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【コロナ】と【精神病患者】なかまがまたひとり亡くなった、精神病院の中で  退院するもことなく、外泊することもなく  お見舞いに来る人も無く、亡くなっていった  

告別の辞として

【コロナ】と【精神病患者】

なかまがまたひとり亡くなった、精神病院の中で

 退院するもことなく、外泊することもなく

 お見舞いに来る人も無く、亡くなっていった

 全開放マーク方式のその精神病院に、ボクたちは、毎週一回ジュースやプリンを持ってお見舞いに行っていたのだった。

 ある時、オカシな風邪が流行り始め、識者為るヤタラなヤカラが、テレビが、まるで家畜を追い立てるかのように不安を煽り立てて行った。だいたいが、まるで、有効な対策を打ち立てることもなく、そもそも検査数が少なすぎて、このクニではエビデンスのアル対抗策など医学的には考えようのないハズなのであった。ハズなのではアルが、何時ものように、それでもなお、

人々は煽り立てられ、流行り病の不安と恐怖から、思考停止しながら立ちすくんでしまい、ナニか重要なものを自ら失っていくことに気づかないようだった。それどころか、流行り病を撒き散らすものとして、罹患した患者本人、医療従事者、濃厚接触者、休業補償のない休業要請に従わない者、自粛要請に従わない者、マスクをしない者、県境を超えて来る者を自警団をこしらえて、有形無形に襲ってくるのだった。そう、もはや、お上の自粛に従わない者など【民衆の敵】だと言わんばかりに、、、、

 その中で、ボク達も、一旦は、作業所と云うみんなの部屋を休止した。そして、ボクたちが、病院の中にウィルスを持ち込まないように、自らの判断で週一回のお見舞いを停止した。作業所の一旦の休止も、お上がナンタラ宣言を発する一か月以上前に自らが判断して休止した。そしてナンタラ宣言が出される頃には自主的に判断して、考え得る感染症対策を取りながら、限定的な再開を始めた。そしてまたナンタラ宣言を延長するとお上が命令するころには、ボクたちは自主的に判断して、実質作業所再開を決め食事会も再開し始めた。だからこそ、開いていたからこそ、病院からの訃報を受け取れたのかもしれない、と、そう想う。

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 病院には、面会は出来ずとも外来までは、一度は、お見舞いの品々とリストを持って行ったのだが、一回限りのコトで終った。

確かに、そのオカシな風邪は、沢山の死者をだしていた。

しかし、ナニか、ナニかのバランスがオカシいと感じるのは、えばっちだけなのだろうか。

そして、その中で、彼女は亡くなった

ドウすればヨカッタのだろうか。

えばっちが知る限り、彼女は退院したことは無かった

御歳は幾つだったのだろう

もう寝たきりになっていた

夏レクによく行った

彼女が参加した夏レクは、その頃はナカナカ面白かったと想う

二泊三日の海水浴だったけれど、一度も海に入ることは無く

何時も海岸でみんなでニコニコされていた

お気に入りのイケメンのお医者さんとニコニコしながらアイスクリームを

食べておられた。

夜は、いよいよ、出番である。

賑やかで愉しいカラオケ大会の常連さんなのであった

一泊二日の日帰り温泉に為っても、よく参加されていた

夜のカラオケ大会は賑やかだった

心臓が、相当状態が悪いと云うことで、レクの参加がドクターストップと為った

と記憶している。

 

週一のお見舞いは、ハナシが弾むときもあれば

ボク達が誰だかワカッテいないような、そう想える時もあったのだけれど、

大概は、プリンを詰所に渡しておきますよと言うと

ありがとうございますと、ハッキリ言われてベッドから手を振ってくれて、、

 

明日は、告別式である。

参列しようと想う。

人数制限がある

それはそれで仕方のないことだとは想う。

だって、精神病院の中で、このオカシな風邪が流行ったらタイヘンなことに為るんだから、、、ガンでも、脳梗塞でも、SIADHでも、内科や総合病院は、ナカナカ精神病院の患者さんを受け入れてはくれないのだから、、、このオカシな風邪に掛かって呼吸症状が出ていても、そうそう受け入れてはくれないのであろうから、、、、

そう、でも、シンパイはしている

全開放マーク方式の精神病院が

何時しか、全閉鎖のような厳戒態勢の精神病院に為っていた

イマは仕方がないのであろう

しかし、何時まで続くのであろうか、、、数か月か数か年か

怖ろしいのは、この状況が数年続いた時

この病院のPSW、看護士、看護婦、精神医達の心性が変化しているのではないか、と云うコトである。

「なんだ全閉鎖にしたら、面会外出全面禁止にしたら、ラクじゃないか、患者さんたちもオトナシいじゃないか」と、、、、、

ソウは為らないように期待したい。

しかし、このオカシな風邪が流行り始めて、まだ、半年もたたないうちに

自警団が出来ている世の中ナンだから、この際憲法を変えようと云う世の中なんだから、ワシら精神病患者は覚悟はしておかなきゃといけないと想う。

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ボクたちの中で、

ありがたいことに、このオカシな風邪で亡くなったなかまは居ないけれど、ありがたいことに深刻な病態になっているなかまもいないのだけれど、だけど、確実に精神病の病状を崩すなかまは、多い、と想う。

悔やんでいるのは、

「オカシな風邪が流行ってて、その風邪を病院の中に持ち込んじゃいけないもんで、、お見舞い暫く休みます、けれど、流行収まったら、また必ず来ます」と直接言って、休みに入れなかったことである。

一人一人に言っておくことが出来なかったことである。もちろん彼女にも。

毎週月曜、12人のなかまにお見舞いに来ていた。

11人に為った。

彼女は何年ぐらいこの病院に居たのだろう

ボクたち以外に誰か、面会に来る人は居たのだろうか

彼女は病者なかまに人気がある人だったと想う。

サイゴまで愉しく過ごされていたであろうか。

デェイのカラオケに参加されていたのであろうか

プリンは楽しみにされていたのであろうか

おばあちゃんの写真は、よく枕元に飾られてはいたけれど、

ご両親のハナシは聞いたことがない

ご家族はおられたのであろうか

彼女の名前は、に〇〇ま〇〇さんである。

また、病院の共同の『倶会一処』で、お会いしましょう。

なかま達が、たくさん先に行ってますから

まぁ、できたら、ユックリ行けばイイんですけれどね

精神病院の霊安室でのお弔いは、やはり寂しいものだけれど

今回は、このオカシな風邪で、また少し寂しいかもしれませんね

すいませんでした

またお会いましょう

 

2020年5月9日

精神病患者会前進友の会 キーサン革命の鬼えばっち