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発達障害批判苦箇条 十一本 キーサンの生き様から叫ぶ 発達障害にハンタイするための 苦箇条

福祉労働2017年春号原稿No154
発達障害批判苦箇条
十一本
キーサンの生き様から叫ぶ
発達障害にハンタイするための
苦箇条
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序カ条 患者会破壊キーサン文化破壊箇条
発達障害とは精神病者の文化とセーカツ、患者会文化とセーカツの破壊者となる
我々を蔑すむためのコトバが、また一つ、この世に、生まれ出た
我々、キチガイを落チ込ませるためのコトバが、
またひとつ、この世に、生まれた出た
我々を見下すためのコトバが、また一つ、この世に、生まれ出た
我々キチガイを陥れるためのコトバが、またひとつ、この世に、生まれた出た
我々を侮蔑するためのコトバが、また一つ、この世に、生まれ出た
我々、キチガイをますます、惨めにするためのコトバが、
またひとつ、この世に、生まれた出た
我々をクルシめるコトバが、また一つ、この世に、生まれ出た
我々、キチガイを、地獄の底に蹴り落とすためのコトバが、
またひとつ、この世に、生まれた出た
我々を殺すためのコトバが、また一つ、この世に、生まれ出た
我々、キチガイを競争へと追い立てるためのコトバが、
またひとつ、この世に、生まれた出た
我々を差別するためのコトバが、また一つ、この世に、生まれ出た
我々、キチガイの生をますます、無かったコトにするためのコトバが、
またひとつ、この世に、生まれた出た
発達障害』と云うコトバである
発達障害』と云う概念である
まだまだ、キチガイを、精神病患者を、
苦しめ足りない、殺したりないと云うわけか。
そうか、そうか、そうなのか
『再生の物語』それは、ヨカッタ
『クスリゼロの物語』それは、ヨカッタ
『誤診誤処方からの再生の物語』それは、ヨカッタ
『処方薬依存からの再生の物語』それは、ヨカッタ
それは、ヨカッタ、ですね、と云う、ダケのことダッタのだ
だが
モハヤ、それではすまぬ
もはや、それは、ヨカッタですね、では、すまなくなってきたのである。
発達障害に病名を変更した上で断薬が、人を成長させるノダ
発達障害をツコウての断薬こそが、精神医療の被害から立ち直り、
自己を見直し、人生を振り返り、人間を成長させることが出来るのノダ
と云う主張には、怒りを、感じざるを得ない
だったら、精神病でクスリを飲み続けるしかなかったし、
クスリを飲み続けることを選ばざるを得ない
そんな、キチガイに、精神病患者に、病者に
この発達障害減薬強行断薬断行宣伝論者達は
想像を絶するほどの冷酷さを持って
クスリゼロ圧力
社会復帰圧力
絶望と共に、更なる屍を積み上げながら、押し付けてくる
ドンナ美辞麗句を散りばめようと
クスリを飲んでいる患者には、人間としての成長ナんゾ
あり得ないと
匕首を突きつけてくるのである
これは、差別どころではない
これは、差別を超えた、我々キーサンへの
精神病患者への悪辣極まりない、攻撃である。
自殺圧力、
と云う、
絶望圧力、
と云う、
おそるべき虐待行動なのである
ソレが精神医療の真実とは、恐れ入りました
本当に恐れ入った
 発達障害概念、反対ナノです。クタバレなのです。何故って、余りに差別的であり、余りに余りに健病者的であり、保安処分的であり、積極治療主義的であり、社会復帰的であり、社会要因の無視化であり、オモタい病者の見殺し化であり、エリート障害者的ダカラであり、本当に差別的な最低のシロモノであり、団結と云うか患者会と云うか、『患者会』的在り方に対して侮蔑的であり侮辱的であり、精神医療福祉銭儲け拡大主義的であり、概念が勝手に無定見に拡大シテシテマう。ホント、この障害概念は、ナニモカモを飲み込みながら、概念の拡大をし続け、人格障害、精神病質まで、生物的精神医学の遺伝子探しマデも衣替えして再復活を遂げていますよ。
