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笠陽一郎よ、笠よ、笠大先生よ 精神病患者会とは、反社会復帰とは、キーサンとは、健病者とは、そもそも患者会とは、どういう意味だったのだ。

笠陽一郎よ、笠よ、笠大先生よ
精神病患者会とは、反社会復帰とは、キーサンとは、健病者とは、そもそも患者会とは、どういう意味だったのだ。

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えばっちが言いたいことは、本当に、実は、単純なことなのである。
本人の意向に沿ってほしい
本人が、できるだけ苦しまないような減薬をしてほしい
診断名も、生き様も、本人に、決めさせてほしい
まず、本人に、伝えてくれ
本人に分かるように伝えてくれ
そして、本人に、決めさせてくれ
オレ達に、報せてくれ
オレ達に、分かるように、報せてくれ
そして、オレ達に、決めさせてくれ
上手くいかなかった場合のことも考えてほしい
上手くいかない場合も、とても多いことを公表してほしい
良いことばかりではないことが、多いことを、認めるべきだ
クスリゼロだけが目標なのではない
本人が楽になることが目標だ
医療とは、本人が楽に為るためにあるのではないのか
だとしたら
上手くいかなかった者、減薬が苦しかった者、
クスリがゼロにならなかった者
結局は増薬しても減薬しても
あまり楽にならなかった者たちへの
説明責任を果たしてほしい
良くなった者達は良い、それは、良かった、のだ。
でも、でも、である。
問題は、楽にならなかった者たちへの眼差しである
その眼差しの中に、差別と侮蔑と侮辱を感じる、のだ、ひしひし、と。
オレ達の基準は、
クスリがゼロになった者達にあるのではない。
クスリがゼロにならなかった者たちに、あるのだ。
退院できた者達にあるのではない。
退院できなかった者たちに、あるのだ。
資格が取れた者達にあるのではない。
資格が取れなかった者たちに、あるのだ。
結婚できた者達にあるのではない。
結婚できなかった者たちに、あるのだ。
就学できた者達にあるのではない。
就学できなかった者たちに、あるのだ。
就職できた者達にあるのではない。
就職できなかった者たちに、あるのだ。
復学できた者達にあるのではない。
復学できなかった者たちに、あるのだ。
復職できた者達にあるのではない。
復職できなかった者たちに、あるのだ。
社会復帰できた者達にあるのではない。
社会復帰できなかった者たちに、あるのだ。
だから、反社会復帰、を、主張している。
リクツではない、セーカツが、そうだからである。
オレ達の基準は、
クスリがゼロになった者達にあるのではない。
クスリがゼロにならなかった者たちに、あるのだ。
我々、キーサン患者会は、
そのようにしか生きられないし
そのようにしか、生きてこれなかった
今現在も
そのようにしか、生きていない
そういうことなのだ
だから、今後も、
このようにしか、生きられないだろう
我々は
うまくは、いかなかった者たちとともに
うまくは、いかなかった人生を基準に
生きていくのだ
弱い者たち、漏れ落ちた者たちが、基準なのである

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こういう、ツラいこと、タイヘンなこと、シンドイことを、
シンドイけれども、とてもとても、大事なことを、
担保しながら、丁寧にやっていかなければ、
セカンド実践は運動化し、暗黒面に陥ると想う。
そしてそれは、つきつめれば、
結局は、本人とセカンド医との関係性である。
そして、その関係性は、医者が患者を尊重するということである。
医者が、患者をバカにすることではない。
医者が、患者をコケにすることではない。
まさに、ソコが、次に描かれる。
それでは中盤三分の一である。

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笠陽一郎よ、笠よ、笠大先生よ
やくざいせいやくざ、とは、どういう意味だ。

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