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『生きにくさ』とは ナンなのダ いったいナニ者なのダ 精神病院の中で、殺されないようにしたい、と云う事と、 半端者センセイ五職方向にうまくころがって、 いかに自己実現を成し遂げるのか、と云うことが、 同じ『生きにくさ』『生きづらさ』と説明されてしまって、 良いモノか、バカバカしい。

『生きにくさ』とは

ナンなのダ

いったいナニ者なのダ

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 い病院しか今やないのである。そう、今や、えり好みできるような時代ではなくなってしまった。全開放を守ろうとしている精神病院は、い病院しかないのである。そして、今のみんなの部屋で日々暮らしているのは、友の会全体の三分の一なのである。残りの三分の一のなかまは、アチラにいる。みんなの部屋にたくさん写真がある。そして、もう三分の一のなかまは、い病院で暮らしているのである。そう、暮らしているのである。10年ほどかけて、他の病院からい病院に集中していったのである。府立ら病院やき大病院が全閉鎖になり、機能分化していくにつれて、我々は、一番身近な、い病院にかけていったのである。シビアーな追及もしつつ、、期待も掛けつつ、、最も身近なクリニックや最も身近な精神病院を監視し続けなければならない。何故なら、最も身近で、なかまたちが、ソコで暮らし死んでいくからである。何人もい病院で見送っていくことになるからである。本当にそうなっていった。そうなっていったし、これからも、たくさんのなかまを見送ることに為るだろう。

 実際今秋、なかまをまた一人、見送ったのである。

 今秋、五病棟が閉鎖になったのである。理由はあることなのだろうが、寂しく哀しくツライのである。その後、ナニがコワいって、看護師や看護婦の意識が変わり始めているのである。ソレがイチバンコワいのである。毎週行っていて、ヒシヒシと感じるのである。看護士看護婦の意識が、言動が管理的になっていくのが、、、、、、、、。

 

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一体全体、なにが、ナニが『生きづらさ』ナニが『生きにくさ』

ナノだ、寝ぼけたことを言うな、

精神病院の中で、殺されないようにしたい、と云う事と、

半端者センセイ五職方向にうまくころがって、

いかに自己実現を成し遂げるのか、と云うことが、

同じ『生きにくさ』『生きづらさ』と説明されてしまって、

良いモノか、バカバカしい。

キチガイ病院の中で

暴力担当の看護士や医者に、看護婦に、

閉鎖殺されないようにしなければ、

閉じ込め殺されないようにしなければ、

殴り殺されないようにしなければ、

絞め殺されないようにしなければ、

踏み殺されないようにしなければ、

責め殺されないようにしなければ、

四肢拘束五点張り殺されないようにしなければ

大量投薬殺されないようにしなければ、

強制減薬殺されないようにしなければ、

簀巻き殺されないようにしなければならない、

菰巻き殺されないようにしなければ、

電気ショック殺されないようにしなければ、

虐め殺されないようにしなければ、

CVPPPチームテクニクス殺されないようにしなければ、

殴り倒され馬乗り締め殺されないようにしなければ、

引き起こされ再度殴り倒され殺されないようにしなければ、

後ろから飛び掛かられ殺されないようにしなければ、

キチガイ病院の閉鎖病棟保護室の中で

踏み殺され絞め殺され殴り殺され責め殺されイジメ殺され

虐殺されないようにしなければ、

ならないと云うコトと、一緒になることか、アホらしい。

 

CVPPPの研修を受けたヨウな、い病院精神医ヤ君のような暴力医者に、

制圧掛けられて、引きずり倒され、

膝蹴りを喰らわされないようにしなきゃならない。

それも、二発もやられた。しかも、ニープレスに見せかけると云う悪辣さだ

制圧するときに、ニープレスに見せかけて、二回も、左膝蹴りを入れている

ユーチューブのビデオに、画面の左隅に写ちゃってってイルンだから、

ドウシヨウもない

それでも、否定し続ける、と云うのが、精神医ヤ君、なわけなのだが

ある時、い病院になかまのお見舞いに行っている時であった。

毎週月曜日は、前進友の会として、い病院に入院中のなかまをお見舞いするのであった。たまたま、その時のことである。

『暴力事件発生、暴力患者発生、制圧係は全員集合せよベル』が

ウォンウォンウォンと鳴り始めたのである。

こう云う時に、

ヤ君のような精神医や看護士に殺されないようにしなきゃならない。

 

