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 ただ、その前に、一点、言わずもがなのコトだけれども、以下の点をハッキリと言っておきたい。『健病者』と言ってきたことに近いのではあるが、『神経症やノイローゼや神経過敏』と言われてイル、キタみなさんは『なかま』なのである、と。えばっち的には『所謂言うトコロの発達障害』とは、想っていないのである。だから『健病者』と云うコトバを生み出したのである。

 ただ、その前に、一点、言わずもがなのコトだけれども、以下の点をハッキリと言っておきたい。『健病者』と言ってきたことに近いのではあるが、『神経症やノイローゼや神経過敏』と言われてイル、キタみなさんは『なかま』なのである、と。えばっち的には『所謂言うトコロの発達障害』とは、想っていないのである。だから『健病者』と云うコトバを生み出したのである。

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 神経の過敏や得意不得手の差が激しかったり、音や匂い、カビの匂いが取れない、スプーンに鉄の味を感じてしまう、雑音を拾い過ぎてしまう、光がまぶしすぎたり、原色が眼に突き刺さってきたり、次から次へとコトバが湧き出ちゃったり、一定の決まった動作ややり方ににこだわり過ぎたり、ソレをしないと次の行動に進めない等々で、生活出来なくなってきたり、学校や家庭や会社や、村や町に居ずらく為ったり、クルシカッタり、病院や施設に閉じ込められたり、感覚の過敏や、清潔の強迫や戸締りの強迫などで苦しんでいる人達も多いと想う。えばっちは、これらのなかまたちを『所謂言うトコロの発達障害』だとは想っていない。『自閉症』や、『ノイローゼ』や『神経症』『強迫神経症』等々で苦しんでいる皆さんは、なかまなのである。良かったら、ドンドン、来てもらいたいと、想うのである。ただし、『健病者』的側面もあるので、オモたい精神病患者さんに配慮はしてもらいたい、とそう想うのである。えばっちだって、聴覚過敏と鍵の戸締り確認強迫神経症に憑りつかれて、苦しんでいるのである。これはこれで苦しい。よくわかる。自分もそうだから。病理的にはよくわからないが、躁うつ病の上に、この確認強迫神経症と聴覚過敏が重なっている。自宅の冷蔵庫のコンセントは引き抜いているのである。あのブーーンと云うコンプレッサー系の音に耐えられないからである。冷蔵庫はコンセントを入れないので、夏場はなかなかシビアーな暮らしである。国鉄はマダしも地下鉄に乗るのは苦行である。耳栓は手放せない。隣のベランダのクーラーの室外機のウォンウォンの音には、クルシメられてきた。夏場はツライ。なかま達は、よく知っていてくれているのである。だから、実は、感覚の過敏や強迫神経症のシンドさは、よくわかるのである。

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 だから例えば、『躁鬱病がなく』『精神分裂もなく』この強迫神経症のような症状や感覚の過敏で苦しんでいる人達がいたら、我々のような在り方が、我々が目指しているような在り様が、『キーサン患者会』『地を這う患者会』『作業所患者自治会』のような在り様が、良いのであれば、どうぞ来てください、と、心から言いたいのである。でも、でも、己が『健病者』的側面を見つめながら、精神分裂病圏のなかまたち、躁鬱病圏のなかまたち、病歴の長いなかまたち、入院歴の長いなかまたち、入院の回数が多いなかまたち、苦労を重ねてきた薬もオモくクチもオモい年長のなかまたちを尊敬し、尊重し、配慮し、その上で、仲良く楽しく暮らしましょう、セーカツして生きましょう、と言いたいのである。さらに言えば、本当に重篤な『自閉症』の人たちは、Aグループに近い人たちだとえばっちは想っている。だから、ボクたちがちゃんとなかまとしてやれるかどうかは分からないけれども、Aグループに最も近いなかまたちと、想うのである。

 そして、敢えて書く。ムカシのコトバを大事にした方が良い。先人たちの苦労と、知恵と、哀しさと、怨念と、想いとセーカツが詰まっている。この点でも、こういうことを分かりにくくしてしまったのが、『所謂言うトコロの発達障害』概念の最大の愚かしさであると、想う。

 

 さて、いよいよ、「エバッチは見た」を書いてみたいと、想う。長くクルシい物語である。この物語は、この原稿を手渡させて頂くことが出来たなら、おそらくは、みなさん方の方で、もし、もし、『思い当たるフシ』に思い当たり、「アノ時のアレはナンだったのだろう」と思い続け

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 今現在も「コレってナンなの」と不審に思われていたとしたら、まさに、その物語であろう、と、えばっちは想っているのである。そして、リクツとしてコの物語を書いているのではなくして、今後その『思い当たるフシ』に出くわすことに為ったらドウしたらよいのか、、、あるいは、そうあの時の『思い当たるフシ』に、何時のタイミングで、ダレが、ドノように、ドウ言って、『出て行ってもらうべき』であったのか、悔恨と悔しさと涙の、悔し涙とともに、想い出されてくる物語なのである。つまるところ、この物語は、『何時のタイミングでドウ言い出すべきであったのか』の、今後、患者自治会を目指すにあたって、避けては通れないゲンジツのモンダイを赤裸々にし、考え抜き、想い抜くために語られるのである。

 

 最初は、素晴らしい仲間が来たと思うのである。素晴らしい通所者の当事者のリーダーに為れそうな好感の持てる人物が来たと思うのである。最初は、これでついに当所も『当事者主体』を実質的に担保できる時が来たと思うのである。

 ぴかぴか光っているのである。素晴らしく理論的に弁も立つのである。文章を書かせれば、学者か行政官僚のような文書が書けるのである。パソコン仕事も上手いのである。一見、仲間たちの相談にも乗っているようなのである。そして、そうこうしているうちに、なんだか知らないうちに、ヘンなことになってくることに気付くのである。

ワサワサしだすのである。ナンダカ、喧嘩が不和が嘘が多くなってくるのである。しかも、それは今までのキーサンならではの憎しみのおしくらまんじゅう『ニクマン』とは違うのである。ナニかがチガウのである。この時点で、その違和感とナニかが違うということが、なかなか言葉として出て来ないのである。そうこうしているうちに、ドンドン事態は進行していき、そこが患者会であろうが、作業所であろうが、運動体内学習会であろうが、とにかく、ナニかがおかしくなってくる。それをどうにかしようとして、スタッフたちが忙しくなってくる。無駄な忙しさである。それは忙しくなったスタッフが一番感じている。何とかしなければならないと思う。この時点でもまだ、素晴らしい、ぴかぴか光った仲間が来てくれているのだから、ナントカここの通所者の中の役員やリーダーになってくれないかとも思う。だからますます一所懸命に話を聞き、サポートしようとする。いつの間にか、『巻き込まれ』てしまっている。そして、スタッフとして、あるいは仲間として、妙に視野が狭まってくる。

 

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あくまでキーサン革命の鬼えばっち 江端一起

 

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