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キーサン革命 極意奥伝 コレは 笠陽一郎医師の 疾病観、治療論 医療観、運動論 への批判である だから、これほど傲慢化した怪物化した りゅうさんとヒロセ氏に対する怨念をも含有シテシマッタ このキーサンの怨念と ハーさんたちの怨念とは一緒になるんでしょうかね えばっちはチガウと想いますよ

 

だから、これほど傲慢化した怪物化した

りゅうさんとヒロセ氏に対する怨念をも含有シテシマッタ

このキーサンの怨念と

ハーさんたちの怨念とは一緒になるんでしょうかね

えばっちはチガウと想いますよ

えばっちは次の10年は入り口を塞ぐとともに

「すり替えアクジ」を監視するということになるでしょう

そうなりたかったんですよ、ほんとうにね・・・でも、さて・・・

だからまぁ

その「すり替えアクジ」はヒロセ氏とりゅうさんがやることになるでしょう

これが、えばっちのたどりついた結論なんですよ

ヒドイ結論でしょ

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ほんと・・・

といっても最後通牒を突きつけているわけでもないんですよ

まぁ、できるだけ長く、それは三か月か、半年か一年か

三年か五年か七年か十年か

共闘をツヅケルために

最大限譲りツヅケルツモリですからね・・

その途中でキーサンがキーサンらしく

バンバンバァバァバァバァァーーンとバクハツしたら、そこで、終わりです

この長ったらしい

「小さな小さな極小の森の中の誇大妄想的な長大な物語」

終わりです。

去年の五月に対談しとけばヨカッタですね。

それで、この本に載っけておけば、

こんなに長ったらしいモノヲ書かなくて済んだ。

今年は会えますかね、デキタラコレを手渡ししたいんですがね

ごかいのみなさんと、会いたいですよ

りゅうさん、セカンド関係のお客さんは、りゅうさんに会いに行ったんです。

僕はごかいのなかまのみんなに会いに行くんです。

そこがまたちょっと違いますよね。

みんな、今のうちに、会っておかないと、もう、あえなくなるかもシレン

まあ、ごかいのみんなも歳が行ってきましたからね。

ごかいのほうも、友の会のほうも、

こんなに歳いって、ごかいも、友の会も、平均年齢は幾つ位なんでしょうね。

みんな精神病院や施設に逆戻りする羽目になって、

人数も少なくなって、

キーサン患者会が、もう実際なんにもなくなるかもしれん。

そういう時に、

僕はごかいの皆さんに、お願いしに行くのです。

りゅうさんと、ハッタツ障害セカンドを巡って、割れるカモシレナイ

敵対するカモシレナイ。

けれども、ごかいのみんなと、えばっちのつきあいは、続けて貰えないだろうかと、

頼みに行くのです。

ごかいと、前進友の会の、長い長いキーサントモダチとしてのつきあいを、

これからも続けて貰えないだろうかと

お願いしに行くのです。

頼みに行くのです。

そのついでに、

りゅうさんには、これを手渡すだけで、もう、いいんですよ

あとはりゅうさんが体調が良ければ少し顔を合わせて話すことができたら

ありがたいです。

みんなで記念写真も撮りましょう。

 

今回ごかいに行けるとして、えばっちは、

ごかいのみなさんに、これからもどうかキーサントモダチとして、

つき合って欲しいと、

頼みに行くのです。

りゅうさんと、敵対することになっても、

トモダチでいて欲しいと頼みに行くのです。

ごかいのみんなが、どう想われるのかは、わかりませんが、

 

えばっちは、

心から頼みに行くつもりでイマス。

 

ごかいも前進友の会も、おそらく、なかまの最後の一人が、死に絶えるまで

えんえんと、かわらずに、このまま、セーカツし続けるのです。

変わらない、というのは、すごいことです。

我々、キーサンは、何一つ変わらず

生き続け、そして、死に絶えるのです。

歴史的一回性ソノモノですよ・・・・

歴史的一回生ソノモノですよ・・・・

モハヤ歴史的一回聖にナルカモシレン・・・・・・・

 

