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はっきりとした対立軸は、ナンだったのだろう。全精連をどう規定するかは、大きかった。キーサン患者会は「アリャ御用団体だ」とそう公言していたところに、「病」者集団は「歴史的意義がある」と、言ってしまった

Ⅲ. 全国「病」者集団的なるものとの対決
 ところが不思議なことに全精連為る団体が93年に、厚生省の役人を発足大会に来賓として迎え、鳴り物入りで出来上がってくるのである。何が不思議かと言えば、各地の特色ある患者会は段々と活動を縮小していっているときに全国の連合体が出来ていったのである。ご丁寧なことには、県連と云うものもできていった。本当に実態があったのだろうか。現在の全精連の現状を考えてみれば、答えはおのずから明らかであろう。もう一つおまけには「病」者集団はこの動きに対して「歴史的な意義がある」として賛成しその宣伝ビデオに赤堀さんまで出演させてしまった。当時、不思議でかなわんかった。だって、全国「精神病」者集団と云う歴史ある全国組織があるのだから、結集したければソコに結集すれば良いことだったから、、、「地を這う」ように各地にあった患者会は、結局はその「病」者集団にも、新手の全精連にも積極的に合同していこうと云う動きには為っていかなかった。
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では何故にそうはならなかったのか。結論から言えば、このあたりから、「ごかい」「藤枝友の会」「前進友の会」と云う「キーサン患者会」「地を這う患者会」と自称していた我々と「病」者集団との対立が決定的になっていったのである。それは、当事者運動総体の歴史から見れば、ある種不幸なことだったかもしれない。もちろんその責めはえばっち自身もキーサン患者会も負わねばならぬが、また、大野萌子氏も「病」者集団も負わねばならぬだろう。
 ここで重要なのは、本質的には、大野萌子氏と対立していたのであって、山本真理氏と対立していたと云う事ではない事だ。山本氏は大野氏の『代貸』に過ぎなかったのだから、当然であろう。90年代を通して我々が対立していたのは大野萌子氏の路線であった。70年代80年代、偉大な先駆者であり指導者だった大野氏は、誰もが敬い「世話になった」と言うほどの存在であった。それは確かなことだと想う。当事者としての大野氏の存在がどれほどのものだったのか、全国精神「病」者集団がどれほどの存在であったのかは、筆者が書く必要もあるまい。この資料集成のそこかしこにちりばめられているはずである。だが、その「偉大なる」大野萌子氏も、赤堀さんを奪還して以後は決定的に路線を誤った、とそう想う。90年代以降、個人的にも運動体としても誰もが逆らい得ななかった大野氏に面と向かっておかしいと言い始め、問い続けたのが、キーサン患者会だったわけだ。
 はっきりとした対立軸は、ナンだったのだろう。全精連をどう規定するかは、大きかった。キーサン患者会は「アリャ御用団体だ」とそう公言していたところに、「病」者集団は「歴史的意義がある」と、言ってしまった。手帳制度の問題も大きかった。大阪での手帳のヒアリングを「ごかい」がカチコミを掛けて、完全に粉砕してしまったぐらいだった。我々は反対の立場だった。保安処分の『監察札』になってしまうぞ、と言っていた。一方「病」者集団は精神障害者にも手帳をとばかりその名も『赤い手帳』が欲しいと、ニュースに書くありさまだった。大野氏の路線だった。この辺から「制度政策提言路線」に急速にはまり込んでいく。その延長線上に山本真理氏や関口明彦氏らの活動家が、30万を超える入院中の患者を、圧倒的なナニも知らずに呻吟している病者を鉄格子とあの厚い鉄の扉の向こうに『置き去りにしたまま』国会の参考人になったり与党か野党か知らんが政党の検討委員やナンかの公的な機関の審議委員やあまつさえ精神医の学会の理事に為ったりしていった。それどころか、自分に敵対する者の口を封じるのに刑訴や民訴や第三者機関やらの権力に売り渡すことまで平然として、他の患者を脅しながら自分から手を挙げて国会の参考人になりに行くという桐原尚之氏のような若手を作り出してしまった。大野萌子氏の「病」者集団型制度政策提言政治活動家論客路線の当然の帰結であろう。
 
