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発達障害は差別的社会復帰的エリート障害者的保安処分的人格障害再復活的で、ついには、ファシズムの温床にまでなってしまうのが、ワカランかったのか。

❽カ条 発達保障無理矢理人間的成長箇条
発達障害は、精神病患者や障害者の人生を、人間的成長タラ人格の完成タラとむすびつけてしまった。ツマリ発達保障論のあくどい部分を更に悪辣に再生産シテシマッタだけと為った
 
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発達障害度と笠リロン適合度と断薬療法の達成尺度とセカンド減薬療法の成功度合いや社会復帰の進捗度合いとを、患者本人の人格とを患者本人の品性とを患者本人の人間としての成長とをかさね絵として、影絵芝居として見せてしまうと云うことをヤッテシマッタのである。このことがナニを意味するのかおそらくは、幻術魔道士嶋田和子は分かってはイナいのではないかと、そう想う。とうとう、患者本人の人間的成長だの人格の完成だの、人間性だの、品性だの、人生の振り返りだの、とを、発達断薬療法の達成尺度やセカンド減薬療法の成功度合や、社会復帰の進捗度合や、社会復帰右肩上昇角度とを、就中発達障害度合いとを、影絵芝居のように、重ね合わせてしまった。ヤッテはならない事をやってしまった。笠の責任も、大きい。これだと、クスリも抜けず、社会復帰も出来なかった、多くの多くの、病者が、人間的成長のないヤツラだと、いうことになってしまう。死んでいった患者たちを棺から引きずり出して、鞭を打っていると、言って過言ではない。彼らは、彼女たちは、人間的成長も無く、死んでいった、とでも、言うのか。答えてミロ。幻術魔道士嶋田和子よ。著者は、このコトの持つ意味を十分に理解して、書いたのだろうか。どちらにせよ、この著者は、この重ね絵を、全ての発達断薬療法セカンド減薬療法に、影絵として落とし込んでシマッテいるので、少しでも、この療法に取り組もうとする、患者たちに、却って、真において、更なる、累々たる屍を生み出すだろう。幻術魔道士嶋田和子の罪は、極大に達している。
 しかも、己の罪に、マッタクの無自覚さをさらけ出している。ソウゾウを絶する極悪非道、狡猾極まりのない、最低のやり口である。精神病者にどれほどの苦痛と絶望をまき散らせば、気が済むのであろうか。精神病者患者に、どれほど絶望の淵に追い立てれば、気が済む、と云う、のであろうか。処方薬依存症からの再生の物語と云う美辞麗句を使いながら、鞭を振るって、多くの患者を死の淵に、追い立てていくであろう。絶望に追い立てるその鞭を、愛の鞭、だとでも、言う、のであろう、か。幻術魔道士嶋田和子の罪は、はかり知れない域に到達している。そして、その愛の鞭を、受けたが故に、成長できました、と云う、当事者が笠と、幻術魔道士嶋田和子と、内海の、ファンクラブに、なるのである。そのファンクラブの会報にしか過ぎない、そういう、シロモノなのである。これは、ライターなる者が、書いたものとしては、あまりに、無様である。
 当事者への利用主義であり、当事者への了解など無視である。己がライターとして成功することだけが、ライターとして有名になることだけが目的なのであって、あくまで、自分が有名になりたいだけのライターなのだ、しかも、悪辣な、自分がライターとして成功するためなら、なんでも利用し、利用価値がなくなったら、サッサと、捨てていく、そんな、今まで知り合ったライターと云う人種の中での最低最悪辣ライターなのです。今は、笠医師ですが、その前は内海医師だったわけです、今は、くじら会ですが、そして、発達障害当事者会を立ち上げようとしているんでしようが、自分のライターとしての活動に利用できないとなったら、、、、、そのうち、ワカッテキマスヨ、、、、そのうちね、、、あと、十年もしたら、わかってきますよ。
 笠医師も、周りが、チカヅイテクルれんぢゅうが、ソンナンばっかりになりつつあるのを自覚しなきゃ、、、ね。したがって、もっとも、利用されたのは、当事者であり、利用価値なしとされてサツさと捨てられたのも、また、当事者であり、もっとも、クルシイ当事者を侮蔑し続けて書いたのである。したがって当然、当事者の了解をとって書くなどとと云う、地道な作業は無視したのである。当事者とは当然、に、この場合、患者本人である。親のことではない。