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もうひとつは、

りゅうさんとえばっちが割れた場合の

混乱を、なるべく小さくしなければなりません。

というのも、やっぱり、

りゅうさんとえばっちが割れて敵対するカモシレナイと言うことは、

イロンナトコロに相当な混乱を呼ぶかもしれません。

だからできるならば、

軟着陸するというか、軟離陸するというカタチで割れなければなりません。

何人かの、あるいは、幾つかのキーサン患者会のなかまたちにとっては、

混乱どころか、被害をもたらすかもしれません。

つまりえばっちは、

ウンドーではなくセーカツで割れたいわけで、割れるなら。

この割れることを、軟着陸させたいわけです。

それは、ウンドー上の要請で

患者さんが困ることだけは避けたいと想います。

なかまたちが困ることだけは避けたいと想います。

なので、この点からもりゅうさん、りゅうさんは間違ったんです。

 

ウツミが問われることはイイ。ウツミはクソだ。

でも間に挟まった患者はどうなったんでしょう。そのことはとても重要です。

患者一人一人は生きているのですから。

だから、

割れるに当たっても、軟着陸を目指したいのです。

だからこんなに順を追って段階を踏んで書いてきたのです。

でも、りゅうさんはひとりひとりの、患者さんの主治医と、

セカンド医としていま簡単に割れていくように想えてしかたありません。

そしてソレは精神医のセーカツではなく、

ウンドーになってしまっているからだと想うのです。

間に挟まれたしまったひとひとりの、

救われるべき患者はドウなるのでしょうか。

ウンドーなら主治医とはなっから喧嘩すればいいのです。

でも、本当に患者のひとりひとりのコトを想うならば、

先ずは主治医と交流し、意見交換を徹底的にしなければならなかったのです。

そしてそれは、たいへん手間と気力と体力と根気がいることだったのです。

たとえば、それは、ママさんと一時間話し本人と一時間話し、たのなら

本人の了解の元、そのあと主治医と二時間話す。

その手間が重要だったのです。

おなじ主治医であっても、セカンド相談者が違えば、

それぞれ個別に、

何度でも、やり続けなければならなかったのです。

だから、こんなに短期間に

こんなにたくさんのセカンド症例が集まったこと自体、

ウンドーとして展開してしまったことの

証左かもしれないのです。

だから、りゅうさんは、あまりに短期間に

一人一人の患者さんの

一人一人の主治医と、

ただウンドー的に割れたのだとしか想えないのです。

ウンドー的に割れて、ワシガタダシイノヤと、

言っている精神医をえばっちは、信用しませんよ。

だから役割分担したら良かったのです

そう役割分担が逆になったのデス

りゅうさんは、精神医としてセーカツとしてひとりひとりを救う

キーサン患者会は、その結果出てきた腐った主治医の誤診誤処方を

ウンドーとして、糾弾シヌク

キーサン患者会はセーカツとしてりゅうさんに問いツヅケル

りゅうさんは、ウンドーとして、その問いに答えツヅケル

くじら会はセーカツとしてりゅうさんのセーカツを支える

早期介入ハンタイの会はウンドーとしてりゅうさんのウンドーを支える

精神医と患者会

患者会と家族会

くじら会と早期介入ハンタイの会

セーカツとウンドー

その役割分担が、逆になってしまったのです

セカンドをはじめてから・・・足りないモノもアッタ

これを元に戻すことです

くじら会と早期介入ハンタイの会を維持し続けることです

くじら会はセーカツとしてひとりひとりを救う

早期介入ハンタイの会は、

その結果出てきた腐った主治医や制度をウンドーとして糾弾シヌク

りゅうさんが、早期介入ハンタイの会を立ち上げ

ソコに

患者会を誘ったとき

