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【コロナ】と【精神病患者】告別の辞として なかまがまたひとり亡くなった、精神病院の中で  退院するもことなく、外泊することもなく  お見舞いに来る人も無く、亡くなっていった また、病院の共同の『倶会一処』で、お会いしましょう。 なかま達が、たくさん先に行ってますから まぁ、できたら、ユックリ行けばイイんですけれどね 精神病院の霊安室でのお弔いは、やはり寂しいものだけれど 今回は、このオカシな風邪で、また少し寂しいかもしれませんね すいませんでした またお会いましょう

告別の辞として

【コロナ】と【精神病患者】

なかまがまたひとり亡くなった、精神病院の中で

 退院するもことなく、外泊することもなく

 お見舞いに来る人も無く、亡くなっていった

 全開放マーク方式のその精神病院に、ボクたちは、毎週一回ジュースやプリンを持ってお見舞いに行っていたのだった。

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 ある時、オカシな風邪が流行り始め、識者為るヤタラなヤカラが、テレビが、まるで家畜を追い立てるかのように不安を煽り立てて行った。だいたいが、まるで、有効な対策を打ち立てることもなく、そもそも検査数が少なすぎて、このクニではエビデンスのアル対抗策など医学的には考えようのないハズなのであった。ハズなのではアルが、何時ものように、それでもなお、人々は煽り立てられ、流行り病の不安と恐怖から、思考停止しながら立ちすくんでしまい、ナニか重要なものを自ら失っていくことに気づかないようだった。

それどころか、流行り病を撒き散らすものとして、罹患した患者本人、医療従事者、濃厚接触者、休業補償のない休業要請に従わない者、自粛要請に従わない者、マスクをしない者、県境を超えて来る者を自警団をこしらえて、有形無形に襲ってくるのだった。そう、もはや、お上の自粛に従わない者など【民衆の敵】だと言わんばかりに、、、、

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 その中で、ボク達も、一旦は、作業所と云うみんなの部屋を休止した。そして、ボクたちが、病院の中にウィルスを持ち込まないように、自らの判断で週一回のお見舞いを停止した。作業所の一旦の休止も、お上がナンタラ宣言を発する一か月以上前に自らが判断して休止した。そしてナンタラ宣言が出される頃には自主的に判断して、考え得る感染症対策を取りながら、限定的な再開を始めた。そしてまたナンタラ宣言を延長するとお上が命令するころには、ボクたちは自主的に判断して、実質作業所再開を決め食事会も再開し始めた。だからこそ、開いていたからこそ、病院からの訃報を受け取れたのかもしれない、と、そう想う。

 病院には、面会は出来ずとも外来までは、一度は、お見舞いの品々とリストを持って行ったのだが、一回限りのコトで終った。

確かに、そのオカシな風邪は、沢山の死者をだしていた。

しかし、ナニか、ナニかのバランスがオカシいと感じるのは、えばっちだけなのだろうか。

そして、その中で、彼女は亡くなった

ドウすればヨカッタのだろうか。

えばっちが知る限り、彼女は退院したことは無かった

御歳は幾つだったのだろう

もう寝たきりになっていた

夏レクによく行った

彼女が参加した夏レクは、その頃はナカナカ面白かったと想う

二泊三日の海水浴だったけれど、一度も海に入ることは無く

何時も海岸でみんなでニコニコされていた

お気に入りのイケメンのお医者さんとニコニコしながらアイスクリームを

食べておられた。

夜は、いよいよ、出番である。

賑やかで愉しいカラオケ大会の常連さんなのであった

一泊二日の日帰り温泉に為っても、よく参加されていた

夜のカラオケ大会は賑やかだった

心臓が、相当状態が悪いと云うことで、レクの参加がドクターストップと為った

と記憶している。

 

週一のお見舞いは、ハナシが弾むときもあれば

ボク達が誰だかワカッテいないような、そう想える時もあったのだけれど、

大概は、プリンを詰所に渡しておきますよと言うと

ありがとうございますと、ハッキリ言われてベッドから手を振ってくれて、、

 