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❾カ条 ファシズム温床箇条 苦箇条
発達障害ファシズムの揺り籠と為る
まず、最初に、とある、なかなかにスゴいゲンバにずぅーっと居続けた方から頂いた手紙を、ご本人の了解のもと紹介をしたい。慧眼と想う。
『読みました。発達障害と言われている人たちとの関わりの中で、私が感じてきたことと重なりました。今、まさに不遇感、不全感、不満感、疎外感の固まりのような30~40代(50代前半もかな)世代が大量に生まれています。いじめや登校拒否で社会的不適合のレッテルを張られてもなお生き抜いてきた人、一方でなんとかドロップアウトもしないで、優秀な成績で大学を卒業したのに、就職でつまづき、職場からはじき飛ばされた人など、それぞれがストレスを抱えて苦しんでいます。空気を読めないと言われたり、みんなから浮くのがいやなので、自分の意見を主張できない、仲間がいない孤立感を感じています。犯罪までは行かなくてもすれすれのところで、何かに依存しながら、自分だけが世の中の不幸を一身に背負っているかのように嘆いている。私から観ればそれなりに生活できているのに、何を贅沢言っているのと言いたくなる。ひとりひとりはまじめで良い人間なのに、なぜか他人との関係がうまく作れない。何をやりたいのかがわからない。約束は守らないのに他人に迷惑をかけているとは思わず、自分は常に被害者だと感じている。こういう人たちが層として広がっていると思います。ファシズムが忍び寄る基盤というのはそういう社会に対する漠然とした不満を権力や富裕層への怒りに向けるのではなく、差別されている人々、少数派の人々に対する優越感をもたせ、排外的な攻撃を向けていく方向へと組織していくとことだとおもいます。』
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 さて、そのうえで、の、苦箇条、ファシズム温床箇条である。
 精神医療と福祉の中で、ずーっと想い続け悩み続けてきたことがある。それをどう表現すればいいのかわからかった。それは、発達障害が、権力にとって本当に都合のよいものだということの、行き着いた先を言いたかったのだ。だけれども、なかなか言えなかった。だが、ついにこの一点を書くべき時が来た。発達障害者と、発達障害特性とは、権力にとってまことに都合のいいものだと言い続けてきた。それで、箇条書きにまとめ書いてきたけれども、真の意味で権力にとってまことに都合がいいとは、ツマリ、発達障害者と発達障害特性とが、ファシズムの温床を拡げるからであり、ファシズムのゆりかごとなるからである。ファシズムが煽り立てるプロパガンダの対象者に持って来いのモノであるからなのだ。そう、発達障害者の拡大は、銭儲けのためだけに在ったのではない、ということだ。ファシスト予備軍を育成するためでもあったのだ。しかし、この予備軍は、まかり間違えば、キョーさん化し反対ウンドー化するかもしれない。牙をむいて来るカモシレナい、しかし、もうその恐れはなくなったと、たかをくくれる状況になったのだ。発達障害概念を見直してみればよい。スグに了解である。コレほどファシズムの温床となり、しかも、反対側の反対ウンドー化には、その概念そのものが、その方向をなくさせ、しかも、単発単独ゲバや単独型テロの無効化と都合のよい説明化に使えるのである。こんな、まことにベンリな当局にとって権力にとって都合の良い障害者概念が、あろうか。
 発達障害そのものが持っている、いや、発達障害概念そのものが煽り立ててくる、不遇感、不全感、世の中から正当に扱われていないという不満感、それらはどんどん亢進されてくる。その一方で、能力が高いのだ、環境さえ整えば、あるいは、サポートチームさえあれば、アナタのクリエイティブな才能は開花だ、という『高機能発達障害の高機能社会復帰』的な「選民的高機能性」(右肩上がり人生が待っています)、もどんどん亢進されてくる。その一方で、客観的には、例えば比較の問題として、精神病者の不遇感、不全感、世の中から正当に扱われていないという不満感とは、比較するのもおこがましい、という現実がある。十年も二十年も精神病院に閉じ込められ、生保も年金も精神病では取れるとは思えなかった病者たちの生活の苦しさと、今流行の発達障害者の生きづらさとが、同じものだとは到底想えない。ところが、発達障害者の方が、不遇感、不全感の亢進度合いは、想像を絶するものがあって、それが、なんと、権力の側に対抗する『団結』というものに、ならないように、障害概念そのものがなっているので、障害特性がソウなっているので、権力にとっては、まさしく、ファシズムの優生思想のプロパガンダの対象者に、もってこいのモノなのである。
 不遇感、不全感、正当には扱われていないと云う不満感、それを例えば、非正規雇用と云うコトと「例えば」「置き換えて」考えてみたら、どうかと想う。そう、非正規雇用は、銭儲けだけのために、組織的政策的に増やされたわけではない。非正規雇用で、経済的にも社会保障的にも、不遇で、世間的にも正当な扱いを受けられていない、ソンな労働者が増えれば増えるほど、苦しければクルシイほど、ファシズムのゆりかごと為るのである。歴史を見直してみればよい。すぐに了解である。今回は、決定的に更にさらに進化を遂げている。ツマリ、発達障害概念の発明と、大流行である。そらおそろしいことに、コレは「置き換えて」「例えば」なのではなく、今の今時のニホンのゲンジツでは、非正規雇用の政策的増大と発達障害概念の発明と政策的大流行とが「両方併存的にあいまって」ファシズムの温床に直結しているのである。この恐ろしさに誰も気づかないとは、オドロキだ。
 発達障害で、精神医療を根底的に破壊できると言うてきたアンポン譚ども、木を見て森を見ずとはこのことや、発達障害は差別的社会復帰的エリート障害者的保安処分的人格障害再復活的で、ついには、ファシズムの温床にまでなってしまうのが、ワカランかったのか。木を見て森を見ずとは、コノコッタ!!!発達障害を拡めまくった連中、自分がファシズムの温床を拡げてきたということが、わかって居ないんだろうなぁぁーー
 ダカラ、だからこそ、発達障害は今の今時に大流行しているんダヨ、恐ろしいことだ。

キーサン革命の鬼ことえばっち 江端一起
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