りゅうさんは、己が誤りに気付いて立て直しにかかったのだ

と、えばっちは、想ったわけです

なら、精一杯りゅうさんを支援しなければ、と想ったワケナンデス

でも、その後の経緯は、チガッテイタようですね。

りゅうさんはナニモ気づいていなかった

いや気づくつもりもなかったワケなんですね

セカンドには

りゅうさんの診察室と

患者会とくじら会と早期介入の会は相互に交流と監視をしながら

必要なんですよ

早期介入の会ができるのが、遅すぎたのです

どんな名称でもよかった、よかったからセカンドを

ウンドーとして担保できるナニカが必要だったのです

さもないと、

ウンドー化してはならないものが、

ウンドー化してしまう

 

精神科に限らず医者の診察室での診察は、

医療行為は、

絶対に絶対に絶対に

ウンドー化してはならないのです。

これは、ギリシア時代から言ってきたことではないでしょうか。

そうならないように

ある種枠がはめられている、ソウイウ行為なのです。

 

そしてじっさいは、ウンドー化してしまった

 

そして、この四者の微妙な関係性の中で

悩み苦しみながら

セーカツとウンドーで

本当は、徹底的に既存の精神医療と対決できたのですが・・・

ハッタツ当事者の会ができあがっていったら、もっとヨカツタ

ソシタラ五者のコチラ側のペンタゴンになったのですが・・

だから、簡単に言ってしまえば、

りゅうさんに代わって腐った主治医や既存の精神医療を

徹底的に糾弾・批判していくウンドー体として

早期介入の会はとても重要だったのです。

最初は、りゅうさんに代わってママさん達が

糾弾行動に立ち上がる、ソレで良かったのです。

そのうち、りゅうさんに代わってではなく、別伝に書いたように

被害者こそが

当事者であり

その当事者が、早期介入の会で自立的に糾弾ウンドーに

発展していったら良かったのです。

ソコニは当然、ママさん達の怨念を主体にしながらも、

ハッタツ当事者の会やキーサン患者会が、

当事者として、参加していけば、ソレで良いものになったはずなのです。

そしたらそれは、りゅうさんにウンドーから撤退して貰って、

精神医としての本体としてのセーカツに

専念してもらいうるという現実的で客観的な条件を作り得たのです。

 

りゅうさん、こんなことは、少し考えれば、誰でもが気づくことなんですよ

だ、もんで、みんなウッスラと気づきはじめているんです

だから、もう敢えて書くのですが、光愛の島田医師と割れるのならば、

先ずは一人一人の患者さんの行き場所を作ってから

割れて欲しいと想うのです。

だから、

それなら、山崎君と高橋さんもおなじで、

セカンドの主治医としてりゅうさんに信頼関係を持っている患者さんに対して、

サードと称して、あまりにも安易にその信頼関係を壊してしまったのです。

もし、ファーストの主治医と関係がもう切れているのなら、

主治医はりゅうさんです。

サードと称して、あるいはセカンドでもイイのですが、

山崎君と高橋さんは

あまりにも安易に患者さん本人とりゅうさんとの間の

「主治医-患者関係」を

壊してしまった。

それは最早、患者さん本人を救うための実践ではなく

りゅうさんを糾弾するためのウンドーになってしまった。

 

だから、こういえば、りゅうさん。りゅうさんのやった精神医としての

仁義を踏み外した行為が分かり良いはずです。

りゅうさん、あなたはなによりも本人を救うためなら

どんなに腐った主治医であろうが現在成立している

「主治医ー患者関係」を

壊すことには慎重にも

慎重にも慎重にも慎重にも慎重にも

慎重にも慎重にも慎重にも慎重にも慎重にも慎重にも慎重にも慎重にも

慎重にも慎重にも慎重にも慎重にも慎重にも慎重にも慎重にも慎重にも

慎重にも

ならざるを得なかった

ハズナノデス。

 

