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精神病患者会 作業所患者自治会のススメ キーサン革命バンザイ 精神病者は健常者社会と徹底的に闘うぞ 精神病者は発達障害者社会と決定的に闘うぞ キチガイのキチガイによるキチガイのための精神病患者会 オモタい病者が喋れるユックリ出来るたまり場をゲンジツにやり続ける 医療観察法撤廃 公認心理師撲滅

令和元年恐ろしや 和を令しむるとは、是如何に 憲法九条に自衛隊を明記せよとの仰せかな、、 はたまた 和を以て貴しと為せ、の続きかな、、、

令和元年恐ろしや

和を令しむるとは、是如何に

憲法九条に自衛隊を明記せよとの仰せかな、、

はたまた

和を以て貴しと為せ、の続きかな、、、

和を霊するためにとて、九段のお社在りや、此れ霊和

和を零するとは、反政府活動の所行為り、此れ零和

和を隷すためにとて、低賃金にて労せよと、此れ隷和

和を冷するためとて、被爆は無いこととせよと、此れ冷和

和を励するに、自衛隊を派遣するが一番と、此れ励和

和を令するにまず戦えと、此れ令戦、令戦令和とて、

さても名高きは零戦零式艦上戦闘機

平成までは冷戦なりしが令和と為りて対テロ戦とは是如何に

令和の御代には令式艦上戦闘機F35

その礼銭でホクホク顔の某国大統領

遂に空母を保有か令和の自衛隊、令和安保の名も高く

さてさて此れ、狂人の例話とせるも、さることも

令和元年怖ろしや あな怖ろしや

 

以上は、鴨川の川岸に落ちていた落書落首でございます

ヘタを打つとキチガイなもんで精神病院に強制入院と云う名目で

首を落とされるかもしれませんね、今の世の中では、、、恐ろしいことだ

よければ、ご一読くだされませ

2019年に「救援誌」「人民新聞誌」に投稿した原稿です



   天ノーさんが動くたびに、特に京都は、余りおおぴらにしないででも、ナンかの都合で時々来ているようなのですが、その度に、退院が延ばされたり、外泊許可が取り消されたり、精神病院に刈り込まれたり、と、精神病院はエエように『まるで汚いものには目隠し』とでも言いたげに、マッコとベンリにリヨウされているじゃあーーーあーーりませんか。精神病院と精神科と精神医は権力にとってベンリ極まりない『目隠し機能』がアルんですよ。しかも、今回は十連休だなんて、トンでもない。精神の診療所も作業所もクリニックも、精神病院の外来も、薬局もデェイケアもサロンも訪問看護もヘルパーさんまで、保健所も福祉事務所も郵便局も、なんもかんも休んじゃったら、たちまちに困るのは病者、障害者、お年寄りじゃありませんか。ナニが「お代替わり」なのか。そんなにおめでたいことなのか。おめでたくもなんともない、却って迷惑ですよ。

 デモ、ナニも「反天皇制」だの「天皇制打倒」だのと大上段に構えることもないンですよ。わし等キチガイにとっては。

 だって、我々キーサンがキチガイを丸出しにして、みんなで集まって仲良く楽しく愉快に泣き笑いしながら食事会やレクしながら暮らして、セーカツしてたら、長生きすればするほど、それだけで、「反戦」「反ファシズム」「反権力」「反天皇制」になっちゃうんだから、ありがいことです。ソコは『発達障害』テナもんトハ、チガウところですな。かんがえてみればキーサンとはありがたいことです。キチガイでアルと云うことはマッコとありがたいことでありまするなぁぁぁぁーー

ありがたやありがたや、ありがたやの

キーサン革命バンザイ!!!!!!

 

 

2019/5/1 精神病患者会前進友の会 キーサン革命の鬼  えばっちより

 

続編 公開版 作業所患者自治会のススメ 補遺であり発意として 本身乃発意願文として Dグループのミナサンへの 飽くまで、 「作業所患者自治会のススメ」として 「患者自治会を作り維持するために」として   『オモタい病者や知的障害者や、お年寄りや、弱い人たちを、自分より下の存在と見下し、利用して、なかま達みんなの集う大事なたまり場を作業所を自分の権力行使の場として支配し利用しようとするヒトは、発達障害であろうが、知的障害であろうが、精神病者であろうが、個人として、ヒトとして、自治会にふさわしく

続編 公開版

作業所患者自治会のススメ

補遺であり発意として

本身乃発意願文として

Dグループのミナサンへの

飽くまで、

「作業所患者自治会のススメ」として

「患者自治会を作り維持するために」として

しかしながら、『ノウハウ』なんてモノには為り様も無く

飽くまで【D】グループの諸君に

飽くまで【所謂言うトコロの】発達障害を【自称し】

精神病とはチガウと言いつのり、発達障害

【利用し胡坐をかいている】諸君に対してのものであり、

そしてそれは、当然のことに、所謂云うトコロの発達障害概念の批判として、『無仁義アクジ犯』への激烈な糾弾と為り、

「本編 作業所患者自治会のススメ」への補遺続編原稿であるとともに、真剣なる「本身乃発意願文」なのである



 誰だって、「出て行ってくれ」と言うのは嫌なものである。誰だって「来ないでくれ」 と言うのは嫌なものなのである。だから、この項を書くにあたって「迷い」がアッタ。そしてその「迷い」が、この項の意味を分からなくしてしまった。だから「補遺であり発意として 続 作業所患者自治会のススメ」として、稿を改めて、想いっきって、想うトコロの存念を赤裸々に、「エバッチは見た」から、書くことにしたのである。まずは「本編の素稿」にコウ書いてあって、そして消したのである。

 

  悪いけれどもあなたたちは、AグループBグループCグループが必死になって作っている精神病者の患者自治会には来ないでください。あなた方が来れば、結局は、リクツでもって不和をバラ撒き、不仁義と嘘でもって混乱させ、まるで官僚のような作文でもって支配することになる。ハッキリ言う。あなたたちが【自称として】発達障害を言うのであれば、発達障害の会を作ってくれ。その方が良い。なんとなれば、リクツジャないんデスヨ、コレは、、、なんとなれば、精神と知的の卓球大会を見ればいい。みんなが愉しく卓球をやっているときに、あなた方のような発達を自称する異様に動きに切れがある、クスリも飲んでいないような、ゲンキもある連中が、しんどい病者をしんどい障害者を食い物にして、エラい試合で強いやないの。だいたいトップをとるのはハッタツ系や。だから、この作業所の患者自治会でも、あなたたちは弱い病者たちを支配するだけに終わるだろう。それだけではない。Cグループの専門職すら、何やかんや言うていつの間にか、言い込めて、良いように使っている。恐ろしいことだ。

 そう、だからこそ、あなたたちを押さえるのは、支援者たるCグループの最大の大事な大事な役目なのです。スタッフこそがこの手のDグループにダメを出さなければならないんですよ。ナンとなれば、リクツじゃないんですよ、コレは。例えば、えばっちはこの文章の前に「作業所患者自治会を目指しませんか」と云う文章を書きました。その中に、こんな一節があったはずです。「なーーーあーーんやえばっち、そんなことは試したで。試して上手く行かんかったんや」と云う一節があったはずです。これ実はえばっちは何人かの方が、あるいは、何箇所かの方が「作業所患者自治会」や「たまりば学習会参加者自治会」「反差別運動体内患者自治会」を作ろうとし、実際やろうとし、実際にシッパイし、ポシャって行ったことを見ているからです。そして、その時はこのように文章化できなかったのですが、今なら文章化できます。なぜ、その取り組みがシッパイしていったか。何故、タイヘンな事態を招いてしまったのか。

 それは、こういうものに取り組もうとした時点で、実は、Dグループの無仁義なやりようを、人を人とも思わぬ、とんでもないやり口によって、AグループやBグループの病者たちが支配され、さらに言えば、不和をまき散らされ、もっと言えば、まるで権力闘争のようなヘゲモニー争いのようなDグループのやり様にみんなが疲れ、やる気のあった作ろうとした作業所の職員さんや看護婦さんや看護士さんたちが、「あの人たちも当事者だから言えんわ」とDグループの無仁義なやり様を止めなかったからなのでした。根性を叩きなおすつもりで止めるべきでした。今ならえばっちはコトの経緯を文章化できると想います。でも、細かいことは書けない。大事なことなのに、たくさんの病者のなかまたちや、やる気のあったスタッフのみなさんたちのことを考えると、そう軽々には詳細を書いたり言ったりできません。だからこの項にえばっちの『エバッチは見た』と云う結論だけを、これから自治会を作る皆さんに言っておきたいと想います。Dグループのミナサンには、引き取ってもらってください。どうしてもと言うのなら、「A>B>C>D」を徹底的に守るように徹底して言って下さい。あっ、これは、Cグループのみなさんに言うべきことでしたかね。ともあれ、宜しくお願い致します。

 

 たしかに、此れダケでは、ダメだ、とそう想う。ホントウのコトを赤裸々に語ってはいない、キレイ事に為りかかっていると、ソウ想う。だから、「エバッチは見た」をでき得る限り、例えばのハナシとして、例えばとして、もう少し、書いてみようと、想う。ドコに繋がっていくか、惧れを感じながらである。畏れている。恐れている。ドコに向かうかは、もはや分かっているのだから、、、、、ドウすればヨカッタのだろうか、、、



 ただ、その前に、一点、言わずもがなのコトだけれども、以下の点をハッキリと言っておきたい。『健病者』と言ってきたことに近いのではあるが、『神経症やノイローゼや神経過敏』と言われてイル、キタみなさんは『なかま』なのである、と。えばっち的には『所謂言うトコロの発達障害』とは、想っていないのである。だから『健病者』と云うコトバを生み出したのである。

 神経の過敏や得意不得手の差が激しかったり、音や匂い、カビの匂いが取れない、スプーンに鉄の味を感じてしまう、雑音を拾い過ぎてしまう、光がまぶしすぎたり、原色が眼に突き刺さってきたり、次から次へとコトバが湧き出ちゃったり、一定の決まった動作ややり方ににこだわり過ぎたり、ソレをしないと次の行動に進めない等々で、生活出来なくなってきたり、学校や家庭や会社や、村や町に居ずらく為ったり、クルシカッタり、病院や施設に閉じ込められたり、感覚の過敏や、清潔の強迫や戸締りの強迫などで苦しんでいる人達も多いと想う。えばっちは、これらのなかまたちを『所謂言うトコロの発達障害』だとは想っていない。『自閉症』や、『ノイローゼ』や『神経症』『強迫神経症』等々で苦しんでいる皆さんは、なかまなのである。良かったら、ドンドン、来てもらいたいと、想うのである。ただし、『健病者』的側面もあるので、オモたい精神病患者さんに配慮はしてもらいたい、とそう想うのである。えばっちだって、聴覚過敏と鍵の戸締り確認強迫神経症に憑りつかれて、苦しんでいるのである。これはこれで苦しい。よくわかる。自分もそうだから。病理的にはよくわからないが、躁うつ病の上に、この確認強迫神経症と聴覚過敏が重なっている。自宅の冷蔵庫のコンセントは引き抜いているのである。あのブーーンと云うコンプレッサー系の音に耐えられないからである。冷蔵庫はコンセントを入れないので、夏場はなかなかシビアーな暮らしである。国鉄はマダしも地下鉄に乗るのは苦行である。耳栓は手放せない。隣のベランダのクーラーの室外機のウォンウォンの音には、クルシメられてきた。夏場はツライ。なかま達は、よく知っていてくれているのである。だから、実は、感覚の過敏や強迫神経症のシンドさは、よくわかるのである。

 だから例えば、『躁鬱病がなく』『精神分裂もなく』この強迫神経症のような症状や感覚の過敏で苦しんでいる人達がいたら、我々のような在り方が、我々が目指しているような在り様が、『キーサン患者会』『地を這う患者会』『作業所患者自治会』のような在り様が、良いのであれば、どうぞ来てください、と、心から言いたいのである。でも、でも、己が『健病者』的側面を見つめながら、精神分裂病圏のなかまたち、躁鬱病圏のなかまたち、病歴の長いなかまたち、入院歴の長いなかまたち、入院の回数が多いなかまたち、苦労を重ねてきた薬もオモくクチもオモい年長のなかまたちを尊敬し、尊重し、配慮し、その上で、仲良く楽しく暮らしましょう、セーカツして生きましょう、と言いたいのである。さらに言えば、本当に重篤な『自閉症』の人たちは、Aグループに近い人たちだとえばっちは想っている。だから、ボクたちがちゃんとなかまとしてやれるかどうかは分からないけれども、Aグループに最も近いなかまたちと、想うのである。

 そして、敢えて書く。ムカシのコトバを大事にした方が良い。先人たちの苦労と、知恵と、哀しさと、怨念と、想いとセーカツが詰まっている。この点でも、こういうことを分かりにくくしてしまったのが、『所謂言うトコロの発達障害』概念の最大の愚かしさであると、想う。



 さて、いよいよ、「エバッチは見た」を書いてみたいと、想う。長くクルシい物語である。この物語は、この原稿を手渡させて頂くことが出来たなら、おそらくは、みなさん方の方で、もし、もし、『思い当たるフシ』に思い当たり、「アノ時のアレはナンだったのだろう」と思い続け

 今現在も「コレってナンなの」と不審に思われていたとしたら、まさに、その物語であろう、と、えばっちは想っているのである。そして、リクツとしてコの物語を書いているのではなくして、今後その『思い当たるフシ』に出くわすことに為ったらドウしたらよいのか、、、あるいは、そうあの時の『思い当たるフシ』に、何時のタイミングで、ダレが、ドノように、ドウ言って、『出て行ってもらうべき』であったのか、悔恨と悔しさと涙の、悔し涙とともに、想い出されてくる物語なのである。つまるところ、この物語は、『何時のタイミングでドウ言い出すべきであったのか』の、今後、患者自治会を目指すにあたって、避けては通れないゲンジツのモンダイを赤裸々にし、考え抜き、想い抜くために語られるのである。



 最初は、素晴らしい仲間が来たと思うのである。素晴らしい通所者の当事者のリーダーに為れそうな好感の持てる人物が来たと思うのである。最初は、これでついに当所も『当事者主体』を実質的に担保できる時が来たと思うのである。

 ぴかぴか光っているのである。素晴らしく理論的に弁も立つのである。文章を書かせれば、学者か行政官僚のような文書が書けるのである。パソコン仕事も上手いのである。一見、仲間たちの相談にも乗っているようなのである。そして、そうこうしているうちに、なんだか知らないうちに、ヘンなことになってくることに気付くのである。ワサワサしだすのである。ナンダカ、喧嘩が不和が嘘が多くなってくるのである。しかも、それは今までのキーサンならではの憎しみのおしくらまんじゅう『ニクマン』とは違うのである。ナニかがチガウのである。この時点で、その違和感とナニかが違うということが、なかなか言葉として出て来ないのである。そうこうしているうちに、ドンドン事態は進行していき、そこが患者会であろうが、作業所であろうが、運動体内学習会であろうが、とにかく、ナニかがおかしくなってくる。それをどうにかしようとして、スタッフたちが忙しくなってくる。無駄な忙しさである。それは忙しくなったスタッフが一番感じている。何とかしなければならないと思う。この時点でもまだ、素晴らしい、ぴかぴか光った仲間が来てくれているのだから、ナントカここの通所者の中の役員やリーダーになってくれないかとも思う。だからますます一所懸命に話を聞き、サポートしようとする。いつの間にか、『巻き込まれ』てしまっている。そして、スタッフとして、あるいは仲間として、妙に視野が狭まってくる。いつの間にか、訴えの質が変わってくる。いつの間にか、良い様に利用されているのだが、それに気が付かない。それを気をつけないようにさせているのは、一見のうわべダケの素晴らしさなのだが、なかなかそれに気が付かない。

