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キーサン革命極意別伝 別物解手物一巻 解手之壱「正当性」 当事者が反対しているからこそハンタイできる。 解手之弐「全体性」 解手之参「立場性」

キーサン革命極意別伝 別物解手物一巻



解手之壱「正当性」

解手之弐「全体性」

解手之参「立場性」

 

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解手之壱「正当性」

当事者が反対しているからこそハンタイできる。

当事者とはナンゾや、当事者とは、精神科医療と福祉の被害者よ、

被害者が当事者、そこにその家族、そしてコレで飯喰う人々、

ツマリは専門職。

反対する側はモチロン、当事者が、推進スル側だって

モチロン当事者がハンタイするからハンタイできるのであって、

当事者が何も言わなきゃ家族だって専門職だって議員だって弁護士だって、

ハンタイなんてできはせんぞ。

だもんで、推進する側だって、

どういうわけか被害者であるところの当事者を、

推進する理由に使う。

だから、

当事者性看板型共依存翼賛病者運動ボス宦官太鼓持ちの存在が、

クソダメの糞壺なワケ

 

破壊と阻害と虐待

破壊をまぬがれてイノチからがら生き延び、阻害をまぬがれて

なんとか人生を生き延びる。

精神医療で人生を破壊され、

精神福祉で人生を阻害され、

見えやすいアクジで人生を破壊され

見えにくいアクジで人生を阻害され。

破壊が精神医と看護士なら、

阻害はヤサしい依存させてくれる福祉ですかな・・・・

だったら虐待はドコからでてくるのか。

精神医療やクスリで破壊するのは良くないと考え、

依存で阻害しているのではないかと考えたまではよいが、

その後の医療行為福祉行為が虐待となってしまうことに、

気づかないアホンダラがおる。

己れ自からの医療行為が、

破壊にも為らず、阻害にも為らず、虐待にも為らずと、

自信を持てる異常に自信過剰な精神医たちよ、

自からで点検できると豪語するその自信はいったいドコからくるんだい。

そんなことはどだいできゃせんの。

それをチェックしてくれるのがカンジャ会なの。

だからカンジャ会と一緒にやらない精神医も、医療従事者も、

自信過剰な人たちだなぁぁぁぁーーというか、

まったく、わかってナインヤロナーーーと想うわけ

 

ここでチガイを一つ

説教とSSTとカンジャ会、どこが、チガウのか、

自らの自身の加害性を認めるか否か。

自分自身がナヤミクルシミながら、

それを目指しているそういう当事者が、

単独ではなく集団でいてて文句を言うさかいに・・・

つまりは、カンジャ会で・・・

だからコレで飯を喰う人々は、カンジャ会と一緒にやれることで、

己れ自からの医療行為や福祉的行為が、

破壊にも為らず阻害にも為らず虐待にも為らずといえるのでは・・・

教えてもらえるんだよありがたいことだと、どうして、考えないかなぁぁーー

つまりは医療行為福祉行為の正当性の担保なわけだが

まさに、そのためのカンジャ会でもアルのだが、さてさてさてさてさて、、、、、、

当事者とは被害者でアルのだけれど、、、、、さてさて、、、

 

疾病概念について発達障害について

病者とは、患者とは、そもそも、精神病とは精神分裂病と。

統合失調症発達障害と精神病。自閉症と精神病。

アスペルガーと精神病。精神病と精神障害

 

時代と、地域と、社会と、精神病時代と地域をこえて、

社会構造を越えて、その病は、本当に、あったのか時代と地域をこえて、

社会構造を越えて、その障害は、本当にあったのかあったのか、

あったのかあったのかーーーーちょこっと考えてみた上でね、

ちょこっとだけね。

4000年前のエジプトに300年前のインドに、

100年前のラコタアイマラに共産社会に、資本社に、産業社会に、

近代社会に、考えすぎると文明論にいっちゃうしね・・・・

でも、コトの本質をついてたりしてね

 

スペクトラムって、連続体って、そりゃあアタリマエだよ。

そりゃあニンゲン複合的に重層的に多次元的に立体的にイキテるんだもん。やっぱり分析し解析しようとすると、

アタリマエなことをスペクトラムなどと言ってしまうのか。

診断スル側の分析スル側の解析スル側の、匂いがしてしまう。

病者の側から言えば連続体なのはアタリマエ。

だったら、コチラを中心にして病者自身を中心にして、

こういうベクトルがアリマスというのは。

自分を中心において、

こうこうこういう量を伴った方向性がアルダケなんですよ。自分を中心において矢印を書こう。

それをスペクトラムとしてとらえてもらいましょうか。

  

さてさてさてさて、道具にしか過ぎないモノにふりまわされるアホらしさよ。

専門職のこしらえたクソのようなコトバ、

つまり専門用語にふりまわされんならんこと、ないわいな、アホラシい。

使うんなら使うんなら使うんなら、

自分自身のナットクのためにドンなコトバを使うか。

家族を含め、

回りをナットクさせやすくするためにドンなコトバを使うか。

当事者が生きやすくするためにドンなコトバを使うか。

破壊と阻害から免れるために、ドンなコトバを使うか。

被害からの救援のために、ドンまコトバを使うか。

 

