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発達障害批判の眼目 発達障害八大罪悪 えばっちが、発達障害を徹底的に批判し尽すところの 発達障害の八大非道、八大失礼、八大無礼、 八大腐臭、八大迷惑、 八大害悪、八大罪悪、なのである一点目 差別そのものである  

発達障害批判の眼目

発達障害八大罪悪

一点目

差別そのものである

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まずもって、この発達障害概念ソノモノが、とてつもなく差別的ダカラである。

既存の障害概念、疾病概念に対して、徹底的に、失礼無礼の限りを尽くし、た、その上に、この障害概念が成立しているのである。特に重たい自閉症のみなさんや、知的障害者のみなさん、そしてそして、特に、我々精神病患者に対しては、よりマシである、より軽く、より才能がある、と云う宣伝を、専門職とも当事者とも、そう、言い回っているのである。許されることではない。しかも、世間様の風潮も、ソウなのである。

しかも、それでいて、愚かしくも、当然、才能の高低や、在る無し、イロイロあるなかで、ナニかしらに『成功』した障害者がエライのだ、と云う風潮をばら撒いている、のである。ドウニカなる障害者が出てくるのは、至極とうぜんであろう。

精神病患者のグループに比べて、発達障害者の団体は、高学歴者が、多いのだそうである。実際調査してみて、ビックリした、と云うような、コトを、福祉系の雑誌に堂々と書くアンポンタンもいる、と云うコトだ。

しかも、書いた本人に当事者性もアル、と云うダカラ、念のいったアホさ加減ということであろう。ソンなに高学歴が、良いのですかいな、と想った

ソンなアホな記事が掲載されていた。これほど、障害者間の能力競争と差別感を野放図に表すコトもなかろうに、、、、しかし、もはや、そんな感覚も麻痺してしまっているのか、、、酷いハナシである

あえて、再度、言うのだが、過去の、そして現在も、今後も、ワラワラとやってくる病名変更を求めての意識的セカンド受診のママさんたちや本人たちに、精神病患者、精神病、精神症状、精神病患者のセーカツぶりに対する忌避感、嫌悪感、差別感は、無かった、皆無である、と、言えるのであろうか、ソコの所を再考にも再考すべきであろう

 

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二点目

障害者の病者の底の底の真実のセーカツに

蓋をし、忘れさせ、見えにくくする装置と化す

他の障害者のモンダイを見えにくくし、目くらましを掛けてシマウ、日が当たらないようになっていくだろう。特におもたい知的障害者、おもたい精神障害者が忘れられていくだろう。また、営々と気づきあげてきた、他の障害者の文化を無しにしていくだろう。

それは、精神障害者だけではない、青い芝の会の、あの綱領の精神をまるきり反故にし、知的障害のみなさんが営々と築いてきた「歴年齢に見合った発達程度があると言う仮説への徹底した反駁」と「発達保障論への反撃」といった文化を反故にし、ありとあらゆる、昔ながらのおもたい障害者のドロドロぐちゃぐちゃの真の底の底の底の生命の底からくるセーカツや苦しさを見えにくくすることに、ヨーロッパ風の綺麗ごとの引用とともに、最大限発揮されるであろう。腐れた外道の所業である。

 

三点目

発達障害の概念が、範囲が、

無制限に無定見に拡大していき、

ついには、意味不明となる

そもそも、ムチャクチャな意味不明的な、あいまいで広すぎる障害概念ダカラである。ナンデモカンデモ発達障害に為ってしまうのである。ムカシなんでもかんでも、分裂病だったが、今度はナンデモカンデモ発達障害なのである。知的障害、自閉症、精神病、奇人変人、その他モロモロをすべからく、発達障害だ、と言い切ってシマッテいるのである。オソロシイことである。

もっとも、アンポンタンな状況は、精神病は存在しない、アルのは発達障害ダケである、とまで、言いだしているのである。しかもしかも、その診断基準たるや、お粗末トシカ言いようのないモノなのである。

ある医者の発達障害の診断基準を聞いたときに、腰を抜かしたのである。得々と語る、その診断基準は、ドウとでもトレれるシロモノで、なおかつ、ムカシの人格障害概念と、ソックリ同んナジモノなのである。しかも、当の精神医は、そのことに気づいてもイナい様子なのである。ナニを寝ぼけているのか、アンタは今、一人の患者を、発達障害の名のもとに人格障害である、と、診断しテシマッタたことに気づきもシナイのである。しかも、知的障害のセカイのみなさんが、セーカツとしてもウンドーとしても、営々と積み上げてきた、「暦年齢に見合った発達レベルがある」と云う「発達保障論的」な腐った概念に対する批判の数々を、アッサリ否定してしまっていることに、気づくことも出来ないでいるのである。そらおそろしく、寒々としたものが、背筋を走ってしまい、アホらしくて、その医者を批判することすら、アッケにとられてしまい、出来なかった次第である。ナサケナいハナシである。

