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だから、だからこそ、『充実』した『良心的』な『素晴らしい取り組み』をしている福祉事業所でコソ、スタッフ側と通所者側の『生きがいはたらきがい』の格差が拡大していくことの皮肉を徹底的に見つめることである。作業所患者自治会のススメ 口伝編『生きがいの格差』  何故、今、『患者自治会』なのか なぜに、これほどまでに 今のイマ時に、必要なのか?

 だから、だからこそ、『充実』した『良心的』な『素晴らしい取り組み』をしている福祉事業所でコソ、スタッフ側と通所者側の『生きがいはたらきがい』の格差が拡大していくことの皮肉を徹底的に見つめることである。

 

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ソレを本当に見えて、わかっているのだろうか。そしたら、では、その『生きがいの格差』をドウ埋めていくのか、そも、倫理的にこの『生きがいの格差』は許されるのか、許されないとしたら、ドウやって、ドウやったら、この『格差』を埋め合わせて行けるのか、『良心的』『革新的』『ガンバッている充実している福祉事業所』にこそ、イマの今こそ『患者自治会』が必要なワケがココにある。

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すなわち『生きがいの格差』を通所者側からもスタッフ側からも、『両方から双方から埋めていく』その取り組みの最大のものが『患者自治会』なのである。

 だからこそ、共同作業所やサロン等々の福祉事業所において、『する側』『される側』の『スタッフ側』『利用者側』の立場性を踏まえた上で、真の意味での『共同作業』が、おそらく初めてジッサイ上も倫理的にも成立する要件が『患者自治会』なのである。『患者自治会』のアル『共同作業所』『サロン』『デイケア』コソが、本物の『共同作業』を通じて『本物の人間関係』と『本物の生きがい』を『利用者』側『スタッフ』側双方の側に見い出していけるであろうとそう想う。『双方の側』の『生きている実感の格差』を埋めていくことが出来るであろう。飽くまで『双方の側』から埋めていくのである。『片方の側』ダケから埋めていくのではない。だから『患者自治会』なのである。

 

そして、そう更には、同じ精神病者間にもこの『生きがいの格差』は厳として存在する、と言わなければならない。すなわち『活動家病者』と『フツーの病者大衆患者庶民』との間に、『エリート障害者病者』と『フツーの障害者病者庶民』との間に、『必要とされる実感の格差』『はたらきがいの格差』『生きがいの格差』は厳として、ゲンジツにジッサイに存在するのである。セーカツから離れた『運動家』『活動家』『活動家集団』の運動を批判し続けてきた意味がココにある。

 

 オレだけ生き延びてしまった、、、、あの信州の精神病院からオレだけが生き延びてしまった、しかもあの病院から運よく生きて出られた患者の中で、『前進友の会やすらぎの里』と出会うことが出来て、またもや、運よくオレだけが『キーサンとしての生きがい』を得て『キーサンの人間関係』の中でオレだけが『生きている実感』を感じているのなら、ソレは恐るべきことである、とソウ想う。許されることではないと想う。だって、えばっちだって『病者運動ボスの活動家』ナンだから、、、

 『当事者運動家』諸氏よ『当事者活動家』諸氏よ『国家資格専門職人権擁護活動家』諸氏よ、それでいいのか、、、本当にそれでいいのか、、、イマの今時にこそ『ピアカウンセラー養成講座』『ピアサポーター養成講座』を批判し尽さなければならない、なんとなれば、このママでは障害者間に最大の『生きがいの格差』をもたらすであろうから、、、

すまし顔の猿のようにスーツを着て人前で得々と法律のハナシを語る『当事者』ほど、この『生きる喜びの格差』を意識的に拡げる存在はなかろうに、、、

 『パラリンピック』を批判尽さなければならない意味がココにある。『パラリンピック金メダリスト』ほど障害者間の『生きがいの格差』を見せつける存在なかろうから、、、とすると、精神病患者にとっての、或いは『所謂言うところの発達障害者』とっての『パラリンピック金メダリスト』とは、ドンな存在であろうか、、、そう、みなさん御想像のとうりであろう、、、

 ソウなのである、すなわち、自分の活動と論文と国会と外国旅行のために、自分が味わったこともないような、精神病院のコトや精神診療所、閉鎖病棟保護室や五点張りや電パチや、看護士精神医の暴力や、クスリ飲んでない奴がナンで大量投薬や大量減薬の害を言いつのって、まるで自分がやられたかのように喋る、これは、もはや同じ『病者なかま』を『利用』し尽した『生きがいの搾取』であろう。そう、もはや、『無仁義病者運動ボス』の『利用』し尽くす『オモタい病者なかま』への『生きがいの搾取』である。コレはひょっとすると『良心的一所懸命のスタッフ』達の『モノ言わぬ通所者』『依存してくる利用者』側への『必要とされる実感の格差拡大』よりも、悪辣極まりないことかもしれないと、想うのである。だって『酷な』言い方かもしらぬが『一所懸命やる良心的スタッフ』は確かに、病者のセーカツを支えてはくれてイルのだから、、、、、特にPSW系は、実質のセーカツの糧を入れ込んでくれるわけなのだから、、、