とにもかくにも、病者自身がセーカツがしやすくなったらいいのだ。

病者自身の人生が破壊されないように、

阻害されないように、病名でも、診断名でも、障害名でも、

つこうてくれたらよいのだ。

とにもかくにも、わしらを虐めるために医療用語や福祉用語を使わないでくれ。ムズカシいコトバをつかわないでくれ、それだけだ。

発達障害をつこうて、クスリが減って保護室からでられるならそれで良し。

ゲンジツをみよ。

発達障害ををつこうて、クスリを大量に飲ませ、

保護室にぶちこむのなら叩きツブス。

ゲンジツをみよ。

 

えばっちの個人的なことを言うならば、

疾病概念を巡って

自分自身を引き合いに出してハナシしなければならないこと。

精神医含む三名が信頼するキーサントモダチの三人が、

今のえばっちの状況をみて、全員診断名がチガウ。

それが、素晴らしいことだ。

一致しないのは、すばらしい。

でも、えばっちの人生をナントカよりよいものにしようと

楽にしてくれようと、

言ってくれる。

診断名を言ってくれる、全員が。

この一致は、すばらしいことだ、ありがたいことだ。うれしいことだ。

一致すべき事、それは、当事者の幸せのため、

少なくとも破壊も阻害もしないことをめざそうとすること

一致してはいけない事それは、

全ての専門職が一つの診断名に一致してしまうこと

専門職の専門用語の一致ほど、キーサンの人生を阻害破壊するものは無し。

 

もっとも精神医のみなさんは、

診断と投薬についてはきっちりとベンキョーしてくださいよ。

アンタラのオーダーで、

こちとら、毒を盛られたり、四肢をくくられたり、電気拷問にあうんだから、

収容所に監禁されたり、そこの看護士に殴られたりスルンダカラ。

反面教師は内海毒トルですよ、ほんとに良い反面教師内海毒トル

おのが診断力のなさを言い逃れるのに

キーサンカンジャ会の闘い捕ってきたことをリヨウするとは・・・

そしたら、まずは、おのが診断力をつけるためには、

カンジャ会と一緒にやるのが、イチバンなんですけどね・・・・・

そのうえで、精神医学について、診断と処方について

ベンキょーはしていってくださいよ・・・・・・

 

そしてえばっち自身はこのように、たどりついた。

えばっちには、たしかに躁鬱病のベクトルがアルと想う

たしかに聴覚過敏感覚過敏のベクトルもアルと想う

強迫のベクトルもアルと想う。

ハッタツアスペルのベクトルもアルと想う

それらが、スペクトラムでアルんでしょうモチロン。

でも、えばっちはえばっちであると云うだけで、おそらくは、病気なのだ

エバタがエバタであると云うだけで、病気にしたいのだ。

だからこういおう。

えばっちはエバタ病であるとエバタ病なのだ、おそらくは。

そしてそれは、前進友の会全員がそうなのだ。

曰くサラサワ病曰くクゴウ病曰くイチノ病なのだ。

 

精神病でも、発達障害でも、つけたいのは、そうしたいのは、世間の方だ

だけどエバタ病では、世間の方がマズイので

そこに、精神医療や心理の

さももっともらしい用語や診断があるだけなのだ。

真実はエバタ病であるだけなのだ。さぁいきついたぞ。

この際自分自身でも使おうと想う。

えばっちの病名はエバタ病なのだ、と、これがえばっちの真実だ。

ちなみにエバタ病は治療できないと想う・・・

というか断言する、治療不可でアル。

感染力もアルかもシレン・・・オソロシイ・・・

 

とにもかくにも、当事者の人生を

破壊も

阻害も

虐待も

もうしないで欲しい、それだけなのだ



自立した自尊心をもつ自衛するキーサンになる。

障害があろうとなかろうと、

病気があろうとなかろうと『大人』にはならなければならない。

精神の自立とは精神を病んでいる。

精神が障害されていると言われて・・・・・・

だから精神の自立を目指して、、、、

まてまて、キチガイが自立するとはナンナのだ。

ずっとオコチャマあつかいされていてそれでよいのか。

デェイケア作業所カウンセリング等々のもう一つの本音とは。

だとしたらこう言おう、

わしらキチガイはアンタラのオコチャマやないで 

そしてそもそも、キチガイには自ら望んで為ったのか。

ワタシはマイノリティーあなたは・・・・・・などと問うことは、

はたして、キーサンには、できるのか

 こう言おうキチガイには好きでなったのではない。

世間から街からムラから家族から学園から団地から職場から

追い出されて、

為るしかなかったのではないか。

では、キーサンにはキーサンには、

自らがクロウしてだどりついたのだ、

なかまとともに、しかも、破壊と阻害からやっとのことで、免れて、

これからも先、破壊と阻害から自衛するために、

そして復讐しおとしまえをつけるために、

そしてオコチャマ扱いはもうイヤなのだつまりは。

生き方だ生きザマなのだ。ぁぁぁぁーー生き方ぁぁぁそう生きザマ

こんなこと言うのチョット恥ずかしいけれど、、、、、、、

実は病名が、症状が、状態が、障害がチガウから

一緒にできないというわけではないのだ。

いやたしかに、病気や障害や状態がチガウということは、

大きい大きいが、

でも実はそれ以上に、

大きいのは個々人の生きザマのチガイではないのか。

だから、リクツやノリなども含めて、一緒にできない、

或いは違和感を感じるということではないのか。

ということがでてくるのだ。

ズバリおこちゃまのママでいたい。誰かにずっと支援して貰いたい。

誰かにずっと依存したい。

誰かにずっと依存されたいという生きザマと、

支え合おう自立しよう、自尊しよう自衛しようを目標に

生きようとする生きザマ、

自らが牙を抜かれる生きザマと、

自らが牙を研ぎ澄ます生きザマと、

誰かが、牙を抜きにキマスよ、にこにこと・・・

コロスか、閉じこめるか、廃人にするか、

牙を抜いて飼い慣らすか・・・

牙抜き人とは、誰かいな・・・・・・考えてみよう。

 