 だから当然、かえって精神科クリニックの、精神病院の、精神科の薬の、保安処分対象者を徹底的に拡大に次ぐ拡大をさせるだけでしょう。特にとくーーには、心理が、もうウハウハに拡大デスヨ。心理の裾野の増大に次ぐ蔵大、拡大に次ぐ拡大に、手を貸しただけだ。しかも古くからある『人格障害』の焼き直し的側面も強く、だから、健病者による患者会文化の破壊に手を貸す概念になるでしょう。それだけじゃあーない、青い芝の会から続く、この五十年近くにになるありとあらゆる障害者の自立への取り組みを、アッサリ発達障害者の依存とサポートチームにすり替えられてシマウんですよ。そう、障害者の『自立』とは『依存』であったのだ、に、掏り替える装置なんですよ。そうすれば、専門職の飯の喰いハグレが、無くなるんですよ。
 ハッタツ障害は、おそらく、既存の精神医療の根絶にはツナガラナイ。かえって、既存の精神医療や福祉が発達障害方向に拡大していくときの補強材料として利用されるであろう。ハッタツ障害は、おそらく、発達障害で社会復帰を目指すための補強材料として利用されるであろう。才能を花開かせて、社会に貢献しよう、と云うわけなのである。特に、ハッタツ障害者は、こう言われて、ジブンでも言いながら舞い上がりつつ、腐った社会復帰競争を煽り抜くダロウ。このようなサポートとサポートチームとハツタツ特性理解があれば、人し並になれるタラ、大した人物になれるタラ、いやいや、本人の才能が開花するんやーー、ゲージツ家に為れるんやと云う、背中には翼まで、はえてます、と言い出すとはなぁぁーーつまり半端者センセイ五職にナレルゾーーーという低学歴の精神病者への差別観蔑視感情を伴った鼻持ちならない健病者のエリート障害者の社会貢献路線をもって、自立を目指すシンドイ生き方をやらなくても良いぞーーーというハッタツ音頭シャカイフッキ音頭の唄と踊りにあけくれる十年間を補強し、健病者文化の社会復帰路線を強化し、新たな発達障害型の日精診、全家連、全精連、病者集団、精従懇、日臨心を、ベテルムカイヤチヤチ、コラルマキマキコなどを、次々と、生み出すであろう。
 ハッタツ障害は、おそらく、社会復帰路線という、社会参加路線という、社会貢献路線という右肩上がり家族会路線を延命再復活にするための補強材料として利用されつくすであろう惜しいことであった、惜しいことであった、本当に惜しいことであった。ハッタツ障害音頭は、おそらく、既存の精神医療の根絶にはツナガラナイそして、その音頭の踊りが一段落する十年後を見てみたらよい。一体ナニが残っているかを。さぞやさぞやな、依存する社会復帰競争の社会貢献競争の果てにナニが残ることに為るのか、想像してみたら良いのダ。
 ハッタツ障害は、おそらく、反社会復帰と云うキーサン文化を、働かない権利と云うキーサン文化を、さらには「生命の底で居直る」というキーサンそのモノの生命を、破壊してしまうだろう。そしてそれは、おそらく、このニホン低國と云う社会に対してそのシミンと支配者達に対して、根源的な『反』と『叛』と『乱』を対置し得ただろうと想われるキーサン文化を、捨て去るコトとなるだろう。だから、牙をもったキチガイから社会への『反』と『叛』と『乱』とを徹底的に亡き者にするための補強材料として利用されつくすであろう。患者会ナルモノをツブしたくてツブしたくて、無視したくて無視したくてタマランカッタおレンヂュウに素晴らしい患者会つぶしの武器を提供するコトに為るであろう。惜しいことであった。
 ハッタツ障害は、おそらく、患者会を、患者会文化を、歴史から抹消するための主攻正面と為るコトであろう。ツマリかえって、既存の精神医療や福祉が、発達障害方向に止めどもなく巨大化していくときの補強材料として利用され尽くすであろう。それが証拠に、イライ―リリー社のパンフを見て御覧なさいな。 こ病院での外来の待ち時間が長いのである。ナニカ読み物でもないかと、外来のブックスタンドを見るとアッタアッタ、大量の発達障害タラあすぺるがータラの宣伝パンフレットである。何種類もアルので、ビックリした。ビックリついでに、発行元を見て、更に、ビックリした。イライーリリー社なのである。どうりで、カネのかかった、豪華版のパンフレットが、自由に持って行ってくださいよ、とばかりに、並べてある。イライーリリー社が宣伝に努めているのである。おっと、ヤンセンファーマ社も負けじと「小児期の自閉スペクトラム症に伴う易刺激性でリスパダールを服用される方とご家族の方へ」をバラまいているではないですか。ドウとでも取れる診断基準をタレ流しして、煽りに煽って、ハッタツにクスリをぶち込もう、と云う魂胆がミエ見えなのである。ケッキヨクは、クスリの全体量は、増えるであろう、何故に、ソンナことも、ワカラナイカネ―――クスリ屋もぼろ儲けを狙っていると、いうに。