定例のお見舞い、それはつまり、い病院巡検活動中に、それは、おきた。

一病棟にいてた時、ウォンウォンウォンと鳴り始め、

この音はナンなんやろな、

と、想っていたら、

向かいの病棟から、ヤ君が、飛び出していった。

わらわらと、他の看護士や医者たちも、階段を駆け上がっていった

ナンゾあったのか、と、や君と一緒に、二階に上がってみれば、

六病棟で、まさに、2007年の病地学会での出来事が

病棟の中で、繰り広げられていた。

のが、遠くから、見えた。

やはり、アレは、実際、病院の中で、やられていたんダ。

ケッサクなのは、一息ついて、ヤレヤレといった、おもむきで、

他の医者や看護士たちは、三々五々、戻ってきているのだが、

何人かは、戻ってこず、まだまだ、騒然としている。

モチロン、ヤ君は、戻っては来なかったんデスヨ

病院に一人か二人は必ずいる、暴力行使担当の看護士の

醜い姿なのであった。

しかし、精神医が、その担当に、自ら志願して為るのは、珍しい。

それは大概、いかつい看護士のオシゴトなんですがね、、、

殺し担当の看護士まで、存在するのが、

精神病院

と云うトコロなのである。

十全会ビヨウインは、昔話になったのではない、

上塗り化粧を施されただけで、まだまだ、存在するのである。

自分の住んでいるところから半径10キロの円を描くのである。

その円内に存在する単科の精神病院の閉鎖病棟保護室

観てみればよいのである。

酷過ぎるぞ、酷過ぎる、まだまだ酷いありさまなのに、

ソコ、は、ほったらかしか、オイ

それで、ハッタツ減薬音頭で、踊るのか、オイ

石郷岡病院は、まだ、ほんの、数年前のことである。

い病院でも、このありさまである。

時々、衣の下の鎧が、透けて見える。

い病院デモ、い病院スラ、と云うことか。

そして、い病院五病棟は、閉鎖病棟に戻ってしまった。

肛門科は医療なのだが、精神科は拷問課なのである。

耳をつんざくような音なのではなくて、わりと、低い音なのが、恐怖を誘う。

酷過ぎるぞ
酷過ぎる、まだまだ、本当に、酷いのが現実なんだ

一番地元のコロシの精神病院は、ホッタラカシか、オイ
ソコ、は、ほったらかしか、オイ

エラそうにしなさんなや
それで、ハッタツ減薬音頭で、踊るのか、オイ

ナニガ生きにくさナンヤ

ナニガ生きづらさナンヤ

ナニガ引きこもりと精神科ナンヤ

舐めルンジャアーーねえぞオイ

精神病院に入れられたら、

施設に入れられたら

まずは、看護士と医者に、殺されないように

気を付けなければならないのだ

ヘルパーに殺されないように気を付けなければならないのだ

オイ、本当に、ワカッテいるのかよ、オイ

まずは、部屋のボス患者と、病棟のボス患者に、

眼を付けられないように

気を付けなければならないのだ

 

精神医に、いきなり、後ろから飛び掛かられ襲われて、

殴り倒されて、馬乗りにされ首を絞められ、再度引き起こされて、

殴り倒されないようにしなきゃならない

盗みをしたからと、言われて、十年近くも保護室、なんてトコ入れられて、
殺されないようにしなきゃならない。

看護士に、壁に頭を叩きつけられて、殺されないようにしなきゃならない。

夫婦者の看護婦看護士に、電気ショックで、電気ショックの生掛けで

殺されないようにしなきゃならない。

配膳係のごっついアル中の患者に、飯を食うのをせかされて、

ごはんを喉に詰めて、

殺されないようにしなきゃならない。

腹を立てた看護士に、首の骨を踏み折られて

殺されないようにしなきゃならない。

看護士の集団リンチで病院の地下室でマットで簀巻きされて、放置されて、

殺されないようにしなきゃならない。

閉鎖病棟の、保護室の中の、四肢拘束、それも五点張りで、身動き取れないのにずっと縛り付けられて、自分の吐いたもので窒息して

殺されないようにしなきゃならない。

閉鎖病棟の、保護室の中の、四肢拘束、それも五点張りで、身動き取れないようにずっと縛り付けられて、エコノミー症候群みたいになって、肺栓塞で

殺されないようにしなきゃならない。

 

