患者自治会のススメ 口伝編『生きがいの格差』
何故、今、『患者自治会』なのか
なぜに、これほどまでに
今のイマ時に、必要なのか?
『生きがいの格差』がアルんだ
『はたらきがいの格差』がアルんだ
『必要とされる実感の格差』がアルんだ
『スタッフ』側と『通所者利用者』側との間に
『必要とされる実感の格差』がアルんだ
『活動家運動家病者』と『病者大衆病者庶民』との間に
『生きがいの格差』がアルんだ
『本物のトモダチ』『本物の生きがい』『本物のはたらきがい』『本物の人間関係』『本物の友情』『本物の生きる実感』
『本物の必要とされている実感』を
見い出せる可能性を奪わないでくれ、ジャマしないでくれ
「世間様や親や医者に殺されてしまわないように」
生き延びるために守りあって生きる。お互いに助け合って生き延びるシカないゲンジツがアッタのだ。今だってモチロン『殺しの精神病院』も『殺しの精神医』も『殴りの看護士』もイルんだ。今だって、、、だから、個人だけではなく団体として医療と福祉と専門職を監視しながら、お互いを守りあって、生きる支え合って生きる、まずは、食事会とレクをしながらキーサントモダチに為りながら、キーサントモダチだからこそ『殺しの精神医療』から守りあうのダ、だからこそまずは、『自分たちのコトは自分たちに決めさせてくれ』と、叫んでいくのだ、だって、入院するのだって退院するのだって、クスリを増やすのか減らすのかも、通所するのかどうかも、自分で決めてはこれなかったのだから。今まで、ずっと言い続け書き続けてきたこと、全てだ、、、
だけれども、だけれども、地域や状況によっては、これほどまでに精神福祉が『充実』してきつつある今、「患者自治会」為るモノが本当に必要なのかと、スタッフ側も利用者通所者側だって言いそうだ、いや、問われるのは当たり前だと想う。
『精神病患者会』の必要はなくなったのではないか、と云う声も聞こえる。それは、えばっちの幻聴ではあるまい。
『精神福祉の充実』と比例するかのように『精神病患者会』は無くなっていったのではないか、とそう想う、えばっちだって確かに、そう想う
患者会の側に内在する『シッパイ』もアッタだろう、もちろんソレはアッタ、書き続けてきた、、、しかも、精神医や学会ありとあらゆるとこから、どう言い作ろうが本音では『精神病患者会』を無効化しツブしたい、無視しておりたいという、『良心的改革派』の精神医家族会人権活動家ですら、いや、だからこそ、「厄介者を叩き潰したい悪意」があり続け、それは隠しおおせるわけもなく、ソンな悪意に取り囲まれていたことも事実であろう、、ソレも書き続けてきた、、そしてまたもちろん、『悪徳』『殺しの』精神病院経営者や業界団体の親方たちからは、徹底的に憎悪されてもいただろう。それは、えばっちの被害妄想と云うワケではあるまい。
しかし、確かに『良心的』『改革派的』作業所やディケアやクリニックやグループホームや訪問看護が出来始め『充実』してくるとともに、『精神病患者会』がなくなっていったこともまた、事実であろうと、そう想う。
だったらに、何故、イマのいま時に「患者自治会」の必要性がアルのだ
もはや役割を終えたから「患者会」は無くなっていったのではないのか、とそう問う声が聞こえる
そのトウリだ、だから、えばっちはこう言いたいのだ
チガウ、逆だ、逆なんだ、これほどまでに精神福祉が『充実』してきつつある今こそイマの今時にこそ必要ナンだと言いたいのだ
イマの今時の『最も良心的な事業所』『最も一所懸命頑張っている専門職』の事業所にこそ、必要なのだ。コンな世の中だからこそ必要なのだ。今のイマこそ必要なのだ
福祉と医療が『充実』すればするほど必要なのだ
何故か何故なのか
「他人を殺してしまわないように」
「ジブンを殺してしまわないように」
死なないようにする。
ドウやって、、、『生きがい』を見い出して、、、、