 そもそも、キーサン患者会は、精神医療の縮小化を目指して闘ってきたと言って過言ではない。縮小化を目指しながら、身近な精神医療を監視し続けてきたのである。そもそも、この発達障害概念は、新しく、障害を増やすものでアル。新しく、障害を増やしてはならないのである。何故か、「名前のない生きづらさ」を抱えてきたと云うミナサンが、これから、名前が付いたので、名札が付いたので、安心したミタイなことを、得々と、喋ったり書いたりしておられるので、こう言っておこう。何故か、何故か、何故なのか。その新しい、付けてもらった名札が、諸君らを「T4作戦の最終処分施設」に放り込むことに為るからである。モチロン、我々キーサンをも、である。地獄を見てから、シマッタと想っても、もはや遅いのである。権力は、世間様は、社会サマは、市民サマは障害者や病人に、ソンナに甘くは無いのだ
 それなのに、こうもやすやすと、新しい障害を一つ、増やしてシマッタ。世間様が貼り得るラベルを増やしてしまって、ドウスルノカ。そしてそれは、三障害から四障害に為った、一つ増えたと云うようなコトを遥かに凌駕するナニカを全ての障害者にもたらしてしまうだろう。ナサケナいハナシである。オソロシいハナシである。
 笠陽一郎や嶋田和子や広瀬隆士の批判なんか、もうどうでもいいノダ。そんなレベルの問題じゃないんですヨ、この発達障害というモンダイは。50年は闘い抜いてきた青い芝の会から続く、障害者の自立と依存、病者内あるいは障害者間の内部差別、障害の軽重による差別、というモンダイなんですよ。だから、笠批判という個人批判が、この問題を矮小化させるように働くようだったら、えばっちはもう笠批判や嶋田批判なんてどうでもよいです。それよりか、この発達障害のもつ、恐ろしいほどの【差別性】【権力性】【依存性】を暴きたいのです。もうそろそろ、病者、当事者たちも、医療や福祉や心理の専門職たちも、この発達障害概念のもつ、恐ろしいほどの『すり替え装置』『専門職への依存装置』『権力が利用しやすい利用装置』であるところの本質を、見抜くべきときが来ていると想います。さもないと、、、、、 
 腐った専門職が言い始めたことです、しかも、エングランドの。どのような便利な道具であろうと、根底に、我々『キチガイ』と『キチガイ病院』に入院中の患者に対する差別、侮蔑、侮辱に満ち溢れているモノとは、対決するのみです。だから、言ってミロ、や、この戯け者ども、そうそう、ハッタツ障害概念を拡げようとしている医者や、ライターや心理のヤツ等と、ジブンはハッタツ障害だと自慢げに話すハッタツ当事者たちよ、オマイ等、『キチガイ』や『キチガイ病患者』よりは、よりマシなものだと、思っているんじゃないのか、正直に言ってミロヤ、オイオイオイオイ、チガウと言えるのか、コラララララァァーーーァーーコラコラコラコラコラララーこの糞戯け者ども。発達支援議員連盟の顔ぶれを見てミロヤーーー発達障害者支援法を見てミロヤー、改正の方向が、エバッチが、叫び続けてきたコトと同んなじやろが、だから言ったろ、名前のない生きづらさに名前つけてもろうて、喜こんどったら、こうなるやろ、登録だけさせといて、後は、少しずつ法律をいじりゃあーーイインヤカラ。その名前のない、少しは、高機能な能力もアルノダと云うような「高機能性ハッタツ」の名札貼ってもろうたら、それは同時に「T4作戦の最終処分施設」へのパスポートにも為るノンや、ナニが特性理解がパスポートなんヤ、ホラミロや、大笑いしてやる。とうとう、言うタとうりに為っていきやがる。キチガイも諸共にヤラレそうヤナ。こんチクショー、ハッタツ拡めたヤツ等、セキニンとんなはれや。
