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発達障害はファシズムの揺り籠と為る

❾カ条 ファシズム温床箇条 苦箇条
発達障害ファシズムの揺り籠と為る
まず、最初に、とある、なかなかにスゴいゲンバにずぅーっと居続けた方から頂いた手紙を、ご本人の了解のもと紹介をしたい。慧眼と想う。
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『読みました。発達障害と言われている人たちとの関わりの中で、私が感じてきたことと重なりました。今、まさに不遇感、不全感、不満感、疎外感の固まりのような30~40代(50代前半もかな)世代が大量に生まれています。いじめや登校拒否で社会的不適合のレッテルを張られてもなお生き抜いてきた人、一方でなんとかドロップアウトもしないで、優秀な成績で大学を卒業したのに、就職でつまづき、職場からはじき飛ばされた人など、それぞれがストレスを抱えて苦しんでいます。空気を読めないと言われたり、みんなから浮くのがいやなので、自分の意見を主張できない、仲間がいない孤立感を感じています。犯罪までは行かなくてもすれすれのところで、何かに依存しながら、自分だけが世の中の不幸を一身に背負っているかのように嘆いている。私から観ればそれなりに生活できているのに、何を贅沢言っているのと言いたくなる。ひとりひとりはまじめで良い人間なのに、なぜか他人との関係がうまく作れない。何をやりたいのかがわからない。約束は守らないのに他人に迷惑をかけているとは思わず、自分は常に被害者だと感じている。こういう人たちが層として広がっていると思います。ファシズムが忍び寄る基盤というのはそういう社会に対する漠然とした不満を権力や富裕層への怒りに向けるのではなく、差別されている人々、少数派の人々に対する優越感をもたせ、排外的な攻撃を向けていく方向へと組織していくとことだとおもいます。』
 
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さて、そのうえで、の、苦箇条、ファシズム温床箇条である。
 精神医療と福祉の中で、ずーっと想い続け悩み続けてきたことがある。それをどう表現すればいいのかわからかった。それは、発達障害が、権力にとって本当に都合のよいものだということの、行き着いた先を言いたかったのだ。だけれども、なかなか言えなかった。だが、ついにこの一点を書くべき時が来た。発達障害者と、発達障害特性とは、権力にとってまことに都合のいいものだと言い続けてきた。それで、箇条書きにまとめ書いてきたけれども、真の意味で権力にとってまことに都合がいいとは、ツマリ、発達障害者と発達障害特性とが、ファシズムの温床を拡げるからであり、ファシズムのゆりかごとなるからである。ファシズムが煽り立てるプロパガンダの対象者に持って来いのモノであるからなのだ。そう、発達障害者の拡大は、銭儲けのためだけに在ったのではない、ということだ。ファシスト予備軍を育成するためでもあったのだ。しかし、この予備軍は、まかり間違えば、キョーさん化し反対ウンドー化するかもしれない。牙をむいて来るカモシレナい、しかし、もうその恐れはなくなったと、たかをくくれる状況になったのだ。発達障害概念を見直してみればよい。スグに了解である。コレほどファシズムの温床となり、しかも、反対側の反対ウンドー化には、その概念そのものが、その方向をなくさせ、しかも、単発単独ゲバや単独型テロの無効化と都合のよい説明化に使えるのである。こんな、まことにベンリな当局にとって権力にとって都合の良い障害者概念が、あろうか。
 発達障害そのものが持っている、いや、発達障害概念そのものが煽り立ててくる、不遇感、不全感、世の中から正当に扱われていないという不満感、それらはどんどん亢進されてくる。その一方で、能力が高いのだ、環境さえ整えば、あるいは、サポートチームさえあれば、アナタのクリエイティブな才能は開花だ、という『高機能発達障害の高機能社会復帰』的な「選民的高機能性」(右肩上がり人生が待っています)、もどんどん亢進されてくる。その一方で、客観的には、例えば比較の問題として、精神病者の不遇感、不全感、世の中から正当に扱われていないという不満感とは、比較するのもおこがましい、という現実がある。十年も二十年も精神病院に閉じ込められ、生保も年金も精神病では取れるとは思えなかった病者たちの生活の苦しさと、今流行の発達障害者の生きづらさとが、同じものだとは到底想えない。ところが、発達障害者の方が、不遇感、不全感の亢進度合いは、想像を絶するものがあって、それが、なんと、権力の側に対抗する『団結』というものに、ならないように、障害概念そのものがなっているので、障害特性がソウなっているので、権力にとっては、まさしく、ファシズムの優生思想のプロパガンダの対象者に、もってこいのモノなのである。
