えばっちのブログ 精神病患者会のブログ 精神医療糾弾 精神医糾弾 発達障害反対ブログ 発達障害減薬原理主義断薬断行療法批判

精神病患者会 作業所患者自治会のススメ キーサン革命バンザイ 精神病者は健常者社会と徹底的に闘うぞ 精神病者は発達障害者社会と決定的に闘うぞ キチガイのキチガイによるキチガイのための精神病患者会 オモタい病者が喋れるユックリ出来るたまり場をゲンジツにやり続ける 医療観察法撤廃 公認心理師撲滅

発達障害と社会防衛的思考が顕著であり社会環境要因は無視である 『シミン社会にとっての問題源的遺伝子探し』の挙句、保安処分、治安処分の超早期的かつ無制限強化拡大に陥る 治安監督官たちはウハウハである

❻カ条 保安処分無制限強化箇条
社会防衛的思考が顕著であり社会環境要因は無視である
『シミン社会にとっての問題源的遺伝子探し』の挙句、保安処分、治安処分の超早期的かつ無制限強化拡大に陥る
治安監督官たちはウハウハである
 
イメージ 1

保安処分が、徹底的に、拡大強化されることに、利用されるのです。ハッタツ障害専門観察法病棟が、出来るでしょうね。今まで、トウシツではブンレツでは、入れられなかったニンゲンを入れるのにリヨウされることでしょう。今まで、精神科に、縁がなかったニンゲンが、大量に縁付けサレルンですよ、ラベルが貼られんですよ。ムリヤリと、そして、ジブンから、、、、も、ね、、そう、それが、それが、それが、発達障害概念なのです。精神病をバカにしながらね、、、、、ハッタツ音頭で踊っているうちに、精神病では捕らまえられなかったような、奇人や変人をシャカイの治安を乱す者として、まこと広範囲に、しかも極早期に、番号をふれるということである。特に、この発達音頭は、シャカイの治安を乱しそうなものを幼児のうちから、まさに「早期」のうちからピックアップできるだろうなおかつ、本人や、母親の方から、我も我もと、争って、番号を振って欲しくて医者や、心理や、教育の専門家に、押しかける、と云うしだいに為るのである。まさに、究極的な、まさにまさに、シミンの皆さん待望の早期介入的な横断的拡大主義的過剰診断的な保安処分が完成できるであろう。三歳児健診、五歳児健診、の制度政策提言を見てみたらよいのだ。心神喪失医療観察法が、フル回転するのである。後見人も、フル回転しやすいのである。病院に施設に、放り込みやすいのである。決めるのは、依存先の、専門職たちナノデある。ナニを寝ぼけているのか、ソコに依存しようとしているのが、分からないかねーこの発達音頭の踊り子さんタチはねーー
 さらに、しかも、この番号を振っていく過程で才能を花開かせるためのサポートチームと引き替えだと言われた場合、この踊り手サン達は、それを拒否できるのであろううか?手帳なんてものとは質のチガウものと引き換えですよ、早い者勝ちですよと言われた時、母親たちと発達当事者たちとは糞蠅のように群れ集まりナニカを売り渡すことになろう。治安監督官様が、最も利用しやすい保安処分方法とは、発達障害を梃子に行われることと為るのである。
 しかも、すべては、本人の特性、病状、症状、障害、病気のせいなのであって、学校、会社、家庭、社会のモンダイを免責してしまっている。特性だけが、モンダイなのか。しかも、「生まれつきの障害であり特性」と云うコトならば、必ず必ず『遺伝子の問題』『問題の遺伝子探し』に為ってしまうぞ。オイオイ『生物学的精神医学』を再復活させて、パワァーをつけさせてやるとは、一体ナニを考えて居るのや。本人の遺伝子と特性と障害のセイなのか、、、、社会の在り方に対する視点は行方不明にさせておくのか・・・・
 だから、キチガイと名指しされ、家族から、親族から、町から、村から、会社から、工場から、学園から、アパートから追い出され迫害され続けてきた者の苦悩が、理解されようハズもない。それは、精神医療の根底的な破壊に繋がるハズもなく、閉鎖病棟や看護士の暴力、保護室、電気ショック、四肢拘束などの、医療観察法措置入院などの意識的な無視とあいまって、結局は、保安処分強化、発達保障論強化、遺伝子探し強化につながるであろう。患者個人の特性や症状の脳や神経や遺伝子のせいにするな。学校や会社や工場や教育や社会的要因を無視するな。ハッタツ推進万歳音頭取りの諸君よ、少しは社会的視点を重視せいよアホンダラ。社会的要因無視して、全ては、本人の特性とか症状とかのモンダイか。そんなモン最後は、社会にとってのシミン様方にとってのモンダイ源遺伝子探しになってマウンやで。どういう視点でモノ書いてシモウタか、分かっているのかね。ハッタツ障害概念に偏りすぎて書いたからだよ。笠リロンの宣伝しようとしたからだよ・・・ダカラ、結局サイゴは、治安的、保安処分の強化拡大に直結するのである。現実に、このところ、よくわからないような、マスコミをにぎわす事件で、精神病を貼り付けられないようなことに、あっさり、発達障害を貼り付けているのを、えばっちは、いつも、こわごわ、みているのである。そして、そこに反抗する当事者の意見を封殺ではなく、完全無効化スルのである。本当に驚くべき程、上手いことできた障害概念であると、想うのである。これを思いつき、応用しているヤツは、天災的な天才であろう。ちなみに、それは、笠のホームページでも、おこなわれてはいなかった、、か、、そう、あの大泣きした議員に、あっさり、アレはハッタツ臭いと、貼り付けていなかったか、典型的な、保安処分活用とは、笠のホームページで行われていたのである。治安管理官様たちにとって、良いお手本勉強になったと、想うのである。
イメージ 2