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明日は、告別式である。

参列しようと想う。

人数制限がある

それはそれで仕方のないことだとは想う。

だって、精神病院の中で、このオカシな風邪が流行ったらタイヘンなことに為るんだから、、、ガンでも、脳梗塞でも、SIADHでも、内科や総合病院は、ナカナカ精神病院の患者さんを受け入れてはくれないのだから、、、このオカシな風邪に掛かって呼吸症状が出ていても、そうそう受け入れてはくれないのであろうから、、、、

そう、でも、シンパイはしている

全開放マーク方式の精神病院が

何時しか、全閉鎖のような厳戒態勢の精神病院に為っていた

イマは仕方がないのであろう

しかし、何時まで続くのであろうか、、、数か月か数か年か

怖ろしいのは、この状況が数年続いた時

この病院のPSW、看護士、看護婦、精神医達の心性が変化しているのではないか、と云うコトである。

「なんだ全閉鎖にしたら、面会外出全面禁止にしたら、ラクじゃないか、患者さんたちもオトナシいじゃないか」と、、、、、

ソウは為らないように期待したい。

しかし、このオカシな風邪が流行り始めて、まだ、半年もたたないうちに

自警団が出来ている世の中ナンだから、この際憲法を変えようと云う世の中なんだから、ワシら精神病患者は覚悟はしておかなきゃといけないと想う。

 

ボクたちの中で、

ありがたいことに、このオカシな風邪で亡くなったなかまは居ないけれど、ありがたいことに深刻な病態になっているなかまもいないのだけれど、だけど、確実に精神病の病状を崩すなかまは、多い、と想う。

悔やんでいるのは、

「オカシな風邪が流行ってて、その風邪を病院の中に持ち込んじゃいけないもんで、、お見舞い暫く休みます、けれど、流行収まったら、また必ず来ます」と直接言って、休みに入れなかったことである。

一人一人に言っておくことが出来なかったことである。もちろん彼女にも。

毎週月曜、12人のなかまにお見舞いに来ていた。

11人に為った。

彼女は何年ぐらいこの病院に居たのだろう

ボクたち以外に誰か、面会に来る人は居たのだろうか

彼女は病者なかまに人気がある人だったと想う。

サイゴまで愉しく過ごされていたであろうか。

デェイのカラオケに参加されていたのであろうか

プリンは楽しみにされていたのであろうか

おばあちゃんの写真は、よく枕元に飾られてはいたけれど、

ご両親のハナシは聞いたことがない

ご家族はおられたのであろうか

彼女の名前は、に〇〇ま〇〇さんである。

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また、病院の共同の『倶会一処』で、お会いしましょう。

なかま達が、たくさん先に行ってますから

まぁ、できたら、ユックリ行けばイイんですけれどね

精神病院の霊安室でのお弔いは、やはり寂しいものだけれど

今回は、このオカシな風邪で、また少し寂しいかもしれませんね

すいませんでした

またお会いましょう

 

2020年5月9日

精神病患者会前進友の会やすらぎの里作業所

 キーサン革命の鬼えばっち 江端一起






告別の辞として 【コロナ】と【精神病患者】 なかまがまたひとり亡くなった、精神病院の中で退院するもことなく、外泊することもなく  お見舞いに来る人も無く、亡くなっていった

告別の辞として

【コロナ】と【精神病患者】

なかまがまたひとり亡くなった、精神病院の中で

 退院するもことなく、外泊することもなく

 お見舞いに来る人も無く、亡くなっていった

 全開放マーク方式のその精神病院に、ボクたちは、毎週一回ジュースやプリンを持ってお見舞いに行っていたのだった。

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 ある時、オカシな風邪が流行り始め、識者為るヤタラなヤカラが、テレビが、まるで家畜を追い立てるかのように不安を煽り立てて行った。だいたいが、まるで、有効な対策を打ち立てることもなく、そもそも検査数が少なすぎて、このクニではエビデンスのアル対抗策など医学的には考えようのないハズなのであった。ハズなのではアルが、何時ものように、それでもなお、人々は煽り立てられ、流行り病の不安と恐怖から、思考停止しながら立ちすくんでしまい、ナニか重要なものを自ら失っていくことに気づかないようだった。それどころか、流行り病を撒き散らすものとして、罹患した患者本人、医療従事者、濃厚接触者、休業補償のない休業要請に従わない者、自粛要請に従わない者、マスクをしない者、県境を超えて来る者を自警団をこしらえて、有形無形に襲ってくるのだった。そう、もはや、お上の自粛に従わない者など【民衆の敵】だと言わんばかりに、、、、