 発達障害問題は、ね、今やセード的セイヂ的ホーリツ的モンダイ、課題なんですよ。もはやね。それが、分からないのかナァァァァーーー、行政と学会として、非常に政策的に、拡大したんですよ、それ、ワカンナイノカカナナナァァァァァァァーナァァァァァァーーー
 教育の方のゲンバでは、6.カンタラパーセントと云う数字が独り歩きして、スクカンが、ちょっと、教室や、学校や、先生にとって、都合の悪い子供たちを、探し出してきては、6.カンタラパーセントに為るヨウニ、ハツタツ障害を貼りまくり、精神科につなぎ、クスリを入れているんだ。教育の現場では、スクカンのゲンバでは、ハツタツ障害イコール精神科イコールクスリになってるのが、わからナイノカナァァァーー、スクカンが、そう叫んでいるではないか、良心的スクカンが、タマラナクなって、そう、自白を始めているではないか。
 母親たちは、結局はハッタツゲンヤクバージョンエンドレスリピート全家連をこしらえ、クスリがゼロになって、就学就職に成功した我が息子や娘たちを中心に、社会復帰バリバリの、家族会傘下のハッタツ当事者会を、作り上げるでしょう。ハッタツクリェイティブハウスか、ゲンヤクハッタツダンヤク拷問ハウスを作り上げるでしょう。本人の了解なしにやれば、どのように良き意図をもってやったとしても、拷問になるのです。新しいタイプの精神科拷問課ですダンヤク拷問、ゲンヤク拷問の、登場です。我々キチガイは、古いタイプの拷問にも、新しいタイプの拷問にも殺される、ことになるのです。そして、笠医師を使いツブシタ後に、ジブンタチに同調する若手医師を確保してきて、断薬専門クリニックまで、つくりあげるかもシレマセン。そして、それらは、結局は、既存の精神医療を強化しつつ、延命させ、患者会文化を、完全に抹消シクさるでしょう。
 なぜなら、それは、当事者の自立ではなく、母親と、医師をはじめとする医療福祉サポートチームへの、徹底的な、依存を勧めるからです。拷問されながらの依存に、ハッタツ当事者は進んでいくのです、自らね。「依存する社会復帰競争」というか「社会復帰のための依存競争」といったものになっていくでしょう。見方を替えれば「拷問されながらの依存競争」というか「依存させながらの拷問競争」とでも、いうか。依存してナニが良いのだ。クスリを増やすのも減らすのも、入院させられるのも、施設に入れられるのも、母親と精神医とサポートチームの好きなようにさせられるんですよ。モチロンうまくいった場合のハナシです、それは。ウマクはいかないと、十年以上も拷問が、続くことになる退行から、もどらないことも、ある、、、、、親子心中までも、、、ね、、もどってはこないことも、あるのです、よ。ゲンヤクが、ヂゴクのようになることも、多いのですよ。タイヘンナたいへんなコトナンデスヨ。しかも、嘘まで、言ってしまった。ハッタツしかないんだと言ってセカンドしたら先に診断名が決まっているセカンド診断だ。無茶苦茶なことを言っているんですよ。ボクの自己批判なんかでは、済まないんコトなんですよ。
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❶カ条 差別箇条
差別そのものである
 まずもって、この発達障害概念ソノモノが、とてつもなく差別的ダカラである。
既存の障害概念、疾病概念に対して、徹底的に、失礼無礼の限りを尽くし、た、その上に、この障害概念が成立しているのである。特に重たい自閉症のみなさんや、知的障害者のみなさん、そしてそして、我々精神病患者に対しては、よりマシである、より軽く、より才能がある、と言い回り、知的な障害は無い、精神病などでは無いと云う宣伝を、専門職とも当事者とも、そう、言いつのっているのである。知的障害者や精神病患者に対して、ソウ言うコトがドレだけ無礼で失礼で、傲慢で、鼻持ちならない差別者だ、という事がワカッテはいないのではないか。許されることではない。しかも、世間様の風潮も、ソウなのである。しかも、それでいて、愚かしくも、当然、才能の高低や、在る無し、イロイロあるなかで、ナニかしらに『成功』した障害者がエライのだ、と云う風潮をばら撒いている、のである。ドウニカなる障害者が出てくるのは、至極とうぜんであろう。