このキチガイ

精神病院や精神医や看護士に、

暴力を振るわれないようにして生き延びたい、

このキチガイ

精神病院や精神医や看護士に、殺されないように生きたい。

若しくは、生き延びてみたかったと、と云う、

生き延びてみたかった、が、今は、精神病院の共同墓の中だ、

と云う、怨念が、

今流行りの『生きづらさ』と、同じものだとは、到底想われない。

同じだと、言い腐る、ハッタツ系や、AC系や、障害学系の、

学者だか、当事者だか、活動家だか、

芸術家気取りかナンカ学者気取りかナンカ知らんが、

当事者性看板型翼賛ハッタツおひとり様NPOリヂチョー

当事者スタッフ様さまサマ達が、

同じだと、言うのであれば、

それは違うと、我々キーサンとは違うと、

徹底的に主張すべきだと想う。

この主張は、時と場合によっては、

当事者同士のニクマン肉弾戦となって、

バクハツしても、よいのではないかと、そう想う。

怨念ニクマン対決、になるぞ、と云う、わけである。

覚悟しろヤ、と云うわけである。

 

この文脈の中で、笠リロンを、もう一度、見直してミタラ良い。

もしくは、この文脈の中で、

笠陽一郎医師の、セカンド減薬ハッタツ断薬療法の利用法を

見直してミタラ良い。

ああーー早くキーサン患者会は滅んでほしい。

速く速く、くたばって欲しい。待ちきれない。

ハッタツ系、健病者系、障害学系、翼賛ハッタツおひとり様NPO系の

団体乱立に、当事者スタッフさまサマ様達に期待する、といった、トコロか。

 

