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ハッタツの諸君よ、ジブンだけ発達障害をツコうて助かってシマツタことに後ろめたさは無いのであろうか

結カ条 告白箇条 入院退院告白箇条
ボクだけ助かってシマッタ、後ろめたくてタマラナい、みんなを裏切ってボクだけ退院してシマッタ助かってしまったんだ、この後ろめたさから、誰かオレを救ってくれ、ドウ言えばいいのか、コレを、助かってシマッタ。この後ろめたさを、ドウ言えばいいのか、ドウ、この後ろめたさを、ドウ言えばいいのか
ハッタツの諸君よ、ジブンだけ発達障害をツコうて助かってシマツタことに後ろめたさは無いのであろうか
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世間様に言い続けてきた
精神医に言い続けてきた
看護士に言いつづけてきた
見えやすいアクジ犯にも見えにくいアクジ犯にも掏り替えアクジ犯にも
オレは精神医療と精神福祉と精神医と看護士に対する怒りと復讐の鬼だと
必ず、復讐してやると、言い続け、叫びつつけてきた
キーサン革命の鬼だと、鬼の復讐心を見よと
叫びつつけるコトで生き抜き闘い抜いてきた
オレハオニダ
イカリトフクシュウノオニダ
キーサンカクメイノオニダ
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俺だけ退院してしまった。
一年間いた、あの、信州の、あの、田んぼの中に突然出現する、
あの病院から、俺だけ助かってしまった。
こんなことを、言うつもりはなかった。
言わないで「キーサン革命の鬼」「怒りと復讐の鬼」だけで行きたかった。
そう生きたかったのだ。
何でこんなことを『告白』しなきゃならなくなったのか。
俺だけ退院できてしまった。
俺だけクスリが随分と減ってしまった。
十年後に訪ねた時、みんなあそこにそのまんまいた。
それから、また、十九年たって、これを書いている。
俺だけ退院してしまった。
この後ろめたさは、ナンと言えばいいんだろう。
ドウ表現したらいいのだろう
退院してきてシマッタ助かってシマッタ
後ろめたくてタマラナイ
みんなを置いて出てきてシマッタ
後ろめとうて、後ろめとうて、ドウ言えばいいのか
ドウ言えば分ってもらえるか
ムリなのか、だから、言うコトを避けてきたのか
ハッタツを宣伝しているヤツ等に
ハッタツを自称しているヤツ等に
オマイ等には後ろめたさは無いのんか、と叫ぶ為だけに
コンなコトを『告白』しなければならなくなってしまった
ナサケナいハナシだ
ブザマなハナシだ
オマイ等ハッタツのヤツ等は後ろめとうは無いのんか
無いノンカーーー無いノンやなぁぁぁぁぁぁああああああーーー
とさんが、言った
あの日は天気はよかったんだが、波が高くて大変だったんや
天気は良かったんだよ、天気は良かったんだが、
でも、波が高くてね、波が高くて大変だった
と繰り返し繰り返し、言った
とさんは、それしか言わない
それで、ぼくは、もしかして東郷元帥ですか、と、尋ねたんだ
彼は、ぼくを見て、ニンマリ笑って
こう言った、いつもより、幾分はっきりと、大きな声で、こう言った
あの日は波が高くて大変だったんだ!!!!!!
彼が外出するのも、散歩に出るのも、
大体、病棟から出るところも
見たことがなかった
そもそも、部屋から、出ていないようだった
ぼくの退院が決まった日、挨拶に行くと
あの日は波が高くて大変だったのだ、と、いつもより、小さい声で
ヒッソリと言った
退院した後、面会に行くと
彼は、ぼくに、ナンニも、言ってくれなかった
まるで、ぼくが、ソコには、存在していないかのように
タイインシテシマッタぼくは、彼を、裏切ったのだと、想いしった
退院してしまって、裏切ったのだと。
その後、退院したぼくは、入院していた病棟に、面会に行った
お見舞いと云うよりは、面会に行った
考えてみれば、あの時以来、入院していた病院に、
なかまを訪ねて、面会し続ける、と云う、ことになったのかもしれない。
東郷元帥に感謝すべきなのか
恨むべきなのか
その時から、ぼくは、10年以上経って「バクチク本」を持って行った。
東郷元帥は、もういなかった。
それから、また、18年も経ってしまって、コレを書いている
東郷元帥は、今は、ドコにいるのだろう。
ボクは彼を裏切って退院シテシマッタンダ
彼は、イマ、ドコに居るんだ
ボクハタスカッテしまった
退院シテシマッタンダ
たさんが
あるとき、弟をコロシテシマツタんだ、と、言った
唐突に言った
あまりに唐突に、突然言った
