一点目
差別そのものである
まずもって、この発達障害概念ソノモノが、とてつもなく差別的ダカラである。
魔王笠陽一郎医師と
魔道布教獄門士
嶋田和子ライターとを徹底的に批判する
十六大発達障害殺法批判
断薬キーサン殺し批判
地獄の獄門拷問批判
一点目
差別そのものである
まずもって、この発達障害概念ソノモノが、とてつもなく差別的ダカラである。
既存の障害概念、疾病概念に対して、徹底的に、失礼無礼の限りを尽くし、た、その上に、この障害概念が成立しているのである。特に重たい自閉症のみなさんや、知的障害者のみなさん、そしてそして、特に、我々精神病患者に対しては、よりマシである、より軽く、より才能がある、と云う宣伝を、専門職とも当事者とも、そう、言い回っているのである。許されることではない。しかも、世間様の風潮も、ソウなのである。
しかも、それでいて、愚かしくも、当然、才能の高低や、在る無し、イロイロあるなかで、ナニかしらに『成功』した障害者がエライのだ、と云う風潮をばら撒いている、のである。ドウニカなる障害者が出てくるのは、至極とうぜんであろう。
精神病患者のグループに比べて、ハッタツ障害者の団体は、高学歴者が、多いのだそうである。実際調査してみて、ビックリした、と云うような、コトを、福祉系の雑誌に堂々と書くアンポンタンもいる、と云うコトだ。
しかも、書いた本人に当事者性もアル、と云うダカラ、念のいったアホさ加減ということであろう。ソンなに高学歴が、良いのですかいな、と想った
ソンなアホな記事が掲載されていた。これほど、障害者間の能力競争と差別感を野放図に表すコトもなかろうに、、、、しかし、もはや、そんな感覚も麻痺してしまっているのか、、、酷いハナシである
あえて、再度、言うのだが、過去の、そして現在も、今後も、ワラワラとやってくる病名変更を求めての意識的セカンド受診のママさんたちや本人たちに、精神病患者、精神病、精神症状、精神病患者のセーカツぶりに対する忌避感、嫌悪感、差別感は、無かった、皆無である、と、言えるのであろうか、ソコの所を再考にも再考すべきであろう
二点目
障害者の病者の底の底の真実のセーカツに
蓋をし、忘れさせ、見えにくくする装置と化す
他の障害者のモンダイを見えにくくし、目くらましを掛けてシマウ、日が当たらないようになっていくだろう。特におもたい知的障害者、おもたい精神障害者が忘れられていくだろう。また、営々と気づきあげてきた、他の障害者の文化を無しにしていくだろう。
それは、精神障害者だけではない、青い芝の会の、あの綱領の精神をまるきり反故にし、知的障害のみなさんが営々と築いてきた「歴年齢に見合った発達程度があると言う仮説への徹底した反駁」と「発達保障論への反撃」といった文化を反故にし、ありとあらゆる、昔ながらのおもたい障害者のドロドロぐちゃぐちゃの真の底の底の底の生命の底からくるセーカツや苦しさを見えにくくすることに、ヨーロッパ風の綺麗ごとの引用とともに、最大限発揮されるであろう。腐れた外道の所業である。
精神病患者会前進友の会やすらぎの里作業所
あくまでキーサン革命の鬼えばっち 江端一起
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