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キーサン革命極意併伝 誤診展望 失敗展開 発達分裂 一巻 壱番 誤診と今後の展望 本当に八割九割が誤診だったのかのかのかのかどうかどうかどうか 誤処方だったのは、間違いないだろう しかし、誤診だったのかどうかは、 ここらで、もういっかい、考え直してみても・・・・・良いのでは・・・・ 見直すべきだ、シンドクても・・・ しんどくてもしんどくてもしんどくても・・・・・・

キーサン革命極意併伝

 

誤診展望

失敗展開

発達分裂

一巻

 

壱番 誤診と今後の展望

本当に八割九割が誤診だったのかのかのかのかどうかどうかどうか

誤処方だったのは、間違いないだろう

しかし、誤診だったのかどうかは、

ここらで、もういっかい、考え直してみても・・・・・良いのでは・・・・

見直すべきだ、シンドクても・・・

しんどくてもしんどくてもしんどくても・・・・・・

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りゅうさんを育てたのは患者会

この意味を分かっているのだろうか。

どうやって、育てたのだろうか

この様な稀有な同志といえる、

キーサンなかまと言える精神医をどうやって育てたのだ。

りゅうさんのあやまりを指摘できるのはキーサン患者会のみなのだ。

家族会や専門家団体が、あるいは、それをやれば、

「見えやすいアクジ」を「見えにくいアクジ」を利することになる。

「見えやすいアクジ」や「見えにくいアクジ」のハンニンたちは

利用してくるだろう、無効化にツカウだろうでも、もっとも、

ただし、さりとて、

りゅうさんにも、あやまりはアル、シッパイもアルのだ。

シッパイもアルのだ、誤診だってアルのだ、

当然だ、ニンゲンなのだから、

でもそれを指摘するのはまずは、キーサン患者会に任せてほしい、

と想う

キーサン患者会のセーカツからの匂いからの実感からの指摘に・・・・

それは個々の個人としてのキーサンではない、

キーサンの集まりとしての患者会のみが、できうることなのだ。

りゅうさんを育ててきたのはキーサン患者会だ。

これからも・・・・・・

もちろん個々のセカンドのゲンジツの場面では、

サードもフォースもあるだろう、

あって、当然だ。

人の命と人生が掛かっているのだから…

セカンド実践とは、当然サードもフォースのオピニオンもあり、

それも、考慮にいれていくということだ

さもなけりゃ、

腐ったファーストダケ精神拷問医と一緒になる。

だからセカンド実践の真の凄みとは、

りゅうさんの診断すらもセカンドされるということなのだ。

ただし「見えやすいアクジ」や「見えにくいアクジ」のハンニンたちに

利用されないように、無効化にツカわせないように。

 

さて、その上で、だ、

誤診誤処方発達統失一巻なのだ。

そもそも、だったら、精神病はあるのかないのか。

分裂があったのかどうか

統失があったのかどうか

躁鬱があるのかどうか。

なら発達障害があるのかどうか

自閉症があるのかどうか。

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そのせーねんは、発達なのか、、、、、

統合失調ではない、

それは、間違いない、

でも、

つまり古い言葉で言う神経症か、ノイローゼか

あるいは、

ちょっとシャイで内気で自信のない屈折した青年

というだけではなかったのか。

シビアな精神病の妹がいて親父は家庭を顧みず、

お袋は妹の世話で手一杯、そんな家庭に育って、

会社でも、仕事の手が遅いと、怒られてばかりいたら

屈折しよるがな、

自信なくして腹痛と、下痢おこすがな・・

そんな青年に

発達とかアスぺルとかラベル貼らんでもええ、

ただただ神経衰弱気味の不登校の青年に

人生の目的探しの旅の途中経過のセーネンに、

発達とかアスペルとか言わんでもええ

統合失調というのは誤診も誤診、ほんと、大問題や。

けど、なんでもない神経衰弱ぎりぎりのシャイな、

人間関係が不得手な青年達に、

発達やたらアスペルやとか

バブルになっとる。

それはそろそろ問題にせんならん

一度貼ってしもうて心裡や精神につなげてしまうと・・・・

ナンゾあった時に、

刑法やのうて観察法に、

ムショやのうて措置入院に、

交番でお叱りで終わるところを、

治療措置にナッテマウカモシレン

それに、そんなに天才ナンかおりゃゃあせん

みんな、天才性もっとっとったら、世の中おかしなりよる。

フツーのシャイな屈折気味のセーネンちゅうだけや。

今の社会に荷厄介なセーネンちゅうだけや、

精神病でもなけりゃ、発達でも、アスペルでも、天才、でも、ありゃあせん

それがゲンジツちゅうもんちがうか。

 

それでも、ハッタツたらアスペルたら、

あるとして、あるのなら、それはなんのためにアルのか

あるとして、あるのなら、それはなんのためにリヨウしたらいいのか

 

精神科ヤラ心理トヤラが大きくなればなるほど

本人、家庭、のセキニンになっていく

社会のセキニンは過小評価されていく

そう原因は本人か、家庭か、遺伝のせいにされていく。

社会や学校や会社や世間のせいではなくなっていく。

だから内因性心因性をもういちど、かんがえてみたい。

古いコトバだけれど心因性抑鬱状態という

コトバをつかわなくなってきたのは・・・・

心因性抑鬱反応というのは・・・・・・

精神分裂病発達障害も、内因性だ、

だって、

生まれつきだというわけやろ。

脳にナニカモンダイがあるんだというんだろ。

心因性反応性環境性ナントカ状態、

もしくは

心因性ナントカ反応であるだけではないのか、

それを分裂病タラ発達障害タラに誤診してほしくない。

 