考えてみれば、笠リロンにもっとも、ビッタリくる最初期の当事者とは

セイレン代表山本深雪、ナノでは、ないのだろうか。

一時、「阪神三人衆」と呼ばれていた、なかまたちが、

山者深雪が、クスリを飲んでいるトコロを見たことがないと、

異口同音にハナシていたことは、記憶に生々しく残っている。

だから、クスリは、ゼロやし、能力は高いし、

当事者スタッフさま様サマだし、

実に、実に、世間受け、医療従事者受けが、良いし、ね。

これまでは、ダイセイレンの事務局という、名目であったのが、このトコロ

スパンと、代表という名目に就任している様子だ。

ハツタツ障害バヤリ、生きにくさバヤリ、クスリゼロバヤリ

と、無関係ではあるまい。

山本深雪の、このやり方をパラシュート方式と、呼んでいたモノダ

どうパラシュートするかというと、たとえば、ダイセイレンである

ダイセイレンは元々、ニッキョウさん系の病者たちが、

それなりにセーカツ感を持って、やっていたモノだったのである

初代の代表を調べてみたらスグわかる

それが、山本深雪がパラシュートで下りてきたらアット言う間に、乗っ取りである。

今や、そんな歴史も、改竄していくだろう

初代の代表は、乗っ取られた、と、二代目の代表は、使い捨てされた、と

言っていタんですよ、本当にそう言っていたんですから、、、、

それ以前にも、パラシュートしている

神戸のニューか会にいきなり、入り込んできて、何時しか乗っ取り

最初っからジブンがこしらえたかのような、言いブリだった

この頃のことを「阪神三人衆」たちが、身近で見ていて、よくハナシをしてくれた

この三人は、この時のパラシュート劇の被害者でもアッタ

彼らがイチバン言っていたことは、クスリを飲んでいるトコロなんて

観たことがない、と云うコトと、ドコが病気ナンヤと、言っていた

そして、そのニューか会にパラシュートする前は、ドコなのか

いろいろほじくれば、出てくることだろう

全国び集団のナントカ支部、ミタイなことも言っていたハズだ

そうだ、随分ムカシ全国び集団の会議に参加していた時期に、俺の目の前で、

び集団のお氏とや氏が、ゼッタイに許せん、

何時か目にモノ見せてやる、などと、息巻いていたから、

アソコでも、イロイロ蠢いていたのだろう

ともかく、最初は富山のる会ダッタはずだ

ソコから始まり、次々とパラシュートして、今の地位を獲得したわけだ。

そのパラシュートの度ごとに、山本深雪自身の自己実現と、

その引き換えに、あきらめて出て行った患者たち、入院していった患者たち、

そしてそして、歴史の改ざん、でアル

タマッタモンじゃあない、

ところが、周り中、素晴らしい精神医療改革運動当事者様だ、と云う、

賞賛の嵐である。

ナンダカ変だな、と、想うわけなのである

コの違和感は、不思議と、なかなか、解けないでいた

ところが、この疑問に、答えをくれたのが、

笠陽一郎の笠リロンなのであった。

なるほど、笠陽一郎の言っていた、クスリゼロに為るハッタツ障害当事者とは

山本深雪タイプの健病者のコトだったのである。

そう、だから、

山本深雪から片岡聡にツナガル系譜の

更には、

「病」者活動家集団クスリも飲んでないよ入院もしてないよ系障害学当事者スタッフ系さま様サマ達が、笠リロンの『成功例』を理想的に体現しているのだとしたら、なかなかに、皮肉な、と云うか、意味深長なものである。

しかも、とうとう、大セイレンの代表に為り腐った

今までは、事務局なのであった。

今や、モハヤ、そんな、遠慮もイラヌと云うわけか

当事者性とは、コウ云うコトなのであろうかと、

益々、えばっちのキチガイアタマは混乱して来るのである。

これぞ、笠リロンの功罪のうち、功なのか罪なのか、、、トホホホホホ

どちらにしろ、この二人は、嶋田和子の四悪四罪本の表紙を飾れるダロウ

良い表紙にナルんじゃないですか

笠リロンの先駆者パラシューター山本深雪のニンマリ顔が

良い表紙に為ることでしょう。

ごかい中心に闘い抜かれた、手帳の大阪ヒアリングでのカチコミ闘争を

まともに食らった山本深雪の悪党面を拝んでみたら良い、そこかしこに

動画が、アップされていますよ

 

こんなヤタラとヤカラなレンヂュウが

ヤカラとヤタラに

生きにくさ、生きずらサが、アッタのだ、

を、その理由として、言い募るのであれば

いい加減にシロヨと、怒鳴りたくなって、クル、のでアル

バカバカしいったら、ありゃあしない。

 

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れさんは、四年前(2013年)、80歳で、

い病院の共同墓に、入っていった、

サイゴまで、配膳された、御膳を、渾身の一撃で、

ひっくり返して、いた。

肝っ玉かあさんみたいな、仁義ある、病者だった。

在日の二世で、本名で、通した。

ぼくたちも、本名の、れさん、れさん、と当たり前のように、呼んでいたが、

歳というか世代のことを考えると、それは、凄いことだった。

夏レクも、一回だけ、ダッタカ、一緒に行った。

あの年の夏レクは、今から考えれば、ぼくが見知っている第一世代の

凄みのある病者が勢ぞろいしていたハズだ。

確か、れさん、つさん、かさん、てさん、たさんも、おのおいちゃんも

みんな、海水浴をしていたような気がする。

その、れさん、つさん、かさん、と云う、十全会生き残り肝っ魂母さんトリオ

と云う、ような、凄い面子と、河原町で、ビラ撒きをした。

そさんの指示で、行ったのだが、それはそれは、凄い光景だった。

ソコだけ、異質な空間が、存在しているかのようだった

アレぞ、ビラ撒きの神髄であろう。

ドンな中味のビラだったのかは、忘れてシマッタ

あのビラ撒きは、四条河原町に全く異質な空間がハッキリと存在する、

もしくは、次元の全く異なる空間が、同時間帯には存在し得ないと云う

物理の法則を打ち破っている画期的なものだった。

そのぐらい凄いキーサンの存在だったのです。

ああ云うビラ撒きは、もう出来ないだろう。

 