余りにムチヤクチャな曖昧で範囲拡大増加の概念故に、とうとうムカシながらの人格障害、精神病質、発達保障論の再復活とともに、ドンなニンゲンにでも、貼り付けられる、まことに便利な名札と化してシマッタ。腐った専門家の諸君には、まことにケッコウな重宝な名札を、監察札を手に入れたのである。

心理と精神医と教育者どもは、ウハウハであろう。おっと治安監督官連中もね。

 

四点目

社会復帰にも、減薬断薬にも、

ついていけない者は、必ず出てくる

オモタい者は、ついていけなくなる

しかも、ついていけないのを本人のせいにする

結果、

社会復帰したいような社会なのかどうかと云う、キチガイの根底的な社会批判を無にする

ゲンジツには、キーサン病者のセーカツゲンジツ側から言わしてもらえば、

どんな音頭であっても、どんなによく見える音頭であっても、

それについていけないものは必ず出てくるカラダ。

漏れるニンゲンは必ず出てくる。

落ちこぼれるニンゲンが出てくる、からである。

キーサンと言おうが、発達障害と言おうが、

ケンビョウ者と言おうが、

必ず、弱い者、重い者、シンドい者、ツライ者、クルシイ者

ナニも出来ない者、が残されるのである。

ゲンジツと歴史が証明するところである。

おもたい者が、取り残され、忘れられ、隅っこに追いやられるのである。

そして、そのより重い者シンドい者を、より、強く苦悩の淵に追いやるのである。

キーサン患者会の積み上げてきた文化とは、真逆の、

障害者発達保障競争文化の行きつく先は、

弱い者、重たい者の、切り捨て、見殺し、自殺推進圧力ですわ。

社会復帰競争、社会参加競争、社会貢献競争、減薬競争、断薬競争、就労就学競争の敗者は、ドウなるのか、と、言っているのである。

ソコニは、そもそも、社会復帰したいような社会なのか、と云う我々キチガイキーサンの根源的な、この世の中の在り様に対する問題提起を、限りなく、矮小化し、無くすることになっていく。

リクツではない、

まず最初の関門、減薬競争のゲンジツをとくと、再考してみればよい

なかなか、ゼロには、ナランのよ、しかもしかも、ゼロに為らなかったことを、

本人のサボリや、努力の足りなさと云う、本人のセキニンに帰すと云う、

社会復帰敗者の原因は、患者本人にある、と云う

無慈悲限りの無い悪辣さなのである。

それは、結局は社会要因、環境要因の

限りない矮小化と無視に繋がっていくのである。

まず、減薬、断薬、社会参加、

そこに、ついてはいけないおもたい高年中年老年の

生活保護の入院生活の長い長い精神病者は、ドウなるんでしょうかね

 