牙を抜かれたママだったら、どんなリクツをこねようが、

どんなウンドーしてみせようがアチラさんは、枕を高くして眠れますのやで。

アチラさんがもっとも困るのは、牙を研きに研ぎ研ぎ澄ます当事者と、

牙抜きだけはせぬぞ、と誓った精神医と家族と福祉職員。

厄介で厄介で厄介者だぁぁぁぁなぁぁぁ。だからこそ、

だからこそ自分たちが発信したモノについては、

それが、通信だろうと会報だろうと、映画だろうと、ブログだろうと、

ナンだろうと出来うる限りのセキニンをとりたいのだ。とるべきなのだ、

シンドイけれども、それが、ナニかを発信したものの努めではないか、

それを怠れば、オコチャマだ。シンドイものだ、

キーサン病者ウンドーの発信は、実は・・・シンドイぁぁぁぁぁーー

 

カンジャ会は何故に『失敗』したか。

ほうほうほう?????????『失敗』?????????とは・・・・・

ヒロまらナカッタではないか、ツブレていったではないか、

アタラシクタチアガッテはこないではないか、外からの攻撃だけか、

内在するモノはなかったのか、ほんとうに・・・・

チガうぞ。

病者自身に拡まってはいかなかったことはキッチリ踏まえよう。

『時代』?????まてまてまて、

おいおいおいちゃんと『失敗』の原因をみつめてみよう。

自立し自尊し自衛する、のは実は、とっても、

とってもとってもとってもとっても、ツラくクルシくシンドいヤッカイで、

とてもとても難儀な道だから、

当事者にとっても家族にとっても精神医にとっても、

とってもとってもとっても難儀な道だから。

だからこそ、

唯一の正解な道である失敗の原因こそが、正解の原因であることの矛盾。

 

自分を守ってくれるのは、キーサンなかましかいないという自覚

だからこそ、自分の身の安全のためにまず必要なのだ。

だからどんなに人づきあいが苦手でも

どんなに発達特性があったとしても、

群れて身を寄せ合って生き延びるしかなかったのだ

身を守るしかなかったのだ

さもなければ精神病院と精神医と看護師に殺されるから・・・・

虐め殺されるから・・・・檻の中に入れられるから・・・・・

だからニクマンという人づきあいの、苦手なもの同志が集まって、

おきてしまうおきるオキル様々なこともありながら、ありながら、

患者会を維持し続けてきたのではないか。

ということは、患者会で自分を守ることを厭うということは考えない、

試すこともないということは、

どこかで、自分の身を守るものは、けっきよくは

専門職か家族だと想っているのだ。これだけ酷い目にあったとしても・・・・

けっきょくは家族と専門職と、このニホンの適正手続を、

信用してしまっているのか・・・・

ということは、専門職と家族は本質的に患者会的な在り様を否定するのだ。

チガウかチガワナイのでは・・・・どうでしょうか、かんがえてみてくださいよ。

 

ここにこそ、キーサン患者会が失敗した本質がアル。

当事者にとっても家族にとっても専門職にとっても、

厭うべきものだったのだ。

シンドイことだからだ、ツライことだからだ。

そして当事者が結局は自分を守ってくれるモノは、専門職と家族だと、

ニホンの適正手続だと、信じ込んでくれていたほうが、楽なのだ。

御し易いのだ。

家族にとっても精神医にとっても世間様にとっても・・・

モチロンその当事者本人にとっても、群れることがツライのだから・・・

ほうほうほう。

みんなで楽な方向に邁進だぁぁーーーだからこそ、

ココにこそ、キーサンカンジャ会のシッパイの正解があったのだ。

おそらくは、だからこそシッパイしたのだ、

だから、正解だったのかノカ、

おそらくは 

だから奇跡のように存在し奇跡のごとく存在し続けるカンジャ会を、

ツブシたかったのだ、ドンな手を使っても。

だって、自立し自存し自衛する、強固なサバイバル団体なんだから。

家族と専門職に依存しないんだから、

てんで、まったーーくニホンの適正手続ナンテ信用してないんだから・・・・

そしてしかも、復讐しおとしまえをつけたかっているのだから。

 

キチガイがキーサンとなりカンジャ会をやる。そのことが自立。

カンジャ会の支え合って生きる生き方ソノモノが自立。

カンジャ会でのセーカツソノモノが自立。

カンジャ会の怒りと復讐ソノモノが自立。

カンジャ会のきれい事ではない維持運営と意地ソノモノが自立。

支えてもらうダケなのではない支えるダケなのでもない支えあって生きるのだ。役割をみんなで担って、支え合って生きるのだそれが自立。

そしてそれはけっこうツラクキビシイかもしれない、

楽ではない生き様カモシレナイ、だから、だかーーーら、やはり患者会を。

各地の「くじらセカンド友の会」に期待をしつつ、たのしみに、

みんなで自立し自尊し自衛し復讐しておとしまえをつけようぜ。

そしてもしかしたら、カンジャ会的有り様を生きざまを、もしかすると、

この会が、後世に遺してくれる・・・のカモシレナイと・・・・・期待を込めつつ

 

 