そして、実は、もう少し、

精神分裂病トシカいえんモンがあるのかもシレン

だから、そのひとたちは、ものすごく苦戦中なのかもシレン

そのくるしみに、めをむけるべきだそして、

クスリの大量投薬でブチまわされた後遺症とも、

減薬すすんで原疾患がでてきてクルシンでいることもまた、

麻薬並みの禁断症状にクルシンでいることも、

ナンダカよくワカラナイでクルシンでいることも、

ともかく苦戦してクルシンデいることに、

もっともっと眼をむけるべきだ。

なんでもない反応性のひとたちが、

誤診誤処方されて精神分裂病も誤診なら

発達障害も誤診で

多剤多種大量投薬によってヤクチュウにされて、

その禁断症状でもがいているのだ

退薬症状でも減薬のブレでもないシビアーなコカインヘロイン並みの

ヤクチュウ患者の禁断症状のクルシミなのだ。

なんでもない反応性のひとたちが、

誤診誤処方されて精神分裂病も誤診なら、

発達障害も誤診で

多剤多種大量投薬によってヤクチュウにされて、

その禁断症状でもがいているのだ。

禁断症状なのだ反応性ナントカ状態なだけだ。

なんでもないひとを、統合失調に誤診する。

発達を統合失調に誤診する。そしてヤクチュウにする。

こういう精神医共をぶち殺そう。

でも、なんでもない反応性のひとを発達に誤診するのも、

統合失調を、発達に

あるいはナンダカヨクワカラナイことを発達にシテシマウのも、

誤診ではなかろうか。

発達を精神分裂病に誤診してしまうのも大誤診だ。

なんでもない反応性のせーねんを発達と誤診してしまうのも大誤診だ。

でも精神分裂病を発達と誤診してしまうことだってアルのかもシレン

アルかもしれんのだぞ、それはそれは、もういっかい見直すべきだ。

でもとにかく、えばっちとしては、

なんでもないセーネンたちを

反応性のひとたちを、

発達やアスペルを貼ってしもうて、

精神科や心理に不用意につなげてしもうて、

ナンゾあったときに交通事故でもやったときに、

強制医療にもっていかれてしもうたら、

とりかえしつかない・・・ことになるカモシレン、それがシンパイだ。

 

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弐番 失敗と今後の展開

それともう一つ減薬のシッパイを、もっとおおきく、

とりあげるべきではないか。

くるしみをもがきを、地面に爪を立ててもがいているサマを。

うまくはいかなかったことを中心に、

もう一冊本を出すべきだツタのでは・・・・・

三冊目は、内海毒トルの羽化本になってしもうたが、

本来は、セカンドシッパイ編、ではなかったろうか・・・

しっぱいを、うまくはいかなかった減薬を、減薬のシッパイで、

グチヤグチャになってしもうたことも・・・・・

ドツボにはまっていくことも赤裸々に語るべきではなかったか。

発達とも統失とも、ナンダカよく分からないことも・・・

ドツボに、はまったことも本にすべきではなかったろうか

赤裸々あけすけに語るべきではナカロウカ。

それもゲンジツなんだから・・・・

 

一冊目が誤診誤処方編

二冊目が、発達編

そして

三冊目がシッパイ編であったのだ、

もしくは、

うまくは、いかなかった編

なかなか、苦戦して、出口がみつからない編だったのだ。

それが、漢方編として内海の羽化本になってしまった、おしいことである。

今からでも「セカンドシッパイ減薬シッパイ編」を出せば、

真の意味に置いて精神医利用の精神科リヨウの

「革命」になっただろうにと、想う。

もしかするともしかすると、ここにこそ、真実がアッタカモシレナイ

「セカンドシッパイそのものに」

「減薬シッパイそのものに」

「うまくはいかなかったそのものに」

これがメインだったのだ、おそらくは、それは、

誤診誤処方よりも、重大なナニカだったのかもしれない。

そうシッパイにこそ真実がアルのでは・・・・・

 

どこに基準を置くのだ。

ヤクチュウの禁断症状にくるしみ抜いて、

うまくいかないなかまにかそれとも、

なんとか、禁断症状をのりきって、

減薬に成功し、うまくいきかけたなかまにか。

患者会の原則は一番ヤマイがおもいなかまに、

あわして、セーカツをくみたてるということなのだが。。。。

食事会の日程だって、レクのありかただって・・・

たとえば、山登りのペースは誰に合わせるのだ・・

だったら、クスリが抜けて、一般就労に成功したなかまにか・・・

それとも、入院退院繰り返してみんなの部屋で、

ダラダラノンビリしているなかまにか・・・

 

もがきぬいてくるしみぬいている途中と、シッパイは、

ちがう、チガウだろうけれども・・・・・だけれど、

手の施しようもないシッパイを認めるべきだ。

減薬途上で、命を失ったなら、それは、シッパイだ

これは、明確にシッパイもあり、ナンダカよくワカラナイこともあることも、

矛盾することも、グチャグチャなことも、アルことを認めるべきだ。

スッキリしたらあかん。

スッキリとした診断基準やセカンド基準や疾病分類や

スッキリとしたモノを疑え、

なぜなら、キーサンのセーカツは

ドロドログチャグチャヨレヨレボロボロしてて、

スッキリとしたものでは、断じてないからだ・・・

スッキリすると足元掬われる。

スッキリとはせず、

グチャグチャかドロドロなセーカツそのものから離れては、イカン。

ゲンジツをみてみろ

セカンドのゲンジツを

キーサンのゲンジツを。

矛盾すること混乱すること、よくはワカラナイことを恐れるな

スッキリしすぎたモノを恐れよ。

 

シッパイとくるしさと、うまくはいかないこともあるとして、

いいことばかりではなく、うまくいかないこともあるのだ、

くるしいものなのだ、としてセカンドをやらなければ、

それは、詐欺だもしくは、インフォームドコンセントたらいうもんの、

ふそくになってしまうぞ、

いいことばかりを、全面に出し過ぎた

いいことばかりしか言わなかったら、

リスクがあること、失敗もあること、

そして、くるしみもあること、

セカンド実践において、

これをまず、明らかにしてから取り組んでいかないと、

それは、詐欺になってしまうぞ。ハッキリすべきだ。

地面に爪を立ててもがいているサマを、

退薬症状でも減薬のブレでもない、

薬剤性精神病などという

キレイな言葉ではくくれない、

減薬すすんだから原疾患でてきているというような

キレイな言葉ではくくれない、

薬中患者の禁断症状と闘ってイルのだ。

ナンダカヨクワカラナイガクルシイノダ。

モチロン退薬症状、減薬のブレ、

薬剤性精神病ということもアルだろう

原疾患出てきたということもアルだろう、

でも、それだけでは、このクルシミようが、

分かってはもらえないのだ。

減薬のシッパイでクルシンデいるのだ

というより他に言いようのない事態だってアルのだ。

シビアーなコカインヘロイン並みのヤクチュウ患者の

禁断症状のような、クルシミなのだ。

結果として減薬に取り組まなかったなかまより、

減薬に取り組んだなかまの方がクルシミが深く辛く、

老後がキビシイということが、あるのだ、、あるのだ、、、

だとしたら、それは、、、、

 

