくざ、ってなあ、 そのやくざいせいやくざ、ってものが、アルとして、 そのやくざいせいやくざ、ってものに してしまったのは、 お前ら医者じゃないのか。違うのか。 本人のせいなのか

笠陽一郎よ、笠よ、笠大先生よ

やくざいせいやくざ、とは、どういう意味だ。

 

双極性Ⅱ型のやくざいせいやくざ、とは、どういう意味だ。

双極性Ⅱ型のやくざいせいやくざが患者会を乱立させている、とは、

どういう意味だ。

お前いい加減にせなあかんぞ。

こんなもん、当て擦りでは、もう済まんぞ、おい。

やくざいせいやくざ、ってなあ、

そのやくざいせいやくざ、ってものが、アルとして、

そのやくざいせいやくざ、ってものに

してしまったのは、

お前ら医者じゃないのか。違うのか。

本人のせいなのかそれ。答えてみろ。答えろよ。笠、答えてみろ。

答えんか、笠、答えろーーーーーー笠よ、答えろ、

オマエの様な精神医者と精神病院と製薬会社が

したんじゃないのか。

誰だって、はなっから、精神科のクスリ飲んでたわけじゃ、ナインだぞ

やくざいせいやくざ、とあんたが揶揄する患者さんは、

自分のせいでそうなったのか? 

それとも、製薬資本のせいか? 

それとも、精神病院のせいか? 

それとも、お前のような精神医のせいなのか? 

よく考えてみろ。

それも、考えたうえでの、やくざいせいやくざという、

揶揄の仕方なら、

笠、お前、たいがいにせなあかんぞ。

しかも、患者会を乱立させているということだが、

その乱立されているという患者会を紹介してもらいたいものだ。嘘を言うな。

『すり替える』んじゃない。

えばっちの目から見れば、このところ乱立されているのは、

ハッタツ障害系の、ひとりNPOの、偉くなりたい偉くなりたい、

どんなとこでもいいので講演したい、口演して回りたい、

責任はとりたくないと云うような、

ハッタツひとりNPO団体のようなのが、ネット上で乱立している有様である。

或いは、フリースクールんってな、サロンだの、クラブハウスだの、セルフヘルプグループだの、ピアナントカ、だの、のことか、

おい、こんなものはネットで山のようにあるンダガ、患者会とは、チガウぞ。

笠よ、あんた、それをワザとに双極性Ⅱ型のやくざいせいやくざの患者会乱立と言っているのだとしたら、それは、もう一つ新たな『すり替え』なのではないか。じゃないなら、一度、あんたの言う、その乱立する患者会とやらを紹介してもらいたいものだ。

患者会が、乱立しているって、事実とチガウだろう。

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しかもだ、しかも、、双極性Ⅱ型のやくざいせいやくざが、欝転してお陀仏と書かれていたが、おまえ、患者が死んだら、お陀仏で、いいんやな。

お陀仏と揶揄するんだな?

自分に逆ろうた患者が死んだら、

欝転でお陀仏と、

ホームページ上に書いたんだぞ。それでいいんだな? 

九月一日から閉じるつもりだから、もういいやと想って書いたんだろうが、

この言い方は、笠、おまえの言うたこととして、今後、ずっと、残るぞ。

自分に逆らうやくざいせいやくざ患者が、欝転して死んだら、

お陀仏と揶揄するんだな? それでいいんだな?

鬱転してお陀仏だぁぁぁ、笠、オマエ、たいがいにセナアカンぞ

1)、2)、3)、4)が、少しは、意味のあることだけに、かえって、

医師として、

自分に逆ろうてくる患者には意地悪して、コケにして、笑いものにする、

するんだ、ということが、

まるわかりになったんだぞ。

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そして、最後の

この腐った替え歌には、本当に、腹が立つ。

精神医としても人間としても、こんなことは、最低だ。

えばっちは、この替え歌は、クスリを飲んで、あるいは、

飲みたくはないが飲みながら、そして、もっと言えば、

飲むしかない、飲むしかなかった、

そんな精神病患者に対する悪辣極まりない侮辱と、侮蔑と、差別であると想う。

 