ウンドーにしてはならないもの

精神医ならどうしても守らなければならない仁義

患者会と一緒にやるならどうしても問われなければならない

問い

トイウモノガ、あるのです

 

それにしても、10人もの人が読まないのに、

ナンでこんなコトを書かなければならないのか。

 

それにしても、なんで、こんなに書いたのか

キーサン革命極意本伝からです、からね

いや、その序章の「りゅうさんへ 極私的セカンド本書評」からですからね

何万字になったのか

骨身を削って心身すり減らしてヒッシコイテ

何段階も踏んで、何万字も書いて、

それで意味があったのかなかったのか・・・・

読み手も十人くらいですからね、、

なんの意味が、あったのかなかったのか・・

まぁ、ボクたちが割れてヨロコブのは

いつもの例のご一統サンたちですよ

それでも、りゅうさん、ハッタツでやることに

りゅうさんは意味がアッタわけですね・・・

世の中、ハッタツのバブル

ハッタツブームですよ

三障害が四障害になったダケとは、モハヤ言えない

ハッタツ音頭の踊りの真っ最中ですよ

わしらキーサンは

またしても、世の中からは取り残されて

いやまったく、三歩先を行くよりも

三十憶万兆歩も世の中に遅れて

遅れついでに

滅んでいきましょう

 

滅ばなければ

「すり替え」

られるダケですからね

 

結局、親の会と医者の会なのでは、ありませんか。

だとしたら、キーサン患者会は親の会や医者の会と

一緒にやる気はないんですよ、なかったんですよ。

でもね、今回だけは一緒にやろうと想ったんですよ。

だから、患者会の方から譲りに譲って共闘しようとしたんじゃないですか。

りゅうさんだからこそ、今回は親の会でも医者の会でもいいから、

一緒にやろうと想って譲りに譲って、握手の手をさしのべたのに、

親の会をやっているママさん達は、何を譲ったんですか。

医者の会をやっているりゅうさんは何を譲ったんですか。

ママさん達もりゅうさんも、何も譲っていない。

我々は譲りに譲った。

親の会と一緒にやる

医者の会と一緒にやる

我々は滅んでいく。

ハッタツ障害とセカンド実践と減薬は七割は正しい

マスコミもギインもありだ

必要があれば我々はパネリストにもシンポジストにもナル

ママさん達の当事者性と怨念を認める

譲りに譲ったじゃないですか。

りゅうさんあなたはナ二か譲りましたか。

親の会と医者の会なんですよ。

キーサン患者会が一緒にやれるわけ無いじゃないですか。

だとしたら、我々は早期介入の会から脱退することになるんですよ。

そんなことも分からないのですか。

何か譲って下さい。りゅうさんが何か譲って下さい。

我々はもう譲れないところまで来ています。

だから譲るのは、りゅうさん、あなたなんですよ。

 

りゅうさん、体調が許すのならできうる限りごかいと一緒にいて下さい。

りゅうさん、体調が許すのなら1ヶ月に1時間で良いですので、

実際の診察室を再開してください。

りゅうさん、セカンド再開はその後です。

りゅうさん、このままで行くとりゅうさんが今までやってきた積み上げたモノ、

患者会が今まで積み上げたモノを、無様に無効化されてしまいますよ。

恐れられるのではなく笑いモノになるのです。

りゅうさん、りゅうさんの立場を最終的に担保するのは、

りゅうさんファンのママさん達ではなく、

りゅうさんにこれだけ反論を言いつのっている

えばっちやキーサン患者会であることを分かっていますか。

 