リスクがあるということ。

うまくはいかないということ。

余計辛くなるかもしれないといこともももももももも、もっ、

アルということを明らかにして、セカンド実践しなければ、

詐欺になってしまうぞ。

このまま・・・このままままままでは反面教師内海毒トルと、

横並びにナッテしまわないだろうか・・・足下を掬われないだろうか

それが、シンパイでアル

 

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参番 今後の立脚点

結局当事者の人生を破壊阻害虐待してしまわないかどうかの

ここらで、

いっぺんみんなで、、

みなおすべき、良い機会ではナカロウカドウカドウカドウカ。

まぁもっとも、この現状ゲンジツでは、

まずはおおかたの腐った精神医のアホンダラどもに、

誤診誤処方を突きつけていくのが、

顔面に飛び蹴りともに、突きつけていくのが、

腹に蹴りこみとともに、突きつけていくのが、

わき腹に蹴りこみ当て込んどいて、突きつけていくのが、

まず先なのは分かるのだが・・・・・・・

しかも、腐った精神医を叩きのめしていかんと

生き延びられんことなのだ・・・・それにしても、、、、、、

 

結局は患者の人生を第一に考えたら良いわけだ。

結局はワシラの人生を、破壊も阻害も虐待もしてほしくない、

ただ、それだけのことだ。

 

キーサン革命極意本伝九十七箇条これに戻るだけだ

本伝があっての真伝、そして、本伝と真伝あっての

外伝と別伝と併伝なのだコレは極意併伝だ。

各々にナニを書いてきたのか・・・・

本伝九十七箇条のナニが初伝で・・・・ナニが中伝で・・・・・

中伝極意にはナニが・・・・ナニが奥伝だったのか・・・・

その上で外伝にはナニが・・・・・・別伝にはナニが・・・・・

そして併伝にはナニが・・・・・

そして極意真伝とは、なんだったのか・・・・

最初に書いた「精神科セカンドオピニオンが出て想うこと」に

「青いサナギが羽化をして」にナニが書かれてあったのか・・・・・・



「笠陽一郎は如何にして鍛えられたのか」

「笠陽一郎の医療実践は

如何にして正当化され信頼性を増すのか」

「りゅうさんを育てたのは患者会である」

「精神医を育てられるのは患者会のみである」 

「セカンド実践の真の凄みとは、

りゅうさんの診断をもセカンドされることである」 

「被害を叫べるのは当事者だけである、もしかして反対も」

「究極的にはただただ、当事者患者が救援されればよい、

楽になれればよい」 

「これ以上の精神医と看護士からの被害者を

ださないようにする」

「以上の実践活動においてジブン達自身が

羽化しないよう心がけねばならない」

「不幸にしてココから羽化した奴は

テッテー的に追い回し改心と後悔をさせてやる」

「当然だが、これまでの敵、には

見えやすいアクジのハンニンども、を、ぶち殺し、

見えにくいアクジのハンニンども、を、ぶち回し、

おとしまえをつけさせてもらう」

 

りゅうさんと、患者会との関係の真実を、腑に落ちて貰いたいのだ。

どろどろとドロドロと泥土吐露グチャグチャくちゃぐちゃに

なりながらも、

そこで、笠さんもふみとどまり、

ごかいのなかまたちもふみとどまったからだからこそ、

今のりゅうさんがあるのだ。

そのりゅうさんを中心軸としたセカンド実践があったからこそ、

現在も、そのセカンド実践こそをだいじにしているからこそ、

だからこそ、この早期介入の会があるのだ。

カンジャ会は、鍛えている医者に100点満点は出さない。

いつも良くて75点ワルクテ70点を出し続けてきたからこそ、

希有な精神医が鍛え上げられたのだ。

精神医の方もカンジャ会に、良くて80点ワルクテ75点を、

出し続けてきたからこそ、

自立し自尊し自衛し牙を研ぎ澄ますカンジャ会になったのだ。

患者会が自分の足で立つには、タイヘンなクロウがあるのだ。

希有な精神医が鍛えられるには、筆舌に尽くしがたいことがあるのだ。

そこをふにおちてほしいのだ、さもないと・・・・・・・・さもないと・・・・

 

ということは、

カンジャ会と一緒にやらない精神医が、

踏みとどまることが出来なかった医療従事者が、

セカンドをやるなどということは、

ムリなのだ

踏みとどまれなかった病者達は、

カンジャ会になれなかったのだ

キーサンにはなれなかったのだ。

踏みとどまれなかった医療従事者達は、

けっきよくは、

見えにくいアクジになったのだ。

ふにおちてもらえただろうか。

心配事と言えばふと気がついたらジブンたちが、

全家連ぜんせいれんや病者集団やプシ共闘と、

おなじようになってしまっては、いないかどうか、なのだ。

気を許したら、我々もアッというまに、

「見えにくいアクジ」化してしまうのではないか。

そんなにおそれと闘いながら、精神医療と福祉と闘って

だから、

そんな虞れを、

打ち消すのはセーカツそのものに立脚しているという

一点だけなのだが・・・

セーカツのゲンジツに立脚しているということだけ・・・なのだ。

セーカツに立脚しながら、ジブンたちのやっていることを

いつも、

足元から、セーカツからセーカツ実感から、

きーさんのコトバで、

点検し直し、見直し、想い直し考え直し、

洗い直し続けていかんと・・・・・・・

さもないと・・・・・・・・さもないと・・・・・・・・・

 

えばっちとしては、以上参番、言っておこうと、想う・・・・

流れに、またぞろ、掉さすかな・・・・・・・





二千十二年八月一日起稿のもの  えばっちより

 

前進友の会やすらぎの里のホームページ

http://yuinoumi.web.fc2.com/index.html

 

えばっちのはてなブログ

https://ebacciblog.hatenablog.com/

 

えばっちのタンブラー

https://kisanebacci.tumblr.com/

 

えばっちのホームページ 乾坤一擲

http://ebacchihomepage.dousetsu.com/index.html

 

京都府立洛南病院 吉岡隆一院長殿並びに内谷看護部長殿 「心神喪失者医療観察法病棟」新設を巡っての 公開質問及び意見書

 

京都府立洛南病院

吉岡隆一院長殿並びに内谷看護部長殿

 

心神喪失医療観察法病棟」新設を巡っての

公開質問及び意見書

 