 精神病患者のグループに比べて、ハッタツ障害者の団体は、高学歴者が、多いのだそうである。実際調査してみて、ビックリした、と云うような、コトを、福祉系の雑誌に堂々と書くアンポン譚もいる、と云うコトだ。しかも、書いた本人に当事者性もアル、と云うダカラ、念のいったアホさ加減ということであろう。ソンなに高学歴が、良いのですかいな、と想ったソンなアホな記事が掲載されていた。これほど、障害者間の能力競争と差別感を野放図に表すコトもなかろうに、、、、しかし、もはや、そんな感覚も麻痺してしまっているのか、、、酷いハナシである。
 何故、あんなにエラそうに、クスリゼロを言うのか。何故、あんなにエラそうに、ハッタツ障害だ、統失ではない、と言うのかトーシツじゃナカツタと、喜びを顔いっぱいに、目を輝かせて、言うのか。母親が、同じママ友に、満面の笑みを浮かべて、こう言う。うちの息子ね、精神病じゃなかったんダッテ、ハッタツ障害だったんダッテ、と。走ってきて、頬を紅潮させて、そんなに嬉しそうに報告すべきことだったのか。そこに、精神病に対する忌避感と侮蔑感はなかったのか。そこに、精神病患者への差別意識は、ナカッタと、言えるのか。うちの娘は、精神医療と、手が切れたんですよ、と、ソンナに鬼の首でも、取ったかのように、言うのは何故なんだい。だったら、卒業して行ってくれよ。残って、それを宣伝するから、そうはならない者たちがより、苦しむことになる。まるで、そうはならなかった者たちの努力が足りないかのようにエラソウに言う。なんということだ。差別と侮蔑の再生産をやっているダケだクスリゼロになって、うちの息子は、大検受かりましたって、、、、あーーーソウカナそうかなソウソウソウソウソウカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナナナナナうちの息子は、精神科医になりましたよあーーーソウカナソウカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナクスリゼロになって、うちの娘は、看護婦試験受かりましたって、、、、あーーーソウカナそうかなソウソウソウソウソウカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナナナナナうちの息子は、大学に入りマシたよあーーーソウカナソウカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナ
 笠陽一郎医師が、言い腐る。腐った毒殺精神医の大学の教授が、セカンドに行った母親にこう言い放ったと、書いていた。「どうしてそんなに診断にこだわるんですか精神病に対する偏見じゃないですか」ってっ、かっ。笠医師よ、おれがセカンドのママさんたちに、そしてアナタに、精神病患者に対する差別意識があったのではないかと指摘すれば、アナタはこんな腐った大学教授の話を持ち出そうとするのかい。同じようなことを言っていても、意味が違う。想いが違う。何故か。二十五年以上前の、ぼくの入院体験を、書いてみたンダ、読んでご覧ナ。これは、ほんのひとこま、のハナシさ。そのおれが、はっきりとこう言ってるんだ。セカンドに開いていた大穴とは、発達障害バンザイの精神病者に対する差別意識、忌避感情、侮蔑感だったとね。チガウかな。
 だから、何故、あんなエラそうに、家族と本人の、努力が足りない、みたいに、言うのかね。何故、ソんなエラそうに、クスリを飲んでいる患者に当たるようなことを、言うのか。さげすむように言うのか。クスリを飲んでいる精神病患者に対して、ものすごく、侮蔑感を侮辱感を、丸出しにしていると感じるのは、おれだけなのかな、、、、、くじら会のママさん達も、成功体験バックにするから・・・えらく、侮辱的だねぇーー