 要求は、訴えは、どんどんエスカレートしていく。議員や弁護士や学会の学者を紹介してくれ、あるいは、兎に角偉い人に会うように、あるいは、学会のようなケバい場所に連れて行くように、とばかり言われたりする。『なかま』や『たまりば』より『運動』の方が『エライ人に会う』コトの方が『議員』が『弁護士』の方が、ソンなに大事なのかとも、言いたくなってくるのである。

 そのうち、今度は、自分専用の秘書のようなスタッフや、運転手のようなスタッフが、必要だと、それとなくほのめかすようになってくる。このようなことを言い出した時には、このような状態にいつの間にかその場所がなっている。その場が、そうなるために、後から見えることだけれども、その場では、その時は、なんだか知らないが、そういう場に為り、為らせ、維持するために、そのために、嘘と不和が撒き散らされながら、いつの間にか、自分より弱い病者を支配し、良いように使っていることになる。本当にそうなのだ。ビックリする。しかも、弱いオモタいシンドい病者たちは、自分の病を押して、そいつの役に立とうとする。やばい状況に立ち至った時は、ナントカしてやろうと想うようになってくるのである。それで、スタッフとそいつが意見が対立するようなときに、間に立ってやるようなことまでしようとする。そして、病状が崩れて来るのである。疲弊が始まる。

 どんどん、状況は悪化する。ますます、図に乗ってくる。いつしか、人を人とも思わぬ態度が鮮明になってくる。人の気持ちを分かっていないのではないか、と思えるような言動が目立ってくる。だからますます嘘が増えていく

 そして、スタッフたちは、二つに分かれていくようになる。気が付いて、この状況を何とかしようとするスタッフたちと、全く気が付かず、そいつの言いなりになることが『当事者主体』である、素晴らしい活動家とともにやっているのである、と云う騙されたスタッフたちである。スタッフ間に不和が撒き散らされる。やらなければならないことは、どんどん、増えていく。しかもそいつは、理屈は超一流、頭は素晴らしく良く、そう、まるで学者のような、役人のような、なのである。しかも、このぐらいになると、実は、オモたい病者たちが事態の進行に気付き始める。何故なら、そいつに手がかかり過ぎ、スタッフたちがモノ言わぬオモタいシンドい分裂病圏の病者たちの相談や生活の支援がおろそかになってくるのである。しかも、そのおろそかになったが故に、生活がままならなくなってきた病者も、まだ、そいつに期待を抱いているようなのである。病者たちはドンドン疲弊してくる。スタッフ側もドンドン疲弊してくる。ところが、人を人とも思わぬ態度によって、不和と嘘とでもって、実は、真の友達というものはできていないことが、だんだん、明らかになってくる。だから、スタッフ側も病者側も気が付いた人たちと、気が付いていない人たちに分かれていく。

 ところが、そんなことは二年も三年も続かない。そのうちに、大きな大きなタイヘンな仲間たちの死に直結するような事件が勃発する。事故のような事件かもしれない。ところが、その事件を糊塗するために、さらなるウソと不和とがまき撒き散らされる、ついには不義・・・無仁義と言えるような状況に立ち至る。

 ここまでくると、気が付かなかったスタッフたちも、巻き込まれ過ぎ、余裕がなくなりすぎ、状況と事件によっては『鬱的な神経症』みたいになってくるスタッフたちも出てくる。ますます、オモタい病者たちに支援の手が届かなくなり、再入院者や病状を崩すなかまたちが増えてくる。そいつは、我関せずのように何も感じていないかのように、自分のことだけを進めようとする。さすがに、ここら辺でみんなが気づく、なかまたちにとっては、そいつがジブンだけがエラく為ったり、学者や活動家や何らかの名分を得るためだけに、そのためダケに利用されたんだと云うことに気が付いてくる。そして、本当に友達と言えるのかどうかわからなくなる。

そういえば、最初から、トモダチは要らなかったように思える言動ダッタと気付く。

 裁判がやりたくて、弁護士が必要だっただけ。その法廷に傍聴人が必要だっただけ。何かの文章を発表するのに、有名な雑誌媒体が必要だっただけ。何かをやるための名分の御立派な組織が必要だっただけ。

 学会の理事会や評議員になりたくて、その推薦してくれたり紹介してくれたりするスタッフが必要だっただけ。そう、だから、通所者のオモタい病者の友達は、ハナッからいなかったのだ。友達になる気はなかったのだ。

 だから、よく考えてみると、自分にとって利用価値のある人間にだけ話をしていたはずである。そして、そう云うことがバレないように、上手く、立ち回らんがために、ウソや誹謗や中傷や不義や不和が必要だったのだ。だから、一見、良さそうに見えながら、非情な冷たさや冷酷さや、さらには、その場でヘゲモニーを握るために想像を絶するような汚いやり口のヘゲモニー争いのようなことが為されていたことに気付くのである。オモタい病者たちは、ただ単に利用されただけではない、バカにされ、否定され、虐められ続けられていたことに、やっと気付く。ところが、それに気付いたたときには、もはや遅い。ナニかの重大なジケンがおきてしまう。再入院者は出ている。死人も出ているかもしれない。そして、その場が実質上たまり場としての機能を失い、崩壊寸前であることに何人かは愕然とするであろう。その時に、恐怖を、想像を絶するような「こんなニンゲンもいたんだ」「いるんだ」という絶望と暗闇と後悔に苛まれることになる。

 

 ところがこれでコトは終わらない。

 この状況を改善して、再度やり直そうとしたときに、その動きを潰そうと、今度はなりふり構わず襲ってくるのである。

 何故か、再度やり直そうとしたときに自然と、そいつのやり様ややり口を明らかにするところから出発せざるを得ないからである。だからなりふり構わず潰そうと躍起になる。ところが、それが再構築しようとする側にはなりふり構わずというように見えるのだけれども、実は、計算ずくのとてつもない冷徹な、例えば、第三者機関や適正化委員会やあるいは刑事法廷や民事法廷、さらには警察、そしてネット上のアカウント停止審査委員会や、市役所や県庁などを駆使した、しかも、その時には、何かの学会の役員などになっており、その学会も、あるいは、スタッフ側が何かの専門職の場合、その専門職能性の学会や協会の監査委員会や倫理委員会などの、ありとあらゆる権力機構を利用とするのである。そしてここまでくれば、これを外から見ている人達からは、まるで、そいつが『正義の改革活動家』のように見えたりもし、ということは逆に、その場をまるで掌中の珠のように、時間をかけてじっくりと育て上げてきた仲間たちとともに、重たい病者たちとともに、スタッフたちとともに、まるで自分の子どもの様に、自分の人生を賭けて守ろうとしている側が、打倒されなければならない悪の施設や専門職や作業所のように見えたりシテしまうのである。

 

これが、一つの典型例である。このような『無仁義なヤタラとヤカラ』な連中が、当事者として自分たちの名分として最大限利用しているのが、『ハッタツ障害』なのである。だから、『発達障害』に反対している。

 だから、申し訳ないことながら、作業所患者自治会から『ハッタツ障害』のミナサンは出て行ってくれという言い方になってしまう。勿論、そういう人たちばかりでないことは分かっている。キーサンとして、十分分かっているつもりなのである。だから、そういう人たちは、分裂病圏や躁鬱病圏のなかま達に配慮してくれるなら、一緒にやって行こうと言いたいのである。



 だから、だからこそ、上記のような『無仁義アクジ犯』があまりにも当事者として『ハッタツ障害』を名分とするので、『発達障害』に反対せざるを得ないのである。しかもさらに言えば、この点に関しては、また別項で書かなければならないのだけれども、書くつもりなのだけれども、さらに言えば、この『所謂言うトコロの発達障害』概念そのものが、上記のような『無仁義アクジ犯』を良いものだとするような方向性を打ち出しているのだと想う。だから、この『所謂言うトコロの発達障害』概念そのものが、『無仁義アクジ犯』たちを力づけ、勇気づけ、再復活を遂げさせていると想う。「再」と書いたのは、ムカシから、こういうヒトたちはいたからである。いたが、パシーーンんと「ええ加減にせなあかんぞ。このマンマなら出て行け!」と言えたのである。もちろん、みんなで話し合いを重ねた上でのことではあるのだが、、、それが言えなくなったのは、まさしく、この『所謂言うトコロの発達障害』概念そのものの持つ恐ろしいところであり、「再」と書いた所以である。そう、『所謂言うトコロの発達障害』概念に胡坐をかき、『我々も障害当事者だ』と云うワケなのだ。

 だから、そう、これらの無仁義な行動を『所謂言うトコロの発達障害』概念が正当化してしまうのである。その最初の第一歩が、「コミュニケーションに障害があるので、人の話は聞きません」「人のことは知りません」「人の気持ちなんて理解しなくてもいいんです」「自分だけに支援者が付けばいいです」「好きなことだけします」「能力があるので、その能力を花開かせたいです」「そのためのサポートチームが要ります」「その上で、責任はとりません」「しかも、友人はいりません」「人と付き合いません」「でも、自分にとって必要な人は、いります」「挨拶もしません」「年長者も病気のオモタイ人も、弱い人も、関係ありません」「これが何で嘘なんですか?」「嘘だという証明をしてください」「こちらは、学者が学問が第三者委員会が裁判所が学会が、正当だと認めています」「間違いだと言うのなら、そちらが証明してください」「最後に、これが正義だ、と言わせてもらいます」「こうやるのは、これが正義だからです」「間違っているのはそちらだ」と云うカタチで、『所謂言うトコロの発達障害』概念に胡坐をかいて、好き放題、不和をバラまき、ウソをつき、どうも自分だけは右肩上がりの人生が歩めると思っているのが、そのためなら、ナンでも利用するものは利用すると云うのが『無仁義アクジ犯』の『ハッタツ障害者』なのである。ハッキリ言う。作業所患者自治会からは出て行ってほしい。来ないでほしい。それは、サロン自治会でも、デイケア自治会でも、一緒である。もう一層のこと、『無仁義アクジ犯』の『ハッタツ障害者』だけで会を作ってほしい。

 ところがそうはならない。なんとならば、利用する相手がいないからである。

 喰い物にする相手がいないからである。だから、我々はそいつらが利用できるような対象にならないことが、最大の防御策である

 つまり、『キチガイのキーサンのオモタい病者中心の潰れかかった、汚い、風呂も入らない、口の意地汚いキーサンばかりが集まって、どこからも相手にされていない』もんで、こいつらもう利用のしようがない、と云うのが最大の防御策である。ところがそうもいかない。ドウイウワケダカ、こいつらが利用したいような名分や、ナンなのか分からないが、こちらはトンと解らぬが、ナニかがあるらしく、利用しようとして来るのである。更には、今回、新しく『意識的に』、作業所内にデイケア内にサロン内に、精神病者自身の通所者自身の病者自身の患者自身の自治会を作ろう、と言い出したのである。

 これが、もしかしたら『意識的な』精神病者運動としては、最初の動きかも知れない。上手く行かないこともあろうが、みんなで、掌中の珠のように信頼関係を構築し合って、ナントカナントか、もし上手く行きかけたら、それこそ、利用するにもってこいの名分となるだろう。いや、来るのは確実なのであろう。まさに『利用するために来る』のである。

 だから、あえて、誰だって言いたくないことを言っている。誰だって、「来ないでくれ」、と言うのは嫌なものである。誰だって、「出て行ってくれ」なんて、言いたくはない。

 だから、この原稿を書くのを迷いに迷った。しかし、書かなければならないと想い、なんと、「自治会のススメの続編」として、書かして頂いた。老婆心で書いたものとは想わないで頂きたいのである。「エバッチは見た」のである。『所謂言うトコロの発達障害』概念が流行り出す前から、「エバッチは見た」のである。皆様のご意見を待ちたいと想う。そして、このコトがナニに繋がっていってしまうか、ナヤミに悩み抜いた末に、書いているのである。そして、最終的には、このような、具体的なケツロンに達するのである。今後『通所者患者自治会』『通院患者自治会』を目指そうとする、全てのABCグループのなかまのみなさんに想い続け、考え抜いていただきたい、一つの視点なのである。

想い続け、悩み続け、そして、

言わなければならない時には、コウ言わなければならないと、えばっちは、想うのである。

 

 『オモタい病者や知的障害者や、お年寄りや、弱い人たちを、自分より下の存在と見下し、利用して、なかま達みんなの集う大事なたまり場を作業所を自分の権力行使の場として支配し利用しようとするヒトは、発達障害であろうが、知的障害であろうが、精神病者であろうが、個人として、ヒトとして、自治会にふさわしくはない、ということで、そう言っていけばいい、、、そう言っていかなければならない、、、シンドくても、、、』



2019/12/1 精神病患者会前進友の会やすらぎの里作業所

 キーサン革命の鬼 えばっち  江端一起

 

【追記】

できますれば、「本編 作業所患者自治会のススメ」「作業所患者自治会を目指しませんか」と「患者会とはナンなのだ」を読んで頂ければと想います。長い文章ですが、宜しくお願い致します。「えばっちのホームページ乾坤一擲」よりPDFとしてダウンロードできるようになっておりますので、宜しくお願い致します。特に「患者会とはナンなのだ」の「❷患者会の構成A>B>C|D」を読んで頂ければありがたいです。宜しくお願いいたします。

 

 

「働く人の西梅田こころとからだのクリニック リワークプログラム放火殺人事件」に想う 「埼玉訪問医師射殺事件」に想う 谷本氏とボクは『一緒』だそして『チガウ』 『一緒』であり『チガウ』とは 『一緒』で在り続けるとは 『チガウ』で在り続けるとは 他人を殺すことなく自分を殺すことなく 生き延びるために 患者会を、患者自治会を目指す コトしかナイんですよ

「働く人の西梅田こころとからだのクリニック リワークプログラム放火殺人事件」に想う

「埼玉訪問医師射殺事件」に想う

谷本氏とボクは『一緒』だそして『チガウ』

『一緒』であり『チガウ』とは

『一緒』で在り続けるとは

『チガウ』で在り続けるとは

他人を殺すことなく自分を殺すことなく

生き延びるために

患者会を、患者自治会を目指す

コトしかナイんですよ



 「カリタス小」の時も、「池田小」の時も、そして、とにかく、マスコミが騒ぐ事件のたびに、とにかく同じことをずっとずっと叫び続けてきました。殺した側、加害者側とボクは『一緒だ』と、でも『チガウ』のだと、、ずっと、『彼らと一緒なんや、でも、チガウんや』と叫び続けてきました。悩んでいます、、「このコトで書くのならえばっちしか書けないコトがアルんじゃないか」と励ましても頂きました、ありがたいことです。書き始めて、一か月近くに為ります、、誰も読まない原稿を書き続けているのかもしれません、、でも、書くしかない、、コウ書くしかないのだと想います。

 

 「働く人の西梅田こころとからだのクリニック リワークプログラム事件に想う谷本氏とオレは一緒だ、社会復帰、職場復帰の美名のもとにいったい何人の病者が殺されてきたのか、、ついについに、桜庭さんのように直截的に精神医療に落とし前をつけにいった患者が出たのだ、、、ソウ云うことなのだ」

 