 私たちは、1976年設立の精神病患者会前進友の会と申します。また、患者会が設立母体運営主体となって1988年に認可を受けたやすらぎの里作業所とも為っております。40年以上拠点としていました山科区の日ノ岡から、昨年の10月伏見区の石田大山に引っ越して参ったトコロです。貴院とは、距離にして、4キロ弱、車なら10分ほどの距離に居ります。コレもナニかの御縁でしょうか。地元であり身近であると、言えましょう。ジックリとおつきあいくださいませ。身近な患者会作業所として、貴院の医療内容の充実に微力ながら協力を惜しまない決意と覚悟でございます。さて、身近であると云うコトは、貴院において此のたび観察法病棟を拵えて運用を始めるということに、不安に想っているなかまが多いと云うコトであります。町内会の皆様方が『迷惑施設』ができるので不安だと云うとても差別的な不安とは、全く意を異にする精神病者の精神病患者のセーカツから来る不安と云うものです。ただでさえ我々精神病患者は『セーシン病』の『キチガイ病』の『キタナイ』は『キケン』やは『キツいキチガイ』やは『異常者』やは『生活保護』やは、だのと、世間様から散々に言われ続けワルう見られ続けてるのです。しかも、なんとかかんとかフツーにセーカツしていても、この町内から、アパートから、学校から、会社から、出て行けと、表裏なく言われ続けているのです。そこにさらに、上乗せで、『観察病棟帰り』の『触法精神障害者』となったら、『ハクが付き過ぎて』、『スティグマに為りすぎて』、外で暮らせなくなるのではないか、出歩けんようになるんじゃなかろうか、と、ますます、ワシ等キチガイは、暮らしにくくなる、のでは、と不安でいっぱいです。

 

 さてと、吉岡さんや、不思議なもんやなぁぁぁーー一緒に友の会の夏レクにも行ってたやん、写真もあるんよ、今度持っていこう。懐かしいよ。京都滋賀精神医療人権センターで、一緒に活動してたこともアッタもんな。最後に京大で会ったのは2005年ごろ、「懲りない精神医療 電パチはあかん!!」を売りに行ったときじゃなかったっけ、確か、15か16冊その場で買ってくれたような記憶がある。あれからずいぶん過ぎた。えばっちは、相も変わらず患者会にいるよ。吉岡さんは、ずいぶん変わったのかなぁぁぁーーエロウ為って変わってシモウたんかなぁぁぁ、『立場』ってモンがアルようになってしもうたんかなぁぁぁーーーそれとも本当に『観察法病棟バンザイ』の考えになっちゃったのか、、、、アンタもタイヘンかもシレンが、延々と患者会でレクやって食事会の食卓をなかま達と囲んでセーカツをみんなで、みんなで続けてきた、高齢のなかま達を看送ってきた、週一で精神病院に面会し続けてきた、なかまの入院をなかま達で説得して連れて行った、ソンな患者会を開き続け、クリスマス餅つき大会をやり続け、セーカツからくる「保安処分やらイローーンなモン」に終始反対してきたこっちの身にも為ってくれや。しかも、クスリ飲みながらやで、殺生なハナシやないかい、、、、、、、山下院長とは第二回2021/2/17も第一回2020/10/21も、団体交渉は、内谷看護部長さん含めて、実のあるハナシが出来たんよ。吉岡さん、その二回の話し合いのうえで、少なくとも、次の点が問題点だと了解できたはずナンよ、だから、次は、吉岡さんと実のある実質的な話し合いをしたいのんや。やりたいんや。ハナシ合いやろうや。ヤルで、コレは、、、事務長なんか連れてくるナや、患者と看護士と精神医とでハナシ合おうや、実のあるハナシをしたいんよ。たまたまこれもご縁や、一緒に活動した仲やないか、『立場』は違ってしまった、でも話し合いはチャンとできるんじゃないかな。いや、せぇなアカンでコレは、、二月の何時かの水曜1400時から1700時まで、で、時間とってくれないか、よろしくお願いしたい。是非とも、や。下記は二回の団交の話し合いの問題点のまとめや、以下十点の吉岡さんの存念を聞くところから出発したい。また、以下二点の吉岡さん個人への質問がアリマス。話し合いを進めるにあたって、以下の十二点の回答を書面化していただいておくと、ハナシ良いかもしれませんね、、、

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❶「心神喪失医療観察法」が法案として国会に提出されていた時点では、吉岡院長は法案に賛成していましたか、それとも反対していましたか。

❷吉岡院長は「精神医療」「日精診」誌上において積極的に『司法と精神医療の相互相乗り入れ制度』を提起しているかのように見受けられますが、其の意図するところはナンなのでしょうか。

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ガイドラインの18か月ですらを大幅に超える長期入院に為ってしまっているのは何故なのか

②自殺者が余りに多いことをドウとらえているのか

③内省療法をドウ認識しているのか実施するのか心理拷問ではないのか

④m-ECT、クロザピン、看護士の暴力CVPPPをドウとらえているのか

⑤高度に機能分化し過ぎた医療が医師看護士看護婦にどのような影響を与えてしまうのか

⑥ハードが出来てしまえば造るに苦労した世代の医療とは別に次世代若手からは其のハードに規定されてしまう医療に為らないか

⑦洛南病院として過去現在の刑事事件に巻き込まれてしまった患者さん達への対応に問題はなかったか

⑧刑事事件に巻き込まれてしまった患者さんへのそもそもの事実認定について司法を信じての治療開始で良いのか

⑨稼働したとして、外部のものが定期的に入れるのか、外部からの監視の眼が必要なのではないのか、、ソコに地域の精神病患者会も入れないか

⑩そして、長らく宇治の地で作業所所長をやってきはった棚谷さんが前回最後にハッキリと文書で持って指摘した三点の疑問点については、洛南病院には答えて頂くほかないと、強く想ってる。ソッチに残ってるはずやで、探し出しといてや。しかも、当方の質問状31点の質問にも全て答えて頂いているわけでもないしね、とにかく、話し合うか。愉しみにシテルよ。最初の質問点も一応再掲しておきます。

 