五点目

社会復帰競争の末に依存競争に陥る

障害者、患者の社会に対する、根源的問いかけを矮小化しつつ

『パスポートは特性理解』の路線で進めば、

これは、理解者を、できたらサポーターを、できたらサポートチームを

私のまわりにつくってくれれば、私の才能は花開くという

踊りになるからである。

セーカツするタメではなく、

才能を花開くというタメのサポートチームがいるのだ、

私の回りに作って専用のサポートチームを作って

作って作って私だけのサポートチームを作って

というような競争になるからである。

そして、うまくいった、少数だけがもて囃され、テレビに出演し、

講演と公演をして歩き、宣伝されるであろう。

シャカイフッキ路線の中でも最も悪辣極まりのない腐臭のする醜悪で激烈な、

『依存するシャカイフッキ競争』

『シャカイフッキのための依存競争』

『社会貢献競争の勝者と為るための依存競争』

とイッタヨウナモノになるであろう。

依存を深めながら、社会復帰を目指す、だと、、、

依存される専門職は、飯の食いはぐれが無い。

医療系、福祉系、に加えて、教育系の専門職はアハウハアハウハなのである

その上に、母親達にも、依存は続く

ムカシ、社会復帰は即労働は即自立への道と、宣伝された

ソンナことは、できやせなんだ。

だというので、こんどは、

これからは、母親に支配されて、専門職に依存を深めて、

社会復帰という、ことになっていくのである、これが、

発達障害概念の持つエグい側面である。

より重い、シンドイ障害者から、お年寄りから、

所謂「社会福祉資源」「福祉」を引き剥がしてでも、依存させてくれ、

に繋がっていくのである。

自立ではなく、依存に基づく社会復帰路線は、おそらく、とてつもない、

障害者間の、エラく為りりたい競争と健常者化競争を、惹起させ

それは、トコトンまでの依存競争を招き、

その依存度により社会復帰の程度が決ると云うコトに為ろう。

コレまでは依存度が低く就労する方が社会復帰だと、考えられてきたのだが、

ナントこの場合は、依存度が高ければ高いほど、才能が花開き、社会貢献も出来、したがって社会復帰度も高い、と云う、実に実に、

ナンダカ二重逆転化したような空恐ろしいことに為るであろう。

そうかぁぁぁーーー

自立自尊自衛自炊自レク自闘を目指すより

依存を目指すのかぁぁぁぁーー

シンドイことはやらなくてよい理論的支柱ができたわけや

依存したい発達障害者のみなさんも

依存させたい「依存サセ屋」の医療系福祉系教育系従業員も

アハウハアハウハバンバンざい、と云うトコロでんな

その依存競争の果てにあるモノとは、そも、障害当事者にとってナンなのであろうか、ちょっとばかり、考えれば、直ぐに、わかることである。

 

六点目

精神医療と心理が無定見に拡大し、

しかも無制限に儲かる、ウハウハに

だから、当然、特性理解者サポーター、サポートチームなどとは

結局のところ、精神医療と福祉と教育が発達障害方向へ拡大していくときの

ボロ儲けのタネになるであろう、ということである。

クスリと電気ショックと四肢拘束で儲け、

発達障害のミナサンへのサポートチームでも、

また、ボロ儲けするのである。

依存してくれるので、飯の喰いはぐれがないのである

まことに、ケッコウな、お商売なのである。

精神医療と福祉は、根絶も縮小もしていかない。

拡大していくのである、オソロシイ。

心理職の国家資格化おねだり路線を見よ

申請神聖発達博士片岡聡のリトプごっこを見よ

NHKから金もろうて、議員様相手に、

法整備、制度政策おねだり講演会、開きくさった、

笠セカンドからとうとう、こんな戯けた当事者が

悪辣極まりない障害当事者が羽化を始めましたよ

バカバカしい

当事者からのおねだりもアルので

本当に、ぼろ儲け、していけるであろう。

発達護送船団おねだりボロ儲け路線である。

専門職が、今の十倍いても、発達障害者を十倍に増やせばいいだけだから

しかも、依存してくれるので、本当に、ボロい儲けを生み出すであろう

これで、精神医療を根底的に破壊できる、などと、寝ぼけたコトをいえたものだ、

笠陽一郎大センセイよ。

逆だよ、逆、精神医療と、福祉は、徹底的に、拡大していけるんだよ、

この発達障害をツコウてね、ぼろ儲けしながらね。

ナントイウバカげたことを、アンタは、ヤッテしもうたんだろうね

 

七点目

障害者、病者の発言、行動に対する

無効化の武器がまた一つ増えるだけである

またもや、またもやの、まことに結構な、発言や行動を無効化できる、素晴らしい、武器となるのであ。たとえば、我々精神病者は、アレがキチガイの戯言やと、アレが躁や、アレが妄想や、アレが鬱や、アレが偏執狂やと、アレが躁鬱の波や、アレが幻聴や、アレが幻覚やと、アレが人格障害や、アレが精神病質や、アレが鬱や、アレが被害妄想や、と散々に言われて、我々の言うこと為すコト、すべからく、価値がない、と、無視され、無効化されてきたのである。ここにきて、今度は、さらに加えて、アレが双極性障害Ⅱ型の薬剤性やくざや、あれが、発達障害者の、こだわりと云う特性やタラ、興味の持ち方の狭さやタラ、アレが人間関係の幼さやタラ、発達障害の成長の無さやタラ、タラタラタラタラと、精神医中心に散々言って無効化するのである。

