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全精連や、全家連や、コンボネットなどの、通信物などを読むと、嘘をつけと、お前たちは本当のことを言っていない、良いようにしか言っていない、それではダメだ、ちゃんと自分の暴力性に向き合えと、それがキチガイ

だから、お利口な「僕たちは、暴力なんて振るったことありません」「心優しき心豊かな優しい、暴力とは無縁の感受性豊かな精神病者です」などと、宣伝にこれ務めている全精連や、全家連や、コンボネットなどの、通信物などを読むと、嘘をつけと、お前たちは本当のことを言っていない、良いようにしか言っていない、それではダメだ、ちゃんと自分の暴力性に向き合えと、それがキチガイの生きる道だと、想ってしまうのである。
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さらにまた、このお利口さん路線を、持ち上げている、良心的医療従事者たちに、こう言いたいのである。お前たちも、ちゃんと、向き合え。さもないと、真の意味で病者は延々と「お前たちに媚びを売ることになる」、それが分からないのか。おのが暴力性に正面から向き合えた病者だけが、かえって、己が暴力性の恐ろしさを自覚し得るからこそ、医療従事者たちと、媚びを売るのではなく、堂々と正面から向き合えるのである。なぜなら、医療従事者たちが、暴力そのものであるからである。だから、己が暴力性と正面から向き合えなかった病者たちは、暴力そのものを体現している医療従事者たちに、ついつい、無意識的に、媚びを売り続けることになるのである。それが、「心優しき精神病患者」なのである。それが、わからないのかな。
 
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だから、オレの中に彼はいる。オレの中にファシズムに乗ぜられるタネはアルんですよ、それがオソロシいコトなんデスヨ。
 そして患者会で、みんなでいる事こそが、俺の中の彼が暴れださないようにしていてくれるのです。ムズカシイことではないのです。この会話ソノものなんですよ。患者会こそが、オレの中の鬼を誤魔化させてくれる、だから生きておれると云うのは、コウ云うコトなんですよ。有り難いことなんですヨ。ソウ云うコトなのです。ナニもリクツぽぃムズカシいコトじゃあナインですよ。
だけれども、しかし、このキーサンの不遇感と、不全感とは、確かに在って、
時々、誰かが、ポロッと漏らしてシマウのでアル
そこにファシズムが忍び寄ってくる
ファシズムヘイトクライムと優生思想が忍び込みやすい対象者とは
いったい誰の事なのだろう
そのプロパガンダに乗ぜられやすい人々とは、誰なのであろうか
そう問い直す時、想い直している時、
ウンドーの側にサヨクの側に、我々は、ヘイトやファシズムとは無縁だと言いきってシマエル人たちが多いのにびっくりする
特に精神医療や、心理の専門職に我々はヘイトや優生思想やファシズムとは無縁ですと言いきれる、その不可思議な自信はドコからくるのだろう
精神医学、精神医療、精神福祉、臨床心理
とくに良心的改革派に、その思い違いが甚だしいのはなぜなんだろう
自らの加害者性に余りにも野放図なのは、なぜなんだろう
 
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自分自身は、加害者側にしか過ぎないのに、自分は良いことをしているように、自分は障害者側にいるように錯覚をし続け、病者の暴力による被害者側になることを、極度に恐れる人たちがいる。良心的、改革派的精神医療従事者の、福祉職員の、ある種の典型である。その一方、病者の中で、自分は徹底的に被害者にされ続けてきたにもかかわらず、そのことよりも、自分が暴力の加害者側になることを極度に恐れ、自らの加害者性が頭から離れず、苦しみ続ける病者がいる。いやチガウな、チガう、その一方で、自分は徹底的に加害者ではなくして、気持ちの優しい、心持ちの優しい、豊かな感受性を持った、暴力とは無縁の心優しき障害者ですよと、言い続け信じ続け、前者の医療従事者の良い子ちゃんに為ることだけを目指せられてシマッタ病者がいる。この二重逆転的な皮肉が、わかるだろうか。この二者の関係と、いや三者の想いのねじれ方を、徹底的に煽り、結果として、前者には傲慢を、後者にも最後者にも、自分はダメだと思い込ませる、そのことに人生を掛けているトシカ想えない腐った医療従事者側にも、当事者側にも、ソンなクソたわけた活動家がいる。


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