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作業所患者自治会を目指してみませんか 精神病患者会を 『遺す』こと『残す』こと 作業所通所者自治会 デェイケア通院者自治会 グループホーム入居者自治会 を目指してみませんか 拡く更に拡く

 作業所患者自治会を目指してみませんか
精神病患者会
『遺す』こと『残す』こと
作業所通所者自治
デェイケア通院者自治
を目指してみませんか
拡く更に拡く、遠くへ更に遠くへ、深く更に深く
  出来るだけ遠く、患者会のタネを撒きたいのです
  出来るだけ拡く、患者会のタネを撒きたいのです
  出来るだけ深く、患者会のタネを撒いておきたいのです

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「遺し」「残す」サイゴの努力と言ったら良いのか。
それとも、
「残す」に集中した
出来るだけ遠くへ、出来るだけ拡く、出来るだけ深く、
サイゴのタネを撒きたい、、と言ったら良いのか。
そういうことなのです、、、、
タネを撒いても、芽が出るかどうか、わかりません。
芽が出ても花が咲くかどうかわかりません。
芽が出て花が咲いても、実が成るかどうかわかりません。
そもそも、タネを撒こうとする試みがうまくいくかどうかも、わかりません
それでも、
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出来るだけ遠くまで、
出来るだけ拡く、とても拡く拡く、
出来るだけ深く、本当に深く深く
患者会のタネを撒くことは出来ないものかと想っています
さもないとさもないとさもないと、、、精神病患者会の歴史自体が、存在自体が、ただ乗りされて乗っ取られて、挙句に、全く、無かったコトにされてしまう

では反共同作業所反デェイケア反グループホームと云う旗は降ろすのですか?
精神病院や作業所、デェイケア等々を無くすんだと云う旗
は降ろすのですか?
そうです降ろしてもよいのです
反共同作業所反デェイケア反グループホームのままで、
共同作業所自治会を目指すのは、
とてもとても、ゲンジツにはムリであるのならば、
大胆に降ろしてもよいのです
そしてそして、今まで対立してきたトコロともハナシをしてみたいと想うのです。
ゲンジツに実質的な患者会を『遺し』『残す』ことが最も大事なことですから「タネを撒いて」おきたいのですから、、

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しかし、それでは患者会ではなくなるのでは?
患者会としては変質した姿では?
そうおそらく、問われるでしょう
だから「患者会とはナンなのダ」にまとめてみて
前進友の会の歴史を見直してみて
対立の歴史をも見直してみて、ハナシ合いを重ねながら、
「精神病患者会とはナンなのカ、ナンでアッタのか、ナニでアロウとしたのか」
を見つめなおし、見直し、問い直すことが出来得れば、
おのずから、判断出来得るだろうと、、、
だからそのために、今まで対立してきた古手のトコロの皆さんにも、
呼びかけをしたいなと想いました。
そして、チョットは少しは距離感がありながらも、長年にわたって
愉しく交流を重ねてきた作業所の皆さんと、
患者会にとても近い取り組みをされていると、かねがね想ってきた、
確かにこれだけの取り組みをしていると云う
作業所やデェイケアやグループホームの病者の皆さんに、
またスタッフの皆さんにも、集まって話をしていただいて
参加された皆さんに提起してみたいのです
皆さんで判断してみてください
やりたいと思われたなら、やるべきだと思われたなら
是非とも挑戦してみてください


 歴史に、マットウに遺せたなら、滅んで行っても良かったのです。でも、歴史を意識的に歪めるヤツ等がまかり通るようになってしまったからです。恐ろしいことだ。嘘だとわかっていても、嘘をさも、真実のように言って、歴史自体を歪めてしまう。そんなヤタラとヤカラな連中が、大手を振ってまかり通る世の中に為ってしまったからです。だから、今まで、対立をしていたようなトコロともハナシをしてみたいと、想います。
 精神病患者会を『遺し』『残す』ために、ね、、、、、
 ゲンジツに根差しセーカツに根差し地を這うように活動をし続けてきたからこその、今のいま時にクルシみながらの決断なのです
 原則と基盤の矛盾を矛盾として認めそのビミョーなセーカツの上にこそジツサイの患者会が成り立っていたからです
 今やなかまたちが高齢化して、ドコも受け入れてくれず、結局は精神病院に死にに戻って行くからです。生保を下げられ、今の世の中の実はナンの思い入れもない儲け中心の株式会社や、まっこと貧困ビジネスそのモノへ、病者を行政がベンリに振っていっているからです。だから、そんな砂漠のような地域の福祉施設乱立の中で、退院しようとしても、アパートを探すのも難しく、グループホームを探しているからです。ヘルパーと訪問看護を入れなければ、余りに病気が重たくクスリも抜けず、それでもなお、自立して生きたいからです。生き延びなければならないからです。

 弱いものは、集まらなければ生きられないからです。団結しなければ生き延びられないからです。そしてジッサイにたくさんの病者が作業所やデェイケアに居場所として集まって生きているのなら、ソコを自分たちの居場所を、少しでも、より少しでも、行きやすい生きやすい場にしていくためなら、通所者自身の自治会が在って、ソコから発言して少しでも自らが行きやすい生きやすい場にしていく取り組みがあって、しかるべきではないですか、それが通所者自治会であり、それが、精神病患者会運動を『残せる』場であるならば、、、、今やいまや精神病院に入院どころか通院したこともなければクスリを飲んだこともないような、ドコが障害者なんやと云うような発達障害系健病者系活動家博士者系の『無仁義アクジ犯』当事者為る者たちが跳梁跋扈する中で、おもたい精神病患者やクスリを飲まざるを得ない病者を、精神病院に入院している患者を馬鹿にし差別していく中で、少なくとも、作業所に通所しているんだ、デェイケアに通院しているんだ、グループホームでセーカツしているんだ、と云う、そう云う自覚を持った病者のみなさんが、持たざるを得なかった精神病患者のみなさんが、まずは、ソコに居るのですから、、、たくさん居るんですから、とてもとても大事なことです、そしてそれは、まず団結していけるキッカケに為るはずだと想ったからです。
 