 おそれています、、、今回ばかりは「ワカラナいことはワカラナいとしながらも、綺麗ごとでは片づけるなよ、、、ついについに患者側が、精神の診療所やクリニック側に精神医療側に精神医にスタッフに看護士に心理士に直截的に落とし前を付けに行ったのだから、、コレは無差別テロなんかではない、、ハッキリと「働く人の西梅田こころとからだのクリニックのリワークプログラム」の場を参加者を、そして良いことだと実施してきた精神医たちスタッフたちに、キチガイからの落とし前をたたきつけたのだ、、、散々叫び続けてきたではないですか、、ワシ等キーサン患者会『反社会復帰』『働かない権利』を叫び続けてきたではありませんか、、、だって、だって、リワークプログラムタラで、社会復帰プログラムタラで、SSTタラで、社会復帰路線タラで、復職することが社会復帰だタラで働けるようにならなければ退院させませんタラで、デェイケアプログラムで就労意欲と就労能力を高めようタラで、社会復帰路線タラで、ラップタラ、オープンダイアローグタラ、タラで、社会復帰タラで、一体どれだけの病者が殺され、虐待され続けてきたのか、、、ツイにヤッタのです。谷本氏はオトシマエを付けに行ったんですよ、、彼とボクは一緒だ、、、

 

 ボクだって落とし前を付けたいヒトやコトや場や精神医や看護士や家族会や、は、山のようにあるのです、てんこ盛りなのです。怨念と怒りと復讐のキーサン革命の鬼なんです。書くべきか書かざるべきか悩みに悩んだ末に書いたんだ、読め、読み腐れ、そして怯えやがれ脅えろ、腐った社会復帰論者ども、ワケのワカラン横文字コトバで、さも患者さんたちに良いことをヤッテいるんだと、、ミョーな自信に満ち溢れた医療従事者ども、横文字の余りに小綺麗な小洒落た名前を付けるもんで、ソコが精神の診療所やクリニックとは分からない、キチガイには分からなくなっている、、オモタい高齢の働けない病者を価値のないものであると切り捨て、特に生産活動に就労活動に寄与出来得ない者は価値のない者であると、そして芸術活動スポーツ活動デモヨイカラと、ソコに如何ばかりかでも寄与できるようにならないと価値がないのだと、宣伝し続け、横文字コトバのワケのワカラない、ドうたらこうたら、ナンタラカンタラと云うようなプログラムや手法バカリ輸入してきて開発し宣伝に努め、専門職能性と国家資格バカリ追い求め集め続けてきたアンポン譚ども、医療福祉サービスの供給者と受益者だけの契約関係と、専門職能性的関係と適正手続きバカリ追い求めてきた、、ソレで良いことをしてやっているんだと、キチガイを落とし込んできた、アホども虐殺者虐待者ども、脅えるがいい、、、オマイ等はほんまもんのニンゲン関係、キーサントモダチ、スタッフダチンコを追い求め続けてきた方向性に泥を塗り続け、無視し続け、価値がないものとして扱い、そして、そして、小綺麗な小医療サービス的な、小洒落た小福祉サービス的な、社会復帰就労路線バカリ宣伝してきただろうが、、ソレが、大方のオモタいキチガイには拷問にしか過ぎなくても、死人が出ても、徹底的にその方向バカリ宣伝しヤリ続けやがった。

 

 50年も精神病院に入院させられ続けていたなかまが、この『コロナ感染症対策禍下』の中、死んでいった。面会も外出もできなくなって死んでいった、多くの、一度も退院したことのないなかまが、たくさん居るんだ。高齢で、クスリも重くもカラダも重く、、、長期入院を長期収容を『牧畜業者』のように自分たちでそう仕向けておいてナンのセキニンも取らず、今度は、小洒落た、さも良いようなコトバカリ宣伝してヤッテきやがった、本当の生のキチガイ一人ひとりの声をきくことなく、一人ひとりの人生をみつめることもなく、、ふざけやがって、フザケヤガッて、オレと谷本氏は一緒だ。岩崎氏とも小島氏とも、青葉氏とも、加藤氏とも宅間氏とも一緒だ。キーサン革命の鬼なのである。何時か落とし前を付けてヤル、『鬼』を甘く見てはいけない。一緒なんだぁぁぁーと叫びたい。「働く人のこころとからだのクリニックのリワークプログラム」ダト、、、「就労支援プログラム」ダト、、フザケるな、フザけるなよ、マスコミは、「ここのおかげでこの先生のおかげて復職できました」「素晴らしい先生のおかげで、このリワークプログラムのおかげで、社会復帰出来ました」と、大宣伝中だろう。それどころかしまい口には「働くことで傷ついた人が被害、やりきれない」ダト、寝とぼけたことを言いさらすな、、チガウチガーーーーウウウウウウウウちがううううううう、と叫びたい、ソコから漏れ落ちてしまった患者さんたちの方が多いだろうよ、、ソウだろう、ソレがゲンジツだろうよ、何故にソレが分からない、、「働くことに傷つけられた人が、心のクリニックとやらの社会復帰プログラムで癒されて職場復帰出来得たエリート障害者」のコトばかり言うな、宣伝すなバカ者、ソコからこぼれ落ちてしまったものはドウ為るのかと言っている、社会復帰プログラムでも傷つけられ、職場復帰を諦め生活保護を申請しに行っても、社会福祉事務所でも傷つけられた者は、ドウなるのかと、言っている。「働くことに傷つけられた人が、今度はココロのクリニックとやらのリワークプログラムで更に傷つけられて、しまい口には最後の頼みの綱として生活保護を申請しに行った先の社会福祉事務所でも傷つけられ」てしまった者はドウ為るのだ、ドウすればいいのだと叫びたい。だからだから、、ずーうっと叫び続けてきたでしないか、『反社会復帰』『働かない権利』『支え合って生きる』のだと。

 病気がシンドい者、社会復帰プログラムについていけない者、クスリがオモタイ者、働けない者、役に立たない者、価値がない者が、ついについに、復讐したのである。直截的ににオトシマエをつけに行ったのだ。オマイ等が、何らかのカタチで少しでも、生産活動、に寄与できるか、芸術活動かスポーツ活動に少しでも寄与出来得る障害者が価値あるものだと、価値あるものしか生きることができない世の中を激しく志向し続け、ソコに向けて少しでも治療し福祉するのが新しい横文字コトバのプログラムを実践するのが『良心的精神医療と福祉である』と言い続けたのだ。そのヒトモノコトに対して、長年続いたソンな虐待に対して、ついについに、患者が狙いすましたテロを敢行したのである。

 誰かとハナシが出来なければいけなかった、孤独と孤立こそ、避けるべきなのであった、コンな世の中に為ってシマッタ、世は『コロナ感染症対策禍下』『発達特性バヤリ』の世の中、誰かが彼と、或いは彼等とニンゲンとしてハナシができなければいけなかった、ソウなのだ孤立させず、孤独にさいなまれさせず、誰かとハナシが出来なければならなかったのだ、、と想う。一人ひとりの病者患者と、一人ひとりのニンゲンとして、ハナシが出来なければならなかった、何時からだろう、ソンなことも忘れさられて、プログラムばかりが先行され出したのは、サービスの供給と受給関係だけに仕向けられていったのは、【見えにくいアクジ犯】型の社会復帰路線バカリの方向に仕向けられていったのは、、、、、、

 脅えるがいい、怯えるがいい。怯えやがれ。いくら観察法病棟をつくろうが、ご立派な建物を拵えてたいそうな予算をつけようが、ご立派な良心的改革派的横文字言葉の舶来プログラムを導入しようが、キチガイの落とし前を止めることが出来ない。しれたことだ。ソレを唯一止めるのは、止められるのは、キーサントモダチスタッフダチンコ、患者会みんなの、なかまたちみんなの何気ない日々の食事会とレクなのである。支え合って生きる生き方なのである、、、患者会でハナシ出来るなかまがいるからですなのである

 

 イロイロ知らなくてもいいことを、結局は知ってしまうんですよ、そしたら、ボクが眼を三角にして「許せーーンコンなコトは許すべきではない、●●の首を捕りに行くんやーー、そして自栽や、ヒト様の首を捕りに行くんやから、捕ったらその場で自裁せにゃならん、、だから誰ぞ首桶持って付いてきてくれないとアカンのや」と喚いていると「ワシが首桶担いでいってもエエけど、●●の首とえばっちの命とでは比較にならんで」「それは、許せんトンデモない野郎や、ナンならワシが火でも放って逃げ口塞いだるさかいに、其の間に●●の首捕ってきたらいいけど、●●の首とえばっちでは、ヤッパリ勿体ないで」「焼くんやったら徹底的に焼け、中途半端にすな」「おいおい、これ以上えばっちを煽ったらアカンがな、、しかも放火の容疑で観察法審判受けさせられたなかまもおるんやさかいに、火のハナシはよそうや」「誰や、えばっちにコンなモン見せてしもうたんは」「そうは言うてもなあ、えばっちが見たがるんや」「勘弁してくださいよ、明日の食事会の出汁がナイんで買いに行かなきゃなんないんでよ、●●の首捕るハナシなんか後にしてくださいよ」「そうやそうや●●の首より、出汁の方がヨッポど大事やで」「そりゃぁソウだよなぁぁ」「明日の食事会ナンなん」「海鮮のスパゲティですよ」「ペスカトーレちゅうヤツやな」「ペスカトーレか●●の首か」「スパゲティに決まっとるわな」「●●の首とえばっちでは比較にならんで、今回は見逃してやれや」「ワシは止めるで、生きとし生けるものには全てに仏性があるんやから、殺すのはアカン、あいみょんを聞いたらいいのんや」「さすがヤ、だからヤッパリ、くちゃんが代表様なんやなぁぁぁーーく大師様ナモアミダブツナモアミダブツ、やっぱりえばっちもう辞めようや」と言ってくれるなかまが居るからなんですよ、、ソコが『チガウ』のです。

 くだらないことをワぁワぁ喋りながら、ワイワイゲラゲラ笑って与太話をして、美味しいものを鱈腹食べて、でも、ニクマンもわきながらも、、、、結局は、世の中から世間様から、役に立たないものだ、生産活動にも就労活動にも寄与できない価値のない者だ、弾除けの兵隊にも為れんと蔑まれ、叩き出され、追い詰められ、腐った『発達障害概念』バンザイの奴らが煽りたててくる、せめてせめて芸術活動や学術活動やスポーツ活動にでも寄与できないと無価値ですよと『パラリンピック』バンザイの奴らが、益々キチガイを追い立ててくるんです。だからソウやって追い立てられ追い詰められた者が、弱い者がシンドイ者が、寄り集まって、支え合って助け合ってシカ、生き延びれナインですよ。それを『精神病患者会』と言うのです。『生きがいの格差』『生きがいの盗人』に為らないように通所者側からもスタッフ側からも、両方から『支え合うセーカツ』を目指し得た時に『患者自治会』『利用者自治会』と言うのです。

 だから、『能力』や『競争』ではなくして『なかまたちとともに支え合って生きていく』なかで、自ら出来ることをなかまのために、支え合う其の支えの一枝を、お互いに出来得ることとして『キーサンの生きがい』の役割として、みんなでそれぞれが『病状を崩さないような範囲内で提供』して『役割分担』して『支え合って生きていく』のです。ごみ捨てや、便所掃除や、笑い話ネタや与太話投下や、飯づくりや、炊飯器のスイッチを押す役割、帳面付け、行政事務、車の運転、みんなの部屋に顔を出すと云う役割をやって、実際のジッサイのみんなの部屋のセーカツを維持していっているのです。でも、それは、絶対に絶対に『競争』や『能力的価値』になってしまってはいけない。だって、ソコから追い立てられてきた者たちなのだから、、、『弾除けの兵隊にすら為れんキチガイ』だからこそ、だから『反社会復帰』『働かない権利』ナンですよ。ソウやって『キーサンの生きがい』として『患者会を拵えて支え合って助け合って生きていく』そのセーカツの中から、『他人を殺ししまう』『自分を殺してしまう』決意を固めたキチガイを引き留められるのは、引き戻して来られるのは、、、、だから『チガウ』んです、『一緒』で『チガウ』んです。

 話をする相手が居るから、笑い合えるなかまが居るから、役割分担をして支え合って生きがいを分け合って生き延びていくのです。支え合って生きるとは、役割を生きがいを分け合って、みんなで助け合って生きていくのです。年末年始美味しいものをみんなで一緒にワイワイ言いながら食べることが出来ました。在り難い事でした。えばっちは、『谷本氏にはならないで済んだのです』谷本氏とも、岩崎氏とも小島氏とも、青葉氏とも、加藤氏とも宅間氏とも一緒なのです。でも岩崎氏にも小島氏にも、青葉氏にも、加藤にも宅間氏にも、為ってしまいそうなギリギリを止めてもらえているんですよ。ありがたいことです。一緒にご飯を食べてきたからなんですよ、、レクをやってきたからなんですよ、、友の会のホームページにみんなの写真とともに、御馳走の写真も出ております、在り難い事です。ありがたいことナンです。【彼と彼らと一緒でありチガウ】と云うことなのです、在り難い事なのです、運の良いコトなのです、あの信州の病院からジブンだけ生きて出られた。生きて出られてシマッタ。そして其の上、運よく誰も殺さずに自分も殺さずにココまで還暦まで来れたのです。なかまとともに支え合うセーカツで、生きがいもあり、役割もあり、愛する人にも、みんなの部屋で巡り合え供に30年以上ずっと暮らせています。コンなにみんなから好くしてもらって、、、ありがたいことなんです。申し訳ない気持ちでいっぱいです。コレでエエのだろうかと、時々シンパイに為ります。信州のあの病院からボクだけ助かってしまって、しかも、愉しく暮らさせてもらっている。ソウ感じてしまウンです、ソウ想ってしまってもうドウ仕様も無いのです。還暦まで生き延びた。たくさんのなかまが亡くなっていった、精神病院の中で、街の中で、、、申し訳なさすぎる。時々シンパイに為ってくる。申し訳ない、本当に申し訳ない、、、叫び続けなければならない、、だからこそだからこそ書き続けなければ、、、書いてしまうのか、、、書かなければいけないのか、、、もう一歩書かなければならないのか、、、

『一緒』なダケではなく、

『チガウ』のダケではなく

そう、それは、同時にアルだけではいけないのだ、、

『一緒で在り続け』なければいけないのです、

そしてしかも

『チガウので在り続け』なければいけないの、

です

さもないと、

たくさんの死んでいったなかま達を

殺されて行ったなかま達を

ずっと精神病院に入れられ続けてきたなかま達を

今も入り続けているなかま達を

出ようにも出られなくなったちゃったなかま達を

生きたかったのに生きられなかったなかま達を

加害者と為ったなかま達を

被害者に為ったなかま達を

自らの加害者性を

自らの世間様からの被害を

忘れてしまってはいけない

せめて、精神病患者会に居るワシ等だけでも、

覚えておかないと

世間様はあっさりと忘れ去り無かったモノにしてしまうから、、、

他人を殺すことなく

自分を殺すことなく

生き延びていくには

『一緒で在り続け』『チガウで在り続け』しないといけない

それがキーサンの生き様というものであり

それがキーサンの仁義というものであり

それがキーサン人生を生き抜くと云うコトなのですから、、、

生き延びてしまった者の、

なかまのおかげて生き延びられている者の

愉しく暮らさせて貰っている者の、

キーサンとしての最低限の生き様、仁義なのです

 


 「埼玉訪問医師射殺事件」に想うのです、「医師への暴力後絶たず」当たり前だ、当たり前のことなんですよ、、訪問医師、訪問看護、訪問ヘルパー、への暴力が後を絶たない、当たり前なんですよ。適正手続化しサービス契約関係化していけばいくほど、文章や法律や制