解手之弐「全体性」

ゲンジツから反対するゼンタイの中から反対する

ゲンジツから叫べゼンタイから叫べ。ゲンジツを見てみろ、

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自分自身の住んでいるところの、

十キロ圏内の単科の精神病院の男子の閉鎖病棟保護室

ゲンジツを見てみろ。

 だったら、一点共闘とは、とても言えないぞ、

たとえ一点共闘であっても逆だ、一点共闘であればでアルこそ、

全体をみなければ・・・・・・

早期介入被害だけを言ってると、結局は間違った方向に進んでいってしまうぞ。最低限まずは、大量投薬被害を叫べ大声で。

そして誤診誤処方被害を叫べ大声で誤診だ誤診だ。

こいつは精神医の誤診だ。誤診で吾死んだ。

誤診だ誤診だ誤診だ毒だ毒だ。

まずは、叫ぶノダノダノダノダノダでも、

誤診誤処方だけを叫んでいてもおかしな方向へいっちまうぞ。

だからゼンタイを叫べ。精神医療ゼンタイを。

直近のモンダイとしては、

心理職の国家資格化とは国家刺客禍にほかならず。

とくに早期介入を阻止するツモリなら・・・

カウンセリングとは、精神療法とは、新薬承認推進とは、

CVPPPとはSSTとは、行動認知療法とは、

電気ショック、四肢拘束、保護室閉鎖病棟、看護士の暴力、

心理職の国家資格化と連動するスクカンは、

早期介入問題にとっては重要なモンダイせめて、

このくらいは、はなしておいたほうが・・・よいモンダイとは。

有り体に言って、

例えば電気ショック反対行動認知療法賛成って、ナンナノカなぁぁぁーー

早期介入反対心理職国家資格化賛成って、ナンナノカなぁぁぁーー

大量薬物投与反対電気ショック賛成って、ナンナノカなぁぁぁーー

少年少女若者青年たちの発達障害と早期介入ダケみとったら

ワカランようになってくるで、キツーーい精神病院に三十年も入れられて、

やっとこさシャバにでてたけど、歳いってまたゾロ精神病院に戻らされて、

そこで朽ち果てるしかない老人精神病者の悲哀は、

みようともしないのかカッカッカッカッカカカーーー

遅発発狂や老人性痴呆症の早期介入も、

みとかなアカン気がするがなぁぁ・・・・・・

その想いも・・・・みとかなアカンよ、そりゃゃぁぁぁぁ

 

 

ハンタイ!!!!!!のわけをハッキリさせよう

たとえば、えばっちが、いまここに、

こうやってこんなことを書いていられるのは、

ありとあらゆる幸運のおかげといえる。そのなかでも、

早期介入されなかったからこそ、ここに、いてる幸運さ。

 

ゲンジツから出発するしかない、それがハンタイ!!

どんなゲンジツなのだ。地獄のセカンド青板からのゲンジツ。

ヂゴクを味あわされてきたミナサンがここに、結集されておるのだから。

声を大にして叫びまくれ怨念とともに。

もっともっともっともっともっともつともつと怨念と共に叫び倒すのだ。

セカンドをやればやればやればやるほど、

ヂゴクのゲンジツが更に更に更に上増ししてくるこのヒサンなゲンジツこそが、ハンタイのワケなのだから。

地獄の学校からのゲンジツ、

学校のゲンジツを叫ぶみなさんもここにおられるハズ。

地獄の地域の単科の精神病院の閉鎖病棟保護室からのゲンジツ。

ヂゴクを味あわされてきたミナサンがここに結集されておるのだから。

精神病カンジャ会からのゲンジツ。

運良く早期介入されずに来たなかまたち、

運悪く早期介入されてしまったなかまたち。

そもそも、児童精神科小児精神科はムカシからアッタのだが、そのゲンジツ。

特に大学児童精神医学講座は三十年以上前からあった、そのゲンジツ。

 

ある限られた条件では「早期介入」も必要なのでは・・・・

という事は在りやなしや。そのゲンジツは本当に在るのか。

そのゲンジツは上記のゲンジツほど確かに在るのか。

在るとしたらゲンジツとゲンジツのぶつかり合いをていねいにやっていこう。

それでなおそれは、

早期介入することが、唯一の方法なのか考えてみて欲しい。

本当にそれでいいのか。

そのゲンジツは、早期介入を本当に必要とするのか。

まてまて、やはり早期介入には歯をくいしばってでも、

ソンナモンはいらないというべきではないのか。

歯を喰いしばれ、早期介入に手を出すことは、

電気ショックに手を出すことと同じなのでは。

もしどうしてもナニカ必要なシビアーなゲンジツが在るとしたら、

その必要なモノとは早期介入とは似て非なるモノなのでは。 

そして、たまには、今現在のニッポンからの、

たまには、大状況の中からこの早期介入の行き先本音を考えてみたら、

ゾッとしませんか、

ついにきた最終段階に例えば、憲法改正とか、

例えば徴兵制とか、例えば特別法廷、例えば臣民化の完成

とかとかとかとか

 

その上で、えばっちなら、こう叫びたいのだ

精神科診断が占いだ。だから、反対だ。

誤診の上に誤診をカサね、殺しを続けてきた だから反対だ。

精神科治療が拷問だ。だから、反対だ。

治療と称して、迫害と拷問を重ね、殺しを続けてきた。

だから反対だ。

精神科福祉が幼稚園だ。だから反対だ。

福祉と称して自尊心と自立心を、殺しに殺し続てきた。

だから反対だ。

反対反対反対反対ハンタァァァァァァーーーーイ反対反対反対。

累々たる屍の山になっているのが、ゲンジツではないか。

それをまた、良くなってきていると

宣伝しているクソのようなゲンジツではないか。

シネヤぁぁぁぁーーアホンダラどもガァァァァァァァァ

 

