えばっちのブログ 精神病患者会のブログ 精神医療糾弾 精神医糾弾 発達障害反対ブログ 発達障害減薬原理主義断薬断行療法批判

精神病患者会 作業所患者自治会のススメ キーサン革命バンザイ 精神病者は健常者社会と徹底的に闘うぞ 精神病者は発達障害者社会と決定的に闘うぞ キチガイのキチガイによるキチガイのための精神病患者会 オモタい病者が喋れるユックリ出来るたまり場をゲンジツにやり続ける 医療観察法撤廃 公認心理師撲滅

少なくとも、精神病院と大量の薬と四肢拘束五点張りと保護室と閉鎖病棟と電気ショックと看護士の暴力と精神医の後ろから襲われて何発も殴られ引きずり倒され馬乗りになっての医局長の首締めに対して、CVPPPのよ

少なくとも、精神病院と大量の薬と四肢拘束五点張りと保護室閉鎖病棟と電気ショックと看護士の暴力と精神医の後ろから襲われて何発も殴られ引きずり倒され馬乗りになっての医局長の首締めに対して、CVPPPのようなチームテクニクスのニープレスに見せかけた医局長の膝蹴り二発に対して、落とし前を百倍返し千倍返しでつけてやろうというのが、えばっちの鬼であり、その怒りと復讐心が俺の中に彼が居たと云うことだと想う。
イメージ 1

そして、だからこそ、患者会にいてみんなで食事会をしレクをし、みんなで泣き笑い慟哭し哄笑していたからこそ、ZOPTになっていたからこそ、俺は彼にはならなかったのだと想う。
 
イメージ 2

でもそれだけじゃない。ここから、さらに心の底のほの暗い闇が続く。
みんなの部屋の中で話していると、実に、想いもよらないなかまから、想いもよらない言葉を聞くときがある。その言葉を聞いたとき、まさしく、い君のその言葉は、まさしく、俺の中の言葉だと思った。その言葉を、ここに書いてしまうことが、少し恐ろしい。けれども、本人の了解のもと、その言葉を書いておきたいと想う。それは、みんなの部屋の中の廊下の突き当りにある自分たちで手作りで作り上げた「ゆうゆう」と云う喫茶スペース、喫煙スペースでのことであった。い君とえばっち、そして誰がいたんやったかな、患者会らしいよもやま話の中、ついつい、えばっちの怒りと復讐の話になった時、い君が言ったのである。「えばたさん、ボクもね、ホントはね、社会に対する漠然とした殺意があるんですよ」と、言ったのである。で、僕は「えぇぇぇーーお前もそうなのか。参ったな、おどろくな。おまえもか。漠然とした社会に対する殺意なのか?漠然なのか?ふーん、俺はよう、漠然というよりは、はっきりしたとした対象が決まった殺意なんだけどな、相手が決まってるのよ、夜よ、布団の中でよ、真っ暗な天井見てるとよ、相手の顔が出てくるんだよね」「でもよ、そういや、俺だって、世間様に対する漠然とした、全ては滅んでしまったらええのや、というのはあるなー」「ここによ、宇宙消滅爆弾のスイッチがあるとするよな。や君とかよ、ざ君とかが、宇宙の大統一理論を完成させて、宇宙消滅装置みたいな理論イコール装置みたいなものを完成させて、そのスイッチがあるとする。これ押すか?」「俺は即座に押す。迷うことなく躊躇することなく即座に押す。やっと楽になれるんや。」「いやーワシは押せんな」と、誰が言ったのか。くちゃんは、「俺は押さんで」と言って、御大師様の全ての生きとし生けるもの全てに仏性があるのや、というようなことを力説しだす。すると、ざ君が「くちゃんは偉いなぁー、だから副代表なんやね、僕は押すかもしれません、押すなー、でもその前に大統一理論を完成しなくっちゃ」「い君よ、お前どうする?社会に対する漠然とした殺意あるけど、子供もおるし、このスイッチ押せんやろ?」で、い君はこう答えたと想う。「押せませんよ。でも、社会に対する漠然とした殺意はあるんですって」で俺は、「俺はそのスイッチ押すわ。本当にあったらな。この押すか押さんかが、何かの分かれ目かも知れんな」というような会話をしていたのを想い出す。
 い君が彼なのではない。スイッチを押してしまう俺が、彼なのである。
イメージ 3