❼カ条 処方薬依存切捨打捨箇条
多勢の、たくさんの、患者を、ソレは、処方薬依存デショと、たかがアイデンティティクライシスとか云うもんデショと、斬って捨てた。凄いものである。惨い仕打ちである。
 入院している三十万人以上の病者を含め、大多数のクスリを飲むしかなかった、飲むより仕様がなかった、飲まざるを得なかった、そういう精神病者患者、を、ソレは処方薬依存にスギナイノダと、斬って捨てたのである。ご丁寧にも、特にベンゾ系を飲んでいる患者は、特に依存症患者だ、と特筆して、この手のクスリを飲み続けている患者は、常時、酒を飲んでいるようなものだ、と、斬って捨ててシマッタ。たくさんの、病者が、現に飲んでいるし、飲まざるを得ないクスリである。しかも、断薬が、もっとも、ツライとも、言っている、なら、減薬も断薬も出来ない患者も出てくるだろうが、モチロン、ソレは当然ながら処方薬依存だからだ、と、斬って捨ててシマッタたのである。なら、たとえば、多くのベンゾ系を飲んで生活している患者は、常時酒を飲みながら、作業所に通い、デェイケアに参加し、ミシンや、電動のこや、車の運転や、包丁を使って料理をしていることになるのだが、、、、欠格条項を増やしたいのか、この著者は、、、、トスラ想うのである。たかが、一行二行の書きぶりをあげつらっているわけではない。この考え方が、冷酷なまでのこの考えが、一冊目を含め、この著者の底流に流れ続けているから、モンダイにしているのである。そして、この底流に流れるものは、まさしく、内海の直系の弟子を意味しているのである。しかも、依存症だと言いながら、この著者の依存症への眼差しは、余りに差別的侮蔑的であって、しかも、従来の、本当に酷い浅薄極まりのない、『依存症理解』の典型なのである。『依存症』をよく、分かっていないのであろう。分かってもイナい事を得々と、書いてシマッテいる。精神病患者と言われ、精神病質者と、サイコパスと蔑まれ、処遇困難者だと閉じ込められ、発達障害だ、と、勝手に病名変更され、ついには、処方薬依存患者と、罵しり始めたのである。ノンラベルどころではない、我々を蔑み絶望の淵に追いやるために貼られるラベルが、また一つ、増えたのである。大きな罪である。
 しかも、すべてを、患者本人の頑張りに尽きると、努力に尽きると、斬って捨てている。通奏低音のように、響かせ続けている、この冷酷さは、特筆すべきものである。笠のように内海のように、言いきってシマッテいると、いって過言ではない。いや、余計に悪辣に、煽っている。それは、逆に言えば、患者本人のだらけかたに、患者本人の努力の足りなさに、患者本人の怠け癖に、患者本人のクルシサの原因として、ゲンヤクに取り組まないのはアンタの努力不足、デアルと、全てを、患者本人の頑張りと云うか、努力の足りなさ具合に、押し付けてしまった。モハヤ、減薬に取り組まない患者は、怠けものだからだ、と、言っているに等しい。だから、イマこのようになってイルのも、自分自身のせいだ、と、徹底的に、本人の努力の無さに、押し付けてシマッテいる。これでは、大多数の精神病者達はタマラない。少数のエリート病者バンザイ路線である。冷酷なものである。益々、患者はやりきれない。精神医と精神病院にイビラレ続けた挙句、このようにして、ココでもまた、イビラレるのである。死者が出るであろう。コレはもはや、殺人である。