 その中で、ボク達も、一旦は、作業所と云うみんなの部屋を休止した。そして、ボクたちが、病院の中にウィルスを持ち込まないように、自らの判断で週一回のお見舞いを停止した。作業所の一旦の休止も、お上がナンタラ宣言を発する一か月以上前に自らが判断して休止した。そしてナンタラ宣言が出される頃には自主的に判断して、考え得る感染症対策を取りながら、限定的な再開を始めた。そしてまたナンタラ宣言を延長するとお上が命令するころには、ボクたちは自主的に判断して、実質作業所再開を決め食事会も再開し始めた。だからこそ、開いていたからこそ、病院からの訃報を受け取れたのかもしれない、と、そう想う。

 病院には、面会は出来ずとも外来までは、一度は、お見舞いの品々とリストを持って行ったのだが、一回限りのコトで終った。

確かに、そのオカシな風邪は、沢山の死者をだしていた。

しかし、ナニか、ナニかのバランスがオカシいと感じるのは、えばっちだけなのだろうか。

そして、その中で、彼女は亡くなった

ドウすればヨカッタのだろうか。

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えばっちが知る限り、彼女は退院したことは無かった

御歳は幾つだったのだろう

もう寝たきりになっていた

夏レクによく行った

彼女が参加した夏レクは、その頃はナカナカ面白かったと想う

二泊三日の海水浴だったけれど、一度も海に入ることは無く

何時も海岸でみんなでニコニコされていた

お気に入りのイケメンのお医者さんとニコニコしながらアイスクリームを

食べておられた。

夜は、いよいよ、出番である。

賑やかで愉しいカラオケ大会の常連さんなのであった

一泊二日の日帰り温泉に為っても、よく参加されていた

夜のカラオケ大会は賑やかだった

心臓が、相当状態が悪いと云うことで、レクの参加がドクターストップと為った

と記憶している。

 

週一のお見舞いは、ハナシが弾むときもあれば

ボク達が誰だかワカッテいないような、そう想える時もあったのだけれど、

大概は、プリンを詰所に渡しておきますよと言うと

ありがとうございますと、ハッキリ言われてベッドから手を振ってくれて、、

 

明日は、告別式である。

参列しようと想う。

人数制限がある

それはそれで仕方のないことだとは想う。

だって、精神病院の中で、このオカシな風邪が流行ったらタイヘンなことに為るんだから、、、ガンでも、脳梗塞でも、SIADHでも、内科や総合病院は、ナカナカ精神病院の患者さんを受け入れてはくれないのだから、、、このオカシな風邪に掛かって呼吸症状が出ていても、そうそう受け入れてはくれないのであろうから、、、、

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そう、でも、シンパイはしている

全開放マーク方式の精神病院が

何時しか、全閉鎖のような厳戒態勢の精神病院に為っていた

イマは仕方がないのであろう

しかし、何時まで続くのであろうか、、、数か月か数か年か

怖ろしいのは、この状況が数年続いた時

この病院のPSW、看護士、看護婦、精神医達の心性が変化しているのではないか、と云うコトである。

「なんだ全閉鎖にしたら、面会外出全面禁止にしたら、ラクじゃないか、患者さんたちもオトナシいじゃないか」と、、、、、

ソウは為らないように期待したい。

しかし、このオカシな風邪が流行り始めて、まだ、半年もたたないうちに

自警団が出来ている世の中ナンだから、この際憲法を変えようと云う世の中なんだから、ワシら精神病患者は覚悟はしておかなきゃといけないと想う。

 