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しかし、そもそもの対立軸は、根本的な精神病患者会の存在自体をどうとらえるかと云う点にあったと想う。「病」者集団の立場は、つまるところ、大野萌子氏は、常々こう言っていた。「医者が作ったものは、患者会とは認めない、だから「ごかい」や「藤枝友の会」は、患者会では、ないのだ」と。これは、筆者が、「病」者集団の事務局会議に参加していたときに、直接そう聞いた。コレを聞いたとき、チガウなぁぁぁぁぁーーと想った。実際に「藤枝友の会」や「ごかい」の食事会に参加させてもらっていて、ソウ感じた。デモ、なんとなく、少しは、少しは、当たっているようにも想えた。「ごかい」と笠陽一郎医師との関係や「藤枝友の会」と中江清員医師との関係のことを言っていたのだろうが、そうはっきりと斬って捨てられるような薄ぺらたいものではないんですよ。だが、その上で、笠医師も中江医師も、精神医たちは相当強く患者会の意思決定に影響を与えているのもまた事実であった、と、そう想う。それを全否定してしまうのもまた、事実とはチガウと想うのである。今にして想えば、相互にその微妙なトコロを理解し合えていれば、と、そう想う。患者会とはキーサンのセーカツと病状と支援者のノリの上に微妙に成り立っているものなんですよ。
 キーサン患者会、全国の地を這うような患者会とは、本当に、重たい病者中心のセーカツ共同体的な側面が強かった。だからこそ、レクと食事会であった。一緒によく飯を喰った。患者会には患者会独自の味があるのです。「藤枝友の会」の駿河親子は、うまかった。「ごかい」で食べたあのカレーの味は忘れられない。「福岡わらび」のあの博多水炊きは激ウマだ。「しんまつ」で食べた、あれはナンだったのか冷しゃぶだ、美味しかった。たしか「ごかい」でも食べた。みんなで、お皿を回して、あれは高知全家連大会にカチコム前日の夕食だったか帰ってきてからの夕食だったか。だから、「病」者集団の食事会に参加させてもらっていた時に、コレは患者会の食事会じゃないな、会議参加者の休憩時間だなとは想ったし、「病」者集団の名古屋分会「ゼロの会」の食事会は、確かに患者会の食事会にはチガいないものの、参加者全員が大野萌子氏に過剰なくらいのおべっかを使いながら食べているのがよく分かった。本当に過剰なまでの阿諛とお追従に満ち満ちていた。味なんか忘れてしまった。そうそれは、患者会の食事会ではなかったのだ、まさしく、大野萌子氏を囲む会だったのだし、大野萌子氏の食事会であった。
 だから、「病」者集団は、活動家集団から、一歩も出ずじまいだった、のだ。本当に重たい病者中心の患者会ナンて、出来るはずがない。本当に口の重い身体の重い病状の重いクスリの重い病者たちが集まってくるには、そう、やはり精神医は必要なことだったのだ。重たい病者たちは、活動家風の健病者風の患者を、最初のとっかかりには決して信用はしないのだ。だって、部屋長と配膳係と、そしてすぐに退院していくヤツ等なんだから、、ソコのトコロを分かってはいないと、キレい事風の活動家集団になるだけのコトだ。そしてそのキレい事が、大野萌子氏の独裁体制を担保していた。ジッサイのところ、本当に患者会を作り、維持し、活動し、セーカツし続けていくのは、ムズカシイことなのだ。その最初のとっかかりに、そしてその継続にも、精神医や医療従事者や、健常者や健病者達は、必要だったのだ。モンダイは、その後、患者会側と、精神医とが、どのような関係性を構築するか、なのだ。特に、主治医ー患者関係にある精神医が、患者会の設立メンバーである場合には、その関係性によって、患者会側の主体性と精神医側の医療内容が、問われることに為るの、だ。患者会を維持するにあたっても、実は、健常者も、精神医も、そして、健病者も、居る必要があるのだ。だって、維持するには、ケッコウな金も、パワーも、手仕事も、必要になってくる。精神病患者会とは、結構な手間ひまと気力体力が必要なのである。その時の役割分担を考えてみたら、よい。モンダイは、分裂病圏、うつ病そう病躁鬱病圏、精神医はじめ支援者達、AC気味不登校気味やノイローゼや神経症圏の屈折した青年健病者達、四者の関係性に在るのだ。役割分担の在り方と、発言力の調整と、人間関係にアルのだ。支援者としての、形式会員でよい我が医療の監視をしてくれ、口は出さぬが手は貸そう、口も出さぬしカネも出さぬがヤレルことはヤルと云う精神医、看護婦看護士、ワーカーが必要なのだ。だが、発言力に制限を設けねばならぬ、そして、ドウいうなかまたちの意向が、まず優先なのか、、、、なのだ。ソコの微妙なトコロを分かり合えなかった「病」者集団も伝えきれなかったキーサン患者会も相互に誤っていたのだ。今なら、両方の誤りが見える、気がするのだが、、、、えばっちの妄想か幻覚か、、、
 ハナシを戻そう、それでいて、大野萌子氏は、プシ医師達からの積極的カンパを当てにしていた。精神神経学会での募金箱を持っての金集めには、ビックリした。学会最終日の総会議場でのあの光景は、実に異様なモノだった。アレじゃあ確かに、総会の壇上占拠ナンて出来るはずはない。理事会や運営委員会に、当事者を入れろと云う方向に走るハズである。一方キーサン患者会の側は、90年代を通じて、学会レク「カチコミ」をぶちまかしていた。松山学会、長崎学会、大阪学会、長岡学会、仙台学会、高知全家連大会、静岡全家連大会、大阪手帳ヒアリング、我々にとってはレクだった。シンドいキビシい病状を掛けたレクだった。クルシカッタ。精神病患者の病状を伴った怒りの爆発をソノマンマ、レクとして壇上占拠して叫び続けるのである。「造反無理」であった。造反するものに理屈は無いのである。大野萌子氏は「論客になって論破せよ」とのことであった。それが出来得る精神病患者がどれだけ居ると云うのだ。「造反有理」と「造反無理」の対立であった。