度やナンかに着いていけないチカラの弱い側からの反撃を招くんですよ。ドンドン混乱して分からないように制度が法律が出来上がってくるからですよ、、ドウしてそれが分からない。『ニンゲン関係』構築してからにしなさいよ、、ハナシをよくよく聞いてからにしなさいよ、、ずっとずっとハナシを聞き続けながらやりなさいよ、、、

 なかま達が、みんなで支えあって、ごみ捨てを、便所掃除を、飯づくりを、与太話を、車の運転を、シンパイごとのハナシを、相談をキーサントモダチとしてスタツフダチンコとして、、、みんなでヤッテいるのです、、ありがたいことなのです、キーサンの仁義なのです、、だからボクは、書かなければ、叫び続けなければいけないのです。ボクだけ、あの信州の病院から助かってしまった、だからこそ、なかま達に入院を説得しに行けるのです、だからこそ、説得に行くときには、身を捨てていくのです。包丁が出たって、枕の下に包丁が隠されていたって、、、手の中に真鍮のドアノブが隠されていたつてナニほどのことなのか、、自分が絶対に嫌な入院を、説得して精神病院に連れていくのです、、なかまとしてね、、その時に、包丁が出て、刺されたって、それでいいのです。そう覚悟をして行くしかナインですよ。もうソウでしか説得の仕様はナインですよ、、ところが不思議なことに、圧倒的に力関係が上の連中が特に精神医が『アリガタ屋的福祉サービスや医療サービス』を強制してくるときに、ドウして、あれほど患者側や利用者側からの暴力行為タラを恐れるのか、、おそらくは自らの『権力者性』の無自覚さと、『善いこと良いことをシテヤッテイルンだ感』が満載だからなのです。【見えにくいアクジ犯】そのものだ。

 


 だからアレほど『強い者』ほど、『弱い者』からのジッサイ的なナマの暴力と反撃を恐れるンデスヨ、ジブン達がドンなコトを『弱い者』にしてきたか、『良いことをヤッテやっているんだ』の中に、実はついついチョッとした嫌がらせも、そして嫌みも、勿論少しばかりの悪意も交えてきたからこそ、怖がるんですよ、ソンな精神医や心理士や看護婦や看護士、ケアマネがいませんか、、、居るでしょう、、、ホンと、【見えにくいアクジ犯】のクセして『見えやすいアクジ犯』を徹底的に批判しているふりして、一所懸命『患者さんのためにヤッテいます』ふりして、実際イロイロやっていて、凄いこともあるのだけれど、自分の気に入らない相手には、見えないようにしてチョッとした悪意や嫌がらせや苛めを虐めを、ホンの少し交えてくるんですよね、、、それが精神病院の中の殺しをヤッテいる看護士の本性と少しも変りないことをアッサリと忘れて、、世間様の評判の良いクリニックやナンかのエラい評判の良い改革派的な良心的な医療を提供している時に、周りには絶対に気を付かせないようにして、本人にだけ分かるようにチョッチョッとイヂワルと嫌がらせとイジメと悪意を交えて来るんですよ、、恐ろしい、、そして実は自らの『権力者性』をチラつかせるんですよ、、、周りには見えないようにしてね、、、ソンな医療従事者、居ませんかね、、、しかも特徴は実は『ニンゲン関係』築けていないんですよ、患者側と一対一のトイトイのニンゲン一人ひとりとしての五分といつつの関係性ナンて、実は全く無いんですよ、、、『築けているように見せかける』のが上手いだけなんですよ、、ソレを築けるのは『患者自治会』『利用者自治会』を目指し得た時だけなんですが、徹底してソウ云うコトは、嫌がるんですよ、デモ『市民運動的』或いは『改革派的学会』ナンかは大好きなんですよね、、とても、評判善く、チョッと見はとても素晴らしい取り組みをしているように見える、、でもかえってその取り組みのプログラムの中に入れないものには、徹頭徹尾冷たいんですよね。『イヤトい患者や家族』『先進的プログラムに入れない入ってこれない患者家族』には、チョッチョッと嫌がらせや嫌味を意地悪をそれとなくヤッテいるのが目につきませんかね、、またぞろえばっちのビョウキやヒガイモーソウやと言われるんでしょうがね、、デモ特にココで強調しておきますよ、、ソンな看護婦や看護士、精神医、心理士、PSWがいるってことがね、、でもね。ソンな【見えにくいアクジ犯】が『見えやすいアクジ犯』を攻撃しているもんで、、サテソコはドウするか、、でもね、本人にだけ分かるようにチョッチョッとイヂワルと嫌がらせとイジメと悪意がね、スタートのような気がするんですよ、、『見えやすいアクジ犯』の殺しにまでエスカレートしていくね、ソウ云う【見えにくいアクジ犯】の良心的改革派的横文字コトバの実践の中に、その輪の中に入り切れない患者さんへのチョッチョッとした嫌がらせや嫌味を意地悪をそれとなくヤッテいるのが、【制度的政策的経営的アクジ】の前の前提に為りそうな、ナンと云うか、エスカレートしていきやすい【見えにくいアクジ犯】のエスカレート先先のような気がするんだけれども、、、だから、エスカレートしていった先に『見えやすいアクジ犯』に為っちゃう、、、チガイますかね、、、、


 もさんのところにヘルパーさんが来るようになった時のことは忘れられない、高齢で耳も遠く、知的障害も精神障害もあり、精神病院に30年以上入院させられていたもさんに、ヘルパーさんがちょっと来たぐらいで、一回一回、たくさんの書類にハンコを押していかなければならないんですよ。そのハンコ押し作業が一段落してから実際のヘルプや訪看が始まる、、もさん、もう混乱しているんですよ。むやみにハンコ押したらアカンと云うことが染みついているのです、、世代的にも、、、だからそう云うもさんに何回でもそのたびごとに納得のいくまで説明したらいいのだ、分かるように、、何度でも、しかも、横で聞いていても、神経を逆なでするようなコトバカリチョッとチョッと絶妙のタイミングで入れていく。横で聞いていてもバカにしてるのかなと想うほどです。ソンなことが何度も何度もあり、ついに、もさんは、女性のヘルパーさんに横びんたを張りました。もさんの病状がワルイカラダ、と云うことに為りました。ヘルパーさんにサビ管さんも一緒に付いて来るように為りました。三人ぐらいで来るようにもなりました。その説明もしたのかしなかったのか、、、ナンでアンなにハンコを急き立てるのか、もさんのペースで物事をやらないのか、耳も遠い、どうさも遅い、クスリも重い、精神病も知的障害もある、ナンデナンデもさんのペースを守ってくれなかったのかなぁぁぁ、、ついについに、もさんは女性ヘルパーさんの腹を殴りました。そして、精神病院に戻っていきました。この時のことを話し始めたらキリがないくらいですよ、友の会のみんな部屋で何度も何度も、事業所さんと話し合いを持ちました。凄いたくさんの専門職の人が来ました。その中、友の会やすらぎの里のみんなの部屋で全体打ち合わせをヤッタのですから、友の会の参加希望者は自由に参加して、みんなで意見を出し合いました、ソコまでやりましたが、もさんは、精神病院に持戻っていったのでした。ヘルパーさんの腹を殴ったもさんが加害者であったのでしょうかね、、、、

 れさんの時のこと、もね、、、あの世代の在日二世の女性が一人で生き延びてきたンですよ、、そりゃあ、話しぶりが少しぐらい「姉御肌」「鉄火肌」なトコありますよ、そりゃあーーだから、ちゃんと向き合ってハナシをすればわかってくるはずなんですよ、、でもそれをやらない、だから「ちょっと怖い精神病もアル厄介なばあさんだ」ってことに為って、ヘルパーさんが次々と替わる、その度ごとに大量の書類にハンコ、、だから信用をしなくなってくる、、訪問して来るケアマネさんを敵視するようになってきますよ、、モノを投げつけて追い返すように為りますよ、そりゃあーーワケのわかんない書類にハンコを押すことを急かす背広を着た詐欺師のように見えちゃうんだから、、れさんの立場から見れば、、れさんがワルイんですか、、、追い返されたモノを投げつけられたケアマネさんやヘルパーさんが被害者なんですか、、、


 『ニンゲン関係』じゃないですか、時間かけてハナシしましょうよ、、ナンで時間かけて『ニンゲン関係』構築しようとしないのか、、制度がそれを阻むのか、ますます阻むように制度が社会が法律が役人が、専門職が、『発達障害特性』が【コロナ感染症対策】がソウ為っていくのか、ソウさせていくのか、、、【納得のモンダイ】じゃないですか、、障害ある側が、入院させられる側が納得できるまでハナシましょうよ、いったん納得しはったように見えてね病者は翌日にはホンとは納得して無かったコトをヤッと話し始めるンデスヨ、だから、その時は、また最初っからハナシ始めましょうよ。『適正手続』『サービス提供受給関係契約』【ハンコ押し作業】は、後にしましょうよ。本人や家族や遺族が納得するまで、医療や福祉の必要性を分かり易く説明したらいい、納得できるまでドンなに無駄に見えても、『蘇生措置』を続けましょうよ。『御遺体』に為ってたってご遺族のトモダチの納得できるまで『蘇生措置』したらいいじゃないですか、もさんの何回目かの緊急搬送の時だ、チョコっと来た医者が「誤嚥性肺炎の場合、ご高齢の患者さんには積極的に治療を行わないのが欧米のスタンダードです」と言い放ちやがった、オレたちは、反論も出来なくてスゴスゴと帰ってきたんだ、、ホッといたらあのマンマ、もさんあの医者に殺されてたかもな、、

  「埼玉訪問医師射殺事件」に想うのです、「医師への暴力後絶たず」当たり前だ、当たり前のことなんですよ、当たり前だ。と。ワカラナいコトはワカラナいコトとしながらも、ワカラナいコトだらけですよ、しかもマスコミ報道をうのみに信じちゃいませんからね、、それでも、もはや『精神医療』と『精神福祉』と【警備会社】との【コラボ】にナンラかの法的根拠が設けられることに利用されていくんですよ、コレは、だから叫んでいるんです、もしかすると【警備会社】が自らが『精神医療』と『精神福祉』とに変化していくその法的根拠が出来ちゃうんですよ、、、ワカラナいコトはワカラナイとしながらも、、叫び始めなきゃなんないんですよ、、

 しかも、コンな世の中になってしまったんだ、、だから成り行きでね、もはや、亡くなったご両親の年金で暮らしてはるヒトも居ますよ、そりゃあーー、ジックリハナシを聞いてたり、チャンと暮らしやセーカツを含めて見ている、ハナシをチャンと出来る関係を構築していたら、ソンなコトは、薄々ワカッテきますよ、ハッキリ言って分かってこなきゃダメですよ、ホンのちょっとセーカツぶりを暮らしぶりを想像してみたらいい、、、だからハナシを聞いてもらえなかった者からの反撃ナンですよ。それがまぁなんとまぁ、見てみるがいい、マスコミの報道をこの圧倒的な社会的な、法的なチカラの差を。それでも、力の強い方を更に守るための法整備や制度が必要ダトは、恐れ入る。おそらくはおそらくは、「働く人の西梅田こころとからだのクリニック リワークプログラム事件」「埼玉訪問医師射殺事件」を利用してナニが造られようとするのか、、、またもやの法整備なのです。専門職、権力のアル専門職の安全を守るためのモロモロが出来るのです。法整備して医療や福祉に専門特化した【警備職】の導入ですか、、【警備職】でも医療や福祉に特化した専門性の履修過程でも作りますかね、、ソウいえばウ診療所に警備員が立つようになりましたね。「トキワ警備」のように強制移送に特化した警備会社もアルようですね。でもナンだかムカシより『医療』や『福祉』の衣をまといつつあると想いませんかね、、、更には『引き出し屋』実は悪辣極まりない施設への【押し込み屋】ナノですが、その手合いが、今度の事件をキッカケに訪看やヘルパーさんやケースワーカーはんらの【付添型警備】にも参入ですかね、、そして更に「サービスの提供者と受益者の契約関係と適正手続」が強化されていくんじゃないですか。

 逆だぁぁぁーーヒトとヒトとのニンゲンとしての関係なんですよ。今の世の中『発達特性ばやり』と『コロナ感染症対策禍下』のなかなんですよ、、、だからこそ、ヒトとヒトの人としてのつながりと関係性なんですよ、、「スタツフダチンコ」「キーサントモダチ」の関係性の中でこそ、もしソンなことが出ても、みんなでハナシしていけるんですよ、、、患者会のなかま達の方から「お前そんなんではあかんぞ」「お前、女性のヘルパーさんを脅すとは何事ぞ」「あまつさえ暴力ふるたとは、絶対にアカン」「訪看さんをおどかすような真似は絶対にすな」「アソこの訪看さんは、なかなかイイとこなんや、ソコの看護婦さんを脅すとは、許せんぞ」と言い合えるんですよ、、、ココが患者会の良いトコロじゃありませんか、、、

 でもね、でも、ですよ、もう「働く人の西梅田こころとからだのクリニック リワークプログラム事件」と「埼玉訪問医師射殺事件」そして「京都アニメーション放火事件」とともに、ドウ煽り抜いて、強い側を、権力の在る側を警備していく仕組みと【警備専門職】の登場に、、していくか、もう判り切っちゃっているンじゃないですか、、モチロン観察法病棟の強化と、それに、『精神医療』と【司法制度】の相互相乗り入れ制度が新設でしょうか、、、オソロシイことです、、とにもかくにも、この『コロナ感染症対策禍下』で人々の『心性』は、真に恐ろしい方に傾いた。だって【安心安全】が第一優先なんでしょう。そのうえで「働く人の西梅田こころとからだのクリニック リワークプログラム事件」と「埼玉訪問医師射殺事件」そして「京都アニメーション放火事件」と、を利用しつくせば、法的担保のあり得る、精神病院、精神科診療所クリニック、訪問看護ステーション、ヘルパーステーション等々と【警備会社】との【コラボ】の実現が日常の風景となるでしょう。その【警備会社】は、精神の医療や福祉に特化していることをウリにしたり、或いは【引き出し屋】実は精神病院や悪辣施設等々の悪辣フリースクールのようなトコへの、あるいは貧困ビジネス系統の施設への『押し込み屋』なんですが、そういったところの【警備会社】の警備員に付き添われて、あなたの主治医やヘルパーさんや訪問看護婦さんたちが、来ると云う風景がフツーに為るカモシレナイ、御大層な「観察法病棟での司法と精神医療の相互乗り入れ」ナンて前に、もう町や村の学校や診療所での風景に、すべからく【警備会社】の警備員が立っているんですよ、、クリニックにも、作業所にも、ね、救護施設にも、デェイケアにも、ヘルパーステーションにも、、ね、、、そりゃそうだ、お偉いオえらい専門職の皆さんの【安心安全】が第一ですからね、、そのうち「ラップ」にも「オープンダイアローグ」にも、警備員の立ち合い姿が、フツーの風景と為るカモシレマセンね、、これぞ、最も自然な風景の中の『保安処分』がにじみ出た景観じゃないですか、ケースワーカーPSWもケアマネもサビ管も、【警備会社】の警備員立会いの下でなければシゴトしませんよ、、と、それが『専門職の専門職能性』と言い出しはじめ、しまい口には、この際【警備会社】が精神医も看護士も訪看もケアマネも直接派遣してくるようになるカモシレマセンね、そこまでいくでしょう。【安心安全】が第一ですからね、、それを今度の「コロナ感染症対策」と「働く人の西梅田こころとからだのクリニック リワークプログラム事件」と「埼玉訪問医師射殺事件」そして「京都アニメーション放火殺人事件」が、担保してくれているのです、恐ろしい、ただただ恐ろしいです。だから、えばっちは、【一緒で在り続け】『チガウであり続け』ナケリャアー、アカンと想います。