例えば、さぞや、このところのえばっちの文章に、対しても、言っていることであろう。そう、だから、この七点目を特に重宝しているのは、実は、内海聡や、嶋田和子や笠陽一郎達と言った、発達障害や発達特性を、精神医療改革の最終結論だ、答えだと、言って良いように宣伝して広めてきた当の本人たちが、いざ逆らうようになった病者たちに、患者たちに向かって、陰ひなたなく使っているのである。笠陽一郎のホームページや嶋田和子のブログに内海聡のブログにも、隠そうにも隠せなく、端々に、にじみ出ているのである。ああ、もちろん、くじら会のママさん達の茶飲み話にも、為っていることでしょうね。許せないことだ。さぞや、さぞや、他の医者たちや心理士や治安監督官たちにも、良いお手本に為っているだろう。こうやって、我々のヨウな文句言いのキチガイの言う事や書いているコトや、叫んでいることを無効化するのである。叫ぼうとしている中味を考えようとすることなど、ないのである。精神病の症状と発達特性と、の、せいにすれば、よいのだから。精神医の診察室での、心理士の相談室での、患者への無効化兵器が、一挙に倍どころか、十倍ぐらいに増えるンデスヨ、いゃああーー精神医と云うのは、カウンセラーと云うのは、まことにケッコウな気楽なお商売ですな。我が身らの診察室や相談室を荒らしそうな患者に対して、無効化の手段が一挙に倍にナッタのである。精神病で無効化できなかった発言や行動に対して、今度は、発達特性で無効化するのである。特に診察室で、医者やカウンセラーやPSWや学校の先生に逆らう患者に対する無効化兵器が倍増したのである。

いや、念のいったことに、更に兇悪なことには、発達障害特性は、最初の入門口に才能があると云う方向も宣伝シマクッテいるので、ナント有効化と無効化を、相手を選んで、医者の好きなように有効化と無効化を選択して使えるのである。コレは、恐ろしいことである。精神病では、コウはいかない。医者に逆らう非友好的患者には、精神医は発達特性故の無効化を叩きつけ、友好的患者には発達特性故の有効化して才能あると持ち上げさえ出来るのである。ソレをまた、逆転することも可能なのである。依存先の精神医と心理士と先生の思うがままに、である。

コレを最も悪用してきたのが笠陽一郎と云う精神医なのである、と言ったら、この七点目の罪悪が、ハッキリすると想います。「双極性Ⅱ型の薬剤性やくざ」と云う新造語を造って、揶揄無効化のために、己がホームページで、吐きまくったのですから。他の精神医の先生様方が、笠セカンドや笠陽一郎大先生様をお手本に出来る最大の点でしょうな、コレが。オソロシいことだ。

で、結局は、観察法法廷や、治安監督官たちにとっても、後見人たちにとっても、いやはやまことに、ケッコウな武器でしょうな。発達障害本や発達特性本の、使い方の読み方の、新たなる一ページ、と云うか、元々の一ページでしょうな。

どちらにせよ、病状、症状で無効化できなければ、今度は特性で無効化するのである。一人の人間を無効化するに、症状で、出来得なければ、特性でも、出来る、と云うコトなのである。有り体に言って、患者を病状や症状のせいだからと、沈黙を強制しようとしても、出来得ないときには、『発達特性』で、無効化できる、と云うことである。

八点目

保安処分、治安処分の

超早期的かつ

無制限強化拡大に陥る

ダカラ、結局サイゴは、治安的、保安処分の強化拡大に直結するのである

この音頭で踊っているうちに、精神病では捕らまえられなかったような、

奇人や変人をシャカイの治安を乱す者として、まこと広範囲に、しかも極早期に、

番号をふれるということである。

特に、この発達音頭は、シャカイの治安を乱しそうなものを

幼児のうちから、まさに「早期」のうちからピックアップできるだろう

なおかつ、本人や、母親の方から、我も我もと、争って、番号を振って欲しくて

医者や、心理や、教育の専門家に、押しかける、と云うしだいに為るのである。

まさに、究極的な、まさにまさに、シミンの皆さん待望の

早期介入的な横断的拡大主義的過剰診断的な保安処分が完成できるであろう

ということである。

三歳児健診、五歳児健診、の制度政策提言を見てみたらよいのだ

心神喪失医療観察法が、フル回転するのである。

後見人も、フル回転しやすいのである。

病院に施設に、放り込みやすいのである。

決めるのは、依存先の、専門職たちナノデある。

ナニを寝ぼけているのか、ソコに依存しようとしているのが、分からないかねー

この発達音頭の踊り子さんタチはねーー

さらに、しかも、この番号を振っていく過程で

才能を花開かせるためのサポートチームと引き替えだと言われた場合、

この踊り手サン達は、それを拒否できるのであろううか?