精神医療と心理のヤツラのカツヤクの場を如何にせばめるか

精神医療と心理を閉じこめておけ。

ヤツラの方を閉じこめるのだ。拡大させてはならない。

コイツラどこまでも、拡大しようとシヤガル。

拡大しようとする専門用語コトバをツブセ。

専門職が増えるのをツブセ。

専門職がカツヤクスル場が増えるのをツブセ。

早期介入とは時間的に早くなっただけではない、

全体的に、まさに、全体的に精神医療と精神福祉と心理が拡まっていくのだ。

学校に幼稚園に保育園に拡大していっているのだから、

早期介入に真にハンタイするなら、精神医療と精神福祉と心理を、

保護室に閉じこめろ。

専門職を閉じこめろ。保護室に閉じこめてしまえ。

精神医療と精神福祉と心理の専門職とヤラを。

この拡大は止まるところを知らぬ。

会社にも産業にも農業にも役所にも、

被災地にも被爆地にも地震でも火災でも交通事故でも

戦災でも天災でも人災でも、工場にも田圃にも漁船にも、

内科にも外科にも腫瘍科にも認知症にも、発達障害にも心臓病にも、

高血圧にも町内にも村内にも社会にも、

世界にもマスコミにもニュースにもコメディにもミュージカルにも漫才にも、

ヤクザにも銀行にも証券会社にも自動車会社にも、

精神医療と精神福祉と心理がカビのように、

黒カビのように拡まっていく。

どんな場面にも、どんな状況にも、

人がいて人の営みのあるところにコイツ等が、

さも親切そうに笑みを浮かべて拡大してくる。

それをツブせ。拡がらせるな。

その一環に過ぎないことなのだ、早期介入とは。

その一環の重要な一つの鍵なのだ、早期介入とは。

より早くより拡くより遠くより悪辣に、

よりアウトリーチでより適法化してより適正化して、

精神医と心理職と精神科看護士と精神科ソーシャルワーカーが、

白衣の下に防刃ベストと防弾ベストを着込み忍び寄ってくるのだ。

だから、とにもかくにも、まずは、

学校と保育所と幼稚園に精神医と心理職と精神科看護士と

精神科ソーシャルワーカーをたちいらせるな。

叩き出せ叩きのめせ叩き出しチマえ。

コイツラ腐った精神医看護士心理職PSWの活躍の場行動の場、

銭儲けの場を。とにかく減らすのだ。

叩きのめしタレタレタレタレタレタレタレタレタレタレタレタレタレ

活躍の場を削れ削れ削れ削れ

国家資格を削れ

専門用語を削れ削り尽くして閉じこめてしまえ



反対するにリクツはいらない造反無理

ありがたいというかなんというか、当たってたと言うべきか、

ほんと今までさんざん闘ってきた相手が推進側に、

看板掛け替えて、パワーアップして出てきとるんやさかいに、

それだけでも、反対のリユウになるガなぁぁぁぁーー

今まで、敵味方でシビアーないくさしてきたんや。

こっちは、ボロボロになりながらボロボロヨレヨレになりながら、

身体でもって拳でもって振り回してたら、ガンガン当たってたレンチュウが、

マタゾロ悪サしに出てきよった、だけよ。

性懲りもなく、なもんで闘うまでよ。

造反するモノにリクツなんぞは無い、

造反無理と造反有怨と造反有狂と造反有狷、

とはいってもニホン底國臣民のみなさんに訴えていくなら、

専門職のミナサンやら、リクツやれる当事者や家族のミナサンは

闘うための方便として、

リクツかんがえておいてくださいよ、えばっから言わせりゃー

あくまで方便ですけれどね。




解手之参「立場性」

被害者が当事者だ

としたら、その家族はナンなのだ。専門職とは加害者なのだ。

その筆頭が精神医なのだが・・・

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じゃあ、ここには被害者である当事者と、

加害者である精神科医療職や福祉職がいる。

では家族は?何故ここに家族がいるのか。

 

もう一つ当事者は被害者だけれども、

その被害は壊滅的な破滅的な被害であるけれども、

その被害から回復し、自分の人生を生き抜こうとする当事者の中で、

もし、八割のニンゲンが九割のニンゲンが誤診の被害者だとすれば、

もし、その誤診の被害から運良くセカンド青板で救援されたのなら、

それが本当に誤診なら、誤診だったのなら、

その当事者はその被害のことをいったん横に置いて、

自分の人生を良かれ悪しかれ、いまの社会の中で、

実現していくことが可能ではないか。

具体的には、大学に行くもよし、会社に行くもよし、家庭を持つもよし、

素晴らしい未来が開けているはずだ。

そんな当事者が八・九割になるはずや。

だったらここにいる当事者とは、ナンなのだ?その家族とはナンなのだ?

家族は、当事者のその方向をツブシてはいかんぞ。

もちろん、一・二割の誤診ではなかった人たちなのか?