今や、作業所とデェイケアばかりに為ってしまった上に、余りに余りに酷過ぎる作業所が増えすぎ、特に自立支援法以降、余りに経営的で、余りに金儲け第一主義のなんの思い入れもない「株式会社」ミタイな作業所が山のようにでき、腐った若手「起業家」が「実業家」が、儲けるためだけに就労継続支援B型やA型をやり始め、思い入れのある古くからの作業所がツブレかけ、それは家族会系の作業所も含めて、思い入れのあるスタッフも、そして通所していた精神病者が本当に行き場を失い困っているからです。通所している病者がまるで、『家畜』のように、そういった作業所の経営者から扱われているからです。しかも儲からなくなったらいきなり倒産してしまう。あるいは、専門職等々の資格を持った起業家企業家の乗っ取りもアルからです

そもそも前進友の会がその長い歴史の中で、やすらぎの里共同作業所の設立母体運営主体でありつつも、ある時から、ジッサイのトコロ通所者自治会的側面も強くなってきたゲンジツもあるからです

発達障害概念が広まり『健病者』のような奴らが大手を振ってまかりとうり、おもたい精神病者がドンドンおいていかれるからです。少なくとも、「作業所通所者自治会」なら、精神病の作業所に通所せざるを得ない、あるいは通所したい、そう云う自覚を持ったあるいは、自覚を持たざるを得なかった病者が精神病患者が、ソコに居るはずなのです。それは、精神のデェイケアもグループホームも、そうであろうと想います。『健病者』で一般就労出来る人々や、一人で活動出来てしまう健病者は、おそらく、ココには、居ないハズなのです。どんなに頑張ったってクスリもゼロには、とてもじゃないがなり得ない、そしてそして、『一般就労』ナンてとても出来得ない、そんな病者が集まっているトコロ、そして、キーサンたる自覚が生まれざるを得ない、ソコの場所から出発するのです。

更に言えば、コンな言い方では、かえって失礼かもしれませんが、『作業所』や『デェイケア』だけではない、そう、『サロン』と云う在り方にも、えばっちは、期待を持っています。そうなのです。福祉的な就労モノの前に、集まれる場所があることは、いいことですよ。だから、ホンと病者が何人かで集まっているところなら、すべて、すべて、可能性を秘めています。そう、サロンの利用者自治会として意見を出しながら、サロンの食事会やレクを楽しむところから始めませんか。いや、「自治会」と云うコトバにこだわることも無いのだ。自然な流れの中で、月に一度でも、週に一度でも、時間をこしらえて、ミーティングでもしてみて、そのサロンでやってみたいことや、食べてみたいものや、行ってみたいところを自分たちで意見を出しあって、決めてみたらどうだろうか。自らの病気のことを語り合ってみたらどうだろうか。そのミーティングを「みんなの会の時間」とでも、言えばいいのだから、、、ソコにすこしだけ、ほんの少しだけ、『患者自身の自治』と云う『自分たちのことは自分たちで決めたい』と云う発想が生まれたり、はくぐまれたりしてはこないだろうか。ドウでしょうか。自治の難しさも、大事さも、そしてなにより、なかまとしての自覚も、キチガイとしての自覚も生まれてはこないでしょうか。試してみる価値はないのだろうか。ただ、『サロン』には、危うい一面もまたアルのでしょうが、、、、期待を持ちたいのです。
今や「ごかい」が解散してしまい、いったい、「天上天下病者反撃」に一緒に書いたなかまの患者会で、残っていてるのはどのくらいアルのか。もうほとんどなくなってしまっているのではないか。いや、もうほとんどなくなってしまいました。寂しいです。笠陽一郎医師ですら、精神病患者ナンゾは居ない、居るのは発達障害者だけなのだ、と、言っているのですから。しかも、2018年春、対立してきた全国精神病者集団すらが分裂し乗っ取られてしまったからです、対立してきた相手が、このようなカタチで分裂をしてしまいコンなヤラレようで乗っ取りにあうとは、、権力に売るような真似で掠め取られてしまうとは、、、、酷いハナシです。

 『見えにくいアクジ犯』どころか『掏り替えアクジ犯』どころか『無仁義アクジ犯』が、大手を振ってまかりとうり、嘘と悪にまみれたまるで、官僚のような書類ばかり造って、路線対立している相手を権力に売り渡す外道の所行により、たくさんのあまりにたくさんの、それは、我々が対立してきた皆さんの中にも、と云うか、その皆さんの中にこそ、今やたくさんのたくさんの、傷つき、泣き寝入りし、ムチャクチャされた病者やスタッフの皆さんが塗炭の苦しみに喘ぎ苦しみ抜いているのをキーサン革命の鬼えばっちが、見て見ぬ振りが出来なくなったからです

 歴史的には、精神病院の入院患者自治会から、第一次患者会運動が始まった側面も強いからです
 歴史的には、第二次患者会運動が消滅していく過程と、作業所デェイケアが「精神福祉」が全国に広まっていく過程とか重なっているからです
だから、そこを逆手に取るのです
 自立支援法が発達障害概念が、第二次患者会運動に止めを刺したからです。だから、そこを逆手に取るのです

 おそらく、ゲンジツには、前進友の会のジッシツの活動は、就労継続支援B型共同作業所やすらぎの里を維持出来なくなった時に、終焉を迎えるだろうからです。


前進友の会 キーサン革命の鬼 えばっち
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