ボクたちの中で、

ありがたいことに、このオカシな風邪で亡くなったなかまは居ないけれど、ありがたいことに深刻な病態になっているなかまもいないのだけれど、だけど、確実に精神病の病状を崩すなかまは、多い、と想う。

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悔やんでいるのは、

「オカシな風邪が流行ってて、その風邪を病院の中に持ち込んじゃいけないもんで、、お見舞い暫く休みます、けれど、流行収まったら、また必ず来ます」と直接言って、休みに入れなかったことである。

一人一人に言っておくことが出来なかったことである。もちろん彼女にも。

毎週月曜、12人のなかまにお見舞いに来ていた。

11人に為った。

彼女は何年ぐらいこの病院に居たのだろう

ボクたち以外に誰か、面会に来る人は居たのだろうか

彼女は病者なかまに人気がある人だったと想う。

サイゴまで愉しく過ごされていたであろうか。

デェイのカラオケに参加されていたのであろうか

プリンは楽しみにされていたのであろうか

おばあちゃんの写真は、よく枕元に飾られてはいたけれど、

ご両親のハナシは聞いたことがない

ご家族はおられたのであろうか

彼女の名前は、に〇〇ま〇〇さんである。

また、病院の共同の『倶会一処』で、お会いしましょう。

なかま達が、たくさん先に行ってますから

まぁ、できたら、ユックリ行けばイイんですけれどね

精神病院の霊安室でのお弔いは、やはり寂しいものだけれど

今回は、このオカシな風邪で、また少し寂しいかもしれませんね

すいませんでした

またお会いましょう

 

2020年5月9日

精神病患者会前進友の会やすらぎの里作業所

 キーサン革命の鬼えばっち 江端一起






【コロナ】と【精神病患者】なかまがまたひとり亡くなった、精神病院の中で  退院するもことなく、外泊することもなく  お見舞いに来る人も無く、亡くなっていった  

告別の辞として

【コロナ】と【精神病患者】

なかまがまたひとり亡くなった、精神病院の中で

 退院するもことなく、外泊することもなく

 お見舞いに来る人も無く、亡くなっていった

 全開放マーク方式のその精神病院に、ボクたちは、毎週一回ジュースやプリンを持ってお見舞いに行っていたのだった。

 ある時、オカシな風邪が流行り始め、識者為るヤタラなヤカラが、テレビが、まるで家畜を追い立てるかのように不安を煽り立てて行った。だいたいが、まるで、有効な対策を打ち立てることもなく、そもそも検査数が少なすぎて、このクニではエビデンスのアル対抗策など医学的には考えようのないハズなのであった。ハズなのではアルが、何時ものように、それでもなお、

人々は煽り立てられ、流行り病の不安と恐怖から、思考停止しながら立ちすくんでしまい、ナニか重要なものを自ら失っていくことに気づかないようだった。それどころか、流行り病を撒き散らすものとして、罹患した患者本人、医療従事者、濃厚接触者、休業補償のない休業要請に従わない者、自粛要請に従わない者、マスクをしない者、県境を超えて来る者を自警団をこしらえて、有形無形に襲ってくるのだった。そう、もはや、お上の自粛に従わない者など【民衆の敵】だと言わんばかりに、、、、

 その中で、ボク達も、一旦は、作業所と云うみんなの部屋を休止した。そして、ボクたちが、病院の中にウィルスを持ち込まないように、自らの判断で週一回のお見舞いを停止した。作業所の一旦の休止も、お上がナンタラ宣言を発する一か月以上前に自らが判断して休止した。そしてナンタラ宣言が出される頃には自主的に判断して、考え得る感染症対策を取りながら、限定的な再開を始めた。そしてまたナンタラ宣言を延長するとお上が命令するころには、ボクたちは自主的に判断して、実質作業所再開を決め食事会も再開し始めた。だからこそ、開いていたからこそ、病院からの訃報を受け取れたのかもしれない、と、そう想う。

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 病院には、面会は出来ずとも外来までは、一度は、お見舞いの品々とリストを持って行ったのだが、一回限りのコトで終った。