Ⅳ. 岡田さんとの出会い、それは羅針盤の意味
 最後に岡田さんとの出会いと驚きを書いておこう。それが「羅針盤」の意味となろうから、、、あれは、15年の春、八王子ホットスペースの20周年記念の御祝い会の場で同じテーブルに座ったのが、キッカケだった。どちらが先に声を掛けたか記憶が定かではない。たった3年前のことなのに。戦後版の精神医療資料集成をしているとのことだった。その後、手紙のやり取りから、反十全会市民連合の資料などを送るようになった。その中で、これほどの資料を残そうとしている人が、なんと精神病患者会の会報を何一つ持っていないことが分かった。驚愕した。「ごかい」のあの大部の「3冊セット会報縮刷版」も、「藤枝友の会」が毎年23号にわたって作り続け、病地学会で一冊一冊手売りしていた「ひとりぐらしのうた」も、前進友の会の「兄弟だろ」も「友の会通信」も、各地のたくさんの「地を這う患者会」の会報を、実物を何一つ持っていないとのことだった。精神病当事者団体で、ちゃんと持っているのは「病」者集団関係のモノだけ、とこれは電話口で言われたのか、その時の驚きは本当に曰く言い難い。なんというコトだと、参ってしまった。だからこそ、即座にミカン箱一箱に、友の会の事務室で目につくものはあらあら送った。「興奮している」と云うお返事を頂いた。ぎりぎりで間に合ったのだと想った。助かったとそう想った。これで、少しは遺せそうだと想った。ただ、これだけ「地を這う患者会」があって、それぞれ特色ある会報を出し続け、「キーサン患者会」がバクチクをぶん鳴らし、叫びまくって学会の壇上占拠をし続けていたが、歴史史料として、残すことがどれだけ難しいことか、想い知った。この出会いがなければ、全国にこれほどの「地を這う患者会」が活動をし続けていたことが、忘れ去られていくだけであっかもしれない。この資料集成に、いかばかりかでも精神病患者会の会報が掲載されたことは、感謝のみである。我々「キーサン患者会」が『敗北』していったとは、実に、こういうことではなかろうか。「病」者集団の方は、桐原尚之氏はじめ、国会の参考人として、17年の国会は勝利だ勝利だと大宣伝中である。我々の方は、高齢化し、亡くなる者はみんなあちらに行き、精神病院へ死にに戻っていく、そして、最終的に患者会なるものは、ほぼ無くなっていくことだろう。バラバラになりつつである。そも、どのくらいの会が今の日本で残って活動しているのだろうか、とも想う。『敗者』とは実にこう云うことではなかろうか。
 この資料集成を読むにあたって、研究するにあたって、キーサン革命の鬼からの「羅針盤」が、以上である。これが羅針盤に当たらないと思われる方々は、出来得る限り、せめて作業所や精神病院やデイケアや診療所などといった直接に精神病患者と付き合うような場には来ないで頂きたい。コンなコトを言いつのっているのだから『敗北』するはずである。
 「キーサン」とは、「ヤクザ」が「ヤーサン」なら、わしら「キチガイ」は「キーサン」やと云う誇りを持った生命の底で居直り、セーカツの底で居直り、街に居座り精神病院で生き延びるための自尊自衛自主自立の自称である。

キーサン革命バンザイ!!!!!


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献呈 この拙文を故桜庭章司さんに献呈したい
桜庭章司さんは、僕が知る限り、唯一の、たった一人の『精神医に直接的実際的オトシマエをつけた偉大な先輩病者』である。若い時分、短期間の間文通させていただき、拘置所からのご本人の依頼で、何回か裁判資料などを全文コピーさせて頂くと云うお手伝いをしたことがある。少しは、お力になれたのだろうか。桜庭さん、桜庭さんの『オトシマエ』には、及ばないかもしれませんが、えばっちの『オトシマエ』は、患者会を維持し続け、最も身近な精神医療と福祉に文句を言い続け、精神病患者会のことを世間様に遺し続けるのが、僕の『オトシマエ』ですよ。ゆっくり眠ってください。キーサン患者会は、叫び続けます。

六花出版 「精神障害者問題資料集成 戦後編 第十巻患者会運動」 所収原稿

2017年11月14日
前進友の会 キーサン革命の鬼えばっち 江端一起

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