手帳なんてものとは質のチガウものと引き換えですよ、早い者勝ちですよ

と言われた時、発達障害者たちは自主的に群れ集まり

ナニカを売り渡すことになろう

治安監督官様が、最も利用しやすい保安処分方法とは、発達障害を梃子に行われることと為るのである

現実に、このところ、よくわからないような、マスコミをにぎわす事件で、精神病を貼り付けられないようなことに、あっさり、発達障害を貼り付けているのを、いつも、こわごわ、みているのである。

そして、そこに反抗する当事者の意見を封殺ではなく、完全無効化スルのである

本当に驚くべき程、上手いことできた障害概念であると、想うのである。

これを思いつき、応用しているヤツは、天災的な天才であろう。

ちなみに、それは、笠のホームページでも、おこなわれてはいなかったか、、、、そう、あの大泣きした議員に、あっさり、アレは発達臭いと、貼り付けていなかったか、典型的な、保安処分活用とは、笠のホームページで行われていたのである。治安管理官様たちにとって、良い勉強になったと、想うのである

  

以上発達障害八大害悪の根源には、この想いが、

キーサンセーカツの実感から来る

暮らしの、セーカツの、この想いが、横たわっている。

だいたいが、ナンダか

キホン、親の学歴と収入が高いみなさんが、

障害も病気も軽い軽いカルーーーーいみなさんが、良くなるだけの

そういう路線のように想う

これは、えばっちのヒガミなのか・・・・

でもナンダか、ビンボーで、セイホで

一人暮らしの、病院暮らしの、高齢の、低学歴の、おもたい病者は

おいていかれそうに、想う

単純なゲンジツを叫んでいるのダ

おいおい、精神病院の閉鎖の保護室は、無視なのかいナ

まだまだ、酷い精神病院は、タクサン在るのだゾ

ソコで

本質を言えば、そう、

発達障害概念ソノモノの根本的根底的完全否定なんですヨ。

だって、精神病者への偏見に満ち満ちたモノなんですよ、

発達障害概念と云うものの本質がね。

少なくとも、セカンド実践では、そうだったのです。

えばっちは、ソレをずぅぅぅぅううううーーーぅぅぅつと、ずーーーっと

感じ続けて来た訳なんです。最初っからね、

から、それは、本当に、端的に

「生命の底で居直る」ことを目指し続けてきたキチガイ文化、

キーサン文化の、モットモもっとも底の底の底の方から来る違和感、

ナンダカ、発達障害の方がトウシツよりブンレツより、

マシだ、上等だと云う、風潮と、ママさん達、発達障害当事者本人たちも、

そういう精神病への忌避感を抱いているのでは、、、、、と云う違和感を、ずぅぅぅぅっっっと、我慢してきたわけなのです。

ガマンし続けたのは、なぜなら、毒殺精神医とは、闘えましたのでね。

確かに、毒殺からナン人ものニンゲンを救いだせましたからね。

でも、もはや、我慢もゲンカイと云うわけです。

そのうえ、これほどマデの無責任アクトウアホ坊と

悪辣ライター登場のおまけまで、ついちゃって・・・・

なさけないったら、ありゃァしない。

片岡聡ナンて、こんな無責任オマヌケ差別当事者が、

人形抱っこして堂々と、登場して

NHKからカネもろうて国会議員集めて口演して

厚生大臣と並んでイベントして、

法務省矯正局長サマから一本釣りされて得々として、

ほかの障害者から福祉引き剥がせ、セキニンは取らんと、言うのが、

発達障害者サマサマサマなんですよ・・・悲惨すぎる。

片岡聡と云う糞屎野郎が、今後、こういった

申請真性神聖人形抱っこ無責任ハツタツ障害ガイネンで、

どんなことをもたらしてしまうか、想像もできん。

嶋田和子がドレダケ無責任に減薬断薬煽りぬいて

セキニンもとらんと、ドレダケ被害者が出ることに為るか、

想像も、ツカン、本当に

この嶋田和子のガキャ、無責任に、全国各地で茶話会と称して

減薬断薬を煽りに煽り抜いた結果、一体ドンナことになっているのか

知らなイカンと、想いますよ

この腐れ外道のアホが、精神病者のセーカツをナンにも、知らないで

一体全体、ナントイウコトをしでかしたのか

この糞戯け者が

嶋田和子、おのれ、一度でも精神病院に入院させられたことが

アルのんかいや

 

精神病患者会前進友の会やすらぎの里作業所

あくまでキーサン革命の鬼えばっち 江端一起

 

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