確かに、そのオカシな風邪は、沢山の死者をだしていた。

しかし、ナニか、ナニかのバランスがオカシいと感じるのは、えばっちだけなのだろうか。

そして、その中で、彼女は亡くなった

ドウすればヨカッタのだろうか。

えばっちが知る限り、彼女は退院したことは無かった

御歳は幾つだったのだろう

もう寝たきりになっていた

夏レクによく行った

彼女が参加した夏レクは、その頃はナカナカ面白かったと想う

二泊三日の海水浴だったけれど、一度も海に入ることは無く

何時も海岸でみんなでニコニコされていた

お気に入りのイケメンのお医者さんとニコニコしながらアイスクリームを

食べておられた。

夜は、いよいよ、出番である。

賑やかで愉しいカラオケ大会の常連さんなのであった

一泊二日の日帰り温泉に為っても、よく参加されていた

夜のカラオケ大会は賑やかだった

心臓が、相当状態が悪いと云うことで、レクの参加がドクターストップと為った

と記憶している。

 

週一のお見舞いは、ハナシが弾むときもあれば

ボク達が誰だかワカッテいないような、そう想える時もあったのだけれど、

大概は、プリンを詰所に渡しておきますよと言うと

ありがとうございますと、ハッキリ言われてベッドから手を振ってくれて、、

 

明日は、告別式である。

参列しようと想う。

人数制限がある

それはそれで仕方のないことだとは想う。

だって、精神病院の中で、このオカシな風邪が流行ったらタイヘンなことに為るんだから、、、ガンでも、脳梗塞でも、SIADHでも、内科や総合病院は、ナカナカ精神病院の患者さんを受け入れてはくれないのだから、、、このオカシな風邪に掛かって呼吸症状が出ていても、そうそう受け入れてはくれないのであろうから、、、、

そう、でも、シンパイはしている

全開放マーク方式の精神病院が

何時しか、全閉鎖のような厳戒態勢の精神病院に為っていた

イマは仕方がないのであろう

しかし、何時まで続くのであろうか、、、数か月か数か年か

怖ろしいのは、この状況が数年続いた時

この病院のPSW、看護士、看護婦、精神医達の心性が変化しているのではないか、と云うコトである。

「なんだ全閉鎖にしたら、面会外出全面禁止にしたら、ラクじゃないか、患者さんたちもオトナシいじゃないか」と、、、、、

ソウは為らないように期待したい。

しかし、このオカシな風邪が流行り始めて、まだ、半年もたたないうちに

自警団が出来ている世の中ナンだから、この際憲法を変えようと云う世の中なんだから、ワシら精神病患者は覚悟はしておかなきゃといけないと想う。

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ボクたちの中で、

ありがたいことに、このオカシな風邪で亡くなったなかまは居ないけれど、ありがたいことに深刻な病態になっているなかまもいないのだけれど、だけど、確実に精神病の病状を崩すなかまは、多い、と想う。

悔やんでいるのは、

「オカシな風邪が流行ってて、その風邪を病院の中に持ち込んじゃいけないもんで、、お見舞い暫く休みます、けれど、流行収まったら、また必ず来ます」と直接言って、休みに入れなかったことである。

一人一人に言っておくことが出来なかったことである。もちろん彼女にも。

毎週月曜、12人のなかまにお見舞いに来ていた。

11人に為った。

彼女は何年ぐらいこの病院に居たのだろう

ボクたち以外に誰か、面会に来る人は居たのだろうか

彼女は病者なかまに人気がある人だったと想う。

サイゴまで愉しく過ごされていたであろうか。

デェイのカラオケに参加されていたのであろうか

プリンは楽しみにされていたのであろうか

おばあちゃんの写真は、よく枕元に飾られてはいたけれど、

ご両親のハナシは聞いたことがない

ご家族はおられたのであろうか

彼女の名前は、に〇〇ま〇〇さんである。

また、病院の共同の『倶会一処』で、お会いしましょう。

なかま達が、たくさん先に行ってますから

まぁ、できたら、ユックリ行けばイイんですけれどね

精神病院の霊安室でのお弔いは、やはり寂しいものだけれど

今回は、このオカシな風邪で、また少し寂しいかもしれませんね

すいませんでした

またお会いましょう

 

2020年5月9日

精神病患者会前進友の会 キーサン革命の鬼えばっち  






⓫観察法苦闘記 観察法に引っ掛けられたミスターとその後 保安処分に対する運動のスタイルの違いも含めて 警察署ではドウだったんですか? 