それは、そうだ、

そうなのだ誤診ではなかった被害者とその家族の皆さんなのか。

それならそうだ。

でも、そうではなく、もし八割方九割方誤診であったなら、

病気でもなんでもなかったのなら、

イマのニホンのフツーの社会の一員として、

もしかしてフツーにセーカツしていけるせっかくの機会を逃すのか。

せっかくのチャンスではないか、本人としても家族としてもそれでいいのか。

それでもなお家族としてやるのなら、

当事者本人の了解はとれているのか。

つまり息子さんや娘さんの了解をとれてやっているのか。

やるつもりなら、余程ハラをくくってから、そうではないとしたら、

やめとくべきだ。それでもやるというのであれば、

被害者当事者は再発するカクゴを、

その家族は再発させるカクゴを決めて、

やるべきではないのか。

そのくらいのことなのだ、このことは。

精神科に再受診スルぐらいの、ハラをククッテからでないと、

再発の覚悟を決めて、ツマリ余程復讐したいのか、それとも、

これから先の人を助け出したいのか。

復讐か救援かしかないのだが、復讐か、

なら人を呪わば穴二つツマリ余程一人でも救って博愛か、

なら人を救わば穴三つを覚悟して。

 

まてまて、まてまて、別モノもいるぞ

被害者当事者であろうが、家族であろうがあるいは誤診であろうが、

誤診で無かろうがもっと言えば、

誤診であった被害者当事者とその家族が、

どういう訳か、この機会に加害者側、

専門職の方になろうとしているミナさんは、

どうなのか

誤診被害を受けて、精神科被害を受けて、

加害者側に自分の人生を開いていくというのか、

その人たちは、義務として、この会に参加して貰わなければならない。

なぜなら、被害者出身の加害者ほど、オソロシイモノはいからだ。

最初の三年や五年は良いのやの。

これが十年、二十年、三十年とやっていると、

ふと気がつけばすっかり加害者専門職として、

立派に社会的地位も、そして、

子供を大学に行かせている自分に気づくことになるだろう。

イヤ、気づきもせん場合もある。

この機会に、

精神科医療職や精神科福祉職を選んだ本人や家族はナンなのだ。

ツマリ半端者センセイ五職だが、

他のモノはともかくアタマに「精神科」「心理」がつく

半端者センセイ五食飯を喰うこと選択した諸君等は義務だ・・・

ほうほうほう義務とは腐って、そのうち腐ってアッチ側になるから・・・

ソレもシビアーーなアッチ側に。

親の会と専門職の会と一緒にやるときの当事者の難しさとは。

親の会と、本当にやるのかい。えばっちよ本当に親の会とやるのかい。

親の会とは闘ってきたんだよ。

親の会は当事者には、破壊者だったのでは。

よくいって阻害者だったのではでも、もうツカレてきたこともゲンジツ。

シッパイしてきたのもジジツだ。

歳もいってきた。じゃあ、阻害者にならない家族の会とは、やれるのか。

阻害者にならない家族、ツマリ自立し依存せず依存させず自衛する家族。

 

まぁ言わずもがなのことですが、キーサンペースがありますしね。

キーサンペース、

キーサンカンジャ会独自の意志決定のあり方とペースがありますしね。

キーサン独自の仁義もノリもありますしね。

 

その上でもう一度、依存サセ屋サンのモンダイ。

依存サセ屋としか言いようのない家族や福祉職や医療職がいるんですよ。

おそろしい。

もう一度各々が各々の立場で点検するのだ。

その当事者にとってナニが、破壊者になり、ナニが、阻害者になってしまい、

ナニが、虐待者となってしまうのかを。

そこをしっかり踏まえるには、判断していくには、

自立し自尊し自衛する当事者の団体がゼッタイに必要。

だから、やっぱり、患者会になるのだ。

 

各地の「くじらセカンド友の会」に期待をしつつ、たのしみに。

みんなで悩み苦しみながら、

自立し自尊し自衛し復讐しておとしまえをつけようぜ。

セカンド青板親の会とセカンド青板専門職の会と

セカンド青板当事者の会とゴキブリ従事者の会とキーサンカンジャ会、

さぁこれからだ脅えるがいい、

西田岡崎丹羽桶谷コンボみんなネット

やどかりヤナカ嘘八百百万署名カメリア大村長岡のヤツラ。

ワシラはここに、合流し再結集し、

そして顔を合わせてハナシをしたぞ。キーサントモダチ、ダチンコになるのだぞ。脅えるがいいやな。脅えやがれこのクソタワケ、シネシネーーシンジマェェェーーー、必ず必ず仇討ちをしてやる。首をあろうてまっとけやドアホ。

 

さーーーてぇぇぇぇぇぃぃぃいいいそこで、

「合流」「再結集軸」「顔を合わせて話してみたい」

「キーサントモダチダチンコになりませんか」

早期介入問題を考える会のみなさまへの手紙として

半分は青板家族のミナサンへ、

半分はキーサンカンジャ会を振り返って想うことそれで、

少しは専門職のミナサンへ

 

タイミングと条件、すべては、タイミングと条件が揃わなければならなかった。

これほど、会おうとして、

顔を合わせてハナシをしたかったのを待ちに待ったことなど、

待ったことなどナイのであったのだ。いまやっと、顔合わせできた、

この喜び、さてそこで、

 