 あえて、言うのだが、過去の、そして現在も、今後も、ワラワラとやってくる病名変更を求めての意識的セカンド受診のママさんたちや本人たちに、精神病患者、精神病、精神症状、精神病患者のセーカツぶり、ビョーキぷりに対する忌避感、嫌悪感、差別感は、無かった、皆無である、と、言えるのであろうか。ソコの所を再考にも再考すべきであろう。発達障害宣伝活動家たちの書いたものを読んでいると陰湿な障害者差別意識と悪質な蔑視感情が根強くある、と、感じざるを得ないのである。
 だから、健常者社会からもっともモットも激しく非難され差別され続けてきた者こそが、いやーーーな気分を持って、読むことになる。我々キチガイを差別する側が、もう一つ増えるだけの様な気がするのである。すなわち、発達障害者が精神障害者を差別し見下すことである。ハッタツ障害者が精神病患者を虐待し、いい気にナル予感がするのである。
 もっとも、その発達障害者への健常者社会からの差別虐待をも、また、助長しているのではあるが。だから、この発達障害を後生大事にご使用になられている皆さんに言いたい。自らも差別されているのに、それに気づかないとは、アンポン譚極まりない。いや、気づきつつ、実は気づいているがゆえに、自らへの差別は不問に付し、自ら、より重たい、よりしんどい精神病者を、知的障害者を、自閉症患者を、差別する側に回ったのか。
 だから、それは、精神医療の根底的な破壊に繋がるハズもなく、閉鎖病棟や看護士の暴力、保護室、四肢拘束などの、電パチ、スイカ割り、ガン箱退院の意識的な無視とあいまって、結局は、ハツタツ大好き宣伝広告マン達の精神病者への差別意識と蔑視感、侮蔑感、忌避感が露呈しているのである。陰湿な障害者差別意識と悪質な蔑視感情が根強く、いい気になりながらの、我々キチガイを差別する側が、もう一つ増えるだけなのである。
 すなわち、発達障害者が精神障害者を差別し見下すことである。ハッタツ障害者が、知的な障害は無いンデスヨ、精神病などでは無いンデスヨと、言い回り走り回り言い募り、精神病患者を虐待し、いい気にナルのである。
❷カ条 ナンデもカンデも無制限拡大箇条
発達障害の概念が、範囲が、無制限に無定見に拡大していき、ついには意味不明と為ってシマッテいる、そも障害概念の定義自体がドウとでも取れるシロモノである
こう、言い換えても良い
精神医療と心理が発達障害を梃子に無定見無制限に拡大し、ウハウハに儲かる
 そもそも、ムチャクチャな意味不明な、あいまいで広すぎる障害概念ダカラである。ナンデもカンデも発達障害に為ってしまうのである。ムカシなんでもかんでも、分裂病だったが、今度はナンデモカンデモ発達障害なのである。知的障害、自閉症、精神病、奇人変人、偏屈者、ノイローゼ、神経症不登校、引きこもり、その他モロモロをすべからく、発達障害だ、と言い切ってシマッテいるのである。過剰診断ナンて生易しいものでは無い。オソロシイことである。銭儲けの為だけに、これだけの障害者増大に次ぐ増大が成されたわけでもあるまいし、その本音を知った時には、コトは、もはや、遅いかもしれぬ。まだしも、ムカシながらのコトバの方が、マシな気がしますがね。
 大体が、精神分裂病統合失調症発達障害と、すすむにつれて、レッテルが、ラベルが貼りやすくなっていませんか。分裂病を貼り付け得なかった、奇人、変人、根性曲がりの偏屈じじい、靴を一足と言わず二足も三足も履いてしまっているヘンクツじいさん、変人オッサン、奇人ヘンクツゲームおたく、等々にすべからく、発達障害を貼り付けているのである。コレは、本当にオソロシイ事だと、想わないのダロウか。誰にでも貼り付けられる。恐ろしいことだ。心理と精神科が拡大してイッテイルンですがね・・・精神科→心療内科メンタルクリニック→カウンセリングルームと、すすむにつれて受診しやすくなってはいませんか。ノンラベルやのうて、貼れるラベルが増えたダケですよ。ハツタツ障害は患者を倍にするダケですよ、いや、もっともっと、多くなるでしょう、千倍かな・・百倍かな、、、、、しかも、ナニを誤解しているのか、ジブンの方から掛かりに来る、ジブンの方から症状を増やしていく、というのか、発達障害は、才能がアルとイコールやと、でも想うのか・・・ジブンのほうからいくんですよね、、、、ソコが、精神分裂病とは、チガイますよね、オソロシイ。
