コレでいいのだろうかと『悩み始めていた』本物の『支援者』『専門職』にコソ、ナニかしらの回答のキッカケをもたらすであろう。『生きる実感の格差』を生み出し、ドンドンその格差を拡げて行っていることに何故気付かないのか、、、
いや、気付いているがゆえに無視していくのか、、、そのリクツ付けにこそ『専門職能化』『国家資格化』『学会化』『適正手続化』『福祉サービス化』『自立支援契約化』『アセスメント化』『システム化』『ルール化』『マニュアル化』が最大限利用され尽くすのか、、、『必要とされていないこと』を実感した時の絶望を想えば、作業所やデイケアやSSTやオルタナティヴや当事者研究や、ソンな場でこそ、その場でその時にスタッフ側と利用者側で『必要とされることの格差』が、極大に拡がっているゲンジツを見るコトになるハズダッタのだが、、ソウは為らなかった、、、ソコに『発達障害概念』と『福祉サービス医療サービスの受益者』と『自立支援サービス供給契約』と『第三者人権擁護適正委員会機関』に、えばっちは、悪の根源を見るのである。
『必要とされている実感』がなければ、『必要とされる場』が無いと生きてはいけない。だから、『役割』を見つける。『必要とされる関係』をこしらえていく。『支え合って生きる』と云う『役割』を自分たちでこしらえていく。それぞれが必要とされる場を自分たちでこしらえていく。必要とされている実感と人間関係を場を共にしながらこしらえていく。『支え合って生きる』だからコソのキーサントモダチなのである。人は、特に弱いものは『群れ』ることでしか生きてはいけない。ひとは一人では生きてはいけないから。『本物の生きがい』が必要だから。『本物の生きる実感』を求めるのだから。『人である限り生きなければ』ならないのだから、、、『よりよく生きなければ』ならないのだから、、、『右肩上がり』ではなく『社会復帰路線』『働く権利』ではない、の、だけれども、そう『よりよく生きて』いきたいのである。ソレを奪ってほしくないのである。『本物の生きがい』を見い出して『生きていきたい』のである。
ナンダカ「似非道学」「似非倫理道徳」を語っているようで、「腐った似非生き方セミナー」のようで、嫌に為る、コンなコトを言うのは、、、えばっちが『道徳』『人の道』のようなコトを語れるわけがない。
でも、『一所懸命ガンバッているスタッフ』側からの「今、これだけ充実し掛かっている精神福祉の中で、私たちの実践の中に、今何故にココに必要があるのか」と云う問いに答えなければならなくなった、、、、、生き延びて生き延びて生き延びて『やっとこさココにたどり着いて優しいスタッフに囲まれて生保も年金も貰えるようになったし、訪看の看護婦さんもヘルパーさんも来てくれるようになって優しいし、ご飯も作ってくれるし、もうコレでいいやと感じている通所者利用者』側からの「今何故にココに必要なのか」と云う問いに答えなければならなくなった、、、
2020年2月1日起稿2月22日に一旦完成として
精神病患者会前進友の会やすらぎの里作業所
あくまでキーサン革命の鬼えばっち 江端一起
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