 不遇感、不全感、正当には扱われていないと云う不満感、それを例えば、非正規雇用と云うコトと「例えば」「置き換えて」考えてみたら、どうかと想う。そう、非正規雇用は、銭儲けだけのために、組織的政策的に増やされたわけではない。非正規雇用で、経済的にも社会保障的にも、不遇で、世間的にも正当な扱いを受けられていない、ソンな労働者が増えれば増えるほど、苦しければクルシイほど、ファシズムのゆりかごと為るのである。歴史を見直してみればよい。すぐに了解である。今回は、決定的に更にさらに進化を遂げている。ツマリ、発達障害概念の発明と、大流行である。そらおそろしいことに、コレは「置き換えて」「例えば」なのではなく、今の今時のニホンのゲンジツでは、非正規雇用の政策的増大と発達障害概念の発明と政策的大流行とが「両方併存的にあいまって」ファシズムの温床に直結しているのである。この恐ろしさに誰も気づかないとは、オドロキだ。
 発達障害で、精神医療を根底的に破壊できると言うてきたアンポン譚ども、木を見て森を見ずとはこのことや、発達障害は差別的社会復帰的エリート障害者的保安処分的人格障害再復活的で、ついには、ファシズムの温床にまでなってしまうのが、ワカランかったのか。木を見て森を見ずとは、コノコッタ!!!発達障害を拡めまくった連中、自分がファシズムの温床を拡げてきたということが、わかって居ないんだろうなぁぁーー
 ダカラ、だからこそ、発達障害は今の今時に大流行しているんダヨ、恐ろしいことだ。
結カ条 告白箇条 入院退院告白箇条
ボクだけ助かってシマッタ、後ろめたくてタマラナい、みんなを裏切ってボクだけ退院してシマッタ助かってしまったんだ、この後ろめたさから、誰かオレを救ってくれ、ドウ言えばいいのか、コレを、助かってシマッタ。この後ろめたさを、ドウ言えばいいのか、ドウ、この後ろめたさを、ドウ言えばいいのか
ハッタツの諸君よ、ジブンだけ発達障害をツコうて助かってシマツタことに後ろめたさは無いのであろうか
世間様に言い続けてきた
精神医に言い続けてきた
看護士に言いつづけてきた
見えやすいアクジ犯にも見えにくいアクジ犯にも掏り替えアクジ犯にも
オレは精神医療と精神福祉と精神医と看護士に対する怒りと復讐の鬼だと
必ず、復讐してやると、言い続け、叫びつつけてきた
キーサン革命の鬼だと、鬼の復讐心を見よと
叫びつつけるコトで生き抜き闘い抜いてきた
オレハオニダ
イカリトフクシュウノオニダ
キーサンカクメイノオニダ
俺だけ退院してしまった。
一年間いた、あの、信州の、あの、田んぼの中に突然出現する、
あの病院から、俺だけ助かってしまった。
こんなことを、言うつもりはなかった。
言わないで「キーサン革命の鬼」「怒りと復讐の鬼」だけで行きたかった。
そう生きたかったのだ。
何でこんなことを『告白』しなきゃならなくなったのか。
俺だけ退院できてしまった。
俺だけクスリが随分と減ってしまった。
十年後に訪ねた時、みんなあそこにそのまんまいた。
それから、また、十九年たって、これを書いている。
俺だけ退院してしまった。
この後ろめたさは、ナンと言えばいいんだろう。
ドウ表現したらいいのだろう
退院してきてシマッタ助かってシマッタ
後ろめたくてタマラナイ
みんなを置いて出てきてシマッタ
後ろめとうて、後ろめとうて、ドウ言えばいいのか
ドウ言えば分ってもらえるか
ムリなのか、だから、言うコトを避けてきたのか
ハッタツを宣伝しているヤツ等に
ハッタツを自称しているヤツ等に
オマイ等には後ろめたさは無いのんか、と叫ぶ為だけに
コンなコトを『告白』しなければならなくなってしまった
ナサケナいハナシだ
ブザマなハナシだ
オマイ等ハッタツのヤツ等は後ろめとうは無いのんか
無いノンカーーー無いノンやなぁぁぁぁぁぁああああああーーー
とさんが、言った
あの日は天気はよかったんだが、波が高くて大変だったんや
天気は良かったんだよ、天気は良かったんだが、
でも、波が高くてね、波が高くて大変だった
と繰り返し繰り返し、言った
とさんは、それしか言わない
それで、ぼくは、もしかして東郷元帥ですか、と、尋ねたんだ
彼は、ぼくを見て、ニンマリ笑って
こう言った、いつもより、幾分はっきりと、大きな声で、こう言った
あの日は波が高くて大変だったんだ!!!!!!