 生活保護で、一人暮らしで、高齢で、精神病院から退院したことのないヨウナ病者達のことを、歴史からなかったかのようにする、ゲンヤクで苦しんでいる患者を、無かったかのように、言う、ゲンヤクに苦しんでいる患者に、寄り添ってはいないような、ゲンヤクをアキラメた患者を敗者扱いし、クスリがゼロになった患者を勝者扱いし、ゲンヤクで苦しんでいる患者に、アンタの努力が足りないからだと、説教と折伏をしてくる。そのような態度に、えばっちは今や、徹底的に笠陽一郎医師を批判すべき時が徹底的にくじら会の母親たちを批判すべき時が徹底的にハッタツ障害概念と闘うべき時がついに、来たのだと、自己批判しながら闘うべき時がきたのだと、想い知ったのです。
 もっとも、アンポン譚な状況は、精神病は存在しない、アルのは発達障害ダケである、とまで、言いだしているのである。しかもしかも、その診断基準たるや、お粗末トシカ言いようのないモノなのである。ある医者のハッタツ障害の診断基準を聞いたときに、腰を抜かしたのである。得々と語る、その診断基準は、ドウとでもトレれるシロモノで、なおかつ、ムカシの人格障害概念と、ソックリ同んナジモノなのである。しかも、当の精神医は、そのことに気づいてもイナい様子なのである。ナニを寝とぼけているのか、アンタは今、一人の患者を、発達障害の名のもとに人格障害である、と、診断しテシマッタたことに気づきもシナイのである。しかも、知的障害のセカイのみなさんが、セーカツとしてもウンドーとしても、営々と積み上げてきた、「暦年齢に見合った発達レベルがある」と云う「発達保障論的」な腐った概念に対する批判の数々を、アッサリ否定してしまっていることに、気づくことも出来ないでいるのである。そらおそろしく、寒々としたものが、背筋を走ってしまい、アホらしくて、その医者を批判することすら、アッケにとられてしまい、出来なかった次第である。ナサケナいハナシである。
 余りにムチヤクチャな曖昧で範囲拡大増加の概念故に、とうとうムカシながらの人格障害、精神病質、発達保障論の再復活とともに、ドンなニンゲンにでも、貼り付けられる、まことに便利な名札と化してシマッタ。腐った専門家の諸君には、まことにケッコウな重宝な名札を、監察札を手に入れたのである。心理と精神医と教育者どもは、ウハウハであろう。おっと治安監督官連中もね。だから、当然、特性理解者サポーター、サポートチームなどとは、結局のところ、精神医療と福祉と教育が発達障害方向へ拡大していくときのボロ儲けのタネになるであろう、と云うことである。クスリと電気ショックと四肢拘束で儲け、ハッタツ障害のミナサンへのサポートチームでも、また、ボロ儲けするのである。依存してくれるので、飯の喰いはぐれがないのである。まことに、ケッコウな、お商売なのである。精神医療と福祉は、根絶も縮小もしていかない。拡大していくのである、オソロシい。心理職の国家資格化おねだり路線を見よ。
申請神聖ハッタツ博士片岡聡のリトプごっこを見よ。NHKから金もろうて、議員様相手に、法整備、制度政策おねだり講演会、開きくさった、笠セカンドからとうとう、こんな戯けた当事者が、悪辣極まりない障害当事者が羽化を始めましたよ。バカバカしい。片岡聡のような当事者からのおねだりもアルので本当に、ぼろ儲け、していけるであろう。ハッタツ護送船団おねだりボロ儲け路線である。専門職が、今の十倍いても、発達障害者を十倍に増やせばいいだけだから、しかも、依存してくれるので、本当に、ボロい儲けを生み出すであろう。これで、精神医療を根底的に破壊できる、などと、寝ぼけたコトをいえたものだ、大魔王教主笠陽一郎大センセイよ。逆だよ、逆、精神医療と心理と、福祉は、徹底的に、拡大していけるんだよ、この発達障害をツコウてね、ぼろ儲けしながらね。ナントイウバカげたことを、アンタは、ヤッテしもうたんだろうね。
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