えばっちはりゅうさんのセカンド実践が

良かったときと悪くなったときがあると想っています。

それは時期的なモノであるとともに、条件的なモノでもあります。

この二つの条件が揃っていたときりゅうさんのセカンドは凄かった。

でも、この二つの条件が消え、

次の二つの条件が揃ったときに、

りゅうさんのセカンドは悲惨なモノになりました。

消えてしまった二つの条件とは、簡単なことです。

一つは、ごかいとのせめぎ合い、もう一つは実際の診察室での外来です。

では、悪くなるために揃ってしまった二つの条件とはなんでしょうか。

一つは、ママさん達ファンクラブに囲まれてしまったこと、

もう一つは、片岡ハッタツ理論との遭遇です。

これほど希有で経験を積んだ年期の入った凄みのある臨床家としては、

全く不様なことになったものです。

理論は所詮リロンだったのに・・・

これほど希有な臨床家が、、、、

ナサケナイハナシです

 

これはえばっちの個人的なものの考え方ですが、

えばっちは内輪と外輪、

そのそれぞれに内向きと外向きにものを考えることが多いです。

これはえばっちの個人的な内的なあたまのなかみのことなので

一般化はできませんが、あえてここに書くのは、

えばっちのあたまの中身から、

どうもりゅうさんのやっていることは、これだけ書いても書いても、

えばっちが感じている違和感が上手く説明できないのです。

だから、少し、えばっちのあたまのなかみを説明することで、

説明デキンかなと想いました。

 

外輪の外向き

外輪の内向き

内輪の外向き

内輪の内向き

 

えばっちのあたまのなかでは、

今のりゅうさんは外輪の外向きしか有効ランプが点っていません。

他の三つに関しては、過去のりゅうさんは全て点っていたのですが、

現在のりゅうさんには全く点っていません。

この感覚は分からないと想いますが、敢えて書きました。

だからりゅうさんの正しさは7割だと言ってきましたが、

それは公式見解というやつで、えばっちにとっては、

2割5分の正しさしかありません。

外輪の外向きにしか、、、眼が向いていない

 

親の会は、結局は社会復帰路線になるのです。

精神分裂病だろうが、ハッタツ障害であろうが、統合失調症であろうが、

そんなことは関係ありません。

親の会は、我が娘や息子を

せめて健病者化したいのです。

できたら、健常者化したいのです。

つまりは、我が娘や息子に「右肩上がり」の人生を望むのです。

当たり前です。

親だからです。

だから僕たちは、親の会とは対立してきたのです。

だからりゅうさん、りゅうさんはその親の会にハッタツ障害と減薬、

そしてクスリがゼロになると言うことで強力な

社会復帰路線の理論的支柱を与えたのです。

いや、新たな理論的補強材料を与えたのです。

だから、親の会は基準を

努力してクスリをゼロにし、努力して大学に入り直し、

努力して就職をし、努力して家庭を持つ

という人生を基準にします。

 

我々キーサン患者会のなかまたちの基準は、

より病が重く、クスリが重く、

学校からも、会社からも、排除され、

二度と復学も復職もできない

まったくの無才能の無為無策の寝てばかりいる

なかまが

基準なのです。

我々はそのようにしかセーカツできません。

我々はそのようにしかウンドーできません。

我々は変わらないのです。

 