これは、精神病患者に対する、

しかも、モデルになっていると想われる具体的な、何人かの患者に対する、

笠陽一郎と云う精神医からの紛れもない侮辱であると想う。

自分の言うことをきかない患者を、

ココマデ、笑いものにしなければ、ならなかったのであろうか。

自分に逆ろうてくる患者を、

ココマデ、侮辱しなければ気が済まなかった、のだろうか。

自分にモノ申す患者を、

ココマデ、苛め抜かなければ、ならなかったのだろうか。

この点に関し、笠陽一郎医師は内海医師を、超えてしまったトコロがあると想う。

これだと、ファースト医の毒殺精神医の対応と変わらないじゃないか。

実を言えば、自分に逆らう患者に対して、ここまで笑いものにするというか、

おもしろうなくて、おもしろうなくて、ナントカ意地悪するというか、は、

精神医なるものの宿業みたいなものである。

えばっちは、そういう精神医をたくさん、見てきた。感じてきた。

ヨイショしてもらっているうちは、良いのであるが、一旦自分に逆らう、となると、おもしろくなくて、おもしろくなくて、しようがないのである。

ウラベ医師がそうだった。笠医師もソウナノダ。

 

見えやすいアクジの医者は自分に逆らう患者を意地悪しながら、

虐待して殺す。殺人そのものである。

見えにくいアクジの医者は自分に逆らう患者を意地悪しながら、

笑いものにして、虐待しながら利用して、サイゴは無効化する。

すり替えアクジの医者は自分に逆らう患者を意地悪しながら、

笑いものにして、キチガイの生きざまを、コケにして、

虐待しながら、サイゴに、すり替える。

ナサケナイことである。ヒドイことである。

 

こんな替え歌を最後に、ホームページをすべて抹消してしまった。

早期介入の会の呼びかけ人も、止めてしまった。

笠陽一郎医師、あまりに無責任だ。

書いたものすべてを、抹消し腐るとは、いったい、どういうことだ。

これでは、検証のしようも、批判のしようも、ないではないか。

検証と批判から、逃れるために、抹消したのだとしたら、

コレほど、無責任なことは、無い、と、想う。

セカンド減薬ハッタツ断薬療法を拡めた責任を取るべきだ。

せめて、自分の書いたものは残しておきなさい。

自分が書いて、世に拡めようとしたものは、残しておかんとあかん。

チガウか、笠医師よ。

自分の書いたものをすべて消してシマイ、

都合の悪いことは、無いようにして、

その上で、

非常にクローズドの地下に潜った、まるで秘密会員制のような

セカンド実践を続けているのなら、大問題である。

掲示板によると、元気で、セカンドを続け、

ているそうである。

もしも、もしも、こんなことをやりツヅケルのだとしたら、

誰も批判できないのだから、

誰も中身を知ることができないのだから、

誰も検証もできないのだから、

それは、そのセカンドは暗黒の人体実験と化すだろう。

「股裂きにに為るから」「ぶれるから」

「やる気を削ぐから」「混乱するから」

「精神医療改革のためにならない」

と、言って

都合の悪いことはすべて消し

他人にも言わせないようにして、批判を、出来ないようにするのなら

たとえ、うまくいった人が出てきたとしても、

誰にも見させない、医療として検証できないものならば、

それは暗黒の人体実験である。

強制減薬拷問である。

笠陽一郎医師が、そこまで、暗黒面におちいっては、いないことを願っている。

 

でもよ、

おれよ、この替え歌読んだとき、笠じゃなくて、笠陽一郎じゃなくて、わっけのわからん他の医者がこんな替え歌の中身を、おれの前で言ってたら、殴ってたかもしれんわ。と想ったわ、ほんま。

 

ここまで患者をバカにしなければ、

精神医と云う専門職は成り立たないのであろうか。

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自分のホームページだけでなく、人のホームページも閉鎖しろと

抹消しろと、指示を出して、いるというようなハナシまで、伝わってくる有様である。本当のことであろうか。本当だとしたら、酷いことである。

ハナシだけが伝わってきているのなら、笠医師よ、こんなハナシがまことしやかに、飛び回る状況をみれば、早期介入の会の呼びかけ人会同をやらなければならない、と、

笠医師あなたとえばっちで対談でもして、それを公表しなければならん、と云う、危機感が、分からないかね。

そういえば確かに、地上の旅人氏が作った「セカンド・オピニオン掲示板見取り図」というのがあって、それをみれば、クジラ会のママさんたちや、当事者もいたようだが、それぞれが、たくさんのセカンド関連ホームページがあった。