早期介入を考える会なのか反対する会なのか反対するならナニをやっていくのか誓願運動なのか抗議行動なのか啓蒙運動なのか糾弾行動なのか救済運動なのか救援行動なのか専門家学習会なのか当事者交流会なのか市民運動なのか庶民活動なのか家族講演会なのかキーサンカチコミ盆踊り大会なのか議員詣でなのか議員オルグなのか議員糾弾なのか参議院での院内集会なのか精神病院での院内集会なのか講師なのかシンポジストなのかそれともテロリストか厚生省前誓願署名集め運動なのか厚生省前糾弾流しそうめん大会なのか専門職意見交換会なのか家族意見交換会なのか当事者意見交換会なのか専門職糾弾会なのか家族糾弾会なのか当事者糾弾会なのか専門職傷舐め会なのか家族傷舐め会なのか当事者傷舐め会なのか疑似精神科学会なのかバクチクレクリエーション大会なのか学習会なのかお花見レクの会なのか新法阻止運動なのか精神医療改革運動なのか精神医療叩きのめし行動なのか良心的精神医療待望運動なのか良心的精神医療叩きのめし行動なのかネットでつながる会なのかFAXでつながる会なのか手紙でつながる会なのかハンドル名でやっていくのか本名でやっていくのか学習スル会なのか行動スル会なのか交流スル会なのかレクスル会なのか活動家の会なのかトモダチの会なのか。

 さぁっさぁ、

どっちだどっちだ、どっちもどっちも、

どっちだどっちだ、どっちもどっちも

 

まずは、各々のセーカツを大事にするところから

家族は、家族とのセーカツをまずは、

家族は家族とのセーカツを大事にすべきだ。

まずはそこだそこを大事にしなければ、

そして当事者は自分の病状をそして、

いまとこれからのセーカツをそしてなかまとのセーカツを

専門職は病院で診察室で相談室でのセーカツを大事にしてくれ・・・・

それからだ・・・まずはそれからだ

 

セカンド青板出身者は、特に家族のみなさんは、

家族のことを第一に、そしてそもそものハジマリだったセカンド相談を、

つまりは、「救援」をやっていったら、、、、

カンジャ会出身者は、ナカマとのセーカツをツヅケて

カンャ会を維持してなかまのセーカツを守っていこう、

入院している病院を鍛えながらもね・・

そもそも、医療従事者は、各々の診察室や相談室がセーカツの場を

大事にしていこう。医者は診察室を丁寧に大事にやるところから・・・・・

そしてそして、そのうえで、りゅうさんが、松山でやっていたことを、

各地のクジラ会等々を基点に今まで以上の、

できるだけの「救援」をみんなでやっていければ・・・・

それが、一番大切なことと想うがなぁぁぁぁーー

それが一番大事なセーカツではなかろうかそしてそのなかで、

各々信頼出来るまで、交流するところから・・・・・

交流といっても救援やって、レクをやりながら、交流すると、

信頼感は増すと想うガなぁぁぁーー

そのうえでの、セージ活動ではなかろうか・・・

やるとしたらナラバナラバナラーーーバそしてそれは、おそらくは、

敗北に次ぐ敗北になるはずでる。

なぜならば、

権力を構成しているのは、我々ではないから、、、、、、デアル。

当たり前だだから、

ナニカの法案をツブそうとしても、そうそうツブせるものではない。

ナニカの資格化をツブそうとしても、そうそうツブせるものではない。

観察法も自立支援法も指定医もPSWも強制移送制度も通ったではないか。

だとしたら、そのナニカの法案が通ってしまえば、敗北なのか。

そうだ、それは、まさしく敗北だ、敗北なのである。

だから、敗け方なのだ、敗け方がモンダイなのだ。敗け方にこだわる。

そして敗けても敗けても敗けてーーーーも、延々として、

延々と、セーカツをつづけていく、セーカツに力点を置く限り敗北は無い。

それがウンドーではなかろうか。セージ活動するんなら、、、

ナラナラナラナラナラ、敗け方こそがモンダイなのだ。

敗け方にこだわるセージ活動なら、キーサン患者会のノリだ、と想うが・・・・

勝ちにいくと、おかしなことになりがちナノダ。

ウンドースタイルたらいうもんが、ががががが、どうなりがちなの・・・・・・・・

ズバリ「見えにくいアクジ」のようになるんですわ・・・・・

ホッホゥホゥホホホホーー

勝ちにいく、ウンドーすなわち、「見えにくいアクジ」。

勝ちにいく、ウンドー、

すなわち、参考人。勝ちにいくウンドーすなわち、

各論賛成して条件つけて、

何時の魔にヤラかえって、より悪辣なホーリツになるのを、

手助けしてまいまんにゃわ。さて、もっとも、もっとも、とにもかくにも、

共闘なんだから。。。。。。。。

キーサン家族発達当事者医療従事者(精神医者含む)

学術研究者マスコミ人シミンシミンシミンしみんかぁぁぁぁーー

臣民もいたりしての、

みなさんなどが、

集まっている会でどんなことをどんなふうにどんなペースでどんなノリで、

やっていけるか、いけないのか、ということですから・・・・・

キーサンにはキーさんのノリとペースがあり、

発達当事者には、

発達当事者のノリとペースがあり、医療従事職には、

医療従事職のノリとへースがあるでしょう。

家族には家族のノリとペースがあり、

使っている言語も文化もちがうのでしょう。

さてそこで、共闘するなら、どんな共闘のシカタがあるかです・・・

さてさて、どうなるか・・・・・・どうなりましょうや・・・・

 

もしかすると、でもでも、、、そうそうなのだ、そうなのだ、

後世にカンジャ会というモノがアッタのだ、

本当アッタのだという証拠は、

もしかすると、この会が、遺してくれるかもシレマセンネ・・・・

キーサン患者会の遺産を受け継ぐひとつに・・・・になるかな・・・・

なってほしいが・・・・・だめかな・・・・・ムリかな・・・・

却って、スッカリ「見えにくいアクジ」の

有力な「市民運動団体」にナッタリしてね・・・・

でも、ナントカ、キーサン患者会を後世に・・・・・・・後世に・・・・・・・・

 