⓫観察法苦闘記

観察法に引っ掛けられたミスターとその後

保安処分に対する運動のスタイルの違いも含めて

警察署ではドウだったんですか? 

弁護士さんやご家族とはドウだったんですか?

鑑定入院中の医師や看護士の対応はドウだったんですか?

警察や鑑定入院中のなかまにドウやって面会したり差し入れしたりするんですか?

観察法審判ってドンなモノだったんですか?

なかまが逮捕されたら、まずドンな行動を取ったらいいのですか?

 

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 ある時、おそれていた事態、我々の一緒にセーカツしていたなかまが、観察法に捕らわれてシマッタ。我々のセーカツの中に観察法が乗り込んできた。まさに、その時初めて患者会として、観察法反対の反保安処分の本質的な闘いが始まったのである。2010年冬、我々のセーカツを共にしてきたなかまが、こともあろうに、観察法審判に付されるハメに陥るとは、、、とてつもない三か月のセーカツと闘いを経て、「この法による医療は必要なし」と観察法適用は免れたものの、果たしてそれが、、、、、その時から、現在に至るまで、8年間入院しっぱなし。いつになったら退院できるのか。入院先のPSWすら「こんなことなら観察法の方が早く退院できたのでは」とまで言う事態に。なんということだ、、、さてどうすればいいのか。この8年間の苦闘の数々をお話ししたいです。なんと、4か月間だけ退院できたんですけど、昨年に・・でも結果ドウなってしまったか、、、8年間のうち4か月だけとは、、、、

 

 観察法と対決する、保安処分に反対するとは、どう云うことだったのだろう。患者会としては、セーカツから、なかまがひっかけられるから、だから、反対していたのであって、反対していくのであって、我々の言う観察法との対決、反保安処分とは、セーカツそのものから来るものであった。

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 そのもっとも対極にあったと想われる運動の方向が、反保安処分とは、「保安処分思想」との対決であると云う理屈であった。コレ一見本質をついているように見えるが、これほど宙吊りになった運動はなかったと想う。だから実際上、「保安処分思想」と見なされれば、どんな相手にでも、どんなことにでも使えるのである。さすがに、内部分裂にこれが使われたことはないと想うが、ぎりぎりなかったとは言えるとは想うけれど、この先はわからない。『無仁義アクジ犯』が、コレをドウ使うか、、オソロシイ、、、ドウとでも貼り付けられるものであったから、却ってオソロシイものでる。

 患者会のセーカツの中において、作業所のセーカツの中において、やはりそこは集団セーカツだからぎりぎりの話し合いを積み重ね、ミーティングを積み重ね、「三振制度」や「スリーアウトチェンジ制」を積み上げても、最後はどうしてもここから出て行ってくれと云うことがある。クルしいが、ココからみんなの部屋から引き取ってくれということが、10年に1人かぐらい出てくることがある。クルシイことである。ツラいことである。でも、そうせざるを得ないのが患者会であったりする。ところが、それをもって、「保安処分である」と云う言われ方をしたことがある。「如何なる保安処分思想とも戦う」と言われ、コウ云うことを批判されたことがある。ちょっとチガウと想う。

 さらに、制度的国会的法律的運動にばかりに動員されかかったこともある。病者のセーカツと病状を無視してである。キーサンの病状やセーカツを無視する動員主義的な国会包囲運動とは、何だったのだろうか。さらには、論客だけがシンポジストだけが講師だけが国会参考人だけがナントカ委員だけが主体のような、組織的な観察法反対運動もあったように想うし、手帳制度の時も、自立支援法の時もソンナコトはなかったろうか。それでよかったのだろうか。

 

精神病患者会前進友の会やすらぎの里作業所

あくまでキーサン革命の鬼えばっち 江端一起

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前進友の会やすらぎの里のホームページ

http://yuinoumi.web.fc2.com/zenshin-index.html

 

えばっちのホームページ 乾坤一擲

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❿前進友の会の日々のセーカツとは それはやすらぎの里作業所の日々のセーカツなのか? 患者会が運営主体であるところの作業所とはジッサイに? スタッフ賃金は、ボーナスを、どう決めていますか? 誰が支給しているのですか? スタッフの採用はどう決めていますか?

