キーサン患者会は、精神医療の縮小化を目指して闘ってきたと言って過言ではない。縮小化を目指しながら、身近な精神医療を監視し続けてきたのである。
そもそも、この発達障害概念は、新しく、障害を増やすものでアル。新しく、障害を増やしてはならないのである。何故か、「名前のない生きづらさ」を抱えてきたと云うミナサンが、これから、名前が付いたので、名札が付いたので、安心したミタイなことを、得々と、喋ったり書いたりしておられるので、こう言っておこう。
何故か、何故か、何故なのか。その新しい、付けてもらった名札が、諸君らを「T4作戦の最終処分施設」に放り込むことに為るからである。モチロン、我々キーサンをも、である。地獄を見てから、シマッタと想っても、もはや遅いのである。権力は、世間様は、社会サマは、市民サマは障害者や病人に、ソンナに甘くは無いのだ
それなのに、こうもやすやすと、新しい障害を一つ、増やしてシマッタ。世間様が貼り得るラベルを増やしてしまって、ドウスルノカ。そしてそれは、三障害から四障害に為った、一つ増えたと云うようなコトを遥かに凌駕するナニカを全ての障害者にもたらしてしまうだろう。ナサケナいハナシである。オソロシいハナシである。
笠陽一郎や嶋田和子や広瀬隆士の批判なんか、もうどうでもいいノダ。そんなレベルの問題じゃないんですヨ、この発達障害というモンダイは。50年は闘い抜いてきた青い芝の会から続く、障害者の自立と依存、病者内あるいは障害者間の内部差別、障害の軽重による差別、というモンダイなんですよ。だから、笠批判という個人批判が、この問題を矮小化させるように働くようだったら、えばっちはもう笠批判や嶋田批判なんてどうでもよいです。それよりか、この発達障害のもつ、恐ろしいほどの【差別性】【権力性】【依存性】を暴きたいのです。もうそろそろ、病者、当事者たちも、医療や福祉や心理の専門職たちも、この発達障害概念のもつ、恐ろしいほどの『すり替え装置』『専門職への依存装置』『権力が利用しやすい利用装置』であるところの本質を、見抜くべきときが来ていると想います。さもないと、、、、、
腐った専門職が言い始めたことです、しかも、エングランドの。どのような便利な道具であろうと、根底に、我々『キチガイ』と『キチガイ病院』に入院中の患者に対する差別、侮蔑、侮辱に満ち溢れているモノとは、対決するのみです。だから、言ってミロ、や、この戯け者ども、そうそう、発達障害概念を拡げようとしている医者や、ライターや心理のヤツ等と、ジブンは発達障害だと自慢げに話す発達当事者たちよ、オマイ等、『キチガイ』や『キチガイ病患者』よりは、よりマシなものだと、思っているんじゃないのか、正直に言ってミロヤ、オイオイオイオイ、チガウと言えるのか、コラララララァァーーーァーーコラコラコラコラコラララーこの糞戯け者ども。発達支援議員連盟の顔ぶれを見てミロヤーーー発達障害者支援法を見てミロヤー、改正の方向が、エバッチが、叫び続けてきたコトと同んなじやろが、だから言ったろ、名前のない生きづらさに名前つけてもろうて、喜こんどったら、こうなるやろ、登録だけさせといて、後は、少しずつ法律をいじりゃあーーイインヤカラ。その名前のない、少しは、高機能な能力もアルノダと云うような「高機能性発達」の名札貼ってもろうたら、それは同時に「T4作戦の最終処分施設」へのパスポートにも為るノンや、ナニが特性理解がパスポートなんヤ、ホラミロや、大笑いしてやる。とうとう、言うタとうりに為っていきやがる。キチガイも諸共にヤラレそうヤナ。こんチクショー、ハッタツ拡めたヤツ等、セキニンとんなはれや。
発達障害問題は、ね、今やセード的セイヂ的ホーリツ的モンダイ、課題なんですよ。もはやね。それが、分からないのかナァァァァーーー、行政と学会として、非常に政策的に、拡大したんですよ、それ、ワカンナイノカカナナナァァァァァァァーナァァァァァァーーー
教育の方のゲンバでは、6.カンタラパーセントと云う数字が独り歩きして、スクカンが、ちょっと、教室や、学校や、先生にとって、都合の悪い子供たちを、探し出してきては、6.カンタラパーセントに為るヨウニ、発達障害を貼りまくり、精神科につなぎ、クスリを入れているんだ。教育の現場では、スクカンのゲンバでは、発達障害イコール精神科イコールクスリになってるのが、わからナイノカナァァァーー、スクカンが、そう叫んでいるではないか、良心的スクカンが、タマラナクなって、そう、自白を始めているではないか。
キーサン革命の鬼ことえばっち 江端一起
えばっちのホームページ 乾坤一擲