日ノ岡荘の二階が前進友の会で、一階がアパートになっているのだが、

そこで、管理人の、たさんとともに、かさん、あさん達と実に、

仁義ある、凄い暮らしぶりだった。

四人とも、亡くなった。

食事会の度ごとに、お盆に載せて、一階のれさんの部屋まで、

運んでいたものだった。

雨の日も風の日も、お盆に載せて、運んだ。

今想えば、二階に続く、あの階段を登れなくて、

みんなの部屋に来れなくなった最初のなかま、かも、しれない。

ぼくたちの運ぶ食事会の御膳は、一度も、ひっくり返されたことなど、なかった。

若者向きスギルメニューが多かった、か、と、時々、反省するのだが、、、、

仁義、で、あった。

二階が、騒がしくなると、一階のれさんの部屋に避難する、なかまも、いた。

あまりに、それが、頻繁になると、

「えばっちゃん、だれだれさんが、毎回、来るんやで」と、言って、

それとなく、注意を向けるよう促されていた気がする。

ぼくのことは、えばっちでも、えばたさん、でもなく、えばっちゃん、だった。

手編みのベストを、頂いた、事がアル。

ぽつぽつと、背中に当てて大きさをはかって編んでくれた、

うれしかったなぁー

その、れさん手編みの温ったかチョッキを、毎冬、愛用している。

今年の冬も暖かいのである。ありがたいなぁぁぁーー

れんさん、とても、あったかいよ、このチョッキ、今年も愛用させてもらっていますよ、ありがたいなぁぁぁーーー

 

この世代の在日二世の女性が、戦後の混乱期を、

そしてまた、その後の経済成長期を

どう、乗り越えていったのか、生々しい、ハナシを聞かせてくれた。

売春と、ヤクザと、薬中のハナシなのだが、

それで、精神病院に捨てられる、と云うような、ハナシなのだが、

あまりに凄いハナシなので、ここでは語れない。

ただ、その後も、ヤクザポイのが、れさんの部屋に

なんだかんだと、出入りするのが、ぼくたちには、とても、タイヘンだった。

イロイロアッタンですよ。

 

れさんは、ほんというと、ちょっと、ヤクザポイのが、好きなのであった。

で、例の、カネで買い物などの用事を請け負って釣り銭を強引にペクッテ行く、

きちゃんが、また、れさんに、たかるのだった。

ところが、よく考えてみれば、

れさんが、きちゃんの相手をしてくれていたおかげで、

もっと、温和しい、かさんや、あさん達が、

きちゃんに、引っかからずにスンだのカモシレナイ、と、そう想う。

ただ、そういう仁義を破って、なりふり構わず、やり出したときに

きちゃんに対する、その行動に、ぼくたちの怒りがバクハツしたと想う。

もっとも、その後だって、きちゃんは、れさんのトコロに、度々出入りしていた。

こうなってくると、もはや、

どちらが兄貴分の方で、どちらが使い走りの方なのか、

分からなくなってくる。

今想うと、れさんにしてみれば、ぼくたちに、頼めないようなことを

きちゃんに、頼んでいたのかもシレナイと、そう想う。

だって、ニンゲンだもの、れさんにも、イロイロあったのだろう。

ぼくたちには、知られたくないことや、頼みズラい事が、

イロイロアッタンだろうと、想う。

ソコラいら辺を、イマの福祉制度や、福祉の専門職達は、

ナァァーーにも、分かっちゃイナイんだろうなぁぁーーと、そう想う。

そんなに、キーサンは、品行方正な暮らしぶりバカリと云う、ワケじゃあ、

ナインですよ。ワカッテイルノカなぁぁぁーーー

 

い君が、学生時分アルバイトとして来ていた時分の、

れさんの入浴のハナシは、とても、凄すぎて

ここでは、語れないけれど、

ぼくたちのなかでは、語り草、となっていて、ついには伝説化しそうである。

なかなかに、マニュアルなんかでは語れない、語り切れない

ハッキリ言って、今時の専門職連中には、考えも及ばないであろう

入浴介護、と云うか、入浴のお手伝いと、云うか、、入浴の促し、と云うか

れさんらしい、と云うか、い君らしい、と云うか、、、、、

 

その、い君が、東京から戻ってきてくれて、やすらぎの里のスタッフに返り咲いてくれた。れさんは、大喜びである。

アルバイトの、い君さ君が、お気に入りだった。

それで、い君が、機会をこしらえて、なんとか、い病院から連れ出して、

たさん達と共に、お好み焼きを食べに自主外出を、やっチャッタのが、

良かったなぁーと、想うのである。

れさんは、い君が、お気に入りであった。

ココ、二、三年、夏レク冬レク琵琶湖ホテル豪華ランチヴッフェに、

一緒に出掛けられたのが

良かったなぁーー、と、想うのである。

 

