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だから一方で、『患者自治会』は、それは、コレでいいのだろうかと『悩み始めていた』本物の『支援者』『専門職』にコソ、ナニかしらの回答のキッカケをもたらすであろう。『生きる実感の格差』を生み出し、ドンドンその格差を拡げて行っていることに何故気付かないのか、、、

 だから一方で、『患者自治会』は、それは、コレでいいのだろうかと『悩み始めていた』本物の『支援者』『専門職』にコソ、ナニかしらの回答のキッカケをもたらすであろう。『生きる実感の格差』を生み出し、ドンドンその格差を拡げて行っていることに何故気付かないのか、、、

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だけれども、だけれども、地域や状況によっては、これほどまでに精神福祉が『充実』してきつつある今、「患者自治会」為るモノが本当に必要なのかと、スタッフ側も利用者通所者側だって言いそうだ、いや、問われるのは当たり前だと想う。

『精神病患者会』の必要はなくなったのではないか、と云う声も聞こえる。それは、えばっちの幻聴ではあるまい。

 『精神福祉の充実』と比例するかのように『精神病患者会』は無くなっていったのではないか、とそう想う、えばっちだって確かに、そう想う

 患者会の側に内在する『シッパイ』もアッタだろう、もちろんソレはアッタ、書き続けてきた、、、しかも、精神医や学会ありとあらゆるとこから、どう言い作ろうが本音では『精神病患者会』を無効化しツブしたい、無視しておりたいという、『良心的改革派』の精神医家族会人権活動家ですら、いや、だからこそ、「厄介者を叩き潰したい悪意」があり続け、それは隠しおおせるわけもなく、ソンな悪意に取り囲まれていたことも事実であろう、、ソレも書き続けてきた、、そしてまたもちろん、『悪徳』『殺しの』精神病院経営者や業界団体の親方たちからは、徹底的に憎悪されてもいただろう。それは、えばっちの被害妄想と云うワケではあるまい。

 

 しかし、確かに『良心的』『改革派的』作業所やディケアやクリニックやグループホーム訪問看護が出来始め『充実』してくるとともに、『精神病患者会』がなくなっていったこともまた、事実であろうと、そう想う。

 

だったらに、何故、イマのいま時に「精神病患者自治会」の必要性がアルのだ

もはや役割を終えたから「患者会」は無くなっていったのではないのか、とそう問う声が聞こえる

そのトウリだ、だから、えばっちはこう言いたいのだ

チガウ、逆だ、逆なんだ、これほどまでに精神福祉が『充実』してきつつある今こそイマの今時にこそ必要ナンだと言いたいのだ

イマの今時の『最も良心的な事業所』『最も一所懸命頑張っている専門職』の事業所にこそ、必要なのだ。コンな世の中だからこそ必要なのだ。今のイマこそ必要なのだ

福祉と医療が『充実』すればするほど必要なのだ

何故か何故なのか  

「他人を殺してしまわないように」

「ジブンを殺してしまわないように」

死なないようにする。

ドウやって、、、『生きがい』を見い出して、、、、

 

 『人と人との本物の関係』の中で、『本物のはたらきがい』を、、『本物の生きがい』を自分自身で、なかまとともに、見い出そうとするジッサイのセーカツのなかでしか、『本物の生きることそのもの』を、『本物の生きる喜び』を見い出すことが出来ないからなのだ。『孤独こそ最大の絶望』 『真の孤独こそ絶望』、だからこそ、『生きがい』も『はたらきがい』も『やりがいも』見い出せなくなってシマッタときに、『鬼が暴れ』だしちゃうんですよ。「他人を殺してしまう」か「ジブンを殺してしまう」少なくとも、えばっちはソウなんです。

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 つまるところ、『本物の人間関係』の中でこそ、『本物の必要とされる実感』が生まれるンですよ。『サービスの供給者受給者』の中では『サービス契約』のなかでは『サービスの専門職能性とサービスの受益者』の中では、通所者側は利用者側は、それは、却って、その『人間関係』を、『生きがい』をナカナカ見い出せなかった。見い出しては来れなかったのが精神病患者であり、もちろん『殺しの精神病院殺しの家族殺しの専門職』から、まずは生き延びなければならなかったからなのだが、しかし、今こそ、イマの今時にこそ、『良心的な福祉と医療』が『充実』すれば『充実』すればするほど、『お客さんのママ』でいいのか、『サービスの受給者のママ』で『サービスの受益者のママ』で一生を終えてしまうのか、『オレ達の人生とはナンだったのだろう』かと云う想いと為って、謀反と為り反乱と為りながら『なかまと為ってトモダチと為って』いくハズのモノダッタとそう想うのだが、、、だが、チガった。だから『ピアサポーター』だとか『オルタナティブ』とか『ピアカウンセラー』だとかキレイ事言って『本物の人間関係』を奪わないでほしい、と叫ばざるを得なくなった。

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 だから一方で、『患者自治会』は、それは、コレでいいのだろうかと『悩み始めていた』本物の『支援者』『専門職』にコソ、ナニかしらの回答のキッカケをもたらすであろう。『生きる実感の格差』を生み出し、ドンドンその格差を拡げて行っていることに何故気付かないのか、、、

いや、気付いているがゆえに無視していくのか、、、そのリクツ付けにこそ『専門職能化』『国家資格化』『学会化』『適正手続化』『福祉サービス化』『自立支援契約化』『アセスメント化』『システム化』『ルール化』『マニュアル化』が最大限利用され尽くすのか、、、『必要とされていないこと』を実感した時の絶望を想えば、作業所やデイケアSSTオルタナティヴや当事者研究や、ソンな場でこそ、その場でその時にスタッフ側と利用者側で『必要とされることの格差』が、極大に拡がっているゲンジツを見るコトになるハズダッタのだが、、ソウは為らなかった、、、ソコに『発達障害概念』と『福祉サービス医療サービスの受益者』と『自立支援サービス供給契約』と『第三者人権擁護適正委員会機関』に、えばっちは、悪の根源を見るのである。

 

2020年2月1日起稿2月22日に一旦完成として

精神病患者会前進友の会やすらぎの里作業所

あくまでキーサン革命の鬼えばっち 江端一起

 

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