①一度、前進友の会と、会って話しが出来ませんか

②観察法病棟を運用するツモリですか

③ソレは何故ですか

④予定されている年間予算はお幾らですか

⑤『観察法病棟帰り』と云うスティグマを生みませんか

⑥この法15年の実績の中で『自殺者』は何人に為っているのでしょうか

⑦『自殺者』が多い原因は何だと考えていますか

⑧『多剤大量投薬』を実施しますか

⑨『内省療法』を実施しますか

⑩『認知行動療法』を実施しますか

⑪『鉄格子』『保護室』『四肢拘束』『看護士の暴力』を実施しますか

⑫『m-ECT電気ショック電パチ』を実施しますか

⑬この法15年の実績の中で最長入院年数はどのくらいですか

⑭長くなる原因は何だと考えていますか

⑮本人の希望する或いは信頼する医療福祉環境から断絶することをドウ考えていますか

現代書館刊、浅野詠子著『ルポ刑期なき収容 医療観察法体制という社会防衛体制』を読みましたか

⑰アットワークス社刊、江端一起編著『キーサン革命宣言 精神病者のセーカツとカクメイ』を読みましたか

⑱『再犯予測』は出来得るとのお考えですか

⑲司法制度ですか精神医療制度ですか

⑳そのように考えるのは何故ですか

㉑副院長が当会の夏レクに参加していた事実はありますか

㉒副院長が京都滋賀精神医療人権センターの活動に参加していた事実はありますか

㉓何年間活動していましたか

㉔その間『処遇困難者専門病棟』構想に反対していた事実はありますか

㉕当会会員江端一起の記録やカルテは残っていますか

㉖本人の希望により廃棄処分とすることは可能ですか

㉗観察法病棟を運用前に見学することは出来ますか

㉘観察法病棟を運用中に見学することは出来ますか

㉙『保安処分』をドウ考えますか

㉚この法による患者の『自殺』は『治療』の『成果』と考えているのではありませんか、ドウなんダ

㉛府立洛南病院が果たしてきた役割と歴史を、現在の幹部諸君はドウ考えているのか

   以上        

2022年1月14日  精神病患者会前進友の会 執筆者江端一起  

 「池田小事件」の時も「秋葉原事件」の時も「相模原事件」の時も「カリタス小事件」の今回も、えばっちは、このジケンをドウ想う、ドウ考えたらエエのやろと云うことを、なかま達からも、医療従事者達からも、聞かれてきました。それは、えばっちの役割なのかもしれません。

 「池田小事件」の時も「秋葉原事件」の時も「相模原事件」の時も「カリタス小事件」の今回も、えばっちは、このジケンをドウ想う、ドウ考えたらエエのやろと云うことを、なかま達からも、医療従事者達からも、聞かれてきました。それは、えばっちの役割なのかもしれません。

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だから、ソウ聞いて頂けるのはありがたいことなのです。そしてそのたびに、答え続けてきました。これからも、出来うる限り、えばっちなりに答え続けたいと想います。ありがたいことです。でもまぁ、同じコトを言い続けているんですが、、、あれは、01年の8月号だったか、ロシナンテ社の「むすぶ」にも書いてきました。「赤いむすぶ」と言われている号です。「福祉労働153号」にも書いてきました。同じことを言い続け書き続けてきました。

 報道が続けば続くほど、シンドくなってきます。テレビがやればやるほど、シントくなってきます。ナンなのかこのシンドさは、、、、と想います。なかまたちも、シンドそうにしています。だからだから、書き続けます。言い続けます。同じことを飽くことなく書き続けます。そうしないと、ワカラないコトをさもワカッているフリをしながら、またもやのホーリツや政策や制度やをイジクって役人や専門職やギインやマスコミが寄ってたかってロクでもないモノを作ろうとして来ますから、、、クルシいシンドいハナシです。

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 ボクの心の奥底には闇がアルんですよ。ボクと彼は一緒です。彼らとボクは、一緒なんですよ。ボクは彼と一緒なんです。チガウけれども、一緒なんです。一緒だけれどもチガウんです。でも、彼らと同じものがボクの中にも、確実にアルんですよ。ボクと彼らとは一緒だ。でも、同時にチガウと云うのは、ボクが彼らのようにはならなかった、ギリギリ為らなかったのは、それは、ただ、ただ、ウン良く、「前進友の会」と云う患者会に「なかまとともに在って」「支え合って生きていこう」と云うセーカツがアッタからなんです。だからそれしかないんだ、と言い続けてきたのです。矛盾したままで、ナヤみ合いながら、スッキリとはしないまま、あの赤い「むすぶ」の時から、、ね、、、己が加害者性、暴力性、復讐心、恨み、辛み、妬み、怨み、怒り、復讐心と暴力心と破壊心にも向き合わなければならないんですよ、彼らと同じモノが心の奥底に『鬼』としてシッカリと在るんです。一緒です。だけれども、チガウ。ギリギリのトコロでソウはならなかった、それは、なかまとともにセーカツしていたからなんですよ。そしてそれは、しかも、ただのなかまではないんです、『加害と向き合う』『己が加害者性とも向き合い続けている』なかまたちと一緒に生きてきたからなんです。そのなかま達と、群れをつくって、グループでセーカツし続けている事、それをキーサンの仁義と団結と言い患者会と言うのですが、そのコトだけが、えばっちの中の『鬼』や『彼ら』を押し止め、どうにかこうにか慰撫して誤魔化してくれているのです。ありがたいことだ。

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2019年5月30日起稿6月5日一旦完成稿として

 精神病患者会前進友の会やすらぎの里作業所

 キーサン革命の鬼えばっち  江端一起

 

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「カリタス小事件」を想う  進め患者自治会  生き延びるために  みんなで、作業所でココで、ココの場で 患者自治会をこしらえて お互いに支え合って生きていきましょう

「カリタス小事件」を想う

 進め患者自治

 生き延びるために

 みんなで、作業所でココで、ココの場で

患者自治会をこしらえて

お互いに支え合って生きていきましょう

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「他人を殺してしまわないように」

「ジブンを殺してしまわないように」

「世間様や親や医者から殺されてしまわないように」

希望は、あります、とてもあるのです

 

 「なかまをつくろう」と言っています。「なかまをつくって生き延びよう」と、言い続けてきたわけです。「世間様や親や医者に殺されてしまわないように」「他人を殺してまわないように、ジブンを殺してしまわないように」なかまをつくって生き延びよう、支え合って生き延びようと、言っているわけです。「患者会」を開き続けると云うのは、ソウ云うことなのです。いつでもどこでも、いつまでもどこまでも、徹頭徹尾「なかをまつくろう」「なかまをつくってなかまとともに支え合って生きよう」と言っているわけです。「他人を殺してしまわないように」「ジブンを殺してしまわないように」「世間様や親や医者に殺されてしまわないように」するには、「なかまとともに、弱いものは群れ集まって、お互いに支え合って」しか生き延びることはできないんですよ。それを「患者会」と言うダケのハナシです。