亡くなる二週間前の、い病院訪問の時に、

そう、その時は、ライターの浅野さんを

案内していたのだが、その時に、アイスクリームが食べたいというので、

や君が走って院内売店で買ってきてくれて、

ざ君が食事介護して、食べて貰えたのが、良かったなぁぁぁーー、と、

つくづく、想うのである。

ムカシ、そうそう、一度、韓青同との交流会に、誘ったことが、あるのだが、

運動的政治的ハナシはそっちのけで、

「えばっちゃん、うちは、ムズカシいことは、わからんわぁ」、と言いながら

委員長さんが、橋幸夫に似ていて、男前なのを、実に、喜んでいた。

その男前の委員長に「オモニ、オモニ」と呼ばれて、本当にうれしそうだった。

「えばっちゃんは、漫才師の横山やすしによう似てるわ、食い倒れの人形にもよう似てるわ」と、よく言われた。れさんは、人のことを誰かに似ているというのが、実に得意だった。

祇園の有名なダンスホールのナンバー2だったんよ。そのうち、えばっちゃんにもワルツやらタンゴやらを教えてあげようね、と言っていたが、

その機会はないままに終わった。

イロイロな、ことを、たいしたことの無いように、ハナシていた。

それで、時々、聞いているコチラが、腰を抜かすのであった。

今の大家さんが、そのダンスホールに通っていたと云うハナシが出てきたときには、本当に驚いた。ニンゲンどこで知り合い、ドコで再会することになるのか、ヒトの縁とは不思議なものだと想った。

 

家族のハナシも、時々出るのだが、ぼくの知る限り、家族が訪ねて

来たことは、一度も、無かった。

本当に、家族とは、一族とは、無縁、だった。

子供さんもいるようなハナシだって、弟さんがいるようなハナシだって、

嫁ぎ先の御姑さんがキツカッタハナシだって、聞いては、いたのだが。

家族とは、まったく、無縁だった。さぞ、悔しかった、ダロウと、想う。

戦前の在日の二世の女性が一族と家族と切り離されると云うのは、

どのくらい、のコトなのか、想像すらし得ないコトだと、そう想う。

 

れさんの一生を『生きづらさ』と、言われてしまう、

わけには、断じていかないと、想う。

断じて、ね。

れさんの前にも

れさんの後にも

れさんのような、人生が、引き続いていて、

それは、前進友の会の第二世代や第三世代にも、

共通なので、ある。

えばっちも、含めてね。

だから、我々キーサンの人生を

『生きづらさ』と云うコトバに『すり替える』動きには

敏感に反応して

その度ごとに、

それは、チガウのだ、と、言い続けようと、想う。

さもないと、我らキーサン人生が

『すり替えアクジ』のハンニン達に、、、

亡き者にされちまうだろうしね、、、、

それか、いいように変形させられて、歪められて

貶められて、リヨウされちまうだろう、な、、、、

 

れさん、一緒に、それはチガウと、

叫ぼう、ぜ

クスリもゼロに為るらしいで

それで当事者スタッフ様様に為るらしいで

学会のリヂ様や国会の参考人様タラに

為るらしいで、、、、

ほんとうかな、って、想うダロ

ほんとうかな、って、さ

ヤタラとヤカラなヤツラが

イイコトしてるツモリになって

それで、飯喰って、学者様にでも為った気でいる

キチガイ患者よりもエラクなった気でいる

おエライ当事者スタッフ様様様たちと

わしらキチガイを飯の種にして専門職面ぶら下げて

子供を大学に行かせて、家のローンを払っている

ヤカラとヤタラにニコニコして、賃金をもらって

運んで来る御膳を

一緒に

バーーーーァァァアンと

ひっくり返そうヤナ

2014/11/7起稿2017/12/14脱稿

 前進友の会 コテコテの躁鬱病患者 56歳 5回の入退院歴

精神病患者会前進友の会やすらぎの里作業所

あくまでキーサン革命の鬼えばっち 江端一起

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