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⓫観察法苦闘記 観察法に引っ掛けられたミスターとその後 保安処分に対する運動のスタイルの違いも含めて

⓫観察法苦闘記
観察法に引っ掛けられたミスターとその後
保安処分に対する運動のスタイルの違いも含めて
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警察署ではドウだったんですか? 
弁護士さんやご家族とはドウだったんですか?
鑑定入院中の医師や看護士の対応はドウだったんですか?
警察や鑑定入院中のなかまにドウやって面会したり差し入れしたりするんですか?
観察法審判ってドンなモノだったんですか?
なかまが逮捕されたら、まずドンな行動を取ったらいいのですか?

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 ある時、おそれていた事態、我々の一緒にセーカツしていたなかまが、観察法に捕らわれてシマッタ。我々のセーカツの中に観察法が乗り込んできた。まさに、その時初めて患者会として、観察法反対の反保安処分の本質的な闘いが始まったのである。2010年冬、我々のセーカツを共にしてきたなかまが、こともあろうに、観察法審判に付されるハメに陥るとは、、、とてつもない三か月のセーカツと闘いを経て、「この法による医療は必要なし」と観察法適用は免れたものの、果たしてそれが、、、、、その時から、現在に至るまで、8年間入院しっぱなし。いつになったら退院できるのか。入院先のPSWすら「こんなことなら観察法の方が早く退院できたのは」とまで言う事態に。なんということだ、、、さてどうすればいいのか。この8年間の苦闘の数々をお話ししたいです。なんと、4か月間だけ退院できたんですけど、昨年に・・でも結果ドウなってしまったか、、、8年間のうち4か月だけとは、、、、

 
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観察法と対決する、保安処分に反対するとは、どう云うことだったのだろう。患者会としては、セーカツから、なかまがひっかけられるから、だから、反対していたのであって、反対していくのであって、我々の言う観察法との対決、反保安処分とは、セーカツそのものから来るものであった。
 そのもっとも対極にあったと想われる運動の方向が、反保安処分とは、「保安処分思想」との対決であると云う理屈であった。コレ一見本質をついているように見えるが、これほど宙吊りになった運動はなかったと想う。だから実際上、「保安処分思想」と見なされれば、どんな相手にでも、どんなことにでも使えるのである。さすがに、内部分裂にこれが使われたことはないと想うが、ぎりぎりなかったとは言えるとは想うけれど、この先はわからない。『無仁義アクジ犯』が、コレをドウ使うか、、オソロシイ、、、ドウとでも貼り付けられるものであったから、却ってオソロシイものでる。
 患者会のセーカツの中において、作業所のセーカツの中において、やはりそこは集団セーカツだからぎりぎりの話し合いを積み重ね、ミーティングを積み重ね、「三振制度」や「スリーアウトチェンジ制」を積み上げても、最後はどうしてもここから出て行ってくれと云うことがある。クルしいが、ココからみんなの部屋から引き取ってくれということが、10年に1人かぐらい出てくることがある。クルシイことである。ツラいことである。でも、そうせざるを得ないのが患者会であったりする。ところが、それをもって、「保安処分である」と云う言われ方をしたことがある。「如何なる保安処分思想とも戦う」と言われ、コウ云うことを批判されたことがある。ちょっとチガウと想う。
 さらに、制度的国会的法律的運動にばかりに動員されかかったこともある。病者のセーカツと病状を無視してである。キーサンの病状やセーカツを無視する動員主義的な国会包囲運動とは、何だったのだろうか。さらには、論客だけがシンポジストだけが講師だけが国会参考人だけがナントカ委員だけが主体のような、組織的な観察法反対運動もあったように想うし、手帳制度の時も、自立支援法の時もソンナコトはなかったろうか。それでよかったのだろうか。


 前進友の会 キーサン革命の鬼 えばっち
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