 

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「池田小事件」の時も「秋葉原事件」の時も「相模原事件」の時も「カリタス小事件」の今回も、えばっちは、このジケンをドウ想う、ドウ考えたらエエのやろと云うことを、なかま達からも、医療従事者達からも、聞かれてきました。それは、えばっちの役割なのかもしれません。だから、ソウ聞いて頂けるのはありがたいことなのです。そしてそのたびに、答え続けてきました。これからも、出来うる限り、えばっちなりに答え続けたいと想います。ありがたいことです。でもまぁ、同じコトを言い続けているんですが、、、あれは、01年の8月号だったか、ロシナンテ社の「むすぶ」にも書いてきました。「赤いむすぶ」と言われている号です。「福祉労働153号」にも書いてきました。同じことを言い続け書き続けてきました。

 報道が続けば続くほど、シンドくなってきます。テレビがやればやるほど、シントくなってきます。ナンなのかこのシンドさは、、、、と想います。なかまたちも、シンドそうにしています。だからだから、書き続けます。言い続けます。同じことを飽くことなく書き続けます。そうしないと、ワカラないコトをさもワカッているフリをしながら、またもやのホーリツや政策や制度やをイジクって役人や専門職やギインやマスコミが寄ってたかってロクでもないモノを作ろうとして来ますから、、、クルシいシンドいハナシです。

 

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 ボクの心の奥底には闇がアルんですよ。ボクと彼は一緒です。彼らとボクは、一緒なんですよ。ボクは彼と一緒なんです。チガウけれども、一緒なんです。一緒だけれどもチガウんです。でも、彼らと同じものがボクの中にも、確実にアルんですよ。ボクと彼らとは一緒だ。でも、同時にチガウと云うのは、ボクが彼らのようにはならなかった、ギリギリ為らなかったのは、それは、ただ、ただ、ウン良く、「前進友の会」と云う患者会に「なかまとともに在って」「支え合って生きていこう」と云うセーカツがアッタからなんです。だからそれしかないんだ、と言い続けてきたのです。矛盾したままで、ナヤみ合いながら、スッキリとはしないまま、あの赤い「むすぶ」の時から、、ね、、、己が加害者性、暴力性、復讐心、恨み、辛み、妬み、怨み、怒り、復讐心と暴力心と破壊心にも向き合わなければならないんですよ、彼らと同じモノが心の奥底に『鬼』としてシッカリと在るんです。一緒です。だけれども、チガウ。ギリギリのトコロでソウはならなかった、それは、なかまとともにセーカツしていたからなんですよ。そしてそれは、しかも、ただのなかまではないんです、『加害と向き合う』『己が加害者性とも向き合い続けている』なかまたちと一緒に生きてきたからなんです。そのなかま達と、群れをつくって、グループでセーカツし続けている事、それをキーサンの仁義と団結と言い患者会と言うのですが、そのコトだけが、えばっちの中の『鬼』や『彼ら』を押し止め、どうにかこうにか慰撫して誤魔化してくれているのです。ありがたいことだ。

 

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 だから、キレイ事を言うなって云うんです。「アレは、特殊な例で、我々のようなまじめにやっている心優しき障害者とは無関係です」「関係なんかナイんです」なんて、ウソを言うたらアカン。ソンなモンキレイ事や。もちろん、また、これらのジケンをキッカケに、またもやの法律の改悪や、観察法やイロイロ出て来るでしょう。マスコミも議員も世間様とやらも、我々を閉じ込め引き出し殺そうとしてくるでしょう。で、その反対運動の側だって、キレイ事バカリ言うんですよ。「良心派改革派専門職」もイロイロ言うでしょう。だけれども、この一点が決定的に抜け落ちているので、いつもいつも、的外れなことを言っている、キレイ事を言っている、としか、えばっちには想えないんですよ。「心優しき当事者で品行方正に暮らしていて、暴力なんてない」だから、ご丁寧にも、「ひとりも排除することはしない」とまで言い切れる、、、、キレイ事の極みだ。だから、結局は「保安処分推進シミンとギイン」の諸君らにオカシなコトを提起してしまうんですよ。しかも、ワカら無いことをさも、ワカッタかのように言う。ワカラないことはワカラナいんだと、素直に言ったらいい。ソコから出発です。実際ワカラないんですよ、ホントのことは、いくら心理や精神や社会の専門職学者たちがエラそうに言ったって、、、、ワカラないことは、ワカラないままで、矛盾していることは矛盾したままで、問題の解決を目指すのではなくて、そもそも、モンダイを解決するコトなどできやしないし、ムリに解決しようとすると却ってオカシなコトに為る。だから、ナヤみ合いながら、クルシみ合いながら、自分達のゲンバで、当事者たちと一緒にワカラナい続け、矛盾しつつけ、ナヤみ合い続け、クルシみ合いながら、一緒に同じ場で、飯を喰い、糞をし、レクをし、笑ったり、悲しんだり、怒ったり、ニクマンありのセーカツシタラいいのです、スタッフ側と通所者側で立場が違っても、、、それが、支え合って生きると云うコトだ。それを患者会でやるのか、それとも、作業所で作業所患者自治会とシテともにやるのか、デェイケアで通院患者自治会とシテともにやるのか、サロンで利用者自治会とシテともにやるのか、とにもかくにも、キレイ事はいかん。スッキリしたらいかんのです。グチヤグチャドロドロのセーカツの中から、キレイ事ダケでは済まない「もう出て行ってくれ」「もう会いたくない」と云う憎しみのおしくらまんじゅうまでもアルんです。でも、ソコから、始めるのです。患者会の中でだって『ボーリョク事件』『包丁立籠もり事件』『包丁追い回し事件』ダッてアルんです。アッタんです。

