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なぜ「働かない権利」なのか-地を這う病者のアルバイト・仕事歴から ①自衛隊で二等陸士

なぜ「働かない権利」なのか-地を這う病者のアルバイト・仕事歴から

 

ここで、〝えばっち〟こと江端一起が、ジッサイにやってきた仕事、労働、、特に発狂後にした、就労や労働と称するものから、「働かない権利」「反社会復帰」を、叫ぶんでみたい。ほんまタイヘンやったんやから。反社会復帰ナンデスよ。リクツじゃないんですよ。

社会に対して、精神病患者が復帰したいような社会なのかどうなのかを、まずは突きつけるのです。それが先です。それが先じゃないのか。

 

 それでは、おれのアルバイトや仕事の、羅列を見てください。発狂前も、発狂の原因となった職場も、隠れてクスリを飲みながら働いていた職場も、数えてみて全部で一四カ所ありました。世間様は、そんなに、甘かないですよ、まったく。とにかく、シンドかった。発狂前も発狂途上も、発狂後も、とにかくとにかくシンドカッタ。このシンドさをどう表現すればよいのか。そりゃあ「健常者」や「市民」の皆さんだって、働くのはシンドイことなんやと、働くいうのんは楽やないんや、特に今の世の中は、と、言われるのは、重々承知です。だからこそ、キーサンからの、コレが、今の世の中の労働、労働運動いうモンへの「お礼参り」ですよ。だからこその「働かない権利』」という「生命の底で居直る」生き方のバラ撒きなワケです。

こんなシゴトしてきたからこその「『反社会復帰」「働かない権利」を叫ぶんですよ。隠れてクスリを飲むのんは、シンドカツタ。

隠れてクスリ飲むんも、ツライんですよ。

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自衛隊で二等陸士

 高校卒業後、まずは自衛隊がかわきりだった。そして、同時に夜間大学入学だ。今も昔も、地方出身のビンボーな若者が、大学に行こうと思ったら、まずは、軍隊に入るところから出発だ。バッグ二つと三万円持って営門をくぐったのは、卒業式から二週間とは経っていなかった。四月一日付け入隊のはずなのだが、三月半ばには駐屯地にいてたはず。ドウなっていたんだろう。とにかく、物品受領と、各種心理テスト漬け、それに、詳細な身体検査を一週間以上かけてやったと、想う。そのあとの四月一日の入隊式から、お仕事歴の始まりだ。

 軍隊の新兵・二等兵というヤツダ。MOS(兵隊としての特技)は、施設手、ツマリ工兵ということだ。銃剣道で、絞られたぜ。先任助教がこの道が得意だったから、タイヘンだったんだ。もっと言うと、旧軍の士官学校出や幼年学校出が、まだまだ幹部にたくさんいた時代だ、荒っぽかったよ。行軍と戦闘訓練が一番キツかったね。しかも、同時に夜間大学入学だ。昼は鉄砲もって這いずり回り、夜はペンに持ち替えてノートをとっていたわけだ。

 とにもかくにも、ハイポートとかいうフル装備で、自動小銃もって走り続けるという訓練だか、班長助教達のイジメだか分かんないようなのがあって、その時は、気を失ってしまい気が付いたら班のベットで寝かされていた。

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 六四式自動小銃が、四キロを超えているんだ、重かった。確か、四キロ三〇〇グラムアッタ。しかも、自動小銃というのは、本当に不恰好で、扱いにくいシロモノなんだ。腰回りに弾帯をして銃剣を吊り、そこにガスマスクや、弾倉や、緊急医療キット、一リットル入りの水筒、携帯用円匙を身に着け、靴はあのゴツイ半長靴で、走るのである。ヘルメットは、ライナーだったから、まだマシだったが、戦闘訓練では、ライナーの上から鉄帽をつける。それがまた、とてつもなく重いんだ。おれ達は鉄帽のことを「テッパチ」と呼んでいたものだ。

そうそう、あんな重いものを、何時も被っているわけじゃあないんですよ。鉄帽は、大抵は背嚢に括りつけられているものなのです。戦闘状況になったら何時も被っている強化プラスチックみたいなものでできている「ライナー」と呼ばれるヘルメットを被っている上から、テッパチ鉄帽を被るのです。テッパチは、とても重くて首が疲れるシロモノなんですよ。

 ボクがいた間に、一人自殺して、一人事故死した。自殺はひた隠しだった。が、事故死の方は、二階級特進ということになり、大々的に駐屯地で葬儀が催された。オレは、儀仗隊に選ばれて、棺が安置されている部屋の前で、戦闘服と儀礼用の第一種制服との中間のような恰好で、立っていた。訓練から離れられて、少し楽ダッタ。弔銃は、三発ダッタ。虚空に向けて、空砲を撃ったのダッタ。虚しい響きだった。でも、ボクは助かったのですよ。だって、儀仗隊に加わっている間は、中隊の営内班から少しは離れられて、楽になるんですから。そう、それと警衛勤務の時も、これわかって貰えますかね。中隊の営内班から離れていられる気楽さ、というのを。

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 ただ、警衛勤務自体はタイヘンだった。二四時間連続勤務で、あの駐屯地の正門入ってすぐ左の警衛所に、詰めているわけですから、けっこうシンドイかな。仮眠も半長靴はいたままで、戦闘服のままで、仮眠するんです。

夜間の歩哨というか、駐屯地の外周を、二人一組で、自動小銃持って銃剣吊って、警戒しながら一周して来るという任務があるのですが、ケッコウ大変でした。「上番します」、と言って、二人で警戒に出発でした。一直とバッ直が、イチバン仮眠取り易くて良かったけれど、いつも、二直か三直か、だったなぁ。それか、バッ直の前。ツカレたなぁ。上番、下番、待機、休憩、を繰り返しつつ、24時間連続勤務するのである。ツカレた。そうそう警衛勤務のほかに、各中隊で、不寝番というのも別にあって、その時は、昼間、課業は普通にアルので、三直ぐらいが当たちゃうと、たいへんだっ、その一日が。ただ、不寝番は、正規の戦闘服で装備してというわけではなく、確か半長靴ではなくてズックで、弾帯もしなくて良かったハズで、銃剣道用の木銃をもって、隊舎内を見回ったのでした。だから、その点では警衛勤務よりはヨカッタかな。

 僕がいてた時の自衛隊は、自衛隊独自の用語があり、旧軍から引き続いている用語があり、なおかつ米軍さんの用語もあった。そして、非公式な兵隊用語まであったのだから、なかなか慣れるまで大変だった。例えば旧軍で言う「酒保」という言葉があり、公式には自衛隊用語の「購買」と言わなければならなかったのだが、一般には、なんと米軍さん風の「PXピーエックス」というのが使われていた。ところが、我々兵隊の中では、そのPXを「ピーペケ」と呼んでいたのである。営内班では、もっぱら「ピーペケ」が使われていた。今はどうだろう。

例えば、「民間」という言葉も使われていた。軍隊以外の社会のことなんだが、これはひょっとしたら旧軍から引き継がれたものかもしれない。民間で灰皿のことを隊内ではエンカンと呼ばれていた。どんな漢字を書くのか忘れた。「煙缶」だったと、想うのだが、記憶が定かではない。でも、このエンカンは真っ先に覚えた。いつの世もペーペーがナニカ用事で呼ばれたら持っていかなければならないのは灰皿と決まっている。つまりエンカンだ。

 

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あくまでキーサン革命の鬼えばっち 江端一起

 

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