さぁいよいよ具体的なハナシとして

前進友の会40年、やすらぎの里作業所30年、我々は実際に生き続け、セーカツし続け、叫び続け、みんなの部屋を維持し続けてきました。その実際を、赤裸々に語ります。どのような質問もお受けします。



❿前進友の会の日々のセーカツとは

それはやすらぎの里作業所の日々のセーカツなのか?

患者会が運営主体であるところの作業所とはジッサイに?

スタッフ賃金は、ボーナスを、どう決めていますか?

誰が支給しているのですか?

スタッフの採用はどう決めていますか?

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通所者の工賃は、どう決めていますか?誰が手渡していますか?

患者会と作業所がどう共存していますか? それとも対立していますか?

患者会と作業所とは、違うんですか? 同じなんですか? 電話番号は一緒じゃないですか?

食事会のメニューをどう決めていますか? 誰がつくっていますか?

昼食の部と夕食の部?午前の部午後の部?

誰がレクを決めていますか?どうやって決めていますか?

レクの段取りは、誰がドンナ風にしているのですか?

お茶の用意は誰がしていますか?

お掃除は誰がしていますか?

そもそも患者会「前進友の会」は、どのように出来たのですか?

そもそも作業所「やすらぎの里共同作業所」は、どのように出来たのですか?

ホントのところ、どのように意思決定がなされているのですか?

総会やミーティングは多数決なんですか?

ミーティングや総会、会議に参加できないなかまがいたらどうするのですか?

ホントのところ、スタッフはどんな立場ですか?

『当事者スタッフ』については、どのような位置づけですか?

作業って、どんなことしてますか?労働なんですか?

『働かない権利』については、どのような位置づけですか? 

そもそも『反社会復帰』『働かない権利』とはどういう経緯で、生まれたものですか?

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本当にナンの作業もしない、出来ない通所者も居るんですか? 

本当のところ、みなさんどんな様子で日々過ごしてますか?

作業所に通所できないなかまはどうしていますか?

例えば、入院しているなかまはどうしていますか?

えばっちは、スタッフや理事なんですか?

就職希望者からスタッフを、理事をドウやって決めているんですか?

 

精神病患者会前進友の会やすらぎの里作業所

あくまでキーサン革命の鬼えばっち 江端一起

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前進友の会やすらぎの里のホームページ

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えばっちのホームページ 乾坤一擲

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❾内なる差別性 内なる加害者性とも向き合う それが、患者会!!!

❾内なる差別性

内なる加害者性とも向き合う

それが、患者会!!!

自らの加害者性にもまた、眼をそむけず

正面から向き合う

自己の加害者性も自覚する

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キレイごとですまさない

ニクマンもある

内部差別もある

出て行ってくれもある

強制入院をなかまが判断することもある

ドロドロぐちゃぐちゃのセーカツと己が差別と加害者性に、も、まみれきったキーサン人生を歩む

それが、患者会!!!!!!!!!

 ところがと云うか、それどころかと云うか、暴力なんかふるったこともありません、ケーサツのお世話になったこともありません、家族と対立したり、暴力的なことをしたことも在りません、精神医やら看護婦さんにはお世話に為って、と云うような、ヨイ子チャン当事者路線なのであり、敵対するものとしての、大体、加害者に過ぎない精神医や看護士が医療従事者が、福祉従業員が、まるで、被害者のように語るのですよ、サービスの提供者のようなフリをするのですよ。キーサンは、精神病院と福祉に精神医と看護士に被害を受けたことに、復讐し落とし前をつけますが、また、