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まずは、当事者は、患者側は、病者側は

己の加害者性と向き合うのです

でも、ソノ加害者性をナントカ押し止どめてくれているなかま達のことを想い

そのなかま達もまた同じく己が加害者性に向き合っている姿を想い

そして、ソレは、お互いにナントカ押し止どめ合って生きている姿なのです

それが、患者会ではないのか、、、

だったら、患者会を開き続け

患者会を何時ものようにいつもと変わらずに開き続け

食事会で一緒に飯を喰い、生きづづけるだけです

「世間様や親や医者に殺されてしまわないように」

「他人を殺さないように」

「ジブンを殺してしまわないように」

そして、「カリタス小事件」の報道が続く限り

みんなの部屋でこう云うハナシが来週もされていくでしょう

「オカンにエルボーをやっちゃって、以来、オカンから強制入院させられるのが怖くて、逃げ回って、コンなに実家に近いのに近づけないんです」

「最初の夏レクには、そのおかぁはんと一緒に参加してたよなぁぁーーえばっちの後ろの席に二人で座ってたもんな、想えば長い道のりやなぁー」

「親父をグーで殴りました、グーで殴り合いですよ、包丁まで出ましたからね」

「なんで入院させたんやー、と叫びながら茶碗を片っ端から投げつけて、机をひっくり返しました、僕の方が包丁を出したんですよ」

「何を言っているんだ、オレなんか、もうちょっとで妹を殺すところだったんや、あの映画でもバクチク本でもキーサン革命宣言でも書いてた通りや、アレは悲惨やった、家の二階のふすまが血だらけになってた」

「ふすまが血だらけと言えば、そさんが酒を飲んで暴れた時は、ふすまがほちゃんの血で真っ赤になってて、玄関のドアが外れていて、オレ踏み込むとき、こりゃ、ほちゃん死んでるかもしれんなあと想いながら、恐る恐る踏み込んでいったんだ、恐ろしかったなぁぁぁーーあの時は、、子供たちは避難してたとは想うんだけれど、、、、ドウダッタノカ、、、」

「包丁はよく出るよな、れさんの枕の下の包丁はヤバかったなぁ」

「家族とのだけじゃなくて、友の会でも、包丁事件あったよなあ」

「あれは、被害者はくちゃんじゃなかったか」

「確か、とさんが包丁持ってくちゃんを追いかけまわしてたよな」

「その後だっけ今度は、ま君からずっと蹴り続けられるというのもあったよな」「そうそう、あの時はうちゃんがプロレス技で止めたんだったよな」

「うちゃんのプロレス好きが役に立ったなぁぁ、それにしたって、い君がさ、そういう一番肝心な時に、いないんだよな、便所で紙がねえっつって、やっと出てきたら全ては終わってたんだよ、良いガタイしているのに肝心な時に役に立たねえ、でその時、何で尻を拭いて出てきたんだ?」

「これは一生言われるんですかねー?仕方がないから、もらった賃金袋の紙をちぎって拭いてきたんです。だって、便所に紙が無かったんですよ」

「便所に紙がなかったって云うのとボーリョク事件とドッチが酷いハナシかな」

「一生じゃないぞ、コレは孫子の代まで語り継がれるハナシなんや、だってえばっちがアッチコッチで書いちゃってるんだから、、、、」

「そうそう、夏レクで主治医をモウチョットで殴り倒すとこマデいくのもアったって聞きましたよ、ソレが最後の一泊夏レクだったんだから、悲惨ですよね」

「アレ以来一泊レクは無いなぁぁーーもうゲンカイだったのかなー」

「一番近場のヤバかったのはナンだったっけかな」

「ねさんの入院の説得の時だったんじゃなかったんですか」

「そうそう、あの時は緊張したな、アタマを一発やられたダケで済んでヨカッタ」

「ねさんが手に真鍮のドアノブを握りしめていたのでヒヤヒヤしましたよ」

「れさんの入院の説得の時もタイヘンだった」

「そうそうあの時は、れさんが枕の下に包丁を隠していたのがワカッタもんな」

「大体な、なかまがなかまの入院を説得しに行くときはな、ジブンだって入院は絶対に嫌なんだから、そのゼッタイに嫌なことを説得しに行くんだから、包丁が出てきたって、殴られたって仕方ないことナンダよ、その時は覚悟を決めてなかまとともに、ナンと云うか、なかまから包丁で刺されたって、ソレでイイんだと云う覚悟で行くんだよ、サイゴは、、、なんで、加害者にしか過ぎん精神医や看護士たちは患者に包丁出されるのをアンなにコワガるかなぁぁぁーー」

こう云うハナシが続くのです。コレがキーサンのセーカツなのです。

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『被害と加害が二重逆転しながら』

『被害からも加害からも目を背けないんですよ』

そして今日、コレを書いているときだって、

前進友の会やすらぎの里作業所のみんなの部屋のセーカツは続くのです

食事会のメニューは

チキンの照り焼きで、ソースを掛けて喰ったら激ウマだったのです

お味噌汁の中にタップリと大根おろしを入れて喰うと云う

チキン照り焼き定食、会費300円だったのです

作業所のスタッフは「集団指導」と云う名の役人の講演を聞かされて

スッカリと疲れ果て今日は直帰させてくださいとメールが来たのでした

なかまの一人から電話はジャンジャン掛かってくるのでした

今日は、生活保護のことで役所に行く日だったのですが、

病院のワーカーをキラいなのでヘルパーさんと一緒に行って

役人にナニかイロイロ言われたらしくジャンジャン掛かってくるのでした

だからあれほどキライでもココはワーカーと一緒に行く方がいいと、

言ってきたのでしたが、、、

その後、入院中のなかまが、本当に久しぶりに訪ねて来てくれて、

「おやつはないんのんかぁー」と言いながら

インスタントコーヒーを一杯飲んで

彼は、砂糖はスプーン大盛三杯も入れるのです

でも、自分ではなかなかうまく入れられないので、なかまが入れるんです

そして、また、病院に帰って行ったのでした

そう『帰る』んですよ、精神病院にね

 