 ボク自身ホンとに訪問系のアレコレを全く信用できないもんで、、ソウ言うて来る専門職たちは、【見えにくいアクジ犯】の訪問系の医者や看護士やが、何時か、【警備員】と一緒に、ボクやアナタを騙して、いきなり白い布袋を被せて、意識失う注射打って、気が付いたら閉鎖病棟保護室の中、だってことは絶対にないんだと云う『安心感』がアル精神医療の現状ですか、、ホンとにソンなコトは無いと否定できるんですか、、、出来ないじゃないですか、、少なくとも、ヘルパーさんや訪看の看護婦さん達が『病状』の【密告】をしているかもしれない、、、ソレ否定できないじゃないですか、、そして入れられた先が保護室で看護士が患者を二人掛かりで首の骨を圧し折って殺しても無罪に為る、ソンな『見えやすいアクジ犯』の殺しの精神病院カモしれない。世の中は、世間様は、都合の悪いことは忘れますからね、、、「石郷岡病院」「神出病院」まだまだ、たくさんあるでしょうよ、、「うるま病院」のことだって忘れちゃだめですよ、「大和川病院」だって「宇都宮病院」だって、マタゾろ新しい虐待して事件になってやいませんかね、、「十全会」は外から見ると「新生十全会」ナンて名乗って「なごみの里病院」はオッカなそうなんですよ、、、だからね、、もしボクのトコロに訪問系のアレコレが来ようとするのなら全く、あなた達の安全は保障できませんよ、、【密告】してるかもしれん、何時か【白い布】を被せられるかもしれないから、、そして「なごみの里病院」に入れられるかもしれん、【警備会社】が、其の情報共有のセンターに為っているカモシレナイ、だから、ここイマのニホンの精神医療の現状が少しでも変わらない限り、もしくは、そう、友の会のみんなが「えばっち、、ココの訪問看護士さんは信用できるわ、大ジョウブ、ココのヘルパーさんは絶対大丈夫、ワタシが保証するわ、ワタシのトコにずっと来てくれてはるトコロナンやから、、」と云うなかまの声が在るときダケなんですよ。ボクは怖がりなモンで、、だから、患者会のなかま達とは、アリガタイモンなんですよ、、、そしてコウ云う方向性の努力はすべきじゃないんですかね、、「訪問看護ステーション」「ヘルパーステーション」スタッフ側と利用者側からの双方からの生きがいを通じた役割分担としてね、、こちら側からの【安心感】ってものがある【患者会】『利用者自治会』目指せないでしょうかね、、、しかも自分たちの提供する医療と福祉の「サービス」内容を【患者会】か『利用者自治会』が監視して監察して諌止してしてくれるんですよ、在り難い事だと想いませんか、、、

 ただ、今回、、『一緒』だと想いながらも、シンドクなるんですよ。自衛隊で実包射撃訓練したもんで、ヒトにむけて実弾を打つのはとても出来ない、射殺はアカンでと想ってしまうんです。しかも散弾銃や、散弾を使うての射殺はアカン、、鉄砲で距離を取って殺すのはアカン、、飛び道具はアカン、と想ってしまうのです、、ドウしても医者をヤルんやったら、返り血を浴びる距離と覚悟でもって、己が手を相手の血にまみれる覚悟の包丁か刀でヤラなアカンと想ってしまうのです。でも、それでも、彼とボクは『一緒』だと想うんです。

 だって、ボクだって、主治医をもうちょっとで殴り倒してコロシテしまうトコロだったんですから、、、それも友の会の夏レクの場だった、この09年の夏レクが一泊二日温泉夏レクの最後となってしまった、、あれは、、、あの時のことは、まだ詳しくは書けない、あの時、愛する人と供に一年にわたる鬱にはまってしまい、友の会にも行けなかった、あの年のコト。彼女が高血圧の治療のために通っていたな会診療所のな医師のたっての紹介で、愛する人は、ガリガリにやせてしまった状態で検査のために入院しにいった。あのに病院の【鳥獣豚類ナンでも人工透析内科医】の「検査した結果ナンの異常もナイんだからスグココを出て行ってくれ」「異常はナイんだから早くベット空けてくれ」とベットに横たわる彼女に言い放っていたのを、部屋の外から長い間聞いていた。あの部屋三人しか入院していなかったのに、酷い言いようだった。長い放言だった。腐った金儲け医師の言い分だった。ソコを離れれば良かったのに離れることも出来ず、まるでなじるかのような脅すかのような退院申し渡しを、病室の外から反論もせずに聞いてしまっていた。身じろぎもせずに。あの時、踊り込んでいって、其の【鳥獣豚類ナンでも人工透析内科医】を殴り倒してでも、その放言を止めれば良かったのだけれど、それも出来ず、言われっぱなしだった。ホンの後数週間ユックリさせておいてくれていたら、後が全くちがっていたかもしれない、とそう想う。詳しくは書けない。そして金曜なのに、土曜の明日退院と言い渡されてしまった。週末退院の場合手続きやクスリはドウしたらいいのか途方に暮れてシマった。ボクは、友の会の食事会に帰ってカレーを食べて、土曜なのに退院とは、と、もう少し置いておいてもらえれば好転してきそうなのに、と、みんなに訴えていた。みんな真摯に聞いてくれた。みんなも、ドウシていいかわからず、とにかく、明日の退院のサポートをしようかと、言ってくれた、ありがたかった。でも断った、愛する人がゼツタイにもう友の会やすらぎの里と関わり合いに為りたくないと、強硬に言っていたから、、だからボクは、カレーのお弁当を持って団地に帰ってきた。呆然として坐っていた椅子の横後ろに居た冷蔵庫が突然唸りだしたのである。それ以後ずっと聴覚過敏に憑りつかれてしまった。そう、アの時【鳥獣豚類ナンでも人工透析内科医】を殴り倒しておけば、この聴覚過敏からは逃れられていたかもしれないと想う。惜しいことだった。ただ、な会診療所のな医師の厚意を無駄にはできなかった。よくシンパイしてくれて、な医師の方から何度となく彼女にもボクにも電話してきてくれた。無理矢理に、に病院に押し込んでくれたのだから、ありがたかった、デモあの時、ジッと聞いているのではなく、アの【鳥獣豚類ナンでも人工透析内科医】を殴り倒しておけば、聴覚過敏も、その後一年近くにわたる鬱も、逃れられていたかもしれない、と本当にそう想う。二人とも、と、そう想う。でもヤッテいたら、観察法だったのか、、、

 それで、その後半年ほどは、とにかく二人で寝かやって「二人で北海道にでも戻って森の中で暮らそうか」と云うヨウなハナシをしながら、出来合いのお弁当を食べて、ゴミも出せず、弁当ガラを部屋の中の袋に次々と詰めこんで行く日々を団地の部屋の中で過ごしていた。ゴミ捨ても出来なくなっていた。聴覚過敏であれほど好きだった音楽を聞くのを辞めた。唯一の救いは、毎日送られてくる友の会の日々の日報報告メールだけだった。未だみんなとつながっていると想えた。その後この日報メールは、現在も友の会の休みがちななかまへのツナガリになった、ありがたいことだった。友の会からのお弁当配達とヘルプは、愛する人が拒否していた。この鬱状態の原因が長年にわたるスタッフ間のアツレキにアッタから、ソコがツラカッた、例のトランスジェンダーを名乗るアルバイトスタッフひさんとメインの中心スタッフみさんのトンでもない状況からの、あの頃からの軋轢がツモリに積もっていたから、、それでもボクだけ、夏レクに、必死で行った。耳栓をして、電車に乗って、行った。熱い日だった。夏レクには一度も欠席などしてこなかったから、、とにかく、ムリしてでも行った。それがヨクナカッタのだろうが、とにかく、到着して汗を拭きながら早速に昼食に在りついた、久しぶりの、温かい食事であった。主治医のく医師が前に座って、この間の状況を聞いてきたので、あらましを伝えた。「二人で北海道に戻って森にででも暮らしたいと言ってイルンダ」と。そこで主治医のく医師は「それは極端やな」と云いながらせせら笑った。ボクは御膳を引っ繰り返して、飛びかかって行った。なかまたちがギリギリで止めてくれた。もうちょっとで、く医師はボクにコロサレルとこだった。なかま達が、カラダを張ってギリギリで止めてくれた。その後その夜はホテルのロビーに警備員が立哨するようになった。オカシな雰囲気の中、最後に為った一泊レクの夜が過ぎて行った。申し訳なかった。未だに主治医のく医師は、何故、コウなったのか理解できないでいるのではないか、とそう想う。ナサケナいハナシである。ドウもヒトのキモチを察するのは苦手のようなのである。なかま達もそう言っている。えばっち、気が付かなかったの、、と、、そして、本人も相談するかのようにソウ周囲に漏らしていたのもあとで知った、、正直な医者であるとは想う、、正直な医者だ、、、それは凄いコトではアル、、

 だが、ともかく、アのに病院の【鳥獣豚類ナンでも人工透析内科医】と精神科主治医のく医師を殴り倒すか、コロシテオケバ、愛する人と二人ともアレホドの一年にわたる鬱も、ボクの今に至るまでの聴覚過敏も、随分と楽に為ったのではなかろうかと、想ってしまう。でも、そうなっていたらおそらくボクは観察法行きで、いやその前の精神鑑定の保護室で殺されていただろう。精神医と看護士に逆らいに逆らいまくるだろうから。彼女も死んでいたかもしれない。友の会もドウ為ったのか、、、運がヨカツタ、、助かった、、、特にあの時の若手アンチャンスタッフのケンカ慣れした動きがヨカッタのだと想う。ありがたかった、ただただ、ありがたかった。それでも、コウ想えてならないのである、あの時殴り倒しておくかコロシテオケバ、すれば、、殴り倒しておくかアノトキコロシテオケバ、と、、少なくとも聴覚過敏は楽になっていたのでは、、と、、ラクニナルタメニラクニナレルンジャナイカト、コロシニイコウトスルンデスカラ、コロシニイクンデスカラ、、ジブンヲコロシニヒトヲコロシニイクンデスカラ、、、、、


だから『一緒』ナンですよ、本当に『一緒』なんです

そして『チガウ』んです、本当に『チガウ』んです

でももう、もう、えばっちは、コウ想うのです

実は今回は少しばかりは、すこしばかり

ナンと云うか【違和感】も確かにアルんです、だからこそ、

だからこそ、かえって、

【一緒で在り続け】なければいけない、と想うんです。

あくまでキーサン革命の鬼として

【一緒で在り続け】ねばならないのではないか、と

だからもちろん、もちろん

『チガウので在り続け』なければいけない、と

それが生き延びられた、助かってしまった、

有り難い運のヨカツタ、

支え合って生きさせてもらっている

キチガイの最大の倫理的義務的役割じゃなかろうかと

だから、なかまの中の役割分担で、なかまの入院を説得しに行くことに為ったら

自らのタマを張るのは当たり前の事なんです

助けてもらったんだから、、、、

コンなに愛してもらっただからだから

コンなに良くしてもらった、、ありがたいことだ、

だから、、だから、、だからこそ

【一緒で在り続け】

『チガウで在り続け』

自分を殺さず、他人を殺さず、

生き延びましょう

なかまとともに、

だから、患者会を、

患者自治会を目指していくシカナインです

 

2022年2月22日 京都伏見 前進友の会やすらぎの里作業所

キーサン革命の鬼えばっち 江端一起

入院歴五回 コテコテの躁鬱病患者




信州松本飯田、三泊四日交流の旅  とてもとてもとても、すばらしかったです

信州松本飯田、三泊四日交流の旅

 四日間、本当にたのしかったです、ありがとうございました、、、たくさんの交流がありました、、、参加させていただいて、交流させていただいて、たくさんのハナシが出来て、、美味しいものたくさんいただいて、ホンと、ありがとうございました。懐かしくもありました、感謝です。


 初日の四日日曜は、長野精神医療人権センターさんの例会と忘年会に参加させていただきました。東谷さんの司会の元で、イロイロな立場の皆さんと、濃厚な自己紹介でした、スゴカったです。「病者」の方も多くおられ、積極的に発言されておられました。それぞれの皆さんの越し方や、今の実践の報告、そしてこれからやりたいこと等々、予定されていた研修を、知らないうちに話し込んで話し合いを続けてしまって、本当に素晴らしく盛り上がり、えばっち的には【制度政策提言路線】をめぐっての議論など、濃厚で充実した話し合いでした。そのあとの忘年会にも参加させていただき、信大で作業療法を教えてはった富岡さんとも旧交を温め、ナンと云うか、お互いの意見がわかって、とても、愉しかったです。ツーショット写真も撮りました、、東谷さんとも撮りました、愉しかった、誘っていただいて、受け入れていただいてありがとうね、東谷さん、、とにもかくにもお鍋の食べ放題でしたから、スッゴい量のお野菜もお肉も、頂いてしまいました、お腹パンパンに為りました、、松本は寒かったんですが、スッカリ温まりました、そうそう、ホテルの窓から見る山並みは、雪がかぶっていて、とってもきれいだったんですよ、ホンと奇麗だったなぁぁぁーーーー


 五月の五度目に為る交流広場は、東谷さんとハナシしていて、この会館の音楽室でヤロウと云うこともカタチに為ってきました。ありがたいことです。アップライトのピアノがあり、人数も三十人はいけそうなお部屋です。前半は何時ものように長めの自己紹介で、後半は、ノマドの会と前進友の会のなかまたちによるシャンソンのミニリサイタルをやろうよ、、と云う企画がカタチをあらわしてきたようです、、、ドウでしょうか、ありがたいことです、、愉しみですね、、、、とにかく、例会も忘年会も愉しい交流でした。そうそう、ほくほく堂の矢口さんともすっかり意気投合し、明日は、ひなたぼっこの家さんやほくほく堂さんに車で送迎していただくことに為りました。ありがたいことです。


 そして、五日月曜は、矢口さんの車で、まずは、ひなたぼっこの家さんを訪問、ナンと云っても34年ぶりの訪問じゃなかったか、看板にはナニか、ムカシの趣はありました、、でも引越しされて、えばっちの知っている家ではなくなっていて、ずいぶん広い一軒家でたまり場をやっておられました。懐かしいなぁぁぁーー、えばっちの最初の患者会体験は、実はココひなたぼっこの家だったんです、89年秋の毎週土曜に通っていたあの頃のなかまの皆さんは、誰もいなくなっていて、今の皆さんから亡くなられた方々のハナシを聞きました、、今は毎週木曜が食事会とのことでしたが、この日は、「なんちゃって食事会」って言いながら、スタッフの方が焼うどんをこしらえてくださいました、自主食事会で焼うどん、何年ぶりに食べたのかなぁぁぁー焼うどんも、そしてひなたぼっこの家でも、サイコーでした、激ウマでした、激ウマでした。えばっちの知っている方はおられませんでしたが、ナンといっても34年前のコトですもんねーーでも、また、来れて嬉しかったです、ありがとうございました。

 その後、ほくほく堂さんへ、スッゴい広いスペースでナンでも出来ちゃうなぁぁぁと、想いました。来られている皆さんが、ナンか、すごい皆さんで、何時しかハナシが弾んでいました。近所の子供さんも代わる代わる遊びに来ておられ賑やかにしておられました。矢口さんの雰囲気がにじみ出ていて、良い雰囲気の場でした、ありがとうございます。ココならナンでも出来るんじゃないかなぁぁぁぁーーーその後、矢口さんがムカシのひなたぼっこの家のアッタところまで連れて行ってくれて、途中の道が懐かしかったです。そうそうあの御社があって歯医者さんの角を曲がるのでした。温泉に行く橋の手前でしたね、、懐かしい想い出です。明日は帰る予定でしたが、ナンと、矢口さんが車で飯田の木下君のところまで送って行こうと云うハナシになり、予定を一日伸ばして、飯田で一泊して木下君と旧交を温めることとなりました、、凄いことです。クスリを多めに持ってきていたので、ヨカッタデス。駅前の信州そばを頂いて、早めに床に着きました。ちょっとサムかったかなぁぁぁーー



