「相模原障害者大量殺傷事件」
を想う

ファシズムがやってくる
いや、もうやってきている
オレの中に彼はいる
オレの中にファシズムに乗ぜられる
スキがアル それがおそろしい
オマイ等の中に彼は居ないのか?
ウンドーの側に彼は居ないのか?
本当に彼が殺したのか、本当に?
じゃあ、誰が殺したのだ!
!!

「オレの中に彼はいる」この意味するところが、まるで違ってしまった。その違ってしまったことに、本当に恐怖を感じている。いやチガウな、まるでチガウのでは、ないのだ。そう「オレの中に彼はいる」が、何重もの意味を持つことに為ってしまった。恐ろしいことにナッタ、とそう想う。何層もの意味を持ち出してしまった。しかも、未分化のままに。その何重もの意味を持っている「オレの中に彼はいる」をどれだけ、語ることができるだろうか。
そう、今までは、そう今までは、それは、自分の心の中の、鬼との出会いであり、鬼を見つめることであった。自分の中の精神医療に対する怒りと復讐の物語であった。その精神医療の存在を許し必要とする社会への怒りと復讐でアッタ。その精神医療で飯を喰い、子供を大学にやり、家のローンを払っている精神医と看護士に対する怒りと復讐であった。それは多分に『倫理的』なものであった。その『倫理的』な「オレの中に彼はいる」と云う前提に立って、社会を、世間様を、専門職を批判してきた。でも、今回の「オレの中に彼はいる」と云うのは、圧倒的に社会的な文脈の中で、或いは、圧倒的に反対ウンドーの側に、言いたいことなのだ。それは、結論から先に言えば、自分の中のファシズムの温床に向き合うことである。自分の中にファシズムに乗ぜられるタネは、ないのかと云う、どちらかと言えば先に社会的文脈の中での「オレの中に彼はいる」と云うものなのだ。
だから最初に、まず、世の中が、市民様が、専門職様が、権力が、マスコミが、どれだけファシズムを煽り立ててきたのか、ということは、ハッキリと再度、言っておきたい。ソコにはハンタイウンドーの側様も、モチロン入るのでアル。そして、それは第一稿(ロシナンテ社月刊むすぶ547号)の後半部分そのままなのだケレド、、、、、さらにまた、煽り立ててきた人々とは、そして、その煽り立てられやすい人々とは、、、、イッタいドンな人々、なのか。

いったい誰がヘイトクライムを煽ってきたのか
いったい誰が差別を煽ってきたのか
いったい誰がファシズムを煽ってきたのか
いったい誰が障害者殺しを煽ってきたのか
いったい誰が戦争と競争を煽ってきたのか
いったい誰が障害者の生命の選別を煽ってきたのか
それは、オマイ等世間様ではないのか
それは、オマイ等シミン様ではないのか
それは、オマイ等センセイ様ではないのか
それは、オマイ等マスコミ様ではないのか
それは、オマイ等精神病院と施設様ではないのか
それは、オマイ等学会学者様ではないのか
それは、オマイ等専門職様ではないのか
それは、オマイ等官吏様ではないのか
それは、オマイ等議員様ではないのか
それは、オマイ等反対ウンドーの側様ではないのか
それは、オマイ等良心派改革派の活動家側様ではないのか
措置入院制度が改悪されようとしている今
精神保健法が改悪されそうになっている今
新しい保護観察制度が出来そうになっている今
社会が、まさにまさに、ファシズムにむけて走り出している今
じっとじっと、見つめるべきであると想う
ソコを無しで、反対ウンドーをすすめて
と、マタゾロ、ワサワサと、分からぬことを、さもワカッタかのように言いつつ
反対ウンドーを進めることに、怖気を感じる
それでは、今の今時に、この社会をファシズム化していこうとする動きとナニも変わらぬ、と云うのが、今の今時に、患者会に拘り続けてきたキーサン革命の鬼えばっちが、叫び続けなければならない事だと、想うのである
前進友の会 キーサン革命の鬼 えばっち
えばっちのホームページ 乾坤一擲