少しだけ新しいことが付け加わりました

ボクにとっては、大きな出来事でしたが、、、

それは、この状況の中で、この世間様のなかでは、

精神病患者会と云ってもとてもとてもムズカシい

だったら

その患者会

作業所やデェイケアやサロンやグループホームの中での

通所者自治会、利用者自治会、通院患者自治会として

つくりあげていくことはできないだろうかと

いや、そうすべきであろうと、想ったのです

そして、その作業所患者自治会こそが

孤立しガチななかまを

入院しガチななかまを

『誘って』くるのです

スタッフや専門職が医療が教育が行政が

まるで『外科手術』や『電気ショック』のように

断薬させたり、就職させたり、就学させたり、

退院させたり、引きずり出してくるのではない

なかまが、お互いに支え合って

お互いの加害者性と向き合いながら

『誘って』くるんですよ

お互いに作業所と云う場でスタッフのチカラも借りながら

みんなで、ココで、お互いに支え合って生きていかないか、と、ね、、、

「世間様や親や医者に殺されてしまわないように」

「他人を殺してしまわないように」

「ジブンを殺してしまわないように」

そうすれば、

なかまが、お互いに支え合って

お互いの加害者性と向き合いながら

患者自治会をつくって生きていきさえすれば

医療側がケーサツ側が家族側が

ジブン達を殺そうとし、閉じ込めようとし、無かったことにしようとしても

お互いに、守り合いながら、

なんとかなんとか生き延びることが出来ると想うんです

一緒に矛盾し合いナヤみ合いクルシみ合い、笑う時もありながら、

一緒に支え合ってセーカツし合い、スタッフたちのチカラも借りながら、、、、、

まずは、スッキリしないコト、キレイ事は言わないコトです

お互いに、支え合いながら、ナヤみ合いながら、

作業所と云う場でスタッフのチカラも借りながら

みんなで、作業所でココで、ココの場で、

患者自治会をこしらえて、

お互いに支え合って生きていきましょう

「他人を殺してしまわないように」

「ジブンを殺してしまわないように」

「世間様や親や医者から殺されてしまわないように」

希望は、あります、とてもあるのです

 

2019年5月30日起稿6月5日一旦完成稿として

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2022年 あけましておめでとうございます 旧年中は大変お世話になりました この地に移りまして丸二年を迎えることが出来ました。三年目に入ります 本年もまた、何卒なにとぞ 宜しくよろしくお願いいたします 前進友の会やすらぎの里作業所 みんなの部屋一同 キーサン革命の鬼えばっち

2022年

あけましておめでとうございます

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旧年中は大変お世話になりました

この地に移りまして丸二年を迎えることが出来ました。三年目に入ります

本年もまた、何卒なにとぞ

宜しくよろしくお願いいたします

 

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2022年

あけましておめでとうございます

旧年中は大変お世話になりました

この地に移りまして

丸二年を迎えることが出来ました。

三年目に入ります

本年もまた、

何卒なにとぞ 宜しくよろしくお願いいたします

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キーサン革命の鬼えばっちより

 

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すなわち『生きがいの格差』を通所者側からもスタッフ側からも、『両方から双方から埋めていく』その取り組みの最大のものが『患者自治会』なのである。

 そう、『素晴らしいよくやるスタッフ』と『通所者』が『福祉サービスの供給者受益者』に為ってしまった時に、『スタッフ側の愛とやりがい』に囲まれてしまった時に、取り返しのつかないようなことがおきてしまうのである。『通所者』『利用者』側の病者にナニが惹起されてしまうのか、ナンと「前進友の会やすらぎの里作業所みんなの部屋」でナニがひきおこされてシマッタのか、えばっちは、見てきたからなのである、、、病者間に『支え合って生きる』ではなく『足の引っ張り合い』がおきてしまうのである。そう『スタッフ側の供給するサービスの質と量の奪い合い』が始まってしまうのである。

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 そしてついにはそう、まるでまるで『ホストクラブのホストの奪い合い』か『キャバクラのお姉さんの奪い合い』のような『福祉サービスの量と質の奪い合い』のヨウなコトに為ってくるのである。『キーサントモダチ』ゆえの『ニクマン』とは似ても似つかないような、、、それでいてスタッフ側は、『やりがい』『生きがい』『働きがい』にまみれて亢進につぐ昂進のあげくに『燃え尽き』の様になりながら、ついには、『依存されることに依存』していく仕儀と為る。詳しくはもうココでは語れない、、、もう嫌なのだ。シンドイのだ。そう、だから、コンな場合に備えて、『福祉サービスの提供の公平性と平等性』を担保せんがためにこそ、『専門職能性』『国家資格』『契約関係』『適正化委員会』『第三者機関』が必要に為ってくるのである。それと、ありとあらゆる『ピアサポート』ダノ『オルタナティヴ』ダノ『アドヴォカシー』ダノ『オープンダイアローグ』ダノ『ノーマライゼーション』ダノ『ラップ』ダノ『アクト』ダノ『リカバリー』ダノと『片カナ用語的おためごかし』が必要に為ってくるのである。ナニかが、決定的に欠如しているのが分からないのか、、、

 逆だ、逆に為らないと、タイヘンなことに為ってしまう。ナニもかもが失われてしまうんだ。『運動的積み上げ』すらも、すらも、失われてシマウコトに為るのに、ソコに気が付かないのか、、、『制度』ダケが『法律』ダケが立派に為って、、、、『本物の人間関係』『本物のトモダチ』を『本物の人と人との本物の関係』の中で、『本物のはたらきがい』を、、『本物の生きがい』を、、、、、なかまとともに、見い出そうとするジッサイのセーカツのなかでしか、、、、

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『本物の生きることそのもの』を、、、、『本物の生きる喜び』を、、、、、ああああぁぁぁドウ言えばいいのか、、、だから、「キーサンセーカツ列伝」で書き綴ったような、ボクたちもそリゃあーーイロイロと、ホンとイロイロはアルんだけれど、アリながらだけれども、コンなカンジの『雰囲気』の『与太話』や『レク』や『旅行』や『関係性』や『ニクマン』や『食事会』や『生きざま』が『死にざま』が『トモダチがい』がみなさんの場にアリますか、と言わなければならないのか、、、、こんな『与太話』しながら『ニクマン』まみれになりながら『愉しく』ながらも『シンドく』ヤッていますか、と、、、こんな『食事会』やってますかと、、、、、

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 だから、だからこそ、『充実』した『良心的』な『素晴らしい取り組み』をしている福祉事業所でコソ、スタッフ側と通所者側の『生きがいはたらきがい』の格差が拡大していくことの皮肉を徹底的に見つめることである。ソレを本当に見えて、わかっているのだろうか。そしたら、では、その『生きがいの格差』をドウ埋めていくのか、そも、倫理的にこの『生きがいの格差』は許されるのか、許されないとしたら、ドウやって、ドウやったら、この『格差』を埋め合わせて行けるのか、『良心的』『革新的』『ガンバッている充実している福祉事業所』にこそ、イマの今こそ『患者自治会』が必要なワケがココにある。

すなわち『生きがいの格差』を通所者側からもスタッフ側からも、『両方から双方から埋めていく』その取り組みの最大のものが『患者自治会』なのである。

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