もさんだけで、内科の総合病院に緊急搬送になるのは今度で五度目のことです。
もさんだけで、内科の総合病院に緊急搬送になるのは今度で五度目のことです。
最初は二回続けて、で、何年前だったか、ほ病院へ原因不明の高熱で、搬送されました。ボクたちが、面会に行くと、二回とも、ご家族以外の方に病状は説明できないということでした。そして、二回とも二週間ほどの入院でしたが、毎日のように代わる代わる面会に行きました。病状説明の交渉しているうちに、い病院の主治医やPSWに連絡を取って、い病院では、準家族のようにみなして、説明している、と云うことを、ほ病院に話してもらって、ナントカしました。タイヘンでした。
硬膜下血腫と、左半身の麻痺で、き病院に搬送された時は、やはり、ご家族の方以外に病状は説明できないとされ、看護や主治医と揉めるというか、交渉というかしているうちに、胃瘻造設まで行われてしまい、一体誰の責任で、胃瘻造設がなされたのか、全く説明されませんでした。後に、い病院の主治医に訊くものの、最後まで、どちらの病院の誰のどのようなオーダーだったのか明確にされませんでした。
四度目は、なんと、SIADHになってしまい、意識不明の重体のまんま、お病院に緊急搬送されました。ここでも、同じような扱いをされましたが、毎日のように面会に行っているうちに、少しは病状を説明してもらえるようになり、これは、い病院のPSWの支援が大きかったです。つまり、い病院のPSWより、強く申し入れをしてもらい、その点は助かりました。しかしながら、お病院の主治医の病状説明には、うまくだまされたなぁー、と云う、想いが残りました。「ナトリウムが流れていく理由はいろいろありますからねぇーーー」と言われて、安定したとたん、い病院に戻されました。そして、今度の、五度目の、み病院なわけです。一時、危篤状態でした。
れさんは脳梗塞で、き病院に運ばれました。この時も、病状説明ができないと、揉めました。でも、この時は、医学生時代に、友の会に遊びに来ていた、く君が、ナントここの医長になっていて、く君がその揉めているところに入ってきてくれて、ナントカなりました。
なさんも、い病院で食事を喉に詰めて心肺停止で、ほ病院に緊急搬送されました。この時も、まるっきりの意識不明の危篤状態で、ICUに入っていました。もちろん、毎日のように面会に行くボクたちには、病状説明はできないということでした。しかし、さすがに、病棟の食堂で、食べ物を喉に詰めて心肺停止になっていたわけですから、それもあってい病院の主治医から、ほ病院の主治医に、強い申し入れがあり、やすらぎの里から一名、前進友の会から一名の、二人が、みんなを代表して詳細な病状説明を受け、終末期医療の相談も受けました。意識不明のまま、半年間頑張りはりましたが、結局亡くなられ、い病院の霊安室でお通夜もお葬式もやりました。い病院の共同墓への納骨も、ボク達が、やりました。このいきさつで一番よくおぼえているのは、意識のない、がりがりになっている、なさんへの、鼻チューブ栄養のカロリーを徹底的に下げようとする医者と、少しでもカロリーを上げようとする友の会との、交渉につぐ交渉が、あったことでした。ちょっと、酷かったなぁ、あのカロリーの減らし方は。この半年間は、ほ病院には、週三回は、みんなで、かわるがわる、行きました。
精神病患者会前進友の会やすらぎの里作業所
キーサン革命の鬼 えばっち 江端一起
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