どうもそれらを、情報統制して、再編しようとしているのか、

どうも、地上の旅人氏の見取り図すらも、抹消されているようである。

これだと、本当に、意見も批判もすることが出来ない。

まさに、大本営発表の笠将軍のお気に召すホームページや、

その手のものだけが、再編されて残ることになりそうな気配も、するのである。

なので、周辺部分のいろんなホームページが

今や、たいへん惜しいことであったと想う。

自分のホームページ抹消は、まだしも、

人のホームページまで、も、何とかしようとしているのなら、

そんなことは、やめなさい。

ホームページではなくて、

いまや、本当は、患者会そのものを抹消したいのだろう。

いまや、本当は、キーサン患者会からの発信をナントカ抹消したいのだろう。

 

そのうち我慢できなくなって、何かまた、書きはじめるのだろうが、

そのホームページは、誰が管理し、どんなタイトルになるのか、

今から楽しみである。

さぁぁぁぁてぇぇぇーー誰が、やることになるのかなぁーー

ホームページじゃない、ナニか、ネットに詳しい誰かが、

ナニか、やりはじめるのであろうか、それとも、、、、、、

どちらにしろ、なにか、始めるのなら、

そこで、責任を持つのであるならば、新しい原稿だけではなく、

過去に書いたものもすべて、再掲載して、再公開してもらいたいものである。

それが、新しい治療法を始めた、そしてそれを世間に広めた

精神医としての、最低限の責任であると想う。

 

結局は、運動好きの、政治性たっぷりの、

患者のことなんか考えてない、

患者を運動に動員してしまい、

そしてしかも、

患者からナニか意見されると気分が悪くて悪くて、

仕方のない、

プシ共闘タイプの精神医の、最後の一人、

と云うことだったのだろうと想う。

だから、これまでは、

精神病患者会を、利用し尽くしたわけである。

さて、これからは、誰をどのように利用し尽くすのであろうか。

 

最後に、この歌の、想い出を語りたい。

「お祭りマンボ」という歌に、えばっちは、実に個人的な、想い入れというか、想い出がある。若いころ、ある患者会に、良く遊びに行っていた。泊りがけで、その患者会に交流というか、良く遊びに行ったものである。すると必ず、みんなで、駅前のカラオケボックスに唄いに行ったものである。あのころは、聴覚過敏なんて、毛ほどもなかった。その患者会のなかまたちと、ワイワイ言いながら、多勢で、カラオケに行った。あのころは、みんな唄った。くさんは、いつも、お祭りマンボを唄っていた。必ず、この曲だった。それで、曲の最後の方は、みんなで大合唱になっていった。賑やかな、楽しい、曲だった。くさんに合わせて、みんなで、唄った。くさんは、電気ショックのことを、よく、話していた。面倒見のいい嫌みのない、素晴らしい人だった。その、くさんの、唯一の持ち歌、だったのだ。

その患者会も、食事会がほぼ、毎日あり、当番制だったのだが、えばっちが遊びに行くと、その食事当番が、必ず、くさんになり、必ず地元の丼ぶり物になった。とても懐かしい想い出である。そのくさんも、亡くなって久しい。あの丼ぶりの味と、あの唄の大合唱は、とても懐かしい。その患者会に、もう一度、遊びに行きたいものだと、想う。でも、もう、みんなで、カラオケに行くことは、ないだろうと、想う。あの面々も、故人が多くなった。あの丼ぶりも、もう、食べられないだろう。懐かしく、そして、残念である。一度、また、みんなで、カラオケに行ってみたかったねぇ、くさん。あの丼ぶりを、もう一度食べたかった、なぁー、あれは、おいしかったなぁー。



以下は、8月31日付の独語徘徊を資料として添付した。

次回は、皆さんと共に、

最後の「毒語臥床」(398)≪近況;題名変更・・笑えよ~≫を読んでみたい。





2014/9/8起稿、えばっちより













毒語徘徊(87)

 

<<人を狂わせる地獄処方>> 

 

 若いお嬢さん・・10代から医療難民のように漂流している。

遂に、千葉で有名な(最も稼いでいる)クリニックに辿り着き、

いきなり、凄い処方を喰らってしまった。

 

 ①サインバルタ(30) 2錠/朝

 

 ②ルボックス(75)  1錠/夕

 