 また別の日の事である。同じ場所で、大体同じ面子が集まって、明日の食事会の事なんかを考えながらよもやま話をしていたのである。いつもの口癖のような言葉が出た。「俺の人生っていったい何だったんだろうな」。不全感、不遇感満載で、「俺の人生って何だったんだろうな」「糞だめのクソのような人生じゃなかろうか」といつもの如く言っていたのである。で、これまたいつもの如く「誰も人生の事なんてしゃべってませんって、ここで人生人生なんて言ってんのは、○○さんと○○さん○○さん、だけくらいのモンじゃないですか」「ほかの人は誰も言ってませんよ」と言われるのである。い君がそう言うのである。それはそうなんだけど、明日の食事会のメニューの方が大事なんだけれども、明日の食事会は焼き飯なんだけれども。それで、「あ、明日、焼き飯用の出汁があったかな、エビの焼き飯だから、肉使えないし、海鮮系の出汁あったかな」と、は君が言いながら台所に確認に行った。「そうだ、明日は、肉はダメの日だからなぁー」「出汁無かったら買いに行かなあかん」「あっ、ありましたありました」「良かったなぁー焼き飯は、ミスターもふさんも、好物だしなぁ」「明日の焼き飯は楽しみだなぁー」そしてまた、また、ついつい言ってしまうのである。「それにしたってよ、俺の人生っていったい何ナンだろうなー」「美味い海老焼き飯をたらふく食べることが、人生じゃないですか」「そりゃそうだなぁーこの間交流の人が持ってきてくれはったキンツバはうまかったなぁー」「こしあん派と粒あん派、友の会はどっちが多いですかネ」「俺は断然粒あん派だなぁー」「エッそうなんですか、ぼくはこしあんですよ」「ボクもです」「京菓子こしあんなんじやないですか」「だから京菓子が嫌いナンだよ、粒あんのドシンとした田舎菓子がエエなぁー」「羊羹派と饅頭派、ココはドチラが多いかな」「次に交流に来たいって云う人はドンなお菓子持ってきてくれるかなぁー」「交流じゃなくて、持ってきてくれはるお土産目当てみたいに見られチャいマズイですヨ」「ソンなことはないだろうよ、なんたって前進友の会と交流したいって云うくらいなんだから、モンダイは実際来てみたらこの雰囲気だから、ガッカリしたトカ言われそうだな」「それにしても俺の人生っていったいナンだったんだろうなぁー」「だから、誰も人生の事なんて喋ってませんって、イマお菓子のハナシでしょ」「い君にだって、社会に対する漠然とした殺意がアルんだからな」「い君、なんでえばっちにアンなこと言っちゃったんだ」「アーあんなこと言っちゃったボクがワルイのかなぁー」と、い君がボヤく。こうして、友の会みんなの部屋喫茶ゆうゆうでの、中年高年のオッサン病者の会話が延々と続くのである。
さらにまた、別の日のみんなの部屋の出来事である。一番広いみんなの部屋のテーブルの周りに、みんなで座って、ワイワイと話していた時である。ひょんなことから、自分たちの初期のころの家庭内での暴力の話になった。それも、赤裸々にみんなで語り合える、そういう時であり、雰囲気であった。「ここで家族に対して、シビアーな暴力を振るってシモウタモン、いっぺん手挙げてみいひんか」と言ったのである。ほとんど全員がバラバラバラ、と手が挙がったのである。そして、口々に喋りはじめたのである。「親父をグーで殴りましたからね」「グーで殴り合いですよ」「包丁が出ましたからね」「なんで入院させたんやー、と叫びながら茶碗を片っ端から投げつけて、机をひっくり返しましたからね」「僕の方が包丁を出したんですよ」「赤いむすぶに書いた通りですよ」「何を言っているんだ、俺なんか、もうちょっとで妹を殺すところだったんだぞ」「あの映画でも、バクチク本でも、キーサン革命宣言でも、書いた通りや」「悲惨やった、ふすまが血だらけになってた」「ふすまが血だらけと言えば、そさんが酒を飲んで暴れた時は、ふすまがほちゃんの血で真っ赤になってて、玄関のドアが外れていて、俺踏み込むとき、こりゃ、ほちゃん死んでるかもしれんなあと、想いながら、恐る恐る踏み込んでいったんだよ」「お母んにエルボーを食らわしてしまいました」「以来、お袋から強制入院させられるのが怖くて、逃げ回ってるんです」「包丁はよく出るよな」「れさんの枕の下の包丁はヤバかった」「家族だけじゃなくて、ココでも、包丁事件あったよなあ」「あったあった」「あれは、被害者はくちゃんじゃなかったか」「確か、とさんが包丁持ってくちゃんを追いかけまわしたよな」「まあ無事で済んでよかった」「そういや、くちゃん、ま君から、ずっと蹴り続けられるというのもあったよな」「そうそう、あの時はうちゃんがプロレス技で止めたんだったよな」「そういや、い君の奴、そういう一番やばい肝心な時に、いないんだよな」「便所で、紙がねえっつって、やっと出てきたら、全ては終わってたんだよな」「い君、良いガタイしているのに、肝心な時に役に立たねえ、で、その時、何で尻を拭いて出てきたんだ?」「これは一生言われるんですかねー?」「仕方がないから、もらった賃金袋の紙をちぎって拭いてきたんですよ」「尻が痛かったんです」「お前なー。ここさっきまで大変な修羅場だったんだぞ。みんな真っ青になってるだろ」「だって、便所に紙が無かったんですよ、コレきっと一生言われるなー」「そうそう、夏レクで主治医をモウチョットで殴り倒すとこマデいくのもアったって聞きましたよ」
前進友の会 キーサン革命の鬼 えばっち
えばっちのホームページ 乾坤一擲