りゅうさん、あなたとヒロセ氏の二人は、ジブンタチが正しいので、

キーサン患者会は当然ついてくると甘く考えていたのです。

キーサンをなめてはいけません。

我々は、アヤマリだ、間違いだ、と言われているのです。

また、我々自身もそれを認め、滅んでいこうとしているのです。

滅んでいくものの、「哀しみ」をあなた達二人は、

まったく甘く考えていたわけですね。そうとしか想えません。

だからりゅうさん、あなたはもっと早くもっと丁寧に、

もっと根底的に、

キーサン患者会に聞くべきだったのです。

説明すべきだったのです。

自分の観た地平をわかりやすいように説明し、

ゲンジツ化するにあたって、

どこをどのように譲って表現するか考えるべきだったのです。

この調子で行けば、りゅうさんと、ママさん達が作った

親の会医者の会と最終的に全面的に徹底的に対決するのは、

キーサン患者会になるのです。

だからそれは、非常に壊滅的で、

キーサン患者会患者会と一緒にやってきた医者とが、

共同で作り上げてきた歴史と文化を自らの手で反故にすることになるのです。

それを避けるためにヒロセ氏は、「すり替え」をやろうとしている、

としか想えません。

しかも、自分自身で激突を煽っておいて、です。

許せることではない。

しかし、その「すり替え」もまた、

患者会を闇に葬ってしまうことになってしまうのです。

だから、早期介入の会がこの激突を避けるために最も重要なのでした。

過去形で書いたのは、りゅうさんあなたが何も譲らなければ、

我々は全面的に対決することになるからです。

親の会、医者の会対キーサン患者会という、

対立が

ムカシながらの対立が、

ココでも起きるというわけです。

それに気づかなかったのですか。

言っておきますが、対決すると言うことになれば、

我々は、最後の力を振り絞って

あなたがハッタツ障害ガイネンとセカンド実践によって作り上げてきた

親の会医者の会と

それぞれの生存を懸けて全面衝突することになります。

ヒロセ氏とママさん達の何人かは、知ってか知らずか、

この全面対決を先延ばしするか回避しようとするよりも、

煽ったのです。

もしくは、回避しつつ煽ったノカ

それとも煽っておきながら回避シタクナッタノカ

ナンという馬鹿なことを。

ナンという愚かなことを。

馬鹿じゃないのか。

だから、早期介入という唯一の場でお互いに譲り合って、

ウンドーをすることがこの全面衝突を回避する唯一の手だてだったのです。

りゅうさんあなたが7割正しく、3割間違っているとして、

それが9割8分9厘の正しさになった時、

最後に残る1分1厘が患者会なのです。

これは、前から言ってきました。

9割8分9厘正しいあなたが、最後に打倒しなければならないのは、

1分1厘のキーサン患者会なのです。

この皮肉に気づいていたのかいなかったのか。

気づいていても「すり替え」で何とかなると思ったのか。

それとも、気づいていながらそこには、目を向けないようにしてきたのか。

だから、あなたの観た「地平」が、正しいのであれば、

あなたは、キーサン患者会を打倒しなければならなくなるのです。

こんなことは、少し考えれば、だれでもが分かることです。

だから、あなたも気づいていたと想います。

だとしたら、回避する努力をすべきでした。

えばっちとしては、回避する努力をまだまだ続けるつもりでいます。

だから、これを書いているわけです。

だから、あなたはおのが観た「地平」が、

正しいという確信があればあるほど、譲るべきでした。

今からでも遅くありません。何をどう譲るのか、明らかにして下さい。

さもなければ、我々は、この我々というのは、

りゅうさんあなたとえばっちと言うことですが、

相当シビアーな全面対決に陥るでしょう。

えばっちとしては、譲れるものは全て譲りました。

りゅうさん、今度はあなたがナニカ譲って下さい。

 

まぁ、どちらにしろ、

どちらにしろ、ですよ

おそらく、ごかいも、前進友の会も

 

キーサン患者会為るものは、

おそらくすべてが、

延々と変わらずにキーサンの仁義とセーカツを守り続けます。

セーカツをし続けます。

 

なかまの最後の一人が死に絶える、まさにその時まで。

歴史的一回生を生き続けるのです。

叫び続けるのです。

ナニモ変わらずにね。

 

だからりゅうさん

えばっちは宿命のように問い続けます。

前進友の会というキーサン患者会の中で

今までと同じように全く変わらず

これからも変わることなく

永遠に

すべての精神医にすべての精神医療福祉業者に

問い続けます

おそらく最後の一息になっても問い続けます

りゅうさんにも問い続けます

 

「オマエハホントウニ

タダシイノカ」

 

2012年11月起稿 えばっち