 六日火曜は、矢口さんの相方さんが車を出してくれはって、ノマドの会の木下君のところまで松本から飯田までドライヴしました。三人で愉しくハナシしながら、それでそうそう、途中の伊那から駒ヶ根への道は、走っている途中想い出してきて、ドンドン想い出してきて、コンなに奇麗な景色だったのかと、コンなに奇麗な山並みだったのかと、、あの一年近くに入院しているときに、美しい景色のことは、まったく憶えてなくて、、この雪をかぶったアルプスの山並みを観ていたはずなのにまったく憶えがなくて、矢口さん、わざわざ車止めてくれはって、山並みの写真撮りました。木下君のアパートは、わりとスグに見つかって、十年以上ぶりくらいの再会でしたが、ナンだかフツーにハナシ始めて、お互いによく、此の歳までこれたものだと、太ったなぁーーと、懐かしく、89年に一緒に入院していた、隣の隣の部屋に入院していたんですから、キーサントモダチの中の【キーサン入院トモダチ】と云うわけで、感慨深かったです。矢口さんと木下君とのスリーショット写真撮りました。木下君行きつけの喫茶店ナポリタン食べました。ナカナカのナポリタンで、コーヒーも美味しかった、そう云えば三重に初めて東谷さんを訪ねた時もナポリタン食べたんだなぁ、とにかく一つのテーブルで四人でイロイロハナシたなぁぁぁーー、そのあと矢口さんたちは帰られて、本当にずっと三日間ボクを案内していただいて、矢口さんありがとうホンとにありがとうございました、、、、その後ボクと木下君は、夜にまたネギラーメンも食べに行きました。そしたら、木下君がぎっくり腰やっちゃって、、ナンてこった、、えばっちも一週間前にやっちゃったバッカリで、ナンてコッタ、、木下君はタクシーで帰りました。

 

 



翌朝、アパートまで、好きだと言っていたカツサンドを買って持って行きました。二人で音楽聞きながら食べて、今度の五月の交流広場のミニリサイタルのハナシして、お互いにゲンキでまた会おうやと言ってフツーにすーっと別れて、飯田駅から名古屋行きの高速バスに乗って帰ってきました。飯田駅コンなに小さかったっけ、高速バスの振動と音には参っちゃって、もう高速バスには乗れないなぁぁぁーーと想いました。帰ってきて、無事帰着の連絡をなかまに入れたら、おツカレでしたね、、でも、ホンとにいい顔してます、良い交流だったんですね、、と云うことで、、三人で、こうしんラーメンに台湾交ぜそばを食べに行きました。ほっと一息しました。

 都合三泊四日の旅に為りました。ありがたいことです。本当に歓迎していただいた皆さんに感謝です。五月の交流広場も、盛り上がりそうな気配です、、素晴らしいです。ありがたいです、、出会いに感謝感謝です。

 そうそう、そうだそうだ、お鍋食べ放題→焼うどん→信州そば→ナポリタン→ネギラーメン→台湾交ぜそばの流れで、愉しかったです。この交流の旅は食べ物と一緒に記憶されるなぁぁぁーーーありがたや。

 病者の皆さん、スタッフの皆さん、また、今度は五月に再会しましょう。

 

               2022/12/12   前進友の会やすらぎの里作業所 

                 キーサン革命の鬼えばっち 江端一起




本編  作業所患者自治会のススメ 【はじめに 嬉しいオドロきと希望を】

本編  作業所患者自治会のススメ

 

【はじめに 嬉しいオドロきと希望を】

 そう、もっと積極的に考えたらよかったのです。そうなのです、患者自治会には可能性があるのです。コレからの【精神病者ウンドー】のムゲンの可能性がアルんです。と云うのも、えばっちとしては、「ごかい」は解散してしまうし、病者集団は分裂しトンデもナいノリの無仁義極まりない乗っ取りと、掠め取り盗み捕りを見たからです。しかも、「天上天下病者反撃」のあの本の患者会が、もはやほとんど活動されていないからです。ナントか精神病患者会のタネを、より遠くに、より広く、より深く、撒いて蒔いておきたかったのです。

 ところが、今年2019年4月15日に、東京江戸川の地で、悠遊舎のみなさんと、青森サンネットのみなさんと、八王子ホットのみなさんと、我が前進友の会やすらぎの里とで、交流と、会議を持ったのでした。真っ先に、会議の途中でしんどくなってきて、音を上げて途中退席をしていたのはエバッチだったのですが、兎にも角にも、『四者の共同作業所で、通所者側とスタッフ側からそれぞれ1名ずつ出して、みんなで公開交流会的なシンポジウムをやろう』と云うことが決まったのでした。そんな中で、そうやと、こりゃあ、ぎりぎり追い詰められたからの展開じゃなくて、作業所内に自治会を作ろう、デイケア自治会を作ろう、という呼びかけはひょっとするとこりゃナカナカのものなのではないかと、ジブンから提起しておいてなんですが、これはなかなかの可能性を秘めているのではないかと、今の世の中でコレを言っていくことには、凄い意味があるかもシレナいと、想ったわけなんです。そうそれは、ありがたいことに、『希望』が、少しだけ見えた瞬間なのでした。

 だから、『交流会 仮』をやりませんかだけではなくて、まずは、この四か所の共同作業所内に、実質自治会を起ち上げていきませんかと云う、具体的な呼び掛けを、また具体的に患者自治会を作り上げていく過程での、シンパイ事もちゃんと書いておかなあかんな、と想ったわけなのでした。そして、書き上げたものを持って、10月の『交流会 仮』までにもう一度みなさんのところにお邪魔したいなぁぁぁと想ったわけなんです。行けるかな、、、体力的にムリかな、、、行きたいなぁぁぁーー



【A】おもたい、しんどい、くちもおもい病者みなさんへ

 すいません、大病者の大先輩の、みなさんに、えばっちごときが、ナニを言えましょう。悩みました。でも、これだけは、みなさんにお願いしたいのです。BグループCグループのなかまたちが、わさわさと為り出したら、、少し、は、少しダケは温かく見守ってはもらえないでしょうか。もちろん、わさわさし過ぎたら叱ってやってください。そしてもちろん、Dグループの若者たちには、パスンと、エラそうにするんじゃないと、叱るダケではなく、叩き出して性根を叩き直してやってください。よろしくお願いいたします。AグループBグループCグループDグループ、みなさんがまず先頭に来るのです。まずみなさんが、ホッとできる場でないといけないのです。くちもおもく、病気もシンドいみなさんの意見が最大限尊重されなければならないのです。精神病者として最大限の尊敬されなければ、ならないのです。すくなくとも、みなさんの最低限の暗黙の了解と云うか、その範囲内でしかBグループもCグループも動けないのです。

ミナサンには、絶対的拒否権があります

宜しくお願い致します



【B】若い、中年の、やる気のある、病者のみなさんへ

 みなさん、みなさんこそが、原動力になるでしょう。おそらく、みなさんがやってみようじゃないかと言い出すと想うのです。おそらくみなさんが、最初の一歩を踏み出すことによって、動き出すはずです。タイヘンだと想います。おそらく、みなさんのノリが自治会を決定づけるのだと想います。おそらく、みなさんの負担は大きいのです。しかも、みなさんは、自治会を作り、運営していく過程で、気をつけなあかんことがいっぱいあるのです。ツラくてシンドいことが、いっぱいあるのです。タイヘンなことも一杯あるのです。そして、それは、もしかしたら病者内に序列を階層を生み出すかもしれないのです。それはもしかしたら障害者内にエリートを生み出してしまうかもしれないのです。活動家を生み出してしまうかもしれないのです。そしてそれは、その作業所がそれなりに上手く行っていたことや関係性や動きやいろんなことを、一旦は少しは、もしかすると大分と崩してしまうかもしれないのです。

 でも一方で、病者同志が支え合って生きていくセーカツそのものがゲンジツ化し、、そしてそのコトがスタッフの医療行為や福祉行為の正当性を担保することに繋がっていくのです。だからこそ、だからこそ、最大のやりがいや生きがいや感動が、もたらされるのです。それは、おそらく、学者たちが色々な外国の横文字のSSTだのRehabだのACTだのオープンダイアローグだのヒヤリングボイセスだのクラブハウスだのマインドだのセルフヘルプグループだのマインドフルネスだのオルタナティブだのピアカウンセリングだのピア何とかだのを持ち出すナニカよりも、具体的な作業所内の患者自治会なのです。通所患者自治会のセーカツとウンドーなのです。本当に自らが自主自立・自尊自衛・自炊自レク・自治独立を目指した時に、横文字ものとは比較にならないような、リクツだけではない、ホンモノのセーカツからの感動が生まれるのです。だってだって、ピア何とかとか言いながらも、結局は、病者自身が自主的に自立的に自分たちのことを決めていくことができなかったじゃないですか。学者は横文字のキレイごとバカリ言うじゃありませんか。イタリアがトリエステがマインドがナンだと云うのですか、あの厚い鉄の扉の向こうの入院も、退院も、薬を飲むのも、薬を減らすのも、閉鎖病棟も、保護室も、電気ショックも、自分たちでは決められなかった。自分たちでは決められなかったのです。作業所に行くのだって自分たちでは決められなかったのではないですか、、、親と、スタッフと医者と、行政のケースワーカーが「あなたの為ですよ」と言いながら、勝手に決めてきたのではなかったですか、、、だからこそだからこそ、これほど、セーカツを密着してやってきた関係性の深い、そして老いも若きも重たい病者も少し軽めの病者も、そしてやる気のあるスタッフもいる作業所やデイケアやサロンで自治会を起ち上げて、自分たちのことを自分達で決めてやってみませんか。レクの行き先からです。食事会のメニューからです。ソコから始めてみませんか。タイヘンなことも多いですが、生きている実感と、支え合って生きていく感動が、てんこ盛りにあるのです。

 もちろん、気をつけなあかんことのほうが一杯あるし、ツラクてしんどくてタイヘンなことも多くなるし、階層が、序列ができるかもしれないし、上手く行っていた関係性を壊してしまうかもしれないですし、自分自身の病気もワルクなるかも知れないし、活動家、病者運動ボスになってしまうかもしれない。そう病気だってワルクなるかもしれないんですよ。でも、でも、ジブンの身を守るだけで精一杯だからこそ、みんなで守りあい支えあう、てまひまかけてやったら、やったからこそ、みえてくるものがある、やったからこそ、知り得ることがある、手ごたえが、感動があるんです。強制医療や強制福祉から世の中からジブンの身を守るだけで精一杯な時に、そう、なかまとともに、守り合うんです。スタッフだけでは、足りない部分があるのです。それをみなさんが原動力になりながら、やるのです。作業所のジッサイのセーカツからくる通所者患者自治会なのです。一緒にやってみませんか、宜しくお願い致します。

 



【C】若い、自治会の必要性に疑問を感じているかもしれないスタッフのみなさんへ

 みなさん、タイヘン厄介なことが始まります。皆さんにとっては、何でこんなことを支援するのが作業所の職員としての仕事なのかと思われることでしょう。 本音で行きましょう。皆さんの大学や専門学校で習ってきた医療系や福祉系の授業の中に、ピア何とかとか当事者主体とかオープンダイアローグとかSSTとかサルーテメンターレイタリア万歳とか、さぞかしの綺麗ごとが並んでいたことと思います。しかし、本当に精神病者が作業所の通所者が自主的に自立した意見を積極的に個人ではなく自治会として主張し始めた時、みなさんは本当のトコロ、厄介なことだと思われるでしょう。さらに言えば、シゴトが余計に増える上に、一人ひとりの対応に時間がかかる、その上にスタッフとしてパッパッパと物事を決めていくことができなくなった時、自立した意見を言う患者さんが出てきたとき、ドウ対応するかであなた達精神医療や作業所スタッフと云う精神福祉従事者の質が問われるんですよ。これは、大学の社会福祉科や専門学校のキレイごとで習えることではないのです。みなさんは、みなさんが務めている作業所の通所者のなかま達とともに、勿論、病状の違いも多々あります。そして、作業所のスタッフのなかま達、これまた、精神病者への想い入れの違いや、福祉全般に対するスタンスの違いや、行政に対するスタンスの違い、倫理観の違い、など、多々あるはずです。その中で、通所者自治会と一緒にやっていく中で、これまで以上に、時間と手間暇がかかることをやっていくことになります。大変です。おそらく、必要性は分からない、自治会の必要性なるものが分からない、十分良心的に精一杯通所者の皆さんのためにやっているのだから、こんなことはいらない、と云う反感すら出てくることもあるだろうと、えばっちは想っています。

 と云うのも、実は、『良心的ウンドー的改革派的医療従事者や福祉従業員』たちが、自立的自発的に己が意見を言い始めた通所患者、入院患者、通院患者さんたちに向かって、『手のひらを返した』かのようにイジワルを始めるのを嫌と云うほど見てきたからです。イジワルなんてものじゃない、そんな事態をたくさんたくさん、想い知ってきたからなのです。

 では何故、必要なのか。何故、精神福祉の中でこの自治会が必要なのか。それは端的に言って、上記のようダカラこそなのです。『良心派改革派』の嘘と綺麗ごとを、『手のひら返し』を指摘し批判し、ホンマものにするためなのです。つまるところ、ソレは、我々通所者の側が精神病者の側が、自分たちのことを自分たちで決められなかったからです。入院も、自分たちでは決められない。親とクリニックの医者と作業所の良心的なスタッフの間で決められて、半分だまし討ちの様に入院させられてきたからです。徹頭徹尾騙し討ちの上で、保護室にぶち込まれ、電気ショックをかけられ、薬をぶち込まれてきたからです。どんなに嫌だと言っても、許されなかった。許してくれなかった。しんどいと言っても、無理やり就労に駆り立てられた。デイケアで、仲間内で仲良くなっていくことを、スタッフに止められた。どんなに友達が欲しくとも、デイケア内の管理のために、お互いに友人になってはならないと云う規則まで、ルール付けされてきたからです。終い口には、精神病でいいんですと言っているにもかかわらず、嫌だと言っているにもかかわらず、「お前はハッタツのアスペルや」と言われてきたからです。どんなに嫌だと言っても、どんなに違うと言っても、「精神分裂病」だと言われ続けてきたからです。食事会でせっかくだからこういうものが食べたいと想っても、メニューが1か月分ビッチリ決められていたのです。兎にも角にも、薬を飲むのにも、薬を減らすのにも、入院するにも、退院するにも、自分たちの意見が聞かれることはない。聞かれたとしても、実は、おざなりで、実際は医者と所長が、スタッフとPSWが、学校の先生とカウンセラーが、良いように言うて、決めてきたからです。