 とすると、『無仁義病者運動ボス』の『利用』し尽くした挙句の『オモタい病者なかま』への『生きがいの搾取』とは、、もはや『生きる実感いのちそのものの盗人』であるとシカ言いようがない、、、倫理的に許されることなのであろうか、、、酷な言い方ではあろうが、『精神病者解放運動の本筋』がコレに為ってシマッてきたのが、精神の当事者運動の不幸の一つだと想うのだが、ドウであろうか、、そして遂には『無仁義病者運動ボス生きがい搾取者』『精神病患者の生きる実感盗人』とシカ言いようのないような者までも登場である。コンな者までもが、登場したのである。怖ろしいことだ。しかも、しかもである、『被害』の実態を公表し批判することも出来なくなり掛かっている、コンなていたらくだから、とにもかくにも『活動家は喋らない方がいいに決まっている』と叫びたくなる。

 

 

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だから、『選ばなければならない』と想うのである。『選べる』状況がセッカクにイマの今時に出来得かかっているのであれば、、、、もちろん、『選べ得る』状況が事態が出来得ていることが前提なのである。だから『イマの今時の良心的素晴らしい福祉』の場でこそ、、、なのだけれど、、、特に特に『支援者』はドウするのか考えないといけない、福祉の大学なんかでは教えてくれないのだから、、、『契約関係』のママでいいのか『人間関係』を目指さなくても良いのか、『サービスの供給専門職』のママで『サービス提供者』のママでいいんですか、、、『スタッフダチンコ』を目指さなくても出来てしまえるのか、、、、『する側』『される側』を踏んまえた上で、で考えてもらいたいと、そう想う。そう、キビし過ぎるかもしれない、だから、ココは強くは言えない、、、、でもチョットだけ、、『利用者』としては『サービスの受益者』のママでいいのかい、『キーサントモダチ』を目指さないのかい、『群れて』『支え合って』『助け合って』『キーサントモダチ』を目指さないのかい、、、『問い詰める』ようなことに為ってはゼッタイにダメだ、だって、『自分の意向』を聞いてはもらえなかった人生なんだから、、だから、ゴメンよ『問い詰める』ようなことになってはいけないゼッタイに、、、したらアカンとそう想う、、でもでも『患者自治会』を目指して『キーサントモダチ』に為りませんかと呼びかけ続けたい、、、、『問い詰める』ようなことに為ってシマワないように、、、、『サービスの受給者』のママで『サービスの受益者』のママで『サービスの利用者』のママで『サービスの量と質の奪い合い』のママでいいんですか、、、、

 だがしかし、でも、一方で、ココは、再度再度大声で叫んでおこう、特に特には特に『病者運動ボス』はドウするのか『パラリンピックの金メダリスト』に為ろうとするのか『キーサントモダチ』を目指そうとするのか、、、ともあれ『無仁義病者運動ボス生きがいの搾取者』『精神病患者の生きる実感盗人』は在り得ない外道の所行と想うが、、、

 

 もちろん、『生きがい』とは、人それぞれである。当たり前だと想う。『文化』のヂガイもあるだろう。しかも、精神病患者なのだから、その時の『病状』『病勢』だって、『クスリ』だって『歳』だって、入院させられた『精神病院』だって様々だ。そのうえで、その上で、言っている。叫ばざるを得ない。『良心的な福祉のゲンバ』でこそ、『生きがいの格差』は拡がっていませんか、と。そして、その格差をそのママほおっておけてシマえるんですかと。

『スタッフ』側からも『通所者』側からも、その『生きがいの格差』を埋めるためのナニか、、、ナニかをやりませんかと、、、『双方の側』からですよと、あくまでも『両方の側』から、、、、

 

 『生きる実感』の『生きがい』の格差が本当にアルンだけれども、、そこには眼をそむけたママですすんでしまうのかなぁぁぁぁーー選択の結果は、そう、おおよそ、みえてはいるのではあるが、、、しかし選択の結果によっては、、、、だから、、、、『クルシい』方を、『シンドい』方を、、、、『ラクな』方に流れ過ぎると、、、あくまでも、あくまでも、キーサンとして、セーカツと人生をかけて『生きがいの格差』がアルんだ、『はたらきがいの格差』がアルんだ、『必要とされる実感の格差』がアルんだ、『本物の人間関係』『本物のトモダチ』『本物の友情』『本物の生きがい』『本物のはたらきがい』『本物の生きる実感』『本物の必要とされている実感』を見い出せる可能性を奪わないでくれ、ジャマしないでくれと、『双方の側』から埋めなきゃなんないんだ、『双方の側』から埋めていこうよと、叫びたいのである。

 

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『キーサントモダチ』を目指さない『精神病者解放運動』とはナンなのであろうか、、、、、

『スタッフダチンコ』を目指さない『精神医療改革運動』とは

ナンなのであろうか、、、、

心から叫びたい

『キーサントモダチ』に為ろう

『スタッフダチンコ』に為ろう

『患者自治会』をこしらえて、『キーサントモダチ』に為ろう

それがおそらく『キーサン革命』の出発点であり、同時に行きつく先であり、、、、『精神病患者会』がこの世にアッタ事の意味であろうから、、、、

『キーサントモダチ』に為ろう

『スタッフダチンコ』に為ろう

『患者自治会』をこしらえて、『キーサントモダチ』に為ろう

それが『通所者』側にも『スタッフ側』にも

『生きがい』を『はたらきがい』を『生きる実感』を

『契約』することなしに『サービス』であることなしに

『格差』することなしに見い出せるであろう

おそらく唯一の方向性であろうから、、、、



2020年2月1日起稿2月22日に一旦完成として

精神病患者会前進友の会やすらぎの里作業所

あくまでキーサン革命の鬼えばっち 江端一起

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