ただ、さいごにこれだけは、注意しておきましょう。

反面教師「内海的羽化」を

マタゾろこの会でナンテネ・・・・。新たに「#$%&#$%&氏的羽化」に

ナンてなっちゃわないように。新たな羽化だけはダケーーーは止めささんと。

羽化するときの指標になるような特徴ってアルよなあ・・・

今まで、見てきた中で、よーーう、ソンナんをみてきたなぁぁぁ挙げるで、

想いくままに。

 

一つは、おのおのセーカツの場が荒れてくるよなー。

例えば医療従事者やったら、診察室とか相談室とか、

悪い意味での地獄になってるよな。

家族だったら家庭が地獄になってるよな。良い意味のヂゴクでなくて、

本当に悪い意味での地獄。

患者会だったら、食事会だよなー。

食事会が悪い意味での地獄になっていくなぁーー

まずは、各々のセーカツの場だよなーーー

 

あとのもう一つは、肩書きだよなー。

カタガキ肩書き、

制度政策提言路線的な肩書きが好きになってくるよな。

おかみからの肩書きを好きになってくるよな。

厚生省国会都道府県市町村からの肩書きをいくつも身にまとって、

行政からの下されモノヲ、ありがたく受け取って、

資金は潤沢になってくるよな。学会的な肩書きが好きになってくるよな。

マスコミ受けする肩書きが、好きになってくるよな。

肩書きをずらずら、並べるようになってくるよな。

全国ナンタラ全国ソシキ日本ドウタラ世界カッタラたらたら、

タラタラタラタラタたらたら云うような、

ご大層な肩書き並べてな、名刺をもってな、背広も着てな、

講師とシンポジストとパネリストかな。セーカツはずれたところで、

執筆と講演とアジだけになってくるよな。セージとマスコミが、

好きになってくるよなあと、肩書きプラス国家資格だよな。

それに、マスコミプラス議員だよな。

つままーーーり肩書きプラス国家資格プラスマスコミプラス議員とくるよなーー

背広プラス名刺プラス肩書きプラス講師プラスマスコミプラス議員かなーーー

 

最後に、もう一つあげるとすれば、

なんだかんだいって、ハンタイ反対はんたーーいハンタイだ、

というコトバより、

制度政策制度政策法案法案提言提言提言参加参加参加提言参加

各論賛成是々非々各論賛成是々非々是々非々というコトバが、

多くなってくるよなーーー

 

えばっちはコンナんたくさん見てきたよ。ふっふつふつふふふふふ

こうやって、いつしか、糞ダメの糞になりさがっていきやがる

さてさて、

早期介入の会からこうナランヤロウねねっねつねっ・・・・・・

「羽化」と言っても良し「見えにくいアクジ」と言っても良しそれとも、

もはや「見えやすいアクジ」と言っても良しハッハツハツハハハハハハハハーーーーー

 

病者集団やら全精連やらの内部の

ヘゲモニー争いに利用されるのもうまくないシナー

やつら、ほんとに、おのおの一人一人が、足引っ張るのにやっきよ、

さもなサモなサーーもな肩書きを手に入れるためなら、

同じ集団内のカツドウカ蹴落とすために悪口言うて回るし、

何でもしよるよなーーー。

ワシ等キーサン患者会に情報をわざともらしくさるし、

ニコニコして近づいてきやがるたまらんなーーー。タマらんで。

そんなことにも、注意ですわ、アホラシアホラシアホーーラシ



解手之肆 解題物

「キーサン革命極意」解題

外伝外の物化け物一巻にいくまえに、まずは、じっくり、

本伝九十七箇条を見てみれば、基本十二本のうち止の段六本が破壊

欲の段六本が阻害と虐待につながるだから。

欲の段六本だけが展開組型仕受当否二十四本になるのだから

せめてせめて止の段六本を、、、ナントカなんとか、、

 

「原則と基盤」解題

カンジャ会のみが精神医を育てられるのだ、その実際 

自立のモンダイをおしすすめると、いきつくところへいくとコレは

コワイことになるので、途中でやめた

 

「悪魔の三位一体・ヤタラとヤカラが・肛門科拷問課」解題

精神科医療は存在しない拷問課は存在するんですがね・・・

精神科福祉も存在してはならない。

存在しないモノや存在してはならないモノを相手にしているのだから

シンドいんです。

 

 

最後にちょっとした個人的なこと

発狂のわけ前進友の会に二十三年聴覚過敏につかまって四年。 

キチガイのことしか言わないキチガイキチガイのことしかやらないキチガイ。 内向きの中の内輪と外輪のモンダイ外向きの中の内輪と外輪のモンダイ。 

空間として、三次元的にモノを考え、三次元に文章が形成されるのに、

それを平面上に文章化しなければならないことが、・・・・

アタマの中をムチャクチャ駆けめぐっているのだけど、

それをシュミレーションとは言ってみたモノのの

ワカってはもらえナイでしょう

それを言ったり書いたりするのが、もう、もどかしくて、

もう、出来ない益々、出来にくくなってきた、もうアカンな・・・・・・

と想う今日この頃

 

ではまたみなさん、また、お会いしましょう

2012/03/03起稿のもの いつか完成したいと想いつつ えばっちより