 だからせめて、自分たちがやっと納得している、ココが良いなーと思っている作業所でこそ、せめて、食事会のメニューやレクの行き先や自分自身の出勤時間や退勤時間を、自分たちで決めさせてください。せめて、ここでなら自分たちのことを、仲間同士の中で決めさせてください。さらにいえば、ピアなんてきれいごとではなくて、同じ病のなかま同志が、支え合って生きていくと云うことを、やらさしてください。その中で、老いも若きも重たい病者も少し軽めの病者も、「自尊自衛」「自主独立」「自存自営」「自問自答」「自炊会食」「自由自レク」「自陣自闘」「怨念執念爆発」「狂気炸裂」「自尊自衛」「仁義通信」をやらして下さい。そして、一度でいいから、「居直り居座り」「我意自意貫徹」を本当に出来るのだと云うことを、やらせてください。それがあまりに「我意自意」が酷過ぎた場合、それを止めるのは、作業所スタッフや医者や看護婦看護士ではなく、なかまたちが止めるのです。だから、自治会なのです。いっぺん自分らで決めさせてくれと云うことです。それが、あまりにひどかったら、「センセー」が止めさせるのではなく、なかまたちがなかまとして止めさせる、そんな自治をやらさせてくれ、と言っているのです。

 それが、あなたたち皆さんのやっている福祉のシゴトとやらの、正当性を担保してくれるのです。専門職能性や第三者機関や学会が担保するのではないのです。通所者自治会こそが、いいとこも悪いとこも含めて、あなたたちのやっていることの正当性を担保することになるでしょう。だからこそ、職能団体の協会や、職能団体の学会や、行政の第三者委員会や、適正化委員会が、あるいは、ついにはどっかの裁判所が、あなたたちの仕事ぶりをあげつらう時、そのあなたたちの最大の味方は、あなたたちの仕事ぶりの最大の監査役は、通所者患者自治会になるのです。だから、行政や第三者機関アタリが変なことを仕出かし仕掛けてきても、通所患者自治会があなたたちと一緒に闘ってくれるでしょう。

 しかも、あなたたちが良心的にやっていく中で、他団体や他の職能団体などの、例えばまるで儲け主義の起業家や企業家がやっているような作業所や貧困ビジネスのような作業所のようなところを、専門職能性の良心にかけて批判しなければならない時、その最大の味方も通所者患者自治会になるのです。もし、その批判が状況的にはスタッフとしては出来得ない時、その闘いの矢面に立てるのは、もしかすると、通所患者自治会なのです。しかも、繰り返しになりますが、自分たちの専門職能牲や支援の内容や仕事ぶり、さらには人権と云うものに対する真の意味での配慮の中身を担保してくれるのです。自分たちのやっていることの正当性を担保してくれるのです。自分たちの『支援』が『支援』の中味を本当にチェックできるのは、通所者の側なんですよ。でも、個人だと、言いにくいんですよ。だからなかまとともに言う、つまり、通所者自治会と云う『会』として言うのです。われわれは、自分たちのことを決められなかったのです。自主独立、本音の意見を言い始めたとき手のひら返しで酷い目にあってきたのです。だから、せめて、作業所での食事会やレクのことなどは決めたいのです。

自分たちで、入院も退院も、閉鎖も決められなかった。

行政との闘いに、スタッフだけで闘うものではない。

だから、一緒にやりませんか。

宜しくお願い致します。






【まとめとして最後に 目指すべきもの】

 実を言えば、ここで、作業所患者自治会や、サロン利用者自治会や、デイケア利用者自治会、あるいは、コトの最初に戻って、入院患者自治会が出来るところは良いのです。問題は、自治会が出来得ないような作業所にこそ必要なのです。悪辣極まりない儲け主義の、トンデモナい企業家がやるような作業所にこそ、必要なのです。でもそんなところには、実際に作りえない。

 だから、まずは、つくり得るトコロで作って、悪辣極まりない『YYY仮称』のようなところへと影響を及ぼしていくのです。コトの最初から言えば、入院患者自治会が精神病院の『開放化』に影響を与えました。そのことが全体の精神病院の開放化に影響を与えました。それは、とてもとても地味でその場その時その人自身の入院セーカツを懸けたものでした。それを、今度は作業所でやるのです。たくさんあった患者会の経験を受け継ぎながら、今度は、みなさんが作業所やサロンやデイケアグループホームでやるのです。まずは、自分たちの作業所を『開放化』し、『解放化』するのです。そしてそれは、なかまたちをトンデモナい酷い精神病院に入院させたり、『YYY仮称』のような作業所に行政からふっと送り込まれた時に、救い出してくる、あるいは、そういう所にはなかまを行かさせない、行かさせても持って行かれても、最終的には自分たちの自治会のある作業所に取り戻してくる、そういう取り組みになるのです。そして、ロクデモナい「貧困ビジネス」のような作業所をまずは、少しでも、『開放化』しましょう。

 世の中や、マスコミや、学会や学者やケーサツが、家族が、みなさんを閉じ込めようとしてきたとき、まずなかま同志で守りあうのです、スタッフも守ってくれるでしよう、でもそのスタッフが諦めても、なかま同志はあきらめない。キレイ事はよしましょう、もしなかま同志が諦めてもスタッフが諦めないカモシレナイ、更にでもそのスタッフがまた諦めても、なかま同志はまたあきらめないカモシレナイ、だから、ジブンの身を世間様から守るのに精一杯の時、患者自治会で、スタッフとともに、その守るチカラが二重三重に、為るのだと云うコトなのです。希望はあります。たくさんの患者会の経験が、みなさんに受け継がれるでしょう。希望があります。宜しくお願い致します。





みんなで、作業所でココで、ココの場で

患者自治会をこしらえて

キーサントモダチに為って

お互いに支え合って生きていきましょう

「他人を殺してしまわないように」

「ジブンを殺してしまわないように」

「世間様や親や医者から殺されてしまわないように」

希望は、あります、とてもあるのです

だから、だからこそ

作業所通所者自治

デェイケア通院者自治

グループホーム入居者自治

を目指してみませんか

拡く更に拡く、遠くへ更に遠くへ、深く更に深く

  出来るだけ遠く、患者会のタネを撒きたいのです

  出来るだけ拡く、患者会のタネを撒きたいのです

  出来るだけ深く、患者会のタネを撒いておきたいのです

キーサントモダチに為ってキーサン人生を生き抜きましょう

宜しくお願いします



2019年4月15日起稿 6月27日一旦完成稿として

 

精神病患者会前進友の会やすらぎの里作業所

あくまでキーサン革命の鬼えばっち 江端一起

 

前進友の会やすらぎの里のホームページ

http://yuinoumi.web.fc2.com/zenshin-index.html

えばっちのはてなブログ

https://ebacciblog.hatenablog.com/

えばっちのホームページ 乾坤一擲

http://ebacchihomepage.dousetsu.com/index.html

えばっちのタンブラー

https://kisanebacci.tumblr.com/




 【追記】 できますれば、「作業所患者自治会を目指しませんか」と「患者会とはナンなのだ」を読んで頂ければと想います。長い文章ですが、宜しくお願い致します。えばっちのホームページ「乾坤一擲」よりPDFとしてダウンロードできるようになっておりますので、宜しくお願い致します。特に「患者会とはナンなのだ」の「❷患者会の構成A>B>C|D」を読んで頂ければありがたいです。宜しくお願いいたします。





「作業所患者自治会のススメ 」 口伝編 【生きがいの格差】  何故、今、『患者自治会』なのか なぜに、これほどまでに 今のイマ時に、必要なのか? 『生きがいの格差』がアルんだ 『はたらきがいの格差』がアルんだ

「作業所患者自治会のススメ 」

口伝編 【生きがいの格差】 

 

何故、今、『患者自治会』なのか

なぜに、これほどまでに

今のイマ時に、必要なのか?

『生きがいの格差』がアルんだ

『はたらきがいの格差』がアルんだ

『必要とされる実感の格差』がアルんだ

『スタッフ』側と『通所者利用者』側との間に

『必要とされる実感の格差』がアルんだ

『活動家運動家病者』と

『病者大衆病者庶民』との間に

『生きがいの格差』がアルんだ

『本物のトモダチ』『本物の生きがい』『本物のはたらきがい』『本物の人間関係』『本物の友情』『本物の生きる実感』

『本物の必要とされている実感』を

見い出せる可能性を奪わないでくれ、ジャマしないでくれ



「世間様や親や医者に殺されてしまわないように」

 生き延びるために守りあって生きる。お互いに助け合って生き延びるシカないゲンジツがアッタのだ。今だってモチロン『殺しの精神病院』も『殺しの精神医』も『殴りの看護士』もイルんだ。今だって、、、だから、個人だけではなく団体として医療と福祉と専門職を監視しながら、お互いを守りあって、生きる支え合って生きる、まずは、食事会とレクをしながらキーサントモダチに為りながら、キーサントモダチだからこそ『殺しの精神医療』から守りあうのダ、だからこそまずは、『自分たちのコトは自分たちに決めさせてくれ』と、叫んでいくのだ、だって、入院するのだって退院するのだって、クスリを増やすのか減らすのかも、通所するのかどうかも、自分で決めてはこれなかったのだから。今まで、ずっと言い続け書き続けてきたこと、全てだ、、、

 

だけれども、だけれども、地域や状況によっては、これほどまでに精神福祉が『充実』してきつつある今、「患者自治会」為るモノが本当に必要なのかと、スタッフ側も利用者通所者側だって言いそうだ、いや、問われるのは当たり前だと想う。

『精神病患者会』の必要はなくなったのではないか、と云う声も聞こえる。それは、えばっちの幻聴ではあるまい。

 『精神福祉の充実』と比例するかのように『精神病患者会』は無くなっていったのではないか、とそう想う、えばっちだって確かに、そう想う

 患者会の側に内在する『シッパイ』もアッタだろう、もちろんソレはアッタ、書き続けてきた、、、しかも、精神医や学会ありとあらゆるとこから、どう言い作ろうが本音では『精神病患者会』を無効化しツブしたい、無視しておりたいという、『良心的改革派』の精神医家族会人権活動家ですら、いや、だからこそ、「厄介者を叩き潰したい悪意」があり続け、それは隠しおおせるわけもなく、ソンな悪意に取り囲まれていたことも事実であろう、、ソレも書き続けてきた、、そしてまたもちろん、『悪徳』『殺しの』精神病院経営者や業界団体の親方たちからは、徹底的に憎悪されてもいただろう。それは、えばっちの被害妄想と云うワケではあるまい。

 

 しかし、確かに『良心的』『改革派的』作業所やディケアやクリニックやグループホーム訪問看護が出来始め『充実』してくるとともに、『精神病患者会』がなくなっていったこともまた、事実であろうと、そう想う。

 

だったらに、何故、イマのいま時に「精神病患者自治会」の必要性がアルのだ

もはや役割を終えたから「患者会」は無くなっていったのではないのか、とそう問う声が聞こえる

そのトウリだ、だから、えばっちはこう言いたいのだ

チガウ、逆だ、逆なんだ、これほどまでに精神福祉が『充実』してきつつある今こそイマの今時にこそ必要ナンだと言いたいのだ

イマの今時の『最も良心的な事業所』『最も一所懸命頑張っている専門職』の事業所にこそ、必要なのだ。コンな世の中だからこそ必要なのだ。今のイマこそ必要なのだ

福祉と医療が『充実』すればするほど必要なのだ

何故か何故なのか  

「他人を殺してしまわないように」

「ジブンを殺してしまわないように」

死なないようにする。

ドウやって、、、『生きがい』を見い出して、、、、

 

 『人と人との本物の関係』の中で、『本物のはたらきがい』を、、『本物の生きがい』を自分自身で、なかまとともに、見い出そうとするジッサイのセーカツのなかでしか、『本物の生きることそのもの』を、『本物の生きる喜び』を見い出すことが出来ないからなのだ。『孤独こそ最大の絶望』 『真の孤独こそ絶望』、だからこそ、『生きがい』も『はたらきがい』も『やりがいも』見い出せなくなってシマッタときに、『鬼が暴れ』だしちゃうんですよ。「他人を殺してしまう」か「ジブンを殺してしまう」少なくとも、えばっちはソウなんです。

 つまるところ、『本物の人間関係』の中でこそ、『本物の必要とされる実感』が生まれるンですよ。『サービスの供給者受給者』の中では『サービス契約』のなかでは『サービスの専門職能性とサービスの受益者』の中では、通所者側は利用者側は、それは、却って、その『人間関係』を、『生きがい』をナカナカ見い出せなかった。見い出しては来れなかったのが精神病患者であり、もちろん『殺しの精神病院殺しの家族殺しの専門職』から、まずは生き延びなければならなかったからなのだが、しかし、今こそ、イマの今時にこそ、『良心的な福祉と医療』が『充実』すれば『充実』すればするほど、『お客さんのママ』でいいのか、『サービスの受給者のママ』で『サービスの受益者のママ』で一生を終えてしまうのか、『オレ達の人生とはナンだったのだろう』かと云う想いと為って、謀反と為り反乱と為りながら『なかまと為ってトモダチと為って』いくハズのモノダッタとそう想うのだが、、、だが、チガった。だから『ピアサポーター』だとか『オルタナティブ』とか『ピアカウンセラー』だとかキレイ事言って『本物の人間関係』を奪わないでほしい、と叫ばざるを得なくなった。

 だから一方で、『患者自治会』は、それは、コレでいいのだろうかと『悩み始めていた』本物の『支援者』『専門職』にコソ、ナニかしらの回答のキッカケをもたらすであろう。『生きる実感の格差』を生み出し、ドンドンその格差を拡げて行っていることに何故気付かないのか、、、

いや、気付いているがゆえに無視していくのか、、、そのリクツ付けにこそ『専門職能化』『国家資格化』『学会化』『適正手続化』『福祉サービス化』『自立支援契約化』『アセスメント化』『システム化』『ルール化』『マニュアル化』が最大限利用され尽くすのか、、、『必要とされていないこと』を実感した時の絶望を想えば、作業所やデイケアSSTオルタナティヴや当事者研究や、ソンな場でこそ、その場でその時にスタッフ側と利用者側で『必要とされることの格差』が、極大に拡がっているゲンジツを見るコトになるハズダッタのだが、、ソウは為らなかった、、、ソコに『発達障害概念』と『福祉サービス医療サービスの受益者』と『自立支援サービス供給契約』と『第三者人権擁護適正委員会機関』に、えばっちは、悪の根源を見るのである。

 

 『必要とされている実感』がなければ、『必要とされる場』が無いと生きてはいけない。だから、『役割』を見つける。『必要とされる関係』をこしらえていく。『支え合って生きる』と云う『役割』を自分たちでこしらえていく。それぞれが必要とされる場を自分たちでこしらえていく。必要とされている実感と人間関係を場を共にしながらこしらえていく。『支え合って生きる』だからコソのキーサントモダチなのである。人は、特に弱いものは『群れ』ることでしか生きてはいけない。ひとは一人では生きてはいけないから。『本物の生きがい』が必要だから。『本物の生きる実感』を求めるのだから。『人である限り生きなければ』ならないのだから、、、『よりよく生きなければ』ならないのだから、、、『右肩上がり』ではなく『社会復帰路線』『働く権利』ではない、の、だけれども、そう『よりよく生きて』いきたいのである。ソレを奪ってほしくないのである。『本物の生きがい』を見い出して『生きていきたい』のである。

 ナンダカ「似非道学」「似非倫理道徳」を語っているようで、「腐った似非生き方セミナー」のようで、嫌に為る、コンなコトを言うのは、、、えばっちが『道徳』『人の道』のようなコトを語れるわけがない。

 でも、『一所懸命ガンバッているスタッフ』側からの「今、これだけ充実し掛かっている精神福祉の中で、私たちの実践の中に、今何故にココに必要があるのか」と云う問いに答えなければならなくなった、、、、、生き延びて生き延びて生き延びて『やっとこさココにたどり着いて優しいスタッフに囲まれて生保も年金も貰えるようになったし、訪看の看護婦さんもヘルパーさんも来てくれるようになって優しいし、ご飯も作ってくれるし、もうコレでいいやと感じている通所者利用者』側からの「今何故にココに必要なのか」と云う問いに答えなければならなくなった、、、