 ③ジプレキサ(10)  1錠

  パキシル(20)   2錠

  マイスリー(10)  1錠

  ベンザリン(10)  2錠

  デジレル(50)   2錠/夜



 これで、かなりの過食、肥満→高血圧、糖尿病、肝障害・・内科薬も増えてしまう。

シロートでも、これがどれだけ酷い処方か、誰でも知っているが、医者は知らない。

 

 1)抗うつ剤SSRIの3剤大量併用

 

 2)ベンゾ眠剤多量

 

 3)抗うつ剤にジプ上乗せの慶応処方(=KO処方)

 

 4)気分調整剤(スタビライザー)無し

 

 5)そもそも、うつ病の要素無し

 キレる、怒る、衝動性、気分変調、幻覚妄想など、あらゆる症状が出現したのは必然のこと。

今度の厚労省からの通達でも、この処方はOKになる。

 つまり、お上の指導など、意味を成さないのだ。



 医者が知っているのは、うつ病統合失調症だけ。

つまり、発達障害の二次障害を鑑別できないから、ほとんどが誤診になる。

 薬原病も医原病も、他人のことだと思って、意に介さない。

 

 近年は、双極性障害Ⅱ型が、どんどん増産されている。

薬剤で昂揚した病者ボス(やくざいせいやくざ)が、あちこちで患者会を乱立させている。

 彼らは、大量のごちゃまぜ処方を飲み、酒を飲み、そして、糖尿病治療をしながら、欝転してお陀仏となる。

 

 彼らの主治医は、「新しい薬だから、副作用なんか無いですよ」

躁うつ病が、増えているの確かである」などと、強弁している。

これでは、精神医療にかかれば、死人が増えるはずである。

 

 ※後日談:日精診誌に、この医者が「発表」を出していた。

      「サインバルタジプレキサの併用療法が面白い」、のだそうな。

   イーライリリー社の千葉地方への浸透ぶりも、改めて凄まじいものである。

 

      こいつの診察室からは、患者の苦悩が見えないようだ。

      精神科医のスタンダードでは、食って眠れば、寛解になってしまう。




笠陽一郎が

2014年8月31日ホームページを

消す最後の日に

わざわざ、一日だけアップした

クスリを飲むしかなかった患者を

徹底的に揶揄し、無効化し、侮蔑し、

せせら笑っている、替え歌です。

ハラが立つなんてものではありません

たまりません 

たまらんぞ、笠陽一郎、わカットんのか、

この戯けヤロウ、

フザケルナ、

このドスバカタレがぁぁぁぁーーがぁぁーーーー

あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ

 





    お薬ナンボ

 

 私のとなりのおじさんは

大洲の生まれで よもだの伊予っ子

 お薬飲むのが大好きで

ねじりはちまき 古着のどてら

雨が降ろうが ヤリが降ろうが

朝から晩まで 欝でも酒飲んで            

ワッショイワッショイ

ワッショイワッショイ

元気をつけろ 酒一杯おくれ

ワッショイワッショイ

ワッショイワッショイ

ソーレ ソレソレ お薬だ

 

おじさんおじさん大変だ

どこかでサイレン なっている

入院近いよ 躁転

何を言っても ワッショイショイ

何を聞いても ワッショイショイ

ワッショイワッショイ

ワッショイワッショイ

ソーレ ソレソレ お薬だ

 

そのまた隣の おばさんは

松山育ちで ふっくら婦人で

お薬飲むのが 大好きで

大きな素足に ムームードレス

雨が降ろうが ヤリが降ろうが

朝から晩まで ごちそう三昧    

ピーヒャラピーヒャラ

テンツクテンツク

 デプロとジプが

リスパとパキシル

ピーヒャラピーヒャラ

テンツクテンツク

ソーレ ソレソレ お薬だ

 

おばさんおばさん 大変だ

膵臓インスリン からっぽだ

こっそり高血糖 進んでる

何を言っても ピーヒャララ

何を聞いても テンツクツ

ピーヒャラピーヒャラ

テンツクテンツク

ソーレ ソレソレ お薬だ

 

お薬飲んで 日が経って

つめたい風の 吹く夜は

入院させられた おじさんと

ヘソマワリ太った おばさんの

ほんにせつない ためいきばかり

いくら泣いても かえらない

いくら泣いても あとの薬よ

      

(2014.8.31)