おれは、どう答えていいのか
分からず、どう反応し様もなく、凍り付いて、ドキマギしていた
電気ショックをやられ過ぎで
アタマのカタチが、変わってしまったんだ、と、言った
いつもアタマを抱えて、岩波文庫を読んでいた
ぼくも妹を半殺しにしてしまってここに来たんですよ
と言おうかな、と、想ったが、結局ナニモ言わず、
電気ショックでアタマのカタチ変わったんだ、というハナシを
ずっと聞いていた
電気ショックを何回も何回も
アタマのカタチが変わるほど、やられたんだよ、そう言って
たさんは、アタマを抱えながら、本を読むのだった
彼は、岩波文庫を丸ごと読破したのではないかと、そう想う
長い長い時を、精神病院の中で、アタマを抱えながら
岩波文庫を読むことで、過ごし続けたのだ
彼を裏切ってボクは退院してシマッタ
あの時
弟を殺してしまったたさんが
こう耳元でささやいてくれた
医者にはさかろうたらあかん
ぜったい、入院中は、医者にはさかろうたらあかん
一度も退院することもなく
電気ショックをやられ続けたアタマを抱えて
死んでいった
後に残されたのは
膨大な量の岩波文庫の本だったハズだ
ハズというのは、その時、ボクは、退院できていたから
シャバにもどれていたのです
みんなを置いて、ボクは、シャバに、京都に戻って来れましたから・・
ボクだけ、シャバに戻れていたのです
あの時
のハナシは、また後になる
あの時
たさんは、ぼくの耳元でささやいてくれた
医者にはさかろうたらあかん、と。
バクチク本をもって、再訪した時、病棟のほとんどのヒトたち、
そのマンマ、あの病棟にいた。
時間が止まったかのように、みんな、そのまま、ソコにいた。
もっとも、ナンニモ変わらずにと云うわけではなかったが、、
十年前は歩いていたヒトたちが、車いすに、なっていたのだが、、、、、
たさんに読んでもらおうと、持って行ったのだケレド、
彼ダケは、ソコには居ず、もう、ぼくを誰だかわからなくなっていて、
意識も、なく、
ありていに言ってしまえば、植物状態で、
病院から離れた老人施設のベッドに横たわっていたの、
だった。
看護婦に言わせれば、原因不明の感染症によって、そのような状態になり、
この施設に移された、と云うことだった。
枕元に、バクチク本を置いて、帰ってきた
京都に帰ってからも、ずっと、ハガキを送り続けていたのが、、、
良かったのか悪かったのか、ただ、そのせいか、
ほどなく、彼が死んだ、という知らせが届いだ。
知らせてくれただけ、マシか、と、想った。
友の会の夏レクの準備をしていた
それは、とても大事なことだったけれど
レクの段取りは、とても大事なことだったけれど
少し、とても、少し、後ろめたかったんだ
ドウ言えばいいのか
とてもとても、とても、少し、後ろめたかったんですよ
落ちる落ちる
落ちる、と、ぼくに言う
ぼくが、食事の後、プラスチックのお盆に食器を載せて
配膳窓口に返しに行くとき
お盆の上の牛乳瓶を指さして
彼は、デェイルームの同じ席に座ったママ
必ず、言うのだった
倒れる、倒れる
倒れる、と、ぼくに、言い続ける
いつも、将棋盤を前にしていた。
それが、将棋を本当にさしていたのを見たことがないのだが、
その彼が、いきなり、倒れて、意識不明になり、
ストレッチャーで、運び出されていった
大騒ぎになった
そのまま、彼は、戻っては来なかった
ナンニも知らされないまま
例によって、入院患者の中では
例のどこからともなく、コンなハナシが拡まった
ロボトミーの後遺症で、血液の成分が
無茶苦茶になった、というものだった。
不思議なことに、死んだと云うハナシはでなかった。
入院患者の中で、どこからともなく拡がるハナシは、
割と正確だった、と、そう想う。
だから、彼は、あの時、死にはしなかったのだと、想う。
ただ、二度と、ここに、戻っては来なかった
いつもいつも、お盆の上の牛乳瓶が、
倒れないか、シンパイしているヒトだった
そのころは、スイカ割りをされた患者が
本当にいたのです。
本当のことなんですよ。
誰も、おもてだっては、口にはシナカッタ。
でも、あの時だけは、語られたのです、患者たちの中でね。
彼の前の、あの将棋盤は、いつしか、かたずけられていて
誰も、そう、誰も、、彼の席には、座らなかった
食堂の、エル字型の壁ぎわの角の席だった
彼を裏切ってシマッタ
ボクだけまたもや助かってしまった
この後ろめたさから
誰か、オレを救ってくれ
オレだけ、助かってしまったんだ

キーサン革命の鬼ことえばっち 江端一起
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