 だから、敢えて「患者自治会のススメ 口伝編」として、少し書き残しておこうと想った。でも、コレは伝わらない。コレはハナシていかなければならないのだろうとソウ想う、、でも出来うる限り『活動家は喋らない方がいいに決まっている』、、だから少しでも喋らなくて済むように「患者自治会のススメ 口伝編」なのである。だからこそ『副読本としてのキーサンセーカツ列伝第一巻』をまとめてみたのである、二巻三巻と続けてみたいと想う。そして、四巻か五巻目あたりには、おそらく、書きたくないことも書かなければならなってくるだろうと、恐れている。

 そう、『素晴らしいよくやるスタッフ』と『通所者』が『福祉サービスの供給者受益者』に為ってしまった時に、『スタッフ側の愛とやりがい』に囲まれてしまった時に、取り返しのつかないようなことがおきてしまうのである。『通所者』『利用者』側の病者にナニが惹起されてしまうのか、ナンと「前進友の会やすらぎの里作業所みんなの部屋」でナニがひきおこされてシマッタのか、えばっちは、見てきたからなのである、、、病者間に『支え合って生きる』ではなく『足の引っ張り合い』がおきてしまうのである。そう『スタッフ側の供給するサービスの質と量の奪い合い』が始まってしまうのである。

 そしてついにはそう、まるでまるで『ホストクラブのホストの奪い合い』か『キャバクラのお姉さんの奪い合い』のような『福祉サービスの量と質の奪い合い』のヨウなコトに為ってくるのである。『キーサントモダチ』ゆえの『ニクマン』とは似ても似つかないような、、、それでいてスタッフ側は、『やりがい』『生きがい』『働きがい』にまみれて亢進につぐ昂進のあげくに『燃え尽き』の様になりながら、ついには、『依存されることに依存』していく仕儀と為る。詳しくはもうココでは語れない、、、もう嫌なのだ。シンドイのだ。そう、だから、コンな場合に備えて、『福祉サービスの提供の公平性と平等性』を担保せんがためにこそ、『専門職能性』『国家資格』『契約関係』『適正化委員会』『第三者機関』が必要に為ってくるのである。それと、ありとあらゆる『ピアサポート』ダノ『オルタナティヴ』ダノ『アドヴォカシー』ダノ『オープンダイアローグ』ダノ『ノーマライゼーション』ダノ『ラップ』ダノ『アクト』ダノ『リカバリー』ダノと『片カナ用語的おためごかし』が必要に為ってくるのである。ナニかが、決定的に欠如しているのが分からないのか、、、


 
逆だ、逆に為らないと、タイヘンなことに為ってしまう。ナニもかもが失われてしまうんだ。『運動的積み上げ』すらも、すらも、失われてシマウコトに為るのに、ソコに気が付かないのか、、、『制度』ダケが『法律』ダケが立派に為って、、、、『本物の人間関係』『本物のトモダチ』を『本物の人と人との本物の関係』の中で、『本物のはたらきがい』を、、『本物の生きがい』を、、、、、なかまとともに、見い出そうとするジッサイのセーカツのなかでしか、、、、『本物の生きることそのもの』を、、、、『本物の生きる喜び』を、、、、、ああああぁぁぁドウ言えばいいのか、、、だから、「キーサンセーカツ列伝」で書き綴ったような、ボクたちもそリゃあーーイロイロと、ホンとイロイロはアルんだけれど、アリながらだけれども、コンなカンジの『雰囲気』の『与太話』や『レク』や『旅行』や『関係性』や『ニクマン』や『食事会』や『生きざま』が『死にざま』が『トモダチがい』がみなさんの場にアリますか、と言わなければならないのか、、、、こんな『与太話』しながら『ニクマン』まみれになりながら『愉しく』ながらも『シンドく』ヤッていますか、と、、、こんな『食事会』やってますかと、、、、、

 だから、だからこそ、『充実』した『良心的』な『素晴らしい取り組み』をしている福祉事業所でコソ、スタッフ側と通所者側の『生きがいはたらきがい』の格差が拡大していくことの皮肉を徹底的に見つめることである。ソレを本当に見えて、わかっているのだろうか。そしたら、では、その『生きがいの格差』をドウ埋めていくのか、そも、倫理的にこの『生きがいの格差』は許されるのか、許されないとしたら、ドウやって、ドウやったら、この『格差』を埋め合わせて行けるのか、『良心的』『革新的』『ガンバッている充実している福祉事業所』にこそ、イマの今こそ『患者自治会』が必要なワケがココにある。

すなわち『生きがいの格差』を通所者側からもスタッフ側からも、『両方から双方から埋めていく』その取り組みの最大のものが『患者自治会』なのである。

 だからこそ、共同作業所やサロン等々の福祉事業所において、『する側』『される側』の『スタッフ側』『利用者側』の立場性を踏まえた上で、真の意味での『共同作業』が、おそらく初めてジッサイ上も倫理的にも成立する要件が『患者自治会』なのである。『患者自治会』のアル『共同作業所』『サロン』『デイケア』コソが、本物の『共同作業』を通じて『本物の人間関係』と『本物の生きがい』を『利用者』側『スタッフ』側双方の側に見い出していけるであろうとそう想う。『双方の側』の『生きている実感の格差』を埋めていくことが出来るであろう。飽くまで『双方の側』から埋めていくのである。『片方の側』ダケから埋めていくのではない。だから『患者自治会』なのである。

 

そして、そう更には、同じ精神病者間にもこの『生きがいの格差』は厳として存在する、と言わなければならない。すなわち『活動家病者』と『フツーの病者大衆患者庶民』との間に、『エリート障害者病者』と『フツーの障害者病者庶民』との間に、『必要とされる実感の格差』『はたらきがいの格差』『生きがいの格差』は厳として、ゲンジツにジッサイに存在するのである。セーカツから離れた『運動家』『活動家』『活動家集団』の運動を批判し続けてきた意味がココにある。



 オレだけ生き延びてしまった、、、、あの信州の精神病院からオレだけが生き延びてしまった、しかもあの病院から運よく生きて出られた患者の中で、『前進友の会やすらぎの里』と出会うことが出来て、またもや、運よくオレだけが『キーサンとしての生きがい』を得て『キーサンの人間関係』の中でオレだけが『生きている実感』を感じているのなら、ソレは恐るべきことである、とソウ想う。許されることではないと想う。だって、えばっちだって『病者運動ボスの活動家』ナンだから、、、

 『当事者運動家』諸氏よ『当事者活動家』諸氏よ『国家資格専門職人権擁護活動家』諸氏よ、それでいいのか、、、本当にそれでいいのか、、、イマの今時にこそ『ピアカウンセラー養成講座』『ピアサポーター養成講座』を批判し尽さなければならない、なんとなれば、このママでは障害者間に最大の『生きがいの格差』をもたらすであろうから、、、

すまし顔の猿のようにスーツを着て人前で得々と法律のハナシを語る『当事者』ほど、この『生きる喜びの格差』を意識的に拡げる存在はなかろうに、、、

 『パラリンピック』を批判尽さなければならない意味がココにある。『パラリンピック金メダリスト』ほど障害者間の『生きがいの格差』を見せつける存在なかろうから、、、とすると、精神病患者にとっての、或いは『所謂言うところの発達障害者』とっての『パラリンピック金メダリスト』とは、ドンな存在であろうか、、、そう、みなさん御想像のとうりであろう、、、

 ソウなのである、すなわち、自分の活動と論文と国会と外国旅行のために、自分が味わったこともないような、精神病院のコトや精神診療所、閉鎖病棟保護室や五点張りや電パチや、看護士精神医の暴力や、クスリ飲んでない奴がナンで大量投薬や大量減薬の害を言いつのって、まるで自分がやられたかのように喋る、これは、もはや同じ『病者なかま』を『利用』し尽した『生きがいの搾取』であろう。そう、もはや、『無仁義病者運動ボス』の『利用』し尽くす『オモタい病者なかま』への『生きがいの搾取』である。コレはひょっとすると『良心的一所懸命のスタッフ』達の『モノ言わぬ通所者』『依存してくる利用者』側への『必要とされる実感の格差拡大』よりも、悪辣極まりないことかもしれないと、想うのである。だって『酷な』言い方かもしらぬが『一所懸命やる良心的スタッフ』は確かに、病者のセーカツを支えてはくれてイルのだから、、、、、特にPSW系は、実質のセーカツの糧を入れ込んでくれるわけなのだから、、、

 とすると、『無仁義病者運動ボス』の『利用』し尽くした挙句の『オモタい病者なかま』への『生きがいの搾取』とは、、もはや『生きる実感いのちそのものの盗人』であるとシカ言いようがない、、、倫理的に許されることなのであろうか、、、酷な言い方ではあろうが、『精神病者解放運動の本筋』がコレに為ってシマッてきたのが、精神の当事者運動の不幸の一つだと想うのだが、ドウであろうか、、そして遂には『無仁義病者運動ボス生きがい搾取者』『精神病患者の生きる実感盗人』とシカ言いようのないような者までも登場である。コンな者までもが、登場したのである。怖ろしいことだ。しかも、しかもである、『被害』の実態を公表し批判することも出来なくなり掛かっている、コンなていたらくだから、とにもかくにも『活動家は喋らない方がいいに決まっている』と叫びたくなる。

 


 だから、『選ばなければならない』と想うのである。『選べる』状況がセッカクにイマの今時に出来得かかっているのであれば、、、、もちろん、『選べ得る』状況が事態が出来得ていることが前提なのである。だから『イマの今時の良心的素晴らしい福祉』の場でこそ、、、なのだけれど、、、特に特に『支援者』はドウするのか考えないといけない、福祉の大学なんかでは教えてくれないのだから、、、『契約関係』のママでいいのか『人間関係』を目指さなくても良いのか、『サービスの供給専門職』のママで『サービス提供者』のママでいいんですか、、、『スタッフダチンコ』を目指さなくても出来てしまえるのか、、、『する側』『される側』を踏んまえた上で、で考えてもらいたいと、そう想う。そう、キビし過ぎるかもしれない、だから、ココは強くは言えない、、、でもチョットだけ、、『利用者』としては『サービスの受益者』のママでいいのかい、『キーサントモダチ』を目指さないのかい、『群れて』『支え合って』『助け合って』『キーサントモダチ』を目指さないのかい、、、『問い詰める』ようなことに為ってはゼッタイにダメだ、だって、『自分の意向』を聞いてはもらえなかった人生なんだから、、だから、ゴメンよ『問い詰める』ようなことになってはいけないゼッタイに、、、したらアカンとそう想う、、でもでも『患者自治会』を目指して『キーサントモダチ』に為りませんかと呼びかけ続けたい、、、『問い詰める』ようなことに為ってシマワないように、、、『サービスの受給者』のママで『サービスの受益者』のママで『サービスの利用者』のママで『サービスの量と質の奪い合い』のママでいいんですか、、、

 だがしかし、でも、一方で、ココは、再度再度大声で叫んでおこう、特に特には特に『病者運動ボス』はドウするのか『パラリンピックの金メダリスト』に為ろうとするのか『キーサントモダチ』を目指そうとするのか、、、ともあれ『無仁義病者運動ボス生きがいの搾取者』『精神病患者の生きる実感盗人』は在り得ない外道の所行と想うが、、、

 

 もちろん、『生きがい』とは、人それぞれである。当たり前だと想う。『文化』のヂガイもあるだろう。しかも、精神病患者なのだから、その時の『病状』『病勢』だって、『クスリ』だって『歳』だって、入院させられた『精神病院』だって様々だ。そのうえで、その上で、言っている。叫ばざるを得ない。『良心的な福祉のゲンバ』でこそ、『生きがいの格差』は拡がっていませんか、と。そして、その格差をそのママほおっておけてシマえるんですかと。

『スタッフ』側からも『通所者』側からも、その『生きがいの格差』を埋めるためのナニか、、、ナニかをやりませんかと、、、『双方の側』からですよと、あくまでも『両方の側』から、、、、

 

 『生きる実感』の『生きがい』の格差が本当にアルンだけれども、、そこには眼をそむけたママですすんでしまうのかなぁぁぁぁーー選択の結果は、そう、おおよそ、みえてはいるのではあるが、、、しかし選択の結果によっては、、、、だから、、、、『クルシい』方を、『シンドい』方を、、、、『ラクな』方に流れ過ぎると、、、あくまでも、あくまでも、キーサンとして、セーカツと人生をかけて『生きがいの格差』がアルんだ、『はたらきがいの格差』がアルんだ、『必要とされる実感の格差』がアルんだ、『本物の人間関係』『本物のトモダチ』『本物の友情』『本物の生きがい』『本物のはたらきがい』『本物の生きる実感』『本物の必要とされている実感』を見い出せる可能性を奪わないでくれ、ジャマしないでくれと、『双方の側』から埋めなきゃなんないんだ、『双方の側』から埋めていこうよと、叫びたいのである。



『キーサントモダチ』を目指さない『精神病者解放運動』とはナンなのであろうか、、、、、

『スタッフダチンコ』を目指さない『精神医療改革運動』とは

ナンなのであろうか、、、、

心から叫びたい

『キーサントモダチ』に為ろう

『スタッフダチンコ』に為ろう

『患者自治会』をこしらえて、『キーサントモダチ』に為ろう

それがおそらく『キーサン革命』の出発点であり、同時に行きつく先であり、、、、『精神病患者会』がこの世にアッタ事の意味であろうから、、、、

『キーサントモダチ』に為ろう

『スタッフダチンコ』に為ろう

『患者自治会』をこしらえて、『キーサントモダチ』に為ろう

それが『通所者』側にも『スタッフ側』にも

『生きがい』を『はたらきがい』を『生きる実感』を

『契約』することなしに『サービス』であることなしに

『格差』することなしに見い出せるであろう

おそらく唯一の方向性であろうから、、、、

 

2020年2月1日起稿2月22日に一旦完成として

精神病患者会前進友の会やすらぎの里作業所

あくまでキーサン革命の鬼えばっち 江端一起



交流広場、、ありがとうございました、、素晴らしい交流会に為りました、、ありがとうございました、感謝しかありません




みなさん、応援、、そして、ご参加、ありがとうございました、、ホンとすばらしい交流会に為りました、交流会には30人近くの方が、みんなが、ナニかしら、自己紹介を含めて、オハナシしてくださいました、、

ナンと云うか、唄も出ました、スタッフとしてシゴトしているハナシや悩みも出ました、自らの生い立ちも、そして、怨念もでました。人生のハナシ、そして告発も出ました、もちろん、国賠訴訟の意義やこれまでの歴史も出ました、ありがたいです、


自治会を目指しませんか】【キーサントモダチに為ろうよ】【スタツフダチンコに為らない】と、呼びかけ続けてきたことが、ナンだか、実感できた、コウナンと云うか、ヒシヒシと感動して想えた交流広場と打ち上げに為りました。

打ち上げも、19人か20人かで、盛り上がりましたぁぁぁーー、、ありがたかったです愉しかったなぁぁぁー愉しかった、、打ち上げでは『茶色系統の食べ物』バカリ頼んじゃって、ナンといっても、えばっちが持っているフライドポテト、、ナンと二キロもアッタんです、、アヒーー

ホンとにトモダチが、拡がりが出来ましたね、、ありがとうございましたーー愉しかったですねーー

 

ココに来れなかったなかま達のことを、、そして、この在り様でも、参加するのがムズカシいなかま達のことを想いながら、、次回は、ナンと松本でやろうと云うハナシも、出ています、、愉しみにしています、、ありがとうございました、、感謝です