自らの加害者性にも、

眼をそむけないものなのです。

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己が差別性にも、眼をそむけずに向き合えたものだけが、その向こうに行けるのです。己が加害者性に向き合えたものだけが、真に、精神病院と学校に対決でき、真に権力とファシズムに向き合え、その向こうに行けるのです。『生命の底で居直れる』のです。それを患者会と云うセーカツの場で、フツーに過ごしながら、シンドいツラい生きざまを続けながら、自然と、たどり着いてしまったのです。『ニクマン』と云うコトバの意味を想い知らなければ、患者会は、ヤレナインですよ。だから、だからセーカツもビョーキもシンドくてクルシい、し

だから、だから、拡まらなかったんやろね

それでも、弱い者は、『集まって暮らさなきゃ』ならなかったんですよ

『寄り集まって暮らしていない』と、コロされてしまうんですよ、、、、

恐怖に怯えて、恐怖とクルシみでウゴけなくなってしまうんですよ

だから患者会ナンですよ

 

精神病患者会前進友の会やすらぎの里作業所

あくまでキーサン革命の鬼えばっち 江端一起

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❽患者会のシッパイ 拡まらなかったのは、続かなかったのは、なぜなのか 学会や厚生省や専門職や家族会が精神病院が、よく思わなかった もちろんそう云う外圧もあっただろう

患者会のシッパイ

拡まらなかったのは、続かなかったのは、なぜなのか

学会や厚生省や専門職や家族会が精神病院が、よく思わなかった

もちろんそう云う外圧もあっただろう

精神科福祉の進捗拡大とともに第二次精神病患者会運動はすぼまってはいかなかったか、でも、そう云う外圧だけが消滅していった原因だろうか

患者会自体に、精神病患者会に内在する原因はなかったのだろうか

しんどかった、そのしんどかったのは、何故なのか

何もかも自分たちでヤロウとはしなかったのか

何もかも自分たちでやろうとしたことがキーサンの誇りとともに

患者会のシッパイに繋がらなかったのか

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 だからこそ、「❻患者会の原則と基盤」での矛盾が、苦しかったのである。だから、シッパイしたのである。そう、我々は専門職能性の第三者機関を信用しなかった。ボランティアも信用しなかった。矛盾をすべて飲み込んできた。

そして、自主自尊自衛自治自立はとても人力と金力と体力を必要とした。

とてもとてもとてもツカレるコトだったのである。そして、シッパイしたのである。

どうすればよかったのかな…。

そして、患者会であるならば、以下のことも本音で話し合ってきたのです、向き合ってきたのです 、セーカツの中で向き合いながらセーカツしてきたのです。

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シッパイ其の壱

 患者会を維持するのは、自主独立、自尊自衛、自立自治するのは、結構な手間暇がかかり、時間もかかり、苦労もし、そして、結構な金力と人力と労力と体力と精神力が必要なのであった。しかし、出来るだけ、支援者に頼りたくなかった。ヴォランティアも否定していた。でも、頼らざるを得なかった。だから構成の(C)グループは、健常者の医療福祉従事者が主に為るのである。

シッパイ其の弐

 原則と基盤の矛盾がクルし過ぎた。矛盾のまま、なかまたちの強制入院を患者会が判断してきた。強制入院させられるという恐怖を、唯一理解し合え、また、納得し合え、唯一恐怖を和らげられる、そういう支え合って生きるなかまたちが、精神医や弁護士や第三者機関や適正化委員会などを信用して来なかった、信用できなかったがゆえに、自分たちで活動の(2)の精神病院に入院させてきた。この矛盾を、見つめ続けるのは、クルシいことであった。

シッパイ其の参

 上記の壱も弐も、それは当然のこととして、自らの加害体験をも見つめることであった。我々は、強制医療の専門職能性の、薬の、法律の、福祉の、そして家族の被害者なのではあるが、また、なかまに対しても、あるいは、家族に対しても、加害者になり得る、そのことからも目をそらさなかった。それは、差別とかファシズムとかに対する決定的な対抗軸になるものだったが、つまり、加害者性を自認することがそうなるのだが、これは、理解を得ることも難しく、患者会の中でも、病者個人の中でも、クルしいものだった。

 

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