 みんなの部屋のね、ナカマがね、こう言ってるよ。「クスリゼロになりそうなんですよ。それでクスリゼロになったあと、どうすればいいのかわからないんですよ。クスリを飲んで生活保護を取るか、本当にクスリゼロにして社会復帰を果たすか、どうしたらいいんでしょうね。でもね、本当に苦しいのは、自分は何者なのか、が、わからなくなっちゃったことなんですよ。僕は何者なんでしょうね。僕はなんだったんでしょうね。精神病じゃないんでしょ?誤診被害だったんですよね。でも、誤診だったダケでモンダイ解決ですかね。クスリゼロになっちゃったら、僕は何者になるんでしょうね。だとしたら、クスリ飲んでた20年間は僕にとってなんだったんでしょうね。僕は何者なんでしょうね。」精神医はなんだって、なんの権利があって、人間の生きるアイデンティティを、そんなに簡単に崩してしまうかね。確かにウンドー的には大量処方、誤診誤処方を糾弾していくにはよかったんだろうけど、なんなのかなー、アナタ、おっそろしく傲慢な、人の命をなんとも思っていない、トンデモない医者だと想ってしまうんだよね。おれ、こんな精神医に鉄砲玉として、散々利用されてきたと想うと本当に哀しい。そうしたらね、ナカマの一人がね、こう言ったよ。えばっち、それはね、笠医師を含めて、すべての精神医が、そうなんですよ。すべての精神医療が、それが目的なんですよ、と、言ったね。おそらくこれ正解だね。えばっちも、そう想うよ。観察法も、措置入院も、大量薬物投与も、精神分裂病も、四肢拘束も、電パチも、それから、閉鎖病棟保護室も、看護士の暴力も、行動認知療法も、内観療法も、カウンセリングも、すべては、おそらくすべては、患者の自尊心を破壊し、アイデンティティを掘り崩し、命を獲る、そういう拷問を精神医療だと称してきた訳だ、とそう想うンダ。笠医師、アナタね、アナタも一緒だよ。アナタもね、ワザとに、患者の自尊心を破壊し、アイデンティティを掘り崩し、命を獲ってきたんだよ。それをセカンドと称してやってきたんだよ。そりゃ、ある一定の条件では、救われた若者もいるだろうよ。でも、一体どれだけの人間が、苦しめられ、殺されていったことか。こうなると、アナタの方が、より悪辣だね。ワザとにそうすることが、精神医療の解体につながると、ウンドー的に宣伝して、家族と専門職による、そこには議員もマスコミも入れた、家族会主導型の、トンデモ組織を作ったんだよ。おれは徹底的に闘うよ。自己批判しながら闘うよ。
 笠医師、アナタね、ウンドー的な意味で、だろうと想うけど、こう言ったね。それは単なるアイデンティティ・クライシスじゃろ。と。言い放ったよね。アナタね、いい加減にしてほしいよ。一人一人の患者、一人一人の病者、一人一人の相談者に精神医がワザとに何の権利があってアイデンティティを掘り崩すようなことをするかね。アナタね、とても危険だよ。しかもね、患者が死ぬよ。アナタ何の権利があって、患者のアイデンティティを破壊することができるなんて、思ってるんだろうね。しかもそれを、セカンドと称して、やり続けるんだね。
 笠医師の発達障害つこうた、セカンド減薬ハッタツ断薬断行療法が、まさにプシの医師達の傲慢さの典型なんですよ。傲慢で乱暴で、正義に満ち溢れているんですよ、、、そのとうりなんですよ。余りに余りに、積極治療主義的ナンデスヨ。乱暴ダカラ、被害者も、出るンデスヨ。ついていけない患者がいたら、本人の頑張りが、足りなかったことにスルンですよ。その点では内海医師と本質的には変わらないしウンドーとして展開してしまうと云うその点では、プシ共闘の医師達と、本質的には一緒なんですよ。
❽カ条 発達保障無理矢理人間的成長箇条
発達障害は、精神病患者や障害者の人生を、人間的成長タラ人格の完成タラとむすびつけてしまった。ツマリ発達保障論のあくどい部分を更に悪辣に再生産シテシマッタだけと為った