彼が外出するのも、散歩に出るのも、
大体、病棟から出るところも
見たことがなかった
そもそも、部屋から、出ていないようだった
ぼくの退院が決まった日、挨拶に行くと
あの日は波が高くて大変だったのだ、と、いつもより、小さい声で
ヒッソリと言った
退院した後、面会に行くと
彼は、ぼくに、ナンニも、言ってくれなかった
まるで、ぼくが、ソコには、存在していないかのように
タイインシテシマッタぼくは、彼を、裏切ったのだと、想いしった
退院してしまって、裏切ったのだと。
その後、退院したぼくは、入院していた病棟に、面会に行った
お見舞いと云うよりは、面会に行った
考えてみれば、あの時以来、入院していた病院に、
なかまを訪ねて、面会し続ける、と云う、ことになったのかもしれない。
東郷元帥に感謝すべきなのか
恨むべきなのか
その時から、ぼくは、10年以上経って「バクチク本」を持って行った。
東郷元帥は、もういなかった。
それから、また、18年も経ってしまって、コレを書いている
東郷元帥は、今は、ドコにいるのだろう。
ボクは彼を裏切って退院シテシマッタンダ
彼は、イマ、ドコに居るんだ
ボクハタスカッテしまった
退院シテシマッタンダ
たさんが
あるとき、弟をコロシテシマツタんだ、と、言った
唐突に言った
あまりに唐突に、突然言った
おれは、どう答えていいのか
分からず、どう反応し様もなく、凍り付いて、ドキマギしていた
電気ショックをやられ過ぎで
アタマのカタチが、変わってしまったんだ、と、言った
いつもアタマを抱えて、岩波文庫を読んでいた
ぼくも妹を半殺しにしてしまってここに来たんですよ
と言おうかな、と、想ったが、結局ナニモ言わず、
電気ショックでアタマのカタチ変わったんだ、というハナシを
ずっと聞いていた
電気ショックを何回も何回も
アタマのカタチが変わるほど、やられたんだよ、そう言って
たさんは、アタマを抱えながら、本を読むのだった
彼は、岩波文庫を丸ごと読破したのではないかと、そう想う
長い長い時を、精神病院の中で、アタマを抱えながら
岩波文庫を読むことで、過ごし続けたのだ
彼を裏切ってボクは退院してシマッタ
あの時
弟を殺してしまったたさんが
こう耳元でささやいてくれた
医者にはさかろうたらあかん
ぜったい、入院中は、医者にはさかろうたらあかん
一度も退院することもなく
電気ショックをやられ続けたアタマを抱えて
死んでいった
後に残されたのは
膨大な量の岩波文庫の本だったハズだ
ハズというのは、その時、ボクは、退院できていたから
シャバにもどれていたのです
みんなを置いて、ボクは、シャバに、京都に戻って来れましたから・・
ボクだけ、シャバに戻れていたのです
あの時
のハナシは、また後になる
あの時
たさんは、ぼくの耳元でささやいてくれた
医者にはさかろうたらあかん、と。
バクチク本をもって、再訪した時、病棟のほとんどのヒトたち、
そのマンマ、あの病棟にいた。
時間が止まったかのように、みんな、そのまま、ソコにいた。
もっとも、ナンニモ変わらずにと云うわけではなかったが、、
十年前は歩いていたヒトたちが、車いすに、なっていたのだが、、、、、
たさんに読んでもらおうと、持って行ったのだケレド、
彼ダケは、ソコには居ず、もう、ぼくを誰だかわからなくなっていて、
意識も、なく、
ありていに言ってしまえば、植物状態で、
病院から離れた老人施設のベッドに横たわっていたの、
だった。
看護婦に言わせれば、原因不明の感染症によって、そのような状態になり、
この施設に移された、と云うことだった。
枕元に、バクチク本を置いて、帰ってきた
京都に帰ってからも、ずっと、ハガキを送り続けていたのが、、、
良かったのか悪かったのか、ただ、そのせいか、
ほどなく、彼が死んだ、という知らせが届いだ。
知らせてくれただけ、マシか、と、想った。
友の会の夏レクの準備をしていた
それは、とても大事なことだったけれど
レクの段取りは、とても大事なことだったけれど
少し、とても、少し、後ろめたかったんだ
ドウ言えばいいのか
とてもとても、とても、少し、後ろめたかったんですよ
落ちる落ちる
落ちる、と、ぼくに言う
ぼくが、食事の後、プラスチックのお盆に食器を載せて
配膳窓口に返しに行くとき
お盆の上の牛乳瓶を指さして
彼は、デェイルームの同じ席に座ったママ
必ず、言うのだった
倒れる、倒れる
倒れる、と、ぼくに、言い続ける
いつも、将棋盤を前にしていた。
それが、将棋を本当にさしていたのを見たことがないのだが、
その彼が、いきなり、倒れて、意識不明になり、
ストレッチャーで、運び出されていった
大騒ぎになった
そのまま、彼は、戻っては来なかった
ナンニも知らされないまま
例によって、入院患者の中では