 発達障害度と笠リロン適合度と断薬療法の達成尺度とセカンド減薬療法の成功度合いや社会復帰の進捗度合いとを、患者本人の人格とを患者本人の品性とを患者本人の人間としての成長とをかさね絵として、影絵芝居として見せてしまうと云うことをヤッテシマッタのである。このことがナニを意味するのかおそらくは、幻術魔道士嶋田和子は分かってはイナいのではないかと、そう想う。とうとう、患者本人の人間的成長だの人格の完成だの、人間性だの、品性だの、人生の振り返りだの、とを、発達断薬療法の達成尺度やセカンド減薬療法の成功度合や、社会復帰の進捗度合や、社会復帰右肩上昇角度とを、就中発達障害度合いとを、影絵芝居のように、重ね合わせてしまった。ヤッテはならない事をやってしまった。笠の責任も、大きい。これだと、クスリも抜けず、社会復帰も出来なかった、多くの多くの、病者が、人間的成長のないヤツラだと、いうことになってしまう。死んでいった患者たちを棺から引きずり出して、鞭を打っていると、言って過言ではない。彼らは、彼女たちは、人間的成長も無く、死んでいった、とでも、言うのか。答えてミロ。幻術魔道士嶋田和子よ。著者は、このコトの持つ意味を十分に理解して、書いたのだろうか。どちらにせよ、この著者は、この重ね絵を、全ての発達断薬療法セカンド減薬療法に、影絵として落とし込んでシマッテいるので、少しでも、この療法に取り組もうとする、患者たちに、却って、真において、更なる、累々たる屍を生み出すだろう。幻術魔道士嶋田和子の罪は、極大に達している。
 しかも、己の罪に、マッタクの無自覚さをさらけ出している。ソウゾウを絶する極悪非道、狡猾極まりのない、最低のやり口である。精神病者にどれほどの苦痛と絶望をまき散らせば、気が済むのであろうか。精神病者患者に、どれほど絶望の淵に追い立てれば、気が済む、と云う、のであろうか。処方薬依存症からの再生の物語と云う美辞麗句を使いながら、鞭を振るって、多くの患者を死の淵に、追い立てていくであろう。絶望に追い立てるその鞭を、愛の鞭、だとでも、言う、のであろう、か。幻術魔道士嶋田和子の罪は、はかり知れない域に到達している。そして、その愛の鞭を、受けたが故に、成長できました、と云う、当事者が笠と、幻術魔道士嶋田和子と、内海の、ファンクラブに、なるのである。そのファンクラブの会報にしか過ぎない、そういう、シロモノなのである。これは、ライターなる者が、書いたものとしては、あまりに、無様である。
 当事者への利用主義であり、当事者への了解など無視である。己がライターとして成功することだけが、ライターとして有名になることだけが目的なのであって、あくまで、自分が有名になりたいだけのライターなのだ、しかも、悪辣な、自分がライターとして成功するためなら、なんでも利用し、利用価値がなくなったら、サッサと、捨てていく、そんな、今まで知り合ったライターと云う人種の中での最低最悪辣ライターなのです。今は、笠医師ですが、その前は内海医師だったわけです、今は、くじら会ですが、そして、発達障害当事者会を立ち上げようとしているんでしようが、自分のライターとしての活動に利用できないとなったら、、、、、そのうち、ワカッテキマスヨ、、、、そのうちね、、、あと、十年もしたら、わかってきますよ。
 笠医師も、周りが、チカヅイテクルれんぢゅうが、ソンナンばっかりになりつつあるのを自覚しなきゃ、、、ね。したがって、もっとも、利用されたのは、当事者であり、利用価値なしとされてサツさと捨てられたのも、また、当事者であり、もっとも、クルシイ当事者を侮蔑し続けて書いたのである。したがって当然、当事者の了解をとって書くなどとと云う、地道な作業は無視したのである。当事者とは当然、に、この場合、患者本人である。親のことではない。
 

キーサン革命の鬼ことえばっち 